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津久井通り大山道宮ケ瀬ルート

大山道シリーズ、これまで、

と、来ましたが、今回は、津久井通り大山道の宮ケ瀬ルートです。

津久井通り大山道は、ネット上の複数の記事によると、

  • 経路(1):甲州街道関野宿(以降、神奈川県相模原市) - 名倉 - 日連 - 青田 - 鼠坂の関 - 沼本の渡し(道志川) - 三ヶ木 - 関 - 長竹 - 韮尾根 - 半原(以降、愛川町) - 馬渡 - 平山 - 中荻野(以降、厚木市) - 下荻野村新宿 - 八王子通り大山道を経て大山へ

  • 経路(2):日連村杉(以降、神奈川県相模原市) - 牧野村・篠原 - 牧馬峠 - 青野原 - 鳥屋 - 宮ヶ瀬(以降、愛甲郡清川村) - 土山峠 - 煤ヶ谷村別所三叉路 - 七沢(以降、厚木市) - 日向川 - 中丸(以降、伊勢原市) - 石倉村 - 八王子通り大山道を経て大山へ

と、ありまして、経路(1)は更に、江戸期ルートと明治期ルートがあって、明治期ルートを先日、exploreしましたね。

今回は経路(2)を行きます。

これまでの経験から、大山道は、街道から発出するルートになっています。例えば甲州道中の浅川から発するのは甲州道中浅川口大山道です。

経路(1)は、甲州道中の関野宿から発出してますが、経路(2)はどうでしょうか。日連村の杉集落には、勿論道はありますが、大きな道はありません。むしろ、経路(1)の道が走ってます。

はい、そうですね、津久井通り大山道宮ケ瀬ルートは、経路(1)津久井通り大山道の派生ルートと考えて良いと思います。


藤野駅まで輪行、日連大橋を渡って、消防団の丁字路を東に折れるのが本来の津久井通り大山道ですが、杉峠の道筋は通行止めのままですのでここは真っ直ぐ。杉峠を迂回します。

先程の丁字路を東に折れ、暫く行った所。2023/12の津久井通り大山道荻野ルート時に撮影、荻野ルートはここを真っ直ぐ、宮ケ瀬ルートはここを右に入ります。

金剛山、峯山、八坂山の西を南下し、秋山川が川上川を分ける手前で東へ。ルートに復帰します。

迂回路を手前から来ました。左の奥に続く上りが杉峠への道。ですから本来のルートは、この道を杉峠から来て、ここを右です。

今日は峠を3つ越えるので、足は使いたくなかったんですが、事前机上exploreで地形図を見ると篠原までも名も無き峠を越えそうな感じ。実際、そうでした。足を使ってしまいました。。。

そんなこんなで新和田、田ヶ岡の集落をやり過ごし、篠原の集落に入ります。

篠原の集落

橋を幾つか渡って、東に入っていく土道があります。ここを入って直ぐの小山に、ナント!!, 大山石尊大権現が祀られています。

大山石尊大権現、ここに至る山道も踏み跡が辛うじて、という感じで、祠も荒れ果て、木札が中で倒れてました。

決定打ですね。

いやぁ、実は、冒頭、起点の話をしましたが、この先の道志みちが起点だという記事もあって、確証が無かったんですが、これは決定打です。篠原から大山詣でをしていた、この道は、津久井通り大山道で間違いありません。

この直ぐ先に、土平治騒動の土平治の生家があります。

土平治の生家の長屋門

土平治騒動は、大山道シリーズ番外編の巡見道で取り上げています。

天明7年1787 12月、土平治は、大山石尊大権現に起請文を上奏し、日連村勝瀬の酒蔵惣兵衛を打ち毀し、翌天明8年正月4日には、青山村、中野村、鳥屋村の5軒の酒蔵、6日には田代村、半原村の酒蔵を打ち毀しています。

