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just people!人類愛!

この街の歴史を感じられるような、趣きのあるヴィンテージのビル達。その隙間から覗く空は、私が貴方を見上げているはずなのに、何故か貴方に見降ろされている様に感じてしまう。

新しい何かを目にした瞬間、自分自身の心に浮かんだ解釈とそのものの真実はほど遠いことが多くて、どうしても距離感を掴めない。

自分の中の正解は、自分自身にしか図り得ない。と私が思っているように、この世に存在する全ての物や人や自然にも同じ様にそのものの中でしか存在しない真実がきっと、隠されているのだろう。

ここ、ダウンタウンLAの空は今日も"何か"を主張していて、当たり前のように尊重されるべき色を放っている。

こんにちは!
"愛しか知らない"asukaです。

ずっと心に留めていたことを書いてみようと思う。自分自身が未熟で無知な存在であることをただ露呈してしまうだけでなく、もしかすると誰かの気持ちを困惑させてしまったり、傷つけてしまうのでは無いかという思いが、私のまっさらな感情にいつも釘を打っていた。

今日ここに書く言葉達は、きっと間違っている。
かと言って正しい答えを出そうと足掻いているわけでも無い、ただ純粋に初めて会う人と、にっこり笑って握手やハグを交わしたい。

そんなピースな空気感に、不確かな言葉をつけてみただけのお話しである事を解って欲しい。

先に付箋を貼っておくのは、卑怯だと思われてしまうかもしれないけど、それでも、私は正しさを押し付け合うような、正しさ戦争が起こることは願ってもいないことだから。

ジェンダーアイデンティティは、いつでもマナーモードだ。

こちらに引っ越して間もなくの頃、
「今夜は何してるの?一緒にディナーしない?」と彼女(ジョーイ)の方から誘ってくれ、凄く嬉しかった事を覚えている。とてもおおらかで、根っから明るい性格のよく笑う人だ。

カタコトの英語を話す私に、会う度にasukaの英語はすごく良くなってきてるよ!と励ましてくれると同時に、第二言語を学び話そうとしている事自体が素晴らしい事で、あなたを尊敬しているんだよ。と、真っ直ぐに伝えてくれた。

ジョーイの隣に座ると何故かほっとするし、メキシカンな彼女と一緒に飲むテキーラは毎回楽しいが過ぎてしまうのだった。初めてディナーに誘ってくれた日は、彼女の友達(シーザー)と、私と、私のパートナー4人で楽しい夜を過ごした。

それから数日後。

またジョーイに会って、先日のお礼と共に、その日一緒に過ごしたシーザーについての話題にもなり、心からまたみんなで一緒に遊びたいと思った。そんな気持ちで別れ際にさらっと私の口から溢れた言葉、「say hi to him!」

NO!he,she, JUST PEOPLE!

リングの上で試合開始のベルが鳴り響いた途端、相手に強烈なストレートをくらったかの様な瞬間だった。

ジョーイが言ってくれなかったら、気づけなかった。シーザーの代名詞を勝手に決めつけてしまった自分を猛烈に反省した。

その人自身が周りから自分をどう認識して欲しいのか、もしくは明かしたく無いのか、分からない場合、その人それぞれの中にある正解を、尊重するべきであると言う事。それは、自分のこれまでの多様な交友関係の中で身に付いているつもりになってしまっていた。

だけどその時点では、じゃあ代名詞(英語で)をどうする事が正解になるのか、恥ずかしながら検討もつかなかった。完全に勉強不足だったと感じたと同時に、自分の想像力が乏しい事に肩を落とした。

因みに、この場合の現時点での最良の代名詞は"they"だと後から知った。

敢えて、【現時点で】と仮定したのには私の中で2つ理由がある。

ひとつは、
相手が自身のセクシャリティやジェンダーについて公表していない場合、こちら側がそれを想定出来ないからと言って、theyと呼んだとすると、それに尊重されていると感じる人もいれば、公表はしていないけど、自分が心で思っているのは、she/heなのになぁ。と、theyと呼ぶ事でまた、センシティブな気持ちになる人もいるのでは無いかなぁと思うから。
実際、私はシスジェンダーなのに、ナイトクラブで出逢った人にラフな会話の中で、あえてtheyと呼ばれた時、なんとなく違和感を感じたからだ。

ふたつめは、
ジェンダーやセクシャリティについての理解の進歩は、世の中のトレンドの早変わり並みに価値観の改定が行われていると感じるから。(それはきっと、世の中のみんなが意見を尊重し合って、歩み寄ろうとする意識の注目度が高まっているからなのではないかと私は思っている。)

現時点では、theyという三人称複数を単数として捉えるという呼び方だけど、後1年もすると、もっとみんなが心地よいワードが生まれているかもしれない。

とにかく、LAに来て新しく出来た友人との間に起きたこの事象は、私にとっては慣れない英語圏の環境の中だとは言えど、相手の身体的特徴を通じて発してしまった言葉に反省と未熟な自分への悔しさと、自身の思いやりの無さなどが、脳裏を一瞬にしてメリーゴーランド状態にさせた出来事だった。

