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僕は頑張るよっ(feat.あの)を聞いておもいだしたこと

むかし浜松町から横須賀へ通勤していた。なんで浜松町に住んでいたかは長い話になるので省略するけれど、とにかく浜松町から山手線に乗って品川で乗り換えて、一本見送って、品川始発の電車に乗って横須賀へ向かっていた。

角の席をとって、座るとわたしはすぐに眠ってしまう。あのころはいつも疲れていた。仕事は忙しくて、でも他の人が仕事の片手間に簡単にこなしている「仕事未満の仕事」と扱われる事務作業がわたしはうまくできなくて、仕事未満の仕事だから誰もきちんと教えてくれなかった。

7畳ほどの1Kに家に帰れば彼がいた。昼間に仕事をして彼はだいたいゲームをしていたような気がする。風来のシレンを延々とやっていたイメージがあるがそれがどの時期だったかはもう思い出せない。
彼がいるおかげで健康なご飯を作っていた。浜松町はスーパーで売っているものの値段が高いから横須賀で買い物をしていた。
一度、卵のパックを落としてしまって、卵の大半が割れて黄身やら白身の混ざったぐちゃぐちゃが広がっていったのだけれど、わたしは疲れていて、頭が働かなくて、ただそこに立ち尽くしていたら鮮魚売り場からおじさんが出てきて怒りながらさっさと片付けていった。ごめんなさい、の一言もわたしの口からは出てこなかった。ただただ静かに慌てていただけだった。

電車の角の席で眠っていると、軽く肩を叩かれた。初めてのことだったけれど、席を譲ってほしい、みたいなことかと思って無視をしてしまった。わたしはそのとき立って混んだ電車に乗り続けて横須賀まで行く気力がなかった。
あなた、と話しかけられてようやくわたしは目を開けることができた。
「疲れてる?いつもそこで、寝てるけど」
と言われてわたしは答えられなかった。母親よりも若い女性だったと思うが記憶は曖昧で、わたしは人の年齢が見た目からよくわからないので、自分より少し年上なのかなとその時は思った。
「疲れたら休んだほうがいいよ」
とその人は言った。電車がレールの上を走っていく音ががーっと鳴って、わたしは、はい、と答えた。

その日は横浜で降りて有休を取ってドトールに行ってモーニングを食べてぼうっとして家に帰った。

電車で話しかけられたあたりから自分の疲労を意識するようになった。朝起きるためのタイマーが鳴っても全く動けないことがあった。遅刻することも増えた。そのうち、会社に行けない日が増えていった。

病院に行くとうつ状態だと診断が出て、その日からわたしは休みを取ることになった。

あのとき話しかけられなかったらわたしはまだ横須賀に通っていたのかもしれない、とは思わない。どこかで、別の決壊のしかたをしていただろう。でも、わたしをギリギリのところで助けてくれたのはあの人だったような気がしている。

いつもの電車からわたしはいなくなった。

あの人はほんとうにいたのだろうか。
わたしの記憶にはわたしを助けてくれた女の人、という印象がある。ドトールのモーニングを食べにいったのも覚えている。
あの人のことを思い出すたびに、若い人だったような、お年を召した人だったような気もする。それはいつかのわたしがつくりだしたわたしだったのかもしれなくて、そうだとしても、わたしはいま頑張っていてじゃあいいかって思う。

本当にわたしはあの頃もじもじしていて、いまも、たまにもじもじする。でもなんとかやっている。最近友達が一気にいなくなって、そのために心と体が悪くなって、それがなんか実家帰ったらなおって、たまに悪い夢を見る。その度にわたしは頭の中で横浜のドトールでモーニングを食べている。

ものを書くために使います。がんばって書くためにからあげを食べたりするのにも使うかもしれません。