歌舞伎になっちゃいそうな『風の谷のナウシカ』とその杞憂について その3

ではナウシカをどう演出してやろうか。

 TwitterやFacebookを見るとイラストレーターや漫画家が悪乗りしてやっている。これを見てよくわかるのは、「ああ歌舞伎はここまでひどいステレオタイプを持たれているのだな」という事である。歌舞伎というものが極端な形ーー喩えるならば日本人は出っ歯で眼鏡をかけているとか、オタクはダサいTシャツにバンダナをしているとか、そんな風に処理されている

 こればかりは、仕方ないところもなくはないが、それにしても台詞や歌舞伎顔というものがいつまでも、古いままなのである。こんな状態を見てしまった以上、また溜息しか出ない。結局、彼らの目には歌舞伎という劇は、イロモノ的にしか映っていないのだ。

 最初にも書いたが「くぅぅぅあずぇぇぇぬぉぉぉとぅあにぃぃぃのどぉぉ」なんて、セリフを言っていたら喉を潰す。それに歌舞伎の台詞の八割は、そんな事を言わずにサラサラと喋る。言葉づかいこそ古風であるが、その喋り方は今我々がしゃべる、その話法とあまり変わらない。

 荒事や丸本物と呼ばれる義太夫狂言になると、声をメル、糸に乗るという演技が出てくるので、台詞が仰々しくなる事があるけれども、それはテクニックとして処理されている事が多い。曰く、こうすればこういう声になる、という発声論である。

 少し前に「こんとんじょのいこ」と口を尖らせて言うと、えなりかずきの「簡単じゃないか」という口調になる、というネタが2ちゃんねるだったかで有名になった。かくいう私もこれを真似してやったものである。分かりやすく言えば、これに近い。

 いくつか例をあげよう。

 この鉄扇を食らわぬうち一巻渡して消えてなくないぷぇぇ!!! 

 このぷええ、というとなんか某イラストレーターの漫画みたいであるが、吐き出すようにぷええ!というと、「れえ!」と語尾を強く言うことができる。これなぞ見事な先人の知恵である。

 (ゆったりという)いんどお、ちんどお、あけがたに(命の明方に)、巡る星影幾月夜

 この言い回しは、ナウシカ歌舞伎の発案者である尾上菊之助の祖父、尾上梅幸が得意としていた口調で、今残された音源を聞いても、その風情、趣、性根、どれをとっても完璧である。

 口写しというのは、どうも学問体系的には嫌われるようであるが、一定の音律は一つの技術であり、役や性根をうまく見せるためのテクニックである事を忘れてはならない。

 こういうエッセンスや技法が歌舞伎には沢山存在している。それをうまく使うべきだと思うが、さてどうなるだろうか。

 ナウシカをどういう芝居にするか。行き方としては、三つある。

・丸本物

 丸本とは義太夫の事である。即ち義太夫を主軸に置いた芝居で、当然義太夫の素養が求められる。余談であるが三大狂言と呼ばれる『菅原伝授手習鑑』、『義経千本桜』、『仮名手本忠臣蔵』は全て丸本である。

 歌舞伎としては非常に本道的なやり方で、どんなに変な作品でも義太夫を全く使用しないものはほとんどない、と言っても過言ではなかろう(もっとも新作では使われない事もあるし、場面によってはやらない場合もある)。荘厳な義太夫の響きと役者の骨太な所作がマッチすると大変に面白く、歌舞伎を見た、という気にさせてくれる。そのやり方はもっとも歌舞伎らしいと言えよう。

 ただし、歌舞伎らしいという事は難解であるという事と、その技巧的な限界がどこまでも存在する、という欠点がある。

 第一に丸本は難しい。義太夫の肚がないとまるで面白くない。そして、義太夫自身の音律や言葉遣いがヒジョーに難しいのも欠点である。折角の義太夫もその言葉遣いや音律に追われるがままになると、ナウシカの世界観どころではない。それこそ表面をさらって終わりなんて言う自体にもなりかねない。

 現在は葵太夫という名人がおり、品格のある義太夫を聞かせてくれるけれども、このやり方は初心者向きとはいえまい。さらに彼らに作曲させるのも大いなる負担である。ただでさえ竹本(義太夫を語る人)が不足しているのにこんな徒労に使わせるなど言語道断である。それなら一つでも古典の場数を踏ませたほうが後々の歌舞伎のためになる。

 また丸本は、音楽的に優れてはいるけれども、複雑な心理描写や幻想を示すには絶対に向かない。安直な例えだが、歌舞伎における義太夫とは、小説における地の文のようなものであるので、第三者の視点ですべてを語ってしまう。そこに心理描写などを、なんて言われても無理なのである。ここで彼はこう思った〜などと唸った日はそれこそ世界観ぶち壊しである。

 うまい小説とは直喩を使わないことだ、と昔小説教室で習った記憶があるが、義太夫の価値とは何気ない言葉遣い一つでも喜怒哀楽の魂を吹き込ませるところにあり、単なる説明ではない。逆に言えば、この言葉一つでいくらでも解釈できるし、何も表現できない事もある。

