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寺山修司の詩「懐かしのわが家」―ぼくは不完全な死体として生まれ

寺山修司の詩「懐かしのわが家」を取り上げる。これは、1982年9月1日付の「朝日新聞」に掲載されたものだ。寺山が亡くなったのは翌1983年の5月4日だから、死の8か月前ということになる。

昭和十年十二月十日に
ぼくは不完全な死体として生まれ
何十年かかゝって
完全な死体となるのである
そのときが来たら
ぼくは思いあたるだろう
青森市浦町字橋本の
小さなあたりのいゝ家の庭で
外に向って育ちすぎた桜の木が
内部から成長をはじめるときが来たことを

子供の頃、ぼくは
汽車の口真似くちまね上手うまかった
ぼくは
世界のてが
自分自身の夢のなかにしかないことを
知っていたのだ

『寺山修司詩集』ハルキ文庫、213-214頁

詩が発表された数日後、谷川俊太郎は佐々木幹郎に次のように語っている。

寺山は最後に名作をのこしたんだよ。あの一作だけで寺山の詩集は充分だ。「懐かしのわが家」は彼が詩人であったことの証明なんだと思う

佐々木幹郎「『死ぬのは他人ばかり』か?」、『続・寺山修司詩集』154頁

杉山正樹もこの詩を高く評価している。

私にはこの詩(=「五月のうた」)と最晩年の「懐かしのわが家」とが、一対のものとしておもい出され、どちらも寺山の詩として最上の作品だと考えるからです。

杉山正樹『寺山修司・遊戯の人』80頁

もっとも、もっとも谷川も杉山もちょっと違ったニュアンスのコメントも残している。それについては以下の「さまざまなコメント」参照のこと。


■語句

昭和十年十二月十日――実際の寺山修司の生年月日。西暦では1935年。

青森市浦町字橋本――寺山が5歳から9歳まで暮らしたところ。寺山一家は八戸市にいたが、父親が出征したため、母子は青森市の橋本に転居した。寺山は当地の幼稚園に通った後、橋本小学校に入学する。しかし、1945年の青森大空襲に遭遇する。寺山が9歳のときだ。焼け出された母子は、父親の兄が営む古間木ふるまき(現三沢市)駅前の寺山食堂に間借りする。寺山は古間木小学校に転校。しばらくして、母はつは、三沢市の米軍基地で働くようになる。

■解釈

◆題:サローヤンの『人間喜劇』の影響?
「懐かしのわが家」という題が気になる。なんだかカントリーミュージック風の題で、寺山らしからぬ題のように思える。パロディなのだろうか。

この題は、サローヤンの『人間喜劇』の第1章「ユリシーズ」と関連しているのではないか。そう思うのは、後で見るように、寺山が最晩年のエッセイでしばしばサローヤンを引用しているからだ。

『人間喜劇』の冒頭には、ユリシーズ・マコーレイという名前の小さな男の子が、汽車に乗っている黒人に手を振ると、黒人が手を振り返してくれるというシーンがある。

黒人は歌をうたっている。

もう泣くのはよそうよ、お前
ああ、今日はもう泣かないでおくれ
歌でもうたおうよ、なつかしい
ケンタッキーの故郷ふるさとのために、
遠いかなたの、なつかしい
ケンタッキーの故郷のために

サローヤン『人間喜劇』小島信夫訳、15頁

これは、フォスターが作詞・作曲した、有名な「ケンタッキーの我が家」の一節だ。原題は"My Old Kentucky Home"だから、直訳すれば「懐かしのケンタッキーの我が家」となる。

黒人は男の子に向かって叫ぶ。

故郷くににかえるとこだよ、坊や――おいらのところにかえるんだ!」

同上

原文では、"Going home, boy - going back where I belong!"だ。

◆題:"Home Again Blues"の影響?
もう一つ、ブルースの「ホーム・アゲイン・ブルース(Home Again Blues)」の影響もあるかと思う。いや、むしろこちらが本命か。クラッシックの歌曲「ケンタッキーの我が家」よりはブルースの方が、明らかに寺山にはふさわしい。

