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三好達治の詩「願はくば」―わがおくつきに

格調高いなあ、かっこいいなあ。

昔、ずっと昔、三好達治の詩「願はくば」を読んだとき、そう思った。

こんなふうに静かに死んでいられるのなら、死ぬのも怖くないような気がした。

うん、僕も自分の墓には梨の木を植えてもらおう、と単純に思った。食べるのも林檎より梨のほうが好きだし、あの控えめな白い花もいい。僕にぴったりだ……。

■三好達治「願はくば」

願はくばわがおくつきに
植ゑたまへ梨の木幾株いくしゅ

春はその白き花さき
秋はその甘き実みのる

下かげに眠れる人の
あはれなる命はとふな

いつよりかわれがひと世の
風流はこの木にまなぶ

それさへや人につぐべき
ことわりのなきをあざみそ

いかばかりふかきこころを
つくすともなにかたのまん
うたかたのうたはうかべる
雲なればやがてあとなし

しかはあれ時世ときよをへつつ
墓の木の影をつくらば

人やがて馬をもつなぎ
旅人らここにいこはん

後の世をおもひなぐさむ
なかなかにこころはやすし

願はくばわがおくつきに
植ゑたまへ梨の木幾株

(『三好達治詩集』新潮文庫)

■語句

◆願はくば――願うところは、望むことは、できることなら、どうか~してほしい。

◆おくつき――墓所。

◆あはれなる――あわれな。「あはれ」は「憐れで悲しいこと」か「はかなく無常」の意。ここでは後者か。

◆命――生涯、一生。

◆それさへや――それさえも。「や」は強意の間投助詞。

◆ことわり――「理」と書く。「道理、物事の筋道」あるいは「理由、わけ」。ここでは「言葉」くらいの意味か。

◆あざみそ――「あざむ」は「あさむ」とも。あきれ返る、あざ笑うの意。「そ」は禁止を表す終助詞。

◆なにかたのまん――「たのむ」は、頼りにする、期待するの意。「ん」は「む」で推量の助動詞。ここでは反語的。何か期待することがあろうか、いやない。

◆うたかたの――「うたかた」は水に浮かぶ泡。はかなく消えやすいものを喩える。

◆しかはあれ――「しかはあれど」の意。そうではあるが、しかし。

◆なかなかに――肯定してよい程度に、相当に、ずいぶん。

■口語訳

願はくばわがおくつきに/植ゑたまへ梨の木幾株(いくしゅ)
(どうか私の墓には梨の木を何本か植えてください。)

春はその白き花さき/秋はその甘き実みのる
(春には白い花が咲き、秋には甘い実がみのるでしょう。)

下かげに眠れる人の/あはれなる命はとふな
(梨の木の陰に眠っている自分のはかない生涯のことは尋ねないでください。)

いつよりかわれがひと世の/風流はこの木にまなぶ
(いつ頃からかはわかりませんが、私が詩人としての人生で必要な詩心しごころはこの木から学びました。)

それさへや人につぐべき/ことわりのなきをあざみそ
(その詩心というものも、私の詩では人に告げるほどのものとはならないのです。つたない私の詩を笑わないでください。)

いかばかりふかきこころを/つくすともなにかたのまん
(どんなに心をこめて作ってみても、なかなか期待するものが出来ないのです。)

うたかたのうたはうかべる/雲なればやがてあとなし
(泡のような詩は浮かぶ雲のようなもので、やがて跡形もなく消えていくものです。)

しかはあれ時世(ときよ)をへつつ/墓の木の影をつくらば
(それでも、時が経って墓の木が影を作るようになれば、)

人やがて馬をもつなぎ/旅人らここにいこはん
(誰かがやがてこの木に馬をつなぐことがあるかもしれません。旅人がここで憩うかもしれません。)

後の世をおもひなぐさむ/なかなかにこころはやすし
(そんなふうな後の世を思って自分をなぐさめるのです。そうするととても心が安らかになります。)