 だが、ナウシカは多くの説明がいる世界観と、感情と感情がぶつかりあっている。これはどう贔屓目に見ても、表現する事はできまい。

 玉藻前など義太夫狂言にも、化物は出てこないこともないが化物が化物であるという――いわゆるミステリー的、幻想的な所が取り上げられるのは、ほんの少しで人間の描写が大半である。

 もっとも、この人間臭さをうまく行かせれば、かつて人間を半滅亡に追い詰めた理由やナウシカをはじめとする人々の葛藤をうまく演じられるかもしれない。ここは期待すべき点であろう。

 だが、全編義太夫狂言で通そうなんていう心は持つべきではない、と思う。役者にもそこまで表す力量もなければ、今日の客にそこまでの理解力を求めるのは無理な事である。

・新歌舞伎的な行き方

 第二のやり方として、新歌舞伎的なやり方がある。いい例が岡本綺堂、池田大伍、泉鏡花などが上げられよう。歌舞伎本来の骨法を巧みに織り交ぜながらも、西洋演劇や観念をもうまく取り入れた作風は現在も広く上演されている。

 彼らの作品が愛される背景には、人間がしっかりと書けている所と歌舞伎らしい味を残しながらも歌舞伎歌舞伎しない所があるのかもしれない。

 いい例として、いくつかあげる。

岡本綺堂ーー彫り上げた能面に天下人と娘の死を予兆し、自らの力量に自惚れる『修禅寺物語』。滅亡した平家の女官が邪魔な妹夫婦を殺し、平家再興を目論む『平家蟹』。恋人の愛を試すがために狂乱して皿を割って斬殺される『番町皿屋敷』。かつて引き起こされた身内の不幸を内藤新宿の栄枯盛衰を踏まえながらカットバック風に描く『新宿夜話』。

池田大伍ーー屈折した尊王の志士西郷吉之助と屈折した大女の遊女、お玉の屈折した恋と幕末の動乱を描いた『西郷と豚姫』。裏切られた田舎の男の狂気と病んだ恋心を描いた会心のリメイク作『名月八幡祭』。

泉鏡花ーー不気味な妖怪や絶世の姫君と心優しい若者の淡い恋心を官能的に描いた『天守物語』。一夜の夢というべき手法で描いた怪奇譚の『高野聖』。但し、これ等は小説からの脚本で泉鏡花本人はそこまで関与していない。

 これらの芝居は不気味でありながらも単なる不気味で終わらせない、人間の醜さや本能、柵を見事に描いている。

 また新歌舞伎系の作品でいいと思うのは義太夫を筆頭に、長唄、清元、常磐津などの地方(伴奏というべきか)がうるさくない点にある。これが多く並ぶようになると歌詞が聞き取れない、話の筋が読めないという悲惨な事になりかねない。こういうのが好きな人ならばまだしも初心者ならば、まずパスする事であろう。判らないものを高い金払って見ようとまですることはない。

 こういう古臭さをなくし、それでいて歌舞伎を見た感じにさせる新歌舞伎の手法は、入門者にも玄人にもいいのではないだろうか。普通の抹茶を飲み慣れていない人には苦すぎるが、これを抹茶アイスなどにすると美味しく頂けるように、歌舞伎本来の味を残しながらも、クセを除くのは大切な事である。

 私としてはこういうやり方をうまく織り交ぜたらさぞ面白いものになるだろう。『風の谷のナウシカ』なぞは、こういう歌舞伎のエッセンスをうまく取り入れながらも古典臭くない行き方でやるべきだと思う。

 特に『天守物語』のグロテスクながらも甘美な世界はさぞ参考になると思う。あそこまでグロテスクに描ければ、ナウシカだって相当なものになるかもしれない。

 ただ気をつけねばならないのは岡本綺堂も泉鏡花も出来上がった時が完成品という趣さえあるので少しでもイジると味を損なう可能性がある。また戯曲という言葉がある以上、言葉遣いやストーリーテラーに気をつけないと、全く面白くもない現代劇崩の代物ができてしまうかもしれない。ここを気をつけねばならない。

・和製ミュージカルにしちゃう

 これは一番楽である。大太鼓や津軽三味線などを持ち出し、かつそこへ歌舞伎の下座や宙乗りなどを入れる。バラエティーといえばバラエティーであるけれども、これを歌舞伎でやる必要があるのか。こんな事を述べる必要もない。妄想の世界だけで充分である。

 この和製ミュージカルになってしまう危険性が一番恐れていることだったりする。

 この三つの他にも逃げ道があるかもしれないが、結局は伝統寄りか、新作的かのどちらかに別れると思う。

 演出の方はまあ予想をするにも限度があるが、ナウシカ問題――のみならず、今日の歌舞伎のバラエティーや啓蒙運動を見て一番思うのは、その運動とファンが必ずしも一致しない、わかりやすく言うならば、○○ファンと呼ばれる面々が興味本位で歌舞伎に来ながらも歌舞伎ユーザーにならない所に、なかなかの問題があると思われる。これはワンピースにしてもそうだ。

 この問題を少しでも解決できるか、でどうかでナウシカの作品の本気の度合いが初めて測れるのではないだろうか。

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