心では握手を交わしていても、知識の欠如が故に言葉が相手を傷つける武器になってしまう事がある。だから私は、時々言葉に裏切られてしまった様な気になる事がある。

私が瞑想が好きなのは、沈黙の世界で感じられる愛があると思っているからだし、人との会話の中でもあえての沈黙を恐れないのは、その"間"が好きだから。

誰も聞いていないであろう、私の癖についてはスクロールしていただいて結構だ。笑


自分の価値観で物事をはかるのは、せめて自分自身の心内事情だけにしておきたいものだ。
相手を尊重するということのひとつは、押し付けないことだとも改めて思った。
私はこれまでの無意識の押し付けを謝りたいし、それと同時にそれでも受容れてくれる仲間たちに感謝したい。ありがとう。

そして、どんな人でも間違う事があると言う現実を、私自身も受容れて、素直に自分の意見を持っていたいし、誰かの意見に寛容な心持ちで耳を傾けていたい。

そんな風に優しい気持ちを育てる努力をしていきたい。

傷ついたり、傷つけたりしながら
愛を知って
許したり、許されたりしながら
愛が深まっていく。

自分自身から生まれたこの不確かな言葉が、もはや私の人生のテーマにすらなっているように感じる。

あなたを大切に思っているよ。
とただ伝えたいだけなのに、"呼び方"ひとつで自分の心の内とは裏腹に、握っていたはずの手がするすると解けていってしまう。

皆んなにも、そんな経験はあるだろうか。

近年、Instagramの機能に自分の呼ばれたい代名詞を表示できるというものがあるのは日本でもきっと周知の事で、それを自分がフォローしている友人にだけ公開できたり、逆に隠せたりする。
多様なジェンダーやセクシャリティへの理解が進む中で生まれたものだと思う。

近年だとか言うワードで綴っているけど、ネットに纏められた情報などではなく、実際私の周りで体感している事を元に素直にこの後の不確かな言葉を書いていきたい。

正直、NO!she,he!JUST PEOPLE!とジョーイに言われた時、単刀直入に言うと私はちょっと傷ついた。自分でも、その感情はどうしてか不思議だった。

ジェンダーだけでなく、あらゆる多様性が当たり前のように尊重されるここアメリカで暮らすようになって、30年以上日本で生まれ育ってきた私にとっては、理解が追いつかない事も多々起きる。

日常の中で、尊重すること、される事。このワードが蜘蛛の巣に引っかかって中々逃げられないのだ。片足くらいは既に蜘蛛に食べられているだろう。辛い。

尊重すること、される事。

この答えは、まだ正確に見つかっていない。
でも、だからこそ、多様性に関する理解や認識が変化していっているのだと感じている。

歩み寄ろうとする気持ちを無くさない限り
目の前の誰かのことを深く知りたいと、思っている限り、この世の中の認識は進化し続けるはずだ。

その為には、まず自分のことを伝える事も大切だと私は思う。

友人との会話の中で、100%自分自身の認識不足であり未熟さだと理解している上で、でもどうして、私は傷ついたのか。

それは、目隠しをされ、行き先を告げられないまま、突然にその土地に降ろされる!という、その土地の言語もルールも分からないままにそこでの暮らしがはじまるみたいな、そんな感覚に近かったからのような気がする。

私の中の当たり前のジェンダーアイデンティティの認識も、相手の中での当たり前の認識もどちらも間違いではなくて、"お互いを知らないだけ"というフェアな土俵の上で、

相手が正しくて、自分が間違っている。

と言うふうに、私が不本意に善悪をつけて感じてしまったからだと、自分自身の心の傷に手を当ててあげられた時、自分の素直な感情を尊重しつつも、その時に相手の事を知ってあげられなかった自分自身をもう一つ深く反省した。

ここで伝えておきたいことは、私も間違っていたけれど、あなたも間違っているよね!と、そんな無知のなすり付け合いをしたいのでは全くない。

"知らない"という事自体をも、尊重したい。という私の自分本意な願望である。

お互いに歩み寄ろうとしているという愛ベースで、知らないことを知らないと素直に言いあえる環境が、もしかすると、ジェンダーアイデンティティのマナーモードを解除する事が出来る一つの方法なのかもしれないなぁ。と思った。

こんな事を、ここまでつらつらと書いておきながら、やっぱり私はどこか怯えている。
私の至極個人的な意見や感情が、誰かの琴線に触れてはいないかと、手が震えている。

だけど、これだけは胸を張って届けたい。
あなたが私を理解し難くとも、私はあなたを理解してみたい。受容れられなくても、私はあなたを受容れてみたいと前向きに熱く思っている。

だからtell me!

知らない扉を開く時、恐れを抱くのは自分だけじゃ無い。そんな気持ちで、私は私側の扉を開けっ放した状態で生きていきたいと思った。

希望は恐れの向こう側。
今日も快活にヒールの音を鳴らしながら、勇気を出して虹を渡っている女神達に乾杯!

愛してる。
ごめんなさい。
ありがとう。










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