寺山は死の直前、『週刊読売』に「ジャズが聴こえる」という題のエッセイを連載していた。その中の一つに、「少年のための『Home Again Blues』入門」がある。

このエッセイには、リトル・ブラザー・モンゴメリー(Little Brother Montgomery)が歌う"Home Again Blues"の名前が出てくる。

モンゴメリーの歌はYouTubeでも聞くことができる(★1)。

歌を作ったのはアーヴィング・バーリン(Irving Berlin)とハリー・アクスト(Harry Akst)で、1921年のこと。フランク・クルミット(Frank Crumit)が歌った

歌の内容は、長年にわたって「転がる石(a rolling stone)」のようにあちらこちらをさすらってきた男が郷愁にとらわれ、故郷の家に帰ろうとするというものだ。

歌詞には次のような一節がある。

I'm going

Home, knock at the door
Home, just like before
Roam, never no more
No place like
Home
Oh! what a song
Home, where I belong
Oh! I've got the home again blues

下から2行目、ここにも"where I belong"という表現がある。

ちょっと意訳気味に訳してみよう。

家に帰るんだ、
家のドアをノックするんだ
昔のままのわが家に
もう二度とさすらったりするまい
どこにもない
わが家みたいなところは
ああ、歌が聴こえる
俺の居場所はあの家だ
ああ、郷愁のブルースが鳴り響く

ヨジロー訳

「俺」の頭の中で鳴り響いている歌が、つまり"Home Again Blues"(「郷愁のブルース」)だ。故郷の家に帰りたいというせつない思いを表現するもので、この歌自体のことでもある。音楽のブルース(blues)はもともとblue(憂鬱な)から来ている。

寺山の詩の「懐かしのわが家」という題なんて、最初はパロディだろうと思ったが、こうしていろいろ調べてみると、必ずしもそうではなさそうだ。寺山が故郷の家を懐かしがっているのは確かだろう。

◆「不完全な死体として生まれ(……)完全な死体となる」とは?
詩「懐かしのわが家」は次のように始まる。

昭和十年十二月十日に
ぼくは不完全な死体として生まれ
何十年かかゝって
完全な死体となるのである

生まれ、生き、そして死ぬことを、「不完全な死体として生まれ/何十年かかゝって/完全な死体となる」と捉えている。

生まれてから死ぬまで、人は本質的には「死体」であるというのだ。生があり、その終わりに死があるのではなく、最初から最後まで死が根底にあると考える。「不完全さ」から「完全さ」への移行があるだけだ。

このような考えに至ったのは、寺山が常に死を意識しつつ生きてこざるを得なかったからだろう。

ただ、これは寺山独自の思想ではなく、サローヤンの影響を受けたものだと思う。

先ほど挙げた寺山の最後の連載「ジャズが聴こえる」に、「墓場まで何マイル?」というエッセイがある。寺山の葬儀の日(1983年5月9日)に発売された『週刊読売』に掲載されたものだ(★2)。

このエッセイは、次のようなサローヤンの言葉で終わっている。

「あらゆる男は、命をもらった死である。もらった命に名誉を与えること。それだけが、男にとって宿命と名づけられる。」(ウィリアム・サローヤン)

『寺山修司著作集1』517頁

寺山のことだから、本当にサローヤンの言葉なのかとちょっと疑わないでもない。でもサローヤンの言葉だと何度も繰り返しているから、きっとそうなのだろう。

エッセイ「少年のための『Home Again Blues』入門」にもサローヤンの引用がある。

 本当は、帰りたくなんかなかった。ブルーノの単車を借りて、六十六番の国道を一晩中でも走っていたかった。どうせ、

  あらゆる男は、命をもらった死

 なのだ。(……)
「どうせ、アパートに帰ったって」
 とロックは一人ごとのように言った。
「おふくろが、黒人のポリ公といちゃついているんだ」
「いいじゃないの?」
 とジーンが言った。
「おふくろさんだって、生きる権利はあるわ」
 ジーンは、ドライブ・インのウェイトレスだった。
(……)
 ロックは昨日読んだ、サローヤンの小説の一節を思い出した。

