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大人に憧れなかった幼い私の話。

ずっと子どものままで居たかった。大人は嫌いだった。

反抗期をまともにもらえないまま育った心が燻ぶったままの私は、成人式も終え、就職をして、社会人。今、子どもの前に立っている。


どんな時でも未来なんて見えなかった。初めてのこと、初めての場所が怖くて仕方なかった。今でも、前日なかなか寝付けなくなるほど怯えてしまう。

実際は意外と杞憂に終わることの方が多いのだが、未知なことはとても苦手だった。

時間はいつでも進んでいて、前に進むしかなくて、少しずつ年老いている。

「時間が止まってほしい」ときがあっても、ドラえもんの秘密道具のようなものはこの世にはない。タイムマシンだってないのだからやり直しもきかない。


そんな大人嫌いだった私が、子どもの前にいるのはなんだか不思議だ。同じ大人である年上の方に紛れて日々揉まれている。

苦手な人は確かにいる。ただ、環境に順応していく自分がいるのが分かる。


子どものとき、なぜあんなにも大人が嫌いだと思っていたのか。

それはきっと小学生の時からの記憶かもしれない。

私はひょんなことから、何年にもわたってよく男子からからかわれていた。

場合によっては、いじめに近いこともあったかもしれない。漫画や小説のようなひどいものはほとんどなかったが、罵声はよく浴びていたかもしれない。見て見ぬふりをされていたのはいつもだったなと思う。本気で辞めなよと助けてくれる人はいなかった。

田舎によくある、何年のも付き合いだから、という変な意識のせいなのかどうかわからないが、私もどこか許してしまうことが多かった気がする。


小学3年生の頃だったと思う。一度だけ、担任の先生に相談したことがある。真似をされてからかわれている、と。すぐに言えばよかったのに私は少し時間が経って、最近は止まっていたことについて相談していた。

最近はないなら大丈夫、勘違いかもしれない。と判断されたときは悲しかったし、担任の先生のことを信じられなくなった。

また、小学5、6年生の時には、恋愛関係でのからかいがクラス全体からされたこともある。色恋に興味をもち始める時期だったのだろう。

小学5年生の時の出来事はいまだに苦い思い出だ。夏休み中のプールで学校に登校していた時期だったと思う。好きな人に手紙を書いてくるというのがあった。わいわいしているときに担任の先生がやってきて、手紙を取り上げられてしまった。そして、読まれてしまったのだ。その当時の気持ちは忘れてしまったが、今でも思い出すと嫌な気持ちになってしまう。

中学に入っても、からかいは止まらず、何なら全校に知れ渡るくらいではあった。男子には結構嫌われたり、避けられたりしていた思う。

中学3年生の時、ボールペンを壊されたときはまさかと思った。今までは大抵言葉であったため、聞き逃せばよかった。机を離されるなどは耐えられた。

中学3年生になり、先生に対して反抗的で、個人的に攻撃が激しい男子に物を捨てられたり、隠されたりすることもあった。特に周りは見て見ぬふりばかりで、遠目から楽しいんでいたなと思う。自分たちは何もされないのだからお気楽だ。

一発で先生が嫌いになった瞬間がある。ちょうど私へのひどくなった時期のことだ。家庭科の授業終わり、裁縫道具を丸ごとゴミ箱に捨てられたのだ。私は、ごみ箱から取り出したが、針を一本なくした。その時、先生は捨てたやつを怒ることも注意もしなかった。特に何もなかったように授業は終わった。私は、針が一本ないことに気づき、探していたが、先生は気にもとめてくれなかった。

あの時の私は、捨てられたやつへの怒りよりも、何も言ってくれなかった先生に怒りを向けていた。先生の見ているときに捨てられたというのに、という気持ちが止まらなかった。

大抵慣れ切ってしまった私でも、一度だけ泣き崩れたことがある。技術の授業でPC室に移動していた時だ。あの時は確か、自分のUSBを配られており、授業のはじめに前に並べられたUSBを取り、自分の席についていた。PC室に入った時、私のUSBだけがなかった。隠されてしまったのだ。犯人も検討はついていた。

しかし、私は頭が真っ白になり、その場に泣き崩れた。USBがなければ、授業ができない。どうしたらいいか分からなくなった。言い出すことも憚られた。信じてくれないと思った。

そのあと、保健室に連れていかれ、その授業は休んだ。学校にいるのに授業を欠課したのはあの時が初めてで最後だった。親には言えなかったし、知られたくなかった。心配されるというよりも恥ずかしかったし、こういう話をしたくなかった。

小中学生で私はカーストみたいなものを学んだ気がする。田舎であっても、ある程度仲のいい一軍みたいなやつらがいること、自分に被害がなければ特に何も思わない奴らが多いこと。

私は、ぎりぎりだといわれていたが、遠くの高校に行くことにした。制服で選んだのもある。親には反対されたが、高校の生活は大変だったが、落ち着いたものだった。クラスで目立つような立ち位置にはいない、陰の多い学生だったかもしれない。

好きな先生は少なかったと思う。中学で二人、高校は特にいなかったと思う。後々、あの先生でよかったなとか思い出すことはあっても、当時は先生という立場もあまり好きではなかったなと思う。

そんな私でも、専門学校に通っているときは好きな先生がたくさんできた。大人に近づいたからなのか、何なのかはわからないが、とても尊敬する先生だ。最後の学生生活では好きな先生に出会えて本当に良かったと思う。


あれこれと昔話をすることになったが、本当に大人が嫌いで仕方なかった。小学生の頃から、死に急いでいたこともあった。校舎の作りが外廊下がある校舎で2,3階にいるときは何度も飛び降りたらどうなるかなと考えた。でも、高くて怖いというより、もし飛び降りても助かったらどうしようという思うが強くて踏み出せなかった。中学の時もそうだ。ベランダがあり、外に出られたが、助かる確率を考えると、踏み出せなかった。


大人になることが考えられなかった。子どもながらに病むことが多かったし、何度も「死にたい」と口にしたか。

ネット付き合いの同年代の友達にも何度励まされ、助けられたか。

20歳まで生きることにしか夢がない私だったが、未だに平然と生きている。あの時支えてくれた人に感謝しかない。

もう関係が切れてしまった人がたくさんいるが、どうかこの思いが伝わってくれたらいいなと思う。


今の私を顧みても、やはり大人とは何なのか分からない。年だけ取って、精神はあまり成長してないかもしれないなと思う。

子どももように責任を問われない立場、自分で責任を取らなくてもいい立場は気楽だ。でも、何となく、子どもに戻りたいという気持ちは、今は湧いてこない。


専門学校を卒業して、社会人になってあくせくしている日々だが、その中でも友達をト遊んだり、遠出をしたりと充実しているからかもしれない。頻度は少ないが、学生よりも自由が多くなった。お金もアルバイトをしていた時よりも使える額が多い。


子どものときに思い描いていた大人とは何だったかあまり分からない。

成人式の頃に送られてきた小学生の時に書いたらしい、大人の自分へ向けた手紙を見てようやく少しわかるくらいだ。


思い描いているように、タバコは吸っていないよ。お酒は飲みたいけど、色んな事情であまり飲めていないよ。30歳までに結婚と書いていたけど、未来の私は結婚できているのかな。子どもを産んで育てているのかな。

もう誕生日を迎えて何週間か経つけど、来年の私に向けて手紙を書いてみてもいいね。でも、来年の私はそのことを覚えているのかな。


だらだらと過去と未来について考える夜。

そろそろ寝る時間だ。


大人って何だろう。

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