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中原豊田通り大山道、矢崎通り大山道

大山道シリーズ、これまで、

と、来ましたが、今回は、中原豊田通り大山道と、矢崎通り大山道です。

共に、東海道から大山に向かう道で、中原豊田通り大山道は平塚本宿から、矢崎通り大山道は平塚新宿からとなります。

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伊勢原駅まで輪行、まずは中原豊田通り大山道を逆向きに平塚本宿まで。

前回、柳島通り大山道、糟屋通り大山道でもスタート地点としました、柳島通り大山道、糟屋通り大山道、そして柏尾通り大山道の3つの大山道の分岐点から。

西(左)から来てそのまま東へ抜けるのが柏尾通り大山道、南東が前回の糟屋通り大山道、南が今回の中原豊田通り大山道

渋田川沿いに南下すると下谷の集落には八幡神社がありまして、ここに、不動大明王の道標があります。

お不動さんが乗ります。

右田村藤沢道、左厚木道と、彫られているようです。神社境内には元々は無かったと思いますが、ここから北へ行くと厚木、南へ行くと田村通り大山道ですから、この通り沿いにあったことは間違い無いでしょう。

撮影後、ふと左を見ると、

大山が

先を行きましょう、新倉養魚場付近で渋田川は南東に向きを変えますが、ここで田村通り大山道と交差します。

この渋田川沿いの堤道が田村通り大山道です(写真のようにガードレールもしっかりとあって、GoogleMapsを見てもとてもこのような土道とは思えません。)。上記リンクの田村通り大山道にも書きましたが、この辺りは湿地で古賀の渡しと呼ばれる渡しがあり、田村通り大山道を大山方面に向かって直ぐの東円寺と、逆に田村方面には弁天様に船繋ぎの松があった、渡しでは大山参詣者が不便だろうと、子の無い夫婦が堤道を築くのでどうか子を授けて下さいと願掛けした所、見事、子が授かった、という伝承があります(勿論続きの話もありますが割愛)。ここがその堤道ではないかと。2023/5/21撮影。

中原豊田通り大山道は南西へと向きを変え、やがて、小鍋島の集落に入ります。

遅くなるとガスって見えなくなるでしょうから今の内に撮っておきましょう、父大山と娘富士山の共演です。

城島農協前の辻を右折が古道です。すぎやまいちご園の前に道標があります。

道標は庚申塔ですが、その他色々と集められています。

西かない道、東田村道ということで、東田村道は今来た道のことでしょう。西かない道は武相三十三観音の1つ、金目観音光明寺のことです。確かにここを西へ金目川沿いに進むと光明寺に至ります。

城島小、城島分庁舎で消失した古道を迂回し下糟屋平塚線に復帰すると八幡神社がありますが、ここには先程の古賀の渡しの田村方面の船繋ぎ松があった弁天様が合祀されています。

八幡神社
恐らくこちらの内の一柱が合祀された弁天様

直ぐ先の小鍋島の丁字路には巡拝塔があって、右側面には、"此方田村、星谷", 左側面には、"川下平塚、かない、川上大山、飯山" と彫られています。

撮影し易かった右側面、此方田むら、、、が読めますね。

先程のいちご園の道標もそうですし、こちらは完全にそうですが、武相三十三観音巡礼道の道標ですね。星谷、金目、飯山ですから。

先を行き、新幹線を潜ると清雲寺です。

ここは、中原御殿が作られる前の、家康鷹狩の際の休憩所ですが、参道には、お不動さんが乗る道標があり、左大山、右糟屋と彫られています。この道標は少し先の中原豊田通り大山道と矢崎通り大山道の分岐にあったとのことです。確かに。

お不動さんが乗ります。

そして、渋田川を渡りますと、日枝神社があり、ここにも道標があります。

正面

正面に大山道、左側面ステーンショ道、右側面大磯、平塚、と彫られています。そうです。JR平塚駅開業後に建てられた道標ということになります。

先を行くと江南高の東でこれから行く矢崎通り大山道が東から接続してきますが、ここはスルーです。程無く、現在のR1を越え、旧東海道に至り、中原豊田通り大山道は終了です。


東海道を東へと行き、平塚新宿から矢崎通り大山道を行きます。平塚八幡宮の西端がその道、平塚共済病院の手前には、大山道道標があります。

よくぞ、残してくれました。

右大山道、左かない、十日市場道、とあって、右の大山に向かう道は病院で消失しています。

一本実線が大山道で消失

仕方が無いので残っているかない道(二本実線)を行き、平塚共済病院を迂回し、先程の中原豊田通り大山道を暫く戻ります。重なっているんです。豊田本郷駅バス停がある二又が分岐です。ここを左に行きます。新幹線を潜って鈴川にぶつかり、鈴川沿いに北上しますと、道標があります。

二基あるのは、オリジナルの剥落が激しいので再建したから

川上伊勢原道、川下平塚、かない道と彫られています。確かにそうですね。

暫く鈴川沿いに行きますが、白鬚人道橋で鈴川を離れ北上します。

ここ来たことあるな、高麗若光率いる高句麗渡来人集団の大磯→高麗郡大移動ルートですね。

全く同じ道を伊勢原まで行くわけですね。R271を越えると道標があります。

自然石を使った

大正元年1912年岡崎村青年会建立、北大山・伊勢原道、東城島・田村道、南平塚・大磯道と、彫られています。大正に入っても大山詣は盛んだったんですね。

先を行きます。桜台小で左に曲がりますがここに岩船地蔵があります。

岩船地蔵

岩船山高勝寺から大山に奉納される予定だったものが、ここで力尽きたか、謂れは分かりませんが、船繋ぎの松があったこの近くに建立されました。この辺りが大山に向かう道であることの証拠ですね。

程無く伊勢原駅です。梅雨の谷間の真夏日です。まだ昼前ですが、輪行で帰りましょう。

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如何でしたでしょうか。

正直、特段、どうだということも無い道でしたが、この辺りは、今日の道筋だけで言っても、長沼、池端、沼目、大島、小鍋島、下島という地名に現れている通り、相模川、玉川、歌川、渋田川、鈴川、金目川が作る扇状地で、大山道も、晴れが続いた時は良かったでしょうが、雨が降ると船での渡しとなって不便だったのではないでしょうか。道標の新しさから言っても、治水が良くなってからの道筋かもしれません。

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