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感謝そして慈愛

母のお墓参りに行った。「産んでくれてありがとう」と初めて言えた。それまでずっと、恨みと悔しさと分かり合えない辛さに覆われて苦しんでいた。もう亡くなってしまい直接感謝を伝えることはできないけど、魂はつながり声は届いている。そう思う。

父も墓参に来たようで、菊の花が供えられていた。私を育ててくれた両親に今は感謝の気持ちしかない。

心が荒み一人で苦しんでいた頃、私は私しか見ていなかった。周りで支えてくれる人、微笑みかけてくれる人、優しく手を差し伸べてくれる人がいたはずなのに、いつも敵対心を持ち、一人で勝手に闘っていた。

心も体も疲弊して、ただ息をして生きているだけだった。心なんて無くなればいいと思っていた。何も考えず何も感じずにいられたら、どんなに楽だろうと思っていた。

実際無心でいた方が心が揺れずに済む。けれど一度外側の刺激に触れれば、またグラグラと落ち着きのない自分が顔を出し、呼吸が乱れ、とりとめのない思考の渦に絡めとられる。忙しいマインドは無くなってしまえと何度思ったことだろう。

今生きている。今息をしている。今ペンを走らせ、文字を書いている。その文字を私の目は見ている。ペンを持つ手、ノートに触れる手、椅子に触れる体、床を踏む足、すべてがバランスを取り合って私を支え、こうして文章を書いている。

これが奇跡なのだ。生まれてきたこと、呼吸をすること、文字を読み、書き、言葉を話す。食べる、飲む、消化し、吸収し、排泄する。すべての器官がバランスを取りながら働き、私を私として存在させてくれる。毎日休まずに生きさせてくれるのだ。これを感謝せずにいられるだろうか。

晴れの日も、雨の日も、風の日も、どんな季節が訪れようとも、私を支え、体温を保ち、一瞬一瞬を生きさせてくれるこの体を大きな感謝と慈愛を込めてハグしよう。手を合わせ祈ろう。私は今生きている。

大きなパワーに導かれて生を授かった。父と母を選んで私は生まれてきたのだ。この心と体を大切に扱い、健康を保ち、傷つけない。

「私は大丈夫」胸に手を当てて、そう伝える。心も体も揺れる。けれどもまた中心に還ってこられる。いつだってこの真ん中にある私の魂は、私を守り、慈しみ、愛している。一人一人の真ん中に、キレイな魂があって、「いつも大丈夫」とやわらかな微笑みをたたえて心と体をやさしく包んでいる。

そのことをちゃんと知っていよう。そして信頼しよう。私たちは大丈夫、いつも大丈夫。

今生きている。そのことをちゃんと知る。大切なものはここにある。内側にある。ハートにある。だから信じて、今を生きる。

どんなときも太陽は私たちを照らし、無償の愛でエネルギーを放つ。私たちもまた、自分の内側からあふれるエネルギーを周りに与えながら心を養っていこう。

大丈夫、私たちは大丈夫。


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