 男はみな不安である。あらゆることに不安である。しかし、結局、あらゆることはみな彼自身が原因なのだということを知っている。男の一生は、顔や眼や口や、からだや手足をもらった死なのだ。

だから、ロックはときどき帰りたくなる。彼の命のはじまったところ、彼の死のはじまったところへ。

『寺山修司著作集1』514-515頁

このエッセイは、普通のエッセイとは異なり、小説の一場面のように書かれている。

エッセイの中で「サローヤンの小説」と言われているのは『ロック・ワグラム』のことであり(★3)、ロックはこの小説の主人公だ。寺山はサローヤンの小説の主人公の名を借りて、サローヤンの小説世界を模したシーンを創作している。ややこしい。

ここに出てくる「あらゆる男は、命をもらった死」や「男はみな不安である。(……)男の一生は、顔や眼や口や、からだや手足をもらった死なのだ」は、『ロック・ワグラム』からの引用だ。

「あらゆる男は、命をもらった死である」――寺山はこのフレーズが気に入っていたのだ。それが、「不完全な死体として生まれ(……)完全な死体となるのである」という詩句に形を変えている。

◆「育ちすぎた桜の木」とは?
寺山の詩に戻ろう。

そのときが来たら
ぼくは思いあたるだろう
青森市浦町字橋本の
小さな陽あたりのいゝ家の庭で
外に向って育ちすぎた桜の木が
内部から成長をはじめるときが来たことを

「そのとき」とは自分が「完全な死体となる」とき、つまり、自分の現実の死のときのことだ。

実際に死が訪れるとき、何に「思いあたる」のか。「内部から成長をはじめるときが来たこと」に、だ。

「青森市浦町字橋本」は寺山が小学4年まで(5歳から9歳まで)暮らした家だ。その家の庭に桜の木が植わっている(実際に桜の木があったかどうかは知らない)。それは「育ちすぎた桜の木」だ。

寺山は自分を桜の木に喩えている。自分は故郷の家を離れ、さまざまな活動をしてきた。東京に行き、さらには海外を駆けめぐった。だが、それらはすべて幻想だった。自分は「桜の木」として、依然として故郷の「陽あたりのいい家の庭」にいる。

桜の木が見た夢、それがこれまでの人生だ。

現実の死によってそのような幻想が終わる。そして「内部から成長をはじめるとき」が来る。本当の生が始まるのだ。

◆なぜ「青森市浦町字橋本」なのか
ところで、なぜ「青森市浦町字橋本」なのだろうか。

「青森市浦町字橋本」は、寺山が無垢な少年として、母親と幸せに暮らしていたときに住んでいた場所だ。寺山にとって、母子一体のもっとも平和なときだ。その後、母親が三沢の米軍基地で働くようになってから、寺山の苦しみが始まる。

そのことは、エッセイ「少年のための『Home Again Blues』入門」でも示されている。

ロックは言う、「どうせ、アパートに帰ったって(……)おふくろが、黒人のポリ公といちゃついているんだ」と。ロックの苦しみは、寺山自身の苦しみだ。(これについては、note記事「寺山修司のトラウマ」を参照のこと)

ロックと同じく寺山も、「命のはじまったところ」「死のはじまったところ」へ帰りたくなる。つまり、自分の誕生のときへと。ここには、生まれてこなければよかったと思うほどの深い絶望がある。

生きている自分を「不完全な死体」とみなし、その最終目的を「完全な死体」になることであると思わざるをえないほどの深い絶望だ。

◆第二連は?
第二連は第一連とどう関係しているのか。

子供の頃、ぼくは
汽車の口真似が上手かった
ぼくは
世界の涯てが
自分自身の夢のなかにしかないことを
知っていたのだ

子供の頃、汽車の口真似が上手だったことを、「ぼく」は思い出す。なぜ子供の「ぼく」はあんなに一生懸命、口真似をしていたのか。今、それがわかる。「世界の涯て」が自分自身の幻想の中にしかないということを、子供心に知っていたからだ。

