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教育の仕事をしています。自分に与えられた対話の機会を通して「平和」のためにどれだけの貢…

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教育の仕事をしています。自分に与えられた対話の機会を通して「平和」のためにどれだけの貢献ができるか模索中。自分自身との対話もかねて、日々浮かぶことをツラツラと。

最近の記事

感情を評価しない

 オランダ全土の約15%の学校が導入するシチズンシップ教育「ピースフルスクール」。1990年代にいじめや子どもの問題行動が増加した際、国全体での解決に向けて、学校風土や教室の雰囲気を改善することを目標として開発されたそう。学校だけでなく地域社会にも広がり、子どもから大人まで様々な人が学ぶ「ピースフルコミュニティ」が生まれている。出てきた問題に対処療法的な手を打つのではなく、根源的なアプローチで「文化」とも呼べるものを時間をかけて培う、これこそ教育にできることだと希望を感じまし

    • 虹の中で暮らす

      雨上がりに、虹をみました。 虹の始まりのところにちょうど家があって、「虹の足」という詩を思い出しました。 虹の中にいると、きっとそれが見えないからわからない。 でも虹を外から見る人には、それが見えるのです。 私たちも、実は虹の中でキラキラ生きているのに、それに気が付いていないだけなのかもしれない。 幸せな私たちを盲目にしているものは、なんだろう。 世界はこんなにもシンプルで、それでいて豊かなのに。 自然農の畑にお邪魔してピクニック。 寝っ転がって空を見上げたら

      • 本当に大切なものだけを

        クリスマスには「プレゼントペット」が欲しいと娘が言うので、きっとそれほど遊ばないだろうになあと思いながら仕方なく承諾した。だってこの人形、自分で箱を破って出てくるというのが最大の売りで、そこがピーク。箱から出てきた段階で、もはやトキメキの8割は終わっているだろうと推測できるのだ。 そんな予測の元でのクリスマス。娘が箱についたタグを緊張の面持ちで引っ張ると、犬の鳴き声と共に箱が揺れ、なるほどそこそこのワクワク感。でもしばらくして、中身が出てこないまま動きが止まってしまった。同

        • 何になるかではなくどう生きるか

          私が勤務する学校に認定NPO法人CFFジャパンの青年たちが来てくれるのも、今年で3回目。今回も、熱く語る大学生たちの姿に私自身が何より励まされ勇気をもらいました。 依頼していた企画が終わっての振り返りでは、大学生が1人ずつ、出逢った高校生たちのことを丁寧に話してくれました。とても謙虚で真摯で、一生懸命に語る姿に、私は静かに感動していました。 私自身がCFFで活動をしていた頃から、仲間と互いに問いかけ合い大事にしていた言葉があります。その1つ、「何になるかではなく、どう生き

        感情を評価しない

          内的権威と外的権威

          中学に行くのをやめた女の子が、和歌山にある「きのくに子どもの村学園」に見学に行ってきた感想をシェアしてくれました。 その中で、エーリッヒ・フロムの「権威」の話に出逢いました。 権威とは他の人を従わせる力で、ひとつは、権力、肉体的苦痛、罰則、辱め、社会的地位などに基調をおく「外的権威」。権威主義が拠り所としてるところです。 もうひとつは「内的権威」で、その人の人柄、学識、能力などから自然にかもしだされる権威。 外的権威は権威者が自らに付与し他に要求するものだが、内的権威

          内的権威と外的権威

          おまもり

          大学時代、東京で1人暮らしをしていた時のこと。 あれは、なんの集金だったのだろう。電気かガスか、もしかしたら新聞だったかもしれない。大学の先生に「新聞くらい読まないとダメだ」と言われ、無理をして新聞をとって気になる記事をスクラップしていた時があった。インターネットもない時代。地味に新聞を読み比べることでしかリテラシーを鍛えることができなかった時代。 毎月集金に来るそのおばさんは、いつもニコニコ笑っていて、ちょっとした物を差し入れてくれた。袋菓子とか、コンビニのケーキをもら

          おまもり

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          EdCafe『学校の本質は何かを考える』

          ドキュメンタリー映画「みんなの学校」の舞台である大空小学校の初代校長木村泰子先生と、熊本大学の教育哲学者苫野一徳先生を囲んで、茨城県教諭が対話しながら学びを深めます。茨城県教育研修センターの企画です。 ・・・・・ 社会の本質は、自由の相互承認であること、そのために自由承認の感度を育むことが公教育の使命であること。 人間が感受性レベルで変化した精神の大革命以来、制度的土台として発明された憲法、そして教育と福祉。 近代化に伴って均等な人間をつくることに目的をすり替えられてしまった教育の役割とこれから必要な変革。 決まりに従わせるだけの教育は、子どもから考える力を奪い、無力にしているだけではないだろうか。 自由になるために教育がある、だとしたら、学校という規制された自由の中で自由を行使して安心して失敗できることが、学校の大きな意義なのではないだろうか。 社会に出た時の不条理に免疫をつけるための「受動的忍耐」ではなく、社会の不条理に遭遇した時に根気強くそれを改善していこうと試みることができる「能動的忍耐」を育むことの大切さ。 学校の「当たり前」を問い直すことで、これからの教育にできることはたくさんあります。