願はくばわがおくつきに/植ゑたまへ梨の木幾株
(どうか私の墓には梨の木を何本か植えてください。)

■解釈

冒頭の「願はくばわがおくつきに/植ゑたまへ梨の木幾株いくしゅ」というのは、自分の墓石の周りに梨の木を何本か植えてほしいという意味なのか、それとも墓石の代りに梨の木を植えてほしいという意味なのか。後者なら今はやりの樹木葬ということになる。

金井寅之助は「私の墓には、幾株かの梨の木を植えて下さい」と口語訳しているので、墓の周りにと理解しているようだ。阪本越郎ははっきりと「墓のほとりに」と解している。安西均は不明だがおそらく両者と同じだろう。吉田道昌は樹木葬と考えている。

「幾株」と植えてほしい木が複数であるし、昔は樹木葬という考え方はなかっただろうから、墓石の周りにという意味に取っておく。ただ、樹木葬という言葉がなくても、墓石を置かずに梨の木を植えるというイメージを詩人が抱いていた可能性はあるだろう。「おくつき」は「墓所」なのだから。

さて、全体の内容だ。

詩は雲のようなもので「やがてあとなし」だが、植えてもらった梨の木は人々に緑陰を提供するだろう。そのことを思うと、安らかな気持ちになる、というものだ。

詩人は枯淡の境地にいて、「詩作の人生を送ったが、詩などはむなしいもので、いずれ忘れ去られる、でも、木を植えてもらえば、ほんの少し来るべき世の人々の役に立つかもしれない、それでいい」と言っているように思える。

とても控えめだ。

阪本越郎は「東洋的諦念または無常観である」と評している。安西均も「世俗的な栄誉を超越して、死後の遠い後世にほのかな生き甲斐を見出そうとしている死生観があります」と言っている。

だが本当にそうか? 詩人は達観しているのか?

梨の木というのは、詩人が詩心を学んだ木だ。だから、木陰で憩ってもらいたいというのは、単に字義どおりの意味じゃなく、自分と同じように、誰かが自分の詩のいくつかから詩心を学んでくれたらうれしいという気持ちも込められた表現なのではないか。

確かに「うた=詩」は「やがてあとなし」だが、「しかはあれ」と続く。詩に対する思い入れは消えていない。ただこの詩は、その願望もひっそりと梨の木の陰に隠しているようだ。

■おわりに

「願はくば」は、『花筐はながたみ』という詩集に収められている。これが刊行されたのは、1944年6月、達治が44歳になる少し前のことだ。阪本越郎は、「達治は苛烈な戦時下に、明日の命も期しがたい無常の思いにかられてこの作をなした」と書いている。

実際に達治が亡くなったのはそれから20年以上後の1964年。享年63歳。

達治の墓に梨の木は植わっているのだろうか。

調べてみると、達治の墓は大阪府高槻市の本澄寺にある。梨の木は植わっておらず、山茶花に囲まれているようだ。

河上徹太郎は弔辞で、この詩の一部を引用しつつ、「君は今故里に近い、高槻の地に葬られようとしている。私は近い日、梨の木の苗を手にしてそこを訪れよう」と述べたが、梨の木を植えには行かなかったようだ。あるいは、植える場所がなかったのか。

でも梨の木がなくてもかまわない。梨の木が達治の詩だとすれば、僕たち旅人はその木の陰で憩っているのだから。

■参考文献

安西均『やさしい詩学』社会思想社、1974、29頁

金井寅之助『花筐はながたみ評釈――三好達治詩集』ノートルダム清心女子大学国文学科研究室国文同好会、1963

河上徹太郎「悼三好達治君」、『近代作家追悼文集成39 佐佐木信綱・三好達治・佐藤春夫』ゆまに書房、1999、127-128頁

阪本越郎の脚注、『日本の詩歌22 三好達治』中央公論社、1967

吉田道昌「詩人・三好達治は樹木葬を願った」
https://michimasa1937.hatenablog.jp/entry/20131010/p1

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