子供のときに口真似によって汽車を現出させたように、「ぼく」は想像力とその言語化(=口真似)によって幻想世界を作り出してきた。それが僕の人生だ。自分は汽車に乗って現実世界の果てをめざしていると思っていたが、結局すべては自分自身の「夢」の中にあるものにすぎなかった。

「自分自身の夢のなかにしかない」の「しかない」は、諦念を含んだ認識だ。そう、結局、これまでの自分の人生は幻想だった。自分が見た「夢」だった。本当の自分は桜の木として青森市浦町字橋本に植わっている。立ったまま眠って夢を見ていたのだ。

こうして第二連は第一連につながっていく。

「世界の涯て」をめざした「ぼく」は、自身の現実の死を前にして、「懐かしのわが家」を、つまり、自分が幸せだった時を振り返る。そしてその時点に戻って、もう一度最初から生き直そうとするのだ。

◆第二連は第一連の撤回?
と、ここまで書いてみて、もう一度、詩を読み直す。

第二連は第一連の「内部から成長をはじめる」という自身の再生を根拠づけるために持ち出されたものだったはず。これまでの人生は幻想だった、子供のころから僕は幻想を生み出すのが得意だったんだから、として。でも第二連がどうも気にかかる。

詩は第一連だけで独立させたほうがいいのではないかという気さえする。第一連と第二連がちぐはぐなのだ。第一連は力強い印象を与えるのに、第二連は逆にさびしい感じがする。こんな詩の終わり方でいいのか?

ぼくは
世界の涯てが
自分自身の夢のなかにしかないことを
知っていたのだ

まるで、自分の人生が結局は夢にすぎなかった、と言おうとしているようではないか。「内部から成長をはじめる」という第一連の力強い宣言は消されてしまっている。つまり、第一連を根拠づけるはずの第二連は、第一連を裏切っているのだ。

でも、このちぐはぐさはそのままでいいのかもしれない。第一連の気取った寺山と、第二連のさびしそうな寺山、その両方が合わさって「寺山修司」だからだ。

■さまざまなコメント

◆谷川俊太郎:1982-1993
1982年9月から、1983年3月の初めまで、谷川俊太郎と寺山修司はビデオ・レターを交わした。「懐かしのわが家」については次のようなやりとりが交わされている。(以下、強調は筆者)

「朝日新聞に載った新しい詩、よかったぜ。ちょっと田村隆一ふうだったけど。言葉でいうと、なんだかちょっとみんな、恰好よすぎるような気がするけどね」

杉山正樹『寺山修司・遊戯の人』272-273頁

「谷川さんは、言葉にすると何でも恰好よくなってしまうっていうけど、言葉にでもしないと、えきれないってことも時々ある。言葉、言葉、言葉。これがぼくの近況です」

同上

寺山の死後は、谷川は次のように述べている。

話の中身は、今のように仕事を続けて行けば、あと一年であなたは死にます。仕事をしないでずうっとベッドに寝たきりでいれば、まだ三年は大丈夫でしょう。つまりそういう選択を医者は迫ったんです。寺山はそれを聞いて、すごく悩んでいる、悩んでいるっていうのは当然ですけど、表情を見てて分かってしまうわけ。おそろしさとか、あせりとか、不安とかね。彼が自分の死をどう考えていたかは、最後の有名な「不完全な死体として生まれ」という詩に書いてあるようなカッコいいものではないと僕は思います。あの〈詩〉は、死についての美辞麗句なんです。あれを読んでみると、寺山修司は見事な覚悟で死んでいったように見えてしまうけれど。

風馬の会編『寺山修司の世界』35-36頁

◆佐々木幹郎:1987

「懐かしのわが家」という作品の中で、寺山修司は素裸になっている。言葉のレトリックに長けたこの詩人が、その技術を遠くの方へ追いやっている。「ぼく」主語が短かい作品の中で四度も使われているが、どの「ぼく」にもこの詩人が得意とした自己韜晦とうかいが見られない。

『続・寺山修司詩集』154頁

けれども作品の構造自体は、寺山修司が生涯をかけてやり続けた「私」捜しの旅の様相を持っており、そしてその旅のありさまを説明しており、生きている間、「私」などどこにもいないのだ、ということを告げている。

