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論文はひとつの物語

二月ごろから小説を書いていた。
年明けから書こうと思っていたけれど書き始めるのに最低限、必要な話の筋が決まらず、一月中はもだえているばかりだった。
月が変わった頃にようやく書き始めて、なんとか、ようやく、ひとまず、一本、書き終わった。
ここ二週間ほどは友人に読んでダメだししてもらったり、それを参考にして直したりしていた。
その間、全然noteに書くことが思い浮かばなくなった。
元々アイデアがぽんぽん出てくる方ではないので、人から言われたわけでもないタスクに頭を悩ませている。
それでも週に一本くらいなら何とか思い浮かんでいたのだけれど、ここ二週はすべてのアウトプットを小説に持っていかれていた。
だから英語の発音について前から思っていたことを書いていた。
noteだけじゃなく小説も、誰かに書けと言われたわけではなく勝手にやっていることだ。
勝手にやっていることで他の勝手にやっていることが疎かになるという、虚数から虚数を引いても虚数、みたいな気分に陥ったりもする。

自分で書いた小説がおもしろいのかどうかまったくよく分からない。
書き始めは、よーし傑作を書いてやるぞと思っているのだけど、自分が勝手に頭に思い浮かべたものについて考え続けてるうち、内容がゲシュタルト崩壊を起こしたような気持ちになる。
とにかく最初に決めたとおりに書いて、書いた文章をひとつひとつその場で直しつづけるしかなかった。

実験を進める時や論文を書く時には論理性と整合性を求められる。
だからそういうことにはいくらか慣れているのではないかと淡い期待を抱いていた。
しかし小説の世界や、人物の行動、感情の動き、出来事の時系列について整合性をつけるのはすごく難しかった。
だいたい論文の文章はかなり短い。
ほとんどの場合、英語で書くので、日本語にすると何文字くらいになるのか分からない。
けれど多分、二万字くらいだと思う。
短編小説くらいの長さだ。
実験したことの全てを書くわけじゃなく、主張したことが十分伝わるよう、丁寧で、それでいてなるべくコンパクトに書くことが求められる。
学術雑誌は現在、電子版が主流になっているけれど、それでも字数制限のあるところが多いという事情もある。
今回、自分で書いた小説はちょうど十万字くらいで、ぎりぎり長編小説に入れてもよいくらいの長さしかない。
それでも全体を筋の通ったものにするのはすごく難しかった。
まったくできている気がしない。
プロの小説家の頭の中はいったいどうなっているのだろうと、けっこう本気で不思議な気分を味わっている。

余談だけれど論文を書く際にも時系列に並ばない。
やった実験をやった順番で書くわけではない。
そういう意味では論文も「ストーリーテリング」だ。
話の筋を裏付ける、きちんとした証拠がないと受け入れられないところがフィクションとの違いではあるけれど。

例えば論文中で”図1”に示されている実験が、実はいちばん最後に行われた可能性もある。
また別のパターンとして、”図1”がいちばん最初の実験で、その次は最後の図ということもあり得る。
スタートとゴールの実験をやり、それから間を埋めていったと言えばなんとなく合理的なような気もする。
大学院生が初めて論文を書く時に、自分でやった通りの時系列に図を並べてしまい、上の先生から指導を受けることがままある。
そうではなく、科学的に妥当な展開が求められているのだと、そう考えても論文がある種の物語だといえると思う。

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