          EdCafe『学校の本質は何かを考える』

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          人生の地図

          大学時代からの友人と4人で、ズーム飲み会しました。誰もお酒飲んでなかったけど。 フィリピンでの活動を一緒にしていたので、付き合いが長いだけでなく、いろんなことを語り合ってきたから気心も知れた仲間。そもそもの興味関心や人生における課題も似ているのかも知れない。いくら話しても尽きることなく、夜は更けていきました。 近況報告したり、来た道を振り返ったりしている時間は、まるでそれぞれの人生の地図を広げて眺め合っているようでした。簡単には見せられない、きっと人には見せてもわからない

          人生の地図

          あの日の空は

          特定非営利活動法人CFFのスタッフとして、フィリピンの現地スタッフと一緒にワークキャンプの準備にあたっていた時期がありました。あれはもう15年以上前。 2週間のワークキャンプで日本人とフィリピン人が共同生活をしながらその地域に必要とされる活動を行う訳ですが、大切にしているのは「目に見えて整えられる物」と同様に「個人の心の中に生まれる変化」です。 フィリピンはキリスト教の国なので、私たちも聖書を読みます。そこから人生のヒントやフィリピンという国を知る手がかりを得ます。ワーク

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          Green School in Bali

          いろんなところで、いろんな人にお話しする機会はありましたが、自分のためのまとめがおろそかでした。昨年8月にオープンデイに参加した時に見たことや、それに付随したまとめです。 オープンデイは、移住&入学を検討している家族に向けた1日体験のようなもので、敷地内の見学はもちろん、先生や保護者のみなさんとのシェアリング、バリの文化体験も盛りだくさん。 「世界を持続可能にする学習者のコミュニティ」と言うだけあって、校内のあらゆる物が環境に配慮されています。校舎は、生育が早く環境負荷が

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          身体は知っている

          右肩が重く痛みがあり、二の腕にもしびれがあるので施術をお願いしに行ったところ、実際施術されたのは左側の骨盤と左足の脛だった。そして、肝臓。 どういうことかを聞いてみたところ、一番の問題は「前頭葉の使い過ぎ」で、それが左側に出ているらしい。肝臓は、怒りをためすぎている、と。 私は実際、思考が強すぎる。何かを思って発言しようとする時、瞬時にいろんな人の立場で状況を捉えなおして、解釈しなおしたり落としどころを見つけたり、勝手に一人で納得してしまうから口にしないことも多々ある。思

          身体は知っている

          感覚で世界を見る

          友人による、ヨーガを巡る座談。 今日の話は、思考よりも感覚を使って世界を見るということ。思考は、物事に良しあしをつけてしまう。排他や否定が生まれてしまう。一方で感覚を見ていくと、これを表す形容詞は、「心地よい」とか「狭い」とか、自分が感じる事実であって良しあしをつける必要がない。 「分別がある」とは良い意味でつかわれる印象だが、サンスクリット語で「分別」は「ヴィカルパ」、意味としては「実態のないものをあるかのようにして見る」ということ。これは、暴走すると相手や自己を否定す

          感覚で世界を見る

          新しい社会

          zoomで、奥田知志さんの講演会。 ホームレス支援をされている牧師さんということは存じ上げていましたが、こんなにも話に引き込まれてしまうとは。パソコンの画面上であっても、人の気持ちは十分に伝わりますね。胸が熱くなりました。 印象に残ったことをメモ。 ・例えば、アルコール依存症の方に対して、「お酒を飲まないなら引き受けると」は間違い。「引き受けるからお酒は飲まないで」相手に条件をつけるのではなく自分が覚悟して引き受けるから相手が変わる。 ・病気以外の現象として今見られる

          新しい社会

          安心して学べる場

          今日は、ZOOMでの木村泰子先生を囲む会に参加しました。 木村先生は映画「みんなの学校」の舞台になった大空小学校の初代校長先生。まだ映画をご覧になっていない方、機会を作って是非に!もうこの映画の話だけでも延々と話ができます。 タイトルの「安心して学べる場」は、まず今日のスタートに出た話題です。 「安心して学べる場」とはどんな場か? 何を言っても聞いてくれる空気があって、間違っていたら間違っていると言ってくれる関係性がある。つまり、そこに信頼があるということ。自分の考え

          安心して学べる場

          『対話する社会へ』

          「戦争・暴力の反対語は、平和ではなく対話です」 という帯に、まずハッとさせられました。 そもそも対話とは、人類が持つ特権の一つであり、人間の本性にもっとも添ったコミュニケーションの手段でした。人間同士をつなぎ交流させ、個人を成長・発達させる場であった対話は、民主主義の培養土でもあった、と。 それは、勝ち負けを決めるものではなく、意図的にある結論に持っていたり異議を許さないものではない。 対等な人間関係の中での相互性がある話し方で、論点を往復しているうちに新しい視野が開

          『対話する社会へ』

          魂のいちばんおいしいところ

          少し前に、ふとしたことから谷川俊太郎さんの詩集を読み返しました。 好きな詩はたくさんあるのだけれど、やっぱりここで立ち止まる。 「魂のいちばんおいしいところ」 神様が大地と水と太陽をくれた 大地と水と太陽がりんごの木をくれた りんごの木が真っ赤なりんごの実をくれた そのりんごをあなたが私にくれた やわらかいふたつのてのひらに包んで まるで世界の始まりのような 朝の光と一緒に 何一つ言葉はなくとも あなたは私に今日をくれた 失われることのない時をくれた りんごを実らせた

          魂のいちばんおいしいところ