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オレンジのガーベラと青い花びんと「耳をすませば」

 ある週末、夫が突然、部屋にオレンジ色の花がほしいと言い出した。

 夫は最近、部屋に植物を飾ることにハマっているのだが、梅雨時で天気もジメジメしているし、元気な色の花で目を楽しませたくなったらしい。

 その晩、買い出しに訪れたスーパーの生花売り場で、お望み通りの元気なオレンジ色のガーベラが2輪売られていたので買って帰った。


 買って帰って、困った。
我が家には、オレンジ色のガーベラに似合う花瓶がない。

 「オレンジ色のガーベラに似合う花瓶」ってどんな花瓶か分からないが、我が家にある花瓶と呼べるものは、ぽってりとした小さな白い花瓶だけで、それなりに丈の長いはつらつとしたガーベラは収まりが悪い。

 仕方がないので、たまたま持っていた某スパークリング清酒の青いびんのラベルを剥がして、その場しのぎのつもりでガーベラを活けてみた。


 すると、その色の組み合わせが、いいのだ。


 水を入れたことで深く沈んだような色合いになった青いびんに、暖かくて優しいオレンジの色がよく映える。

 暗い青のおかげでオレンジ色が引き立って見えるのか、私には理解できていない色彩の魔術のなせる業なのか、それとも、単純に私の審美眼がおかしいのかよく分からないが、とにかく、いい。なんか、いい。

 一見合わなさそうな組み合わせが思いのほか良かったことに気をよくして、テレビボードの上に置いて、にこにこ眺めていたら、はたと気づいた。

 これ、茎の緑がよいつなぎ役になっているのではないか。

 オレンジと青、単独で二つ並べてみるとやや唐突な感じがするが、そこに緑が入ることで、その二つの色に繋がりが生まれ、素敵な組み合わせに見えるのではないか、と。


 そこまで考えて、わたしの妄想の雲はとりとめもなく広がり、そしてぴかっと閃いた。

 この茎の緑って、杉村じゃん。




 ・・・説明しよう。
ここでわたしが想起した杉村とは、ジブリ作品「耳をすませば」の登場人物で、主人公である月島雫と仲のいい男友達であり、彼女に片想いをしながらも、全く気づいてもらえず、かえって雫に別の女友達をすすめられ、その場で勢いあまって告白し、見事玉砕する野球部員の杉村くんのことである。

 最近、この「耳をすませば」のDVDをTSUTAYAで借りて観ていたため、急に杉村が出てきてしまったのだ。

 わたしという人間は、ドラマでもアニメでもマンガでも、ヒロインに片想いしながら、全く振り向いてもらえない、お調子者でいいヤツな三枚目キャラがなぜか大好きなのだが、だいたい、こういうキャラはいいヤツすぎて、「・・・ったく、あいつら、しょうがねーなあ」とかなんとか言いながら、ヒロインとその相手役との橋渡し役を買って出て心では泣いている・・・というパターンが多い、のだが、杉村はそれには少し当てはまらない。


 「耳をすませば」のヒロインは三度の飯より本が大好きな月島雫、相手役の男の子は、ヴァイオリン職人を目指す雫の同級生、天沢聖司。

 杉村は、二人の出会いも関係が深まっていく経緯も知らず、二人の恋路のジャマをしようとするわけでもなく、また、二人の橋渡し役をするわけでもない。
 ただただ雫にフラれるだけだ。

 雫と仲良くなった聖司が、教室に雫を呼びに行ったとき、「月島が男に呼び出されてるぞー!」と大盛り上がりの教室の中で、一人だけちらっと複雑な表情をしてみせるだけ。

 三角関係というわけでもなく、本当にただのチョイ役。に、見える。

 だが、違う。
断じて杉村はチョイ役なんかではない。


 物語では、必ず主人公が変化・成長する。「耳をすませば」もそうだ。
主人公の成長に必要なのは、ズバリ「日常からの脱皮」だ。

 いつもとは違う人物・いつもとは違う場所・いつもとは違う出来事=「非日常」に出会ってから主人公の変化は始まる。

 ふだんは意識されていない「日常」が、主人公と「非日常」を繋いでいるのだ。

 「耳をすませば」の月島雫にとって、その「日常からの脱皮」が、偶然電車で見かけた猫を追いかけてたどり着いた骨董品店「地球屋」、そこで出会った猫の男爵人形バロン、図書カードの中だけだった天沢聖司の登場、彼に触発されてバロンを主人公に書き始めた物語・・・

 そして、今までただの男友達だった杉村の告白だ。

 仲の良い男友達・杉村は月島雫の「日常」の一部だ。
しかし、突然の告白によってその「日常」はいきなり「非日常」に変化する。

 リアルの世界でも、恋愛というドラマはこういう激烈な変化を引き起こす。


 主人公月島雫にとって、杉村は「日常」でありながら「非日常」へと導く存在。
まさにキーパーソン。チョイ役なんかではない。


 杉村に告白されてフッた後、落ち込んだ雫は、自分の部屋の机に突っ伏しながら、杉村の気持ちに気づかなかったのは自分が鈍感だったからだ、と己を責める。

 この描写は、鈍感ヒロインが涙に暮れるシーンというより、主人公が「日常」だった男友達・杉村との関係の変化=「日常からの脱皮」の痛みを感じているシーンだと言える。

 実際この後の場面で、雫は電車に飛び乗って地球屋に向かい、聖司に導かれて地球屋の裏口に入り、今まで見たことのない開けた景色に「うわあ」と声を上げる。

 痛みを経て、主人公は日常から脱皮したのだ。




 ・・・話をガーベラに戻そう。

 わたしの妄想の雲の中で、オレンジ色のガーベラは「主人公」。明るくまっすぐなヒロイン。そして、沈んだ青の花びんは「非日常」。謎めいた骨董品と生意気だけど知的で甘い恋人。

 そしてよーく見てふと存在に気づく緑の茎。オレンジと青をつなぐ緑の茎。これが「日常」だ。いつもおなじみ仲のいい男友達。ただ青い花びんに入れると、その色はすっと暗く変化する。


 物語の主人公は「非日常」に出て、最後は「日常」に帰ってくる。「耳をすませば」の主人公月島雫も、物語を書き上げて普通の受験生に戻るが、きっと彼女はもう以前の彼女とは違う。成長しちゃってるからだ。

 オレンジ色のガーベラも、スーパーの生花売り場で見たときと、青い花びんに入っている今とは全然違う。

 でも、その方がやっぱり、いい。断然、いいのだ。

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