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ジェンダー表現

2024年1月31日。
「ジェンダー」という言葉を知ったのは大学生だった1980年代である。女性解放運動を指す言葉が「ウーマンリブ」から「フェミニズム」に変わるとともに、学術化が本格化し始めた時代だったと思う。調べてみると、日本女性学会は79年の設立である。
ジェンダーが何を意味するのか、当初は分からなかった。インターネットが普及する前は、新しい言葉の意味を知るためにはその筋の文献をある程度、読む必要があったのである。現在は内閣府のサイトに「ジェンダー(gender)はもともと英語。一般的にジェンダーは生物学的な性差(セックス)に付加された社会的・文化的性差を指します」(与那嶺涼子)との説明文があるほどだから、一般的な言葉になっているのだろう。
ジェンダーは女性解放、ひいては女性らしさ、男性らしさといった規範からの解放のキーワードと言える。日々の生活と切り離せないため、社会・文化のあらゆる領域が解放の対象となる。その1つである言語の領域における「ジェンダーに中正な言葉(gendergerechte Sprache)」が近年、ドイツで激しい論争を引き起こしている。
「Student」という言葉を例に説明してみる。この語は男性の学生を意味する男性名詞である。女性の場合は語尾に「in」を付け「Studentin」とし女性名詞化するのだが、伝統的には性別に中立な表現がなかった。
そこで考案されたのがジェンダー中正の表現である。その種類は多いく、いくつか例を挙げれば「Student/in」「Studierende(複数形)」「Student*innen(同)」「Student:innen(同)」などとなる。最初の2つの表現については違和感を感じないが、残り2つは言葉が途切れているようで、正直なところ読みにくいというのが筆者の感想である。
「母親(Mutter)」「父親(Vater)」につてもジェンダー中正でないという理由で「親1(Elter1)」「親2(Elter2)」に変える動きがある。お役所用語ではあるものの、これはしかしあまりにも機械的な表現ではないだろうか。言葉に付随する感情がごっそりそぎ落とされている。例えばジョン・レノンの名曲「マザー」の歌詞をこの語法に従って改めたら、ギャグ以外の何物でもなく、魅力がまったくなくなってしまうだろう。
言葉を生業とする多く作家や俳優、言語学者はこうした潮流を「ある種の狂犬病だ」「愚の骨頂だ」などときわどい言葉で批判する。ジェンダー中正表現の採用は官庁だけでなく、公共放送や大手企業にも広がっており、強い危機感を持っているのだろう。
推進派はそうした反発を「時代遅れ」「右翼」などと切り捨てており、溝が埋まる見通しはない。市民の反応はどうかというと、反対する人が多数派のようだ。ドイツ学者ファビアン・パイルによると、3分の2から4分の3が反対している。
ジェンダー中正表現が選挙の大きな争点になることはおそらくないだろう。しかし、だからこそ18世紀後半の啓蒙専制主義のように、上から目線で上から押し付けるのはよろしくないと思う。
 

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