起請文を上げた大山石尊大権現は、先程の大山石尊大権現だと思われます。荒れ果てた感じが逆に、土平治も見た、土平治が誓いを立てた石尊様なのだと、感じました。

また、行き先を見ると、正に、この道を行き来しています。

先を行きましょう、牧馬峠の手前、何も無い路傍に、庚申塔と大山道道標がありました。これもダメ押し。

右は庚申塔、左が埋もれてますが辛うじて、"大山" と見えますね

さぁここから先は、斜度が上がります。

12%勾配、平均ですよ

距離は長くないですが、斜度はやはりなかなかにキツかったです。

這々の体で牧馬峠です。

牧馬峠、1つ目

一気に下りまして、青野原オートキャンプ場を縦断する道が本来のルートですが、通れませんから青馬橋に迂回します。現代の道志みちでルートに復帰し青野原の集落に入ります。ここに、青野原関所跡があります。

青野原関所跡、口留番所小名靑野原にあり。高座郡邊及び縣内より甲州都留郡道志村への往來なり、近鄕の木こり・草刈・耕作人の外は不通の番所なり。村民代るがはる是を守る。

この関所は相州から甲州に向かうに際しての関所です。今回のルートは相州内の移動ですからスルーということになります。

ここから少しだけ道志みちと重なり、梶野交差点には向かわず逆に南下して道志みちとは別れます。

別れて直ぐ、庚申塔道標があります。

庚申塔道標
南大山道

はい、大山道の証拠物件その3ですね。

この後、トレイルになりますが、通行止めになっているそう。途中まで歩きで行ってみたら、、、

良い感じ
馬頭観音がありました。古道の証拠。

その後、本日2つ目の峠、トヅラ峠を越え鳥屋の集落に入ります。

トヅラ峠
鳥屋村鎮守諏訪神社

ここから先は、宮ケ瀬湖で道は消失しています。

宮ケ瀬湖

宮ケ瀬湖をやり過ごし、土山峠なんですが、キッチリと旧道を行きます。

まずは現道の土山峠
旧土山峠、ここまで担いできましたが、結構リスクありますね、ここは。皆さん、十分、気を付けてください。最初がかなり急勾配の階段で、担いだ自転車のフロントタイヤがぶつかる程です。注意しないと、階段を上がる際、片足荷重になった時にフロントタイヤが階段にぶつかり、反動で後ろに倒れたら滑落です。気を付けて。
旧土山峠の大きな木の根元に祠が有りました。
旧道の風景
旧道の風景その2
ここにも大山道道標がありました。

旧道から下りて、清川村の中心地を通りますが、大野地区に、大山道道標があります。何度も通った道ですが、知りませんでした。

大山道道標、正面、みぎ大山道

大山道もここまで来ると、ルート通りに、伊勢原まで行って八王子通り大山道に接続して、というルートではなく、例えば、谷太郎川から山ノ神、不動尻、大山というルートもありますから、この道標の、"みぎ" が、どこを指しているのか。

先を行きましょう、清川村でここを外すわけには行きません。もう何度も訪問してますが。八幡神社です。

八幡神社

この辺りを含む毛利庄を、毛利景行が領していました。この八幡神社も、毛利景行が館近くに創建し、その後、子小太郎小次郎が、今の場所に遷座しています。

毛利小太郎毛利小次郎守護所

毛利景行は謎の人ですね。1213年の和田合戦では和田方についています。横山党愛甲氏と領地も近いし、和田合戦後の横山党領地は大江広元に渡されていますが、ここ毛利庄も大江広元でした。これらのことから、毛利景行は横山党かなと思いましたが違うようです。

その和田合戦後、毛利庄を領した大江広元の子、季光も毛利を名乗ります。この毛利が、毛利元就の祖なんですから面白いですね。ややこしいですが、毛利景行とは無関係です。

先を行きましょう、順礼道との丁字路にも大山道道標。

奥に行くと順礼峠
大山と伊勢原ですね

順礼峠は日本のシルクロードシリーズで来ています。

その先、黄金井酒造の所に、七沢村庚申塔があり、大山道道標を兼ねています。

七沢村庚申塔大山道道標
こちらも大山と伊勢原です。

この先、伊勢原駅まで行って、輪行で帰りました。


如何でしたでしょうか。

峠を3つこなすハードなルーティングでしたが、楽しめました。

このルートの事前机上exploreを始めた頃は、津久井通り大山道と言われているものの、痕跡がさほど多くなく、既述の通り、起点がハッキリとしていなかったんですが、土平治ですね、まさか篠原に石尊大権現があるとは。その後、清河村でも多くの道標が追加されました。ということで、痕跡も多く楽しめました。

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