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アネッテ・フォン・ドロステ=ヒュルスホフの詩「塔にて」―広野を自由に駆けまわる狩人だったら

森泉朋子編訳の『ドイツ詩を読む愉しみ』で、アネッテ・フォン・ドロステ=ヒュルスホフの詩「塔にて」を知った。気に入ったので、原文を探し、自分でも訳してみた。

ドロステは、1797年にミュンスター近郊のヒュルスホフ城に生まれ、1848年に51歳で亡くなっている。地方貴族の娘で、敬虔なカトリック教徒。生涯独身だった。当時、「ドイツ文学史上唯一の女性詩人」と評価された(大澤148)。

「塔にて」が書かれたのは、1841年から翌年にかけての冬で、ドロステが44、5歳のころのことだ。ドロステは、姉の夫が所有するボーデン湖畔のメーアスブルク城に住んでいた。ドロステが亡くなったのもこの城だ。

「塔にて」は、1842年の夏に、「教養ある読者のための朝刊」に発表された。

■アネッテ・フォン・ドロステ=ヒュルスホフ「塔にて」(ヨジロー訳)

私は高い塔のバルコニーに立っている
叫び声を上げてムクドリがかすめていく
嵐が髪の毛をかき乱すにまかせていると
ディオニュソスの巫女になったかのよう
ああ 荒々しい若者よ ああ 向こう見ずな青年よ
私はおまえと激しく取っ組み合いたい
互いの筋肉をきしらせ あと二歩で落下というところで
生死を賭けて戦うのだ!

下の岸辺では 
じゃれ合うグレートデンたちのように元気よく
波がどうどう しゅうしゅう駆けまわり
輝く泡をはじけさせている
ああ 私はすぐにでも飛び込みたい
荒れ狂う猟犬の群れのまっただ中に
珊瑚の森を通り抜け
セイウチを あの愉快な獲物を狩るのだ!

かなたに軍旗のように威勢よく
三角旗がはためいているのが見える
風が吹きつける私の望楼から
竜骨が円を描きつつ上下しているのが見える
ああ 私は戦いの船に乗りたい
舵を握りしめ
波の砕ける岩礁をすいすいと
カモメのように通り抜けていくのだ!

私が広野を自由に駆けまわる狩人であったら
せめて兵士の端くれででもあれば
少なくとも男でさえあったら
運を天にまかせて生きることができるのに
だが私は しつけのいい子供のように
おとなしく上品に座っていなければならない
私に許されるのはただ こっそりと髪をとき
風になびかせてみることだけ

■語句

ディオニュソスの巫女――ディオニュソスはギリシャ神話の酒・陶酔・豊穣の神。ローマ神話のバッカスに当たる。ディオニュソスの巫女たちは酒に酔って乱舞し、狂態の限りを尽くす。

グレートデン――猟犬の一種。

三角旗――船を識別するための信号旗。

竜骨――船首から船尾へ船底を貫いている部材。船の背骨に当たる。

望楼――遠くを見渡すためのやぐら。

運を天にまかせて生きることができるのに――直訳は、「天が私に忠告してくれるだろうに」。このままではわかりにくいので意訳した。女性であればさまざまな制約の下で生きなければならない。どのように生きるべきかは定まっているので、女性には天の助言は必要ない。男性ならば天から助言を受けて自由に生きることができる。そういう意味だろう。

こっそりと髪をとき――肖像画を見ると、ドロステは複雑に髪を結い上げている。貴族の女性にとって「髪をほどいて風になびかせるのは、日常生活では許されないことだったであろう」(大澤153)。

■解釈

第1連。「私」が城のバルコニーに立っている。嵐がやってきている。強い風が髪をかき乱す。「私」は空想を始める。「風」が若者に姿を変える。私は若者と取っ組み合いをする。力負けすれば、バルコニーから落下するほかない。

第2連。強風で波が荒れている。波が猟犬の群れに見える。「私」は空想する。自分も海の猟犬となって、「珊瑚の森」でセイウチを狩るという空想だ。

第3連。望楼からは、荒れる海で激しく揺れている船が見える。「私」はそれを軍船に見立てる。兵士の一人として、軍船の舵を巧みに操り、海戦のただ中にいる自分の姿を思い描いている。

第4連。だが、自分は狩人でもなければ、兵士でもない。そして男でさえない。自分は城の中で暮らす貴族の女であって、自由な天地で冒険をすることは許されていない。せいぜいできるのは、嵐の日にバルコニーに忍び出て、誰にも見られないところで髪を解いて、風になびかせてみることだけだ。

こうして第4連の終わりは、第1連の「嵐が髪の毛をかき乱すにまかせていると」につながっていく。

最終連に詩人の思いが表出されている。女性であることで、さまざまな制約の中で生きなければならないことへの無念さがあふれ出ている。髪をとくことでさえ、人に見られないように「こっそりと」しなければならないのだ。

■おわりに

詩人は実際には城からボーデン湖を見ている。しかし、湖を大海原に見立てて自由な世界を思い描いている。

「ドイツ語による最初の、もしかしたら最良のフェミニズムの詩」(Klüger 61)と言われる。最良かどうかは筆者には判断できないが、作者の思いが強く出ていて、胸を打たれる。

「塔にて」が発表されたのは1842年だ。数年後の1847年にシャーロット・ブロンテ『ジェーン・エア』が出版された。筆者は読んだことはないが、第12章に次のような一節があるという。

女性は、ふつうにはごく静かなものと考えられている。しかし、女性もまた男性と同じく感情をもっている。兄弟たちと同じように、その能力を発揮することや、努力を向ける領域をもつことを必要としている。男たちと同じように、あまりにきびしい束縛や、あまりに圧倒的な沈滞に悩み苦しむ。だから、女たちはプディングを作ったり、靴下を編んだり、ピアノをひいたり、袋の刺繍をしたりしておればいいのだというのは、より多くの特権にめぐまれた異性の狭量からである。習慣によって、女たちに必要だと申し渡されてきた以上のことを、彼女たちがなそうとし、学ぼうとするからといって、非難したり、嘲笑したりするのは心なきわざである。

(田辺ほか126-127より引用)

「女性は、ふつうにはごく静かなものと考えられている」――今読むと、なんと不思議な一文だろう。

「女性もまた男性と同じく感情をもっている」――こんなことをわざわざ言わなければならない時代があったのだ。

■参考文献

大澤慶子「アネッテ・フォン・ドロステ=ヒュルスホフ」、沓掛良彦編『詩女神ミューズの娘たち』未知谷、2000、147-168頁。

田辺保, 三野博司, 荒木映子編『文芸批評を学ぶ人のために』世界思想社、1994

田邊玲子「変容の力――アネッテ・フォン・ドロステ=ヒュルスホフ――」、内藤道雄編『ドイツ詩を学ぶ人のために』世界思想社、2003

森泉朋子編訳『ドイツ詩を読む愉しみ』鳥影社ロゴス企画、2010

山田博信編訳『ドロステの詩』築地書館、1984

Klüger, Ruth: Ein Mann, mindestens. In: Reich-Ranicki, Marcel (Hg.): Von Heinrich Heine bis Theodor Storm, 1400 Deutsche Gedichte und ihre Interpretationen, Bd. 4, Insel, 2002.

Liebrand, Claudia / Wortmann, Thomas: Interpretationen Gedichte von A. von Droste-Hülshoff, Reclam, 2014

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