同上

◆飯田龍太:1987

これまた凄絶な、永別のうた。強いて龍之介の辞世句と対比するなら、ともに闇を見つめた作品ながら、修司の詩には、陽の向うに、郷愁というほのかな薄明りが見えることだろうか。しかもその郷愁は、すでに修司の肉体を離れ、最早手のとどかぬ遥か彼方にあった。

飯田龍太「龍之介と寺山修司と」、『寺山修司の<歌>と<うた>』153頁

◆杉山正樹:2000
杉山正樹は「懐かしのわが家」の別バージョンに言及している。寺山の死後三年の命日に刊行された『寺山修司全詩歌句』の口絵にあるものだ。

この本は、寺山が「生前に作成した企画書」に基づいて出版された。だから寺山の意図に従っている。寺山の写真の下に、無題で次のような詩が書かれている。

ぼくは不完全な死体として生まれ
何十年かかけて
完全な死体になるのである
そのときには
できるだけ新しい靴下をはいていることにしよう
零を発見した
古代インドのことでも思いうかべて

「完全な」ものなど存在しないのさ

杉山正樹『寺山修司・遊戯の人』269-272頁

杉山によれば、「寺山修司をよくる人びとは、ほとんど皆」、詩「懐かしのわが家」を読んで「目がしらを熱くした」。杉山も、「これは寺山の遺言ではないか、と胸に迫るもの」を感じた。

ところが『寺山修司全詩歌句』の詩を見た杉山は「わが眼を疑」う。

《不完全な死体として生まれ/何十年かかゝって/完全な死体となるのである》と深刻な表現でのたもうたおなじ人物が《「完全な」ものなど存在しないのさ》と、舌を出してアカンベーでもしているみたいではないか。

同上272頁

杉山の結論はこうだ。

だからわれわれは、すくなくとも「懐かしのわが家」を読んで、この詩は寺山修司の真率なありのままの自己告白だ、などと感涙にむせんだりしないほうがいいのだ。

同上

そうだろうか。

朝日新聞に掲載された「懐かしのわが家」は、杉山も認めるように、人の心を打つ。それに対して別バージョンの方は、詩としてはかなり出来が悪い。

寺山は、「ぼくは不完全な死体として生まれ/何十年かかけて/完全な死体になるのである」という最初の三行の重さを、「そのときには/できるだけ新しい靴下をはいていることにしよう」以降の詩句によってできるだけ軽いものにしようとしているが、両者はうまく融合していない。

寺山が『寺山修司全詩歌句』で別バージョンをあえて冒頭に持ってきたのは、「懐かしのわが家」で思わず自分の心情をもらしてしまったことへの、寺山の照れではないか。

人を感動させて人生を終えるよりも、アッカンベーと舌を出して去っていく方が自分らしい、そう思い直したのではないか。

◆城戸朱理:2001

「懐かしのわが家」にみなぎる諦念に触れると慄然とせざるをえない。世界の果ては、実は疾走と冒険の果てに見えてくるものではなく、あらかじめ自身の夢のなかにしかありえなかったのだとしたら、寺山修司の詩的冒険とは、ついには夢の記述でしかありえなかったのか。ラディカルな問いを突きつける、戦後詩においてもっとも美しい「白鳥の歌」と言うことができるだろう。

野村喜和夫・城戸朱理編『戦後名詩選Ⅱ』71頁

◆白石征:2003-2009

「内部から成長をはじめる」とは、どういうことであろうか。絶筆エッセイ「墓場まで何マイル?」で「私の墓は、私のことばであれば、充分」と記した寺山修司である。「内部」がことばを指していることは明らかだろう。/とすれば、さしもの一瞬一瞬を「外に向って」広げていった創作活動の疾走が絶たれた時、ことばのなかの永遠性を信じようとしているのであろうか。

白石征「寺山修司の抒情について」2003、『望郷のソネット』66頁

汽車に乗り、あるいは走って、「世界の涯てまで連れてって」と疾走したあの寺山修司は、幻だったのだろうか。世界の涯てなど、虚構にすぎなかったのか。/いや、そうではあるまい。この狭間にこそ、人生を夢として、あるいは真剣な遊びとして生きようとした寺山修司の魂が、まぎれもなく存在しているのである。

