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日本の詩・短歌・俳句あれこれ

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日本の詩などの解釈を書いていきます。
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記事一覧

寺山修司によるサローヤンの引用――「あらゆる男は、命をもらった死である」

寺山修司が死んだのは、1983年5月4日だ。その年の2月から5月まで、寺山は『週刊読売』に「ジャ…

ヨジロー
2か月前
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寺山修司の詩「懐かしのわが家」―ぼくは不完全な死体として生まれ

寺山修司の詩「懐かしのわが家」を取り上げる。これは、1982年9月1日付の「朝日新聞」に掲載さ…

ヨジロー
2か月前
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寺山修司の短歌「父親になれざりしかな」

この歌は、1971年刊行の『寺山修司全歌集』には載っていない。この歌はその後にできたものだか…

ヨジロー
3か月前
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寺山修司によるロルカの詩「別れ」の翻訳

noteの記事「寺山修司の詩『ぼくが死んでも』―青い海が見えるように」で、寺山の詩「ぼくが死…

ヨジロー
3か月前
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寺山修司の詩「ぼくが死んでも」―青い海が見えるように

『寺山修司少女詩集』には詩しか載っていないが、もともとは「海へ来たれ」というエッセイに含…

ヨジロー
3か月前
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寺山修司の短歌「一本の骨をかくしに」

歌だけ読むと、晩年に近い寺山の心情を表現した歌のように思える。しかし、これが載っているの…

ヨジロー
4か月前
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寺山修司の短歌「ノラならぬ女工の手にて」

第一歌集『空には本』ではこの歌がだぶっている。小題「チエホフ祭」と「熱い茎」の両方に入っている。結句だけ表記が異なり、「チエホフ祭」の方は「巨いなる声」だが、「熱い茎」では「大いなる声」となっている。 後に寺山自身が編集した『寺山修司全歌集』では、「チエホフ祭」にある歌が削除されている。つまり、「大いなる声」の方が残されている。 寺山自身はあまり表記にこだわっていなかったようだ。どちらかというと、わかりやすい方に書き換えている場合が多い。 ここでは、「巨いなる声」を選ん

寺山修司の短歌「ドンコザックの合唱は」

第一作品集『われに五月を』や第一歌集『空には本』では、「ドンコサック」「振らむ」となって…

ヨジロー
4か月前
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寺山修司の短歌「レントゲン写真に嘴を」

『血と麦』の「血」の「第四楽章」に収められている。寺山修司の母親との関係を示唆する歌だ。…

ヨジロー
4か月前
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寺山修司の短歌「外套を着れば失う」

『空には本』では「冬の斧」一連の歌の一首。 ■解釈冬。もう暗くなった時間。「われ」は外套…

ヨジロー
5か月前
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寺山修司の短歌「跳躍の選手高飛ぶ」

『われに五月を』は、1957年1月1日出版。寺山修司は21歳、ネフローゼで入院中だった。この歌は…

ヨジロー
5か月前
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寺山修司の短歌「刑務所にあこがれし日は」

『血と麦』の小題「砒素とブルース」の「参 Soul, Soul, Soul.」に収められている。 ■語句…

ヨジロー
5か月前
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寺山修司の短歌「海のない帆掛船あり」

『血と麦』では、「銅羅」と表記されているようだ。講談社学術文庫の『寺山修司全歌集』では「…

ヨジロー
6か月前
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寺山修司の短歌「日あたりて雀の巣藁」

この歌は『われに五月を』から引いたものだ。『空には本』や『寺山修司全歌集』では、「雀」の部分が「雲雀」になっている。 雀はスズメ目ハタオリドリ科、雲雀はスズメ目ヒバリ科で、同じ目の鳥だ。漢字も「雀」と「雲雀」と似ており、音も三音、どちらでもよさそうだ。寺山自身が最終的に「雲雀」としているのだから、本来はそちらを採るべきだろう。でも僕は「雀」の方が気に入っている。理由は末尾の「テクストの異同」のところで述べる。 ■語句巣藁――巣を作りあげている藁のこと。 こぼれおり――「