同上68頁

ところでさっきの「懐かしのわが家」ですが、そこで寺山さんは、こういった意味の言葉を遺しています。「完全なる死体となる」とき、ぼくは「外に向って育ちすぎた桜の木が/内部から成長をはじめるときが来たことを」思いあたるだろう、と。今これを読むと、ある意味でぼくは、寺山さんの自分の作品における死後の期待というか、自信というか、むしろ自分の現世をこえて、自分の作品が生きつづけることを狙っていたんだという、自恃じじのようなものが感じられて仕方がないんです。

インタビュー「寺山さんの底にある悲しみの原風景」2009、『望郷のソネット』215頁

■おわりに

確かに谷川俊太郎の言うように、カッコつけてる、と思う。

「ぼくは不完全な死体として生まれ/何十年かかゝって/完全な死体となるのである」と相変わらずの気取り。

「ぼくは/世界の涯てが/自分自身の夢のなかにしかないことを/知っていたのだ」と相変わらずの自負。

でも、『われに五月を』の序詞「五月の詩」では「僕は五月に誕生した」と書いていたのに、「懐かしのわが家」では、「昭和十年十二月十日」と本当の自分の誕生日を記している。また、「青森市浦町字橋本」と実際に自分が暮らした地名を挙げている。

寺山はここでは、虚構の「われ」を放擲ほうてきし、「寺山修司」を職業とすることをやめている。の「寺山修司」になろうとしている。

第一連では、「完全な死体となるのである」と断定しつつも、そのときこそ「内部から成長をはじめるとき」が来るのだと、まだ生への強い意欲に満ちている。

だが第二連は、新たな生も含めたすべてが幻想であることを認めたような詩句となっている。素直な寺山が姿を見せつつある。

子供の頃、ぼくは
汽車の口真似が上手かった
ぼくは
世界の涯てが
自分自身の夢のなかにしかないことを
知っていたのだ

寺山のささやかな自慢に静かに耳を傾けてみると、諦念だけでなく、言葉と想像力を駆使して生きた自分の人生に対する満足感もあるように思われてくる。

■注

★1:リトル・ブラザー・モンゴメリーは少しアレンジして歌っている。(英語がよく聞き取れない!)

★2:杉山正樹『寺山修司・遊戯の人』278頁。

★3:新潮文庫版『ロック・ワグラム』の訳者内藤誠は、「解説」で次のようなエピソードを紹介している。

あるパーティで故寺山修司とサローヤンの話をしたことがあった。/劇作家でもあるサローヤンに寺山修司が関心をもつのは当然と思ったけれど、彼のとくに好きな作品が『ロック・ワグラム』で、「男というものは……」というあの語りくちが何ともいいんだねえ、といかにも愛読者らしくいったのが、いまもあざやかに記憶にのこっている。

サローヤン『ロック・ワグラム』410頁

■参考文献

◆テクスト
『寺山修司全詩歌句』思潮社、1986

『続・寺山修司詩集』現代詩文庫105、思潮社、1992

『墓場まで何マイル?』角川春樹事務所、2000

『寺山修司詩集』ハルキ文庫、2003

『寺山修司著作集1』クインテッセンス出版、2009

◆文献
齋藤愼爾・白石征・渡辺久雄編『寺山修司の<歌>と<うた>』春陽堂書店、2021

白石征『墓場まで何マイル?』角川春樹事務所、2000

白石征『望郷のソネット』深夜叢書社、2015

城戸朱理 → 野村喜和夫・城戸朱理編『戦後名詩選Ⅱ』現代詩文庫特集版2、思潮社、2001

杉山正樹『寺山修司・遊戯の人』河出文庫、2006

風馬の会編『寺山修司の世界』情況出版、1993

ウィリアム・サローヤン『人間喜劇』小島信夫訳、晶文社、1977、15頁

ウィリアム・サローヤン『ロック・ワグラム』内藤誠訳、新潮文庫、1990

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