【ガールズクリエイション】ガークリの魅力的な藝術家たちについて(レンブラント・レイニーを例に)

はじめに

レンブラント・レイニーという魅力的すぎる最悪女の話をします。

 優れたシナリオとテーマへの真摯さ、魅力的なキャラクター。その全てがあるからガールズクリエイションをやれ!

 という話は以前にも熱く行ったところです。そこではブグロー先生を題材に僅かにその魅力にふれています。「また擬人化蒐集モノか」と思った人はどうか待って欲しい。本noteのレンブラント・レイニーの紹介だけでも読んでから判断してほしい!!! そしてもしキャラクターに信頼を持てたもののシナリオにまで安心してよいかわからないなら、以下のnoteにも触れてみてほしい。きっと心配は取り払われるはずです。

 私は特にロダンのようなものとブグロー先生を上のnoteで特筆しましたが、ガールズクリエイションにおける主人公陣営、夢幻美術館所属の藝術家たちは皆一癖も二癖もある性格をしており、その誰もが魅惑的です。

 今日はその中のひとり、ロダンのようなものとブグロー先生に並び私の大のお気に入りであるレンブラント・レイニーという夢幻美術館所属の藝術家を挙げてシナリオもキャラもテーマもそして美術も音楽も素晴らしいからガールズクリエイションをやってくれという話をします。


「敵」――レンブラント・レイニー

 夢幻美術館所属の藝術家レンブラント・レイニー。彼女を特に愛する館長(プレイヤー)たちは、半ば冗談めかして彼女を指してこう言います。

レンブラントは敵

 もちろん事実としてレンブラントは敵ではありません。ダヴィンチのようにライバルの自警組織に属しているというわけでもなく、彼女は正式な夢幻美術館の一員であり館長(キャラクターとしての)の絶大な信頼を得ている「仲間」であり、初期プレイアブルキャラクターです。

ガークリでは「藝術」と「芸術」のゆれがありますが本noteでは「藝術」に統一します

 彼女がなぜ冗談めかして「敵」とまで呼ばれるのかは、少しだけガークリの世界に触れなければ鳴りません。

 ガークリの物語の主な舞台は藝術都市アテネスです。文字通り藝術の都であり、洋の東西を問わず様々な藝術家やコレクターがアテネスにはおり、またこの世界において藝術を強く求める人の多くはアテネスへ行くことを強く希求しています。

 この藝術の都アテネスにはそこが藝術の都だからこそ頻発する特異な犯罪が存在します。「藝術犯罪」です。ガークリの世界において藝術作品をつくりあげるとそこから人間の少女のような存在である「イマージュ」が羽化することがあります。一般にこの「イマージュ」は人間同様アテネスの人々に親しまれ、愛されているところです。

 一方、強烈な憎悪や害意をもって藝術作品を作成すると「死の藝術」と呼ばれる危険物が生まれます。これは悪意をもって統制し被害を与える武器として用いることもできますし、基本的に放置しておくと自律して害を撒き散らします。つまりガールズクリエイションというゲームにおいて「死の藝術」は根絶すべき敵です。作中辞書にはっきりとそう明示されています。

 「死の藝術」は有害です。強い怨念をもって像や絵画を創り上げ、「死の藝術」として運用する――それも勿論危険であり犯罪なのですが、「死の藝術」はその性質上「作成過程」が犯罪的であり得ます。つまり、人を害して血肉を素材にするような類があり得ます。「作成過程」と「生み出されたもの」がどちらも危険なため、「死の藝術」ひいてはそれを生み出す「死の藝術家」は容認されません。公的な法執行機関である「アテネス市警」も自警組織である「新藝術騎士団」ならびに「夢幻美術館(主人公陣営)」も「死の藝術」と「死の藝術家」を容認しません。

 しかし、アテネスは「藝術」の都です。そして「死の藝術」とは「死の」を冠しているものの「藝術」ではあります。つまり、アテネスはあまりにも美的に洗練され過ぎているため、「単に武器として有用だから」ではなく「藝術的だから」という理由でこれを求める人がしばしばあらわれます。

 当たり前の話ですが、需要がなければ供給もありません。「死の藝術」は単に売れないのではなく「犯罪」です。ただ売れない画家がやっていくだけでも大変なのに、「犯罪」を犯さねば「死の藝術家」であり続けることはできません。

 つまりこの極めて高い要請を満たすだけの需要がアテネスには存在し、こういった需要側も夢幻美術館が市議会や市警、時にはライバル組織である新藝術騎士団と協調して取り締まるべき「敵」です。

 簡単な事前説明は終わりました。レンブラント・レイニーの話をしましょう。

 彼女は自警組織としての夢幻美術館における「死の藝術家」の専門家です。夢幻美術館の高度かつ広範な「死の藝術」ならびに「死の藝術家」関連の知識は彼女個人の知識によって多くを支えられています。

 製作から流通、危険性まで夢幻美術館の知識はレンブラント・レイニーを中心にした「勉強会」に依存します。彼女は「死の藝術」が絡むと必ず自分も関わりたがるほど、夢幻美術館による「死の藝術」との戦いに積極的です。

 初期配布としてプレイをはじめた段階で手元にいる☆3のレンブラントの入手ボイスが以下であるのは特徴的でしょう。

 わざわざあのような事前説明を行ってからこの少女に触れたので、普通の勘を持っている方ならもうお気づきでしょう。こいつ「死の藝術」関係者だな? と。そのとおりです。

 レンブラント・レイニーは「死の藝術」のコレクターです。「藝術犯罪」における需要側の典型例と言えるでしょう。彼女の活動拠点は藝術都市アテネスでも「暗部」と呼ばれるノワール地区です。

 レンブラントによる「死の藝術」の購入は稀なことではありません。彼女が上から目線で接し、ブローカーがへこへこと平身低頭になるほどの「お得意様」が彼女です。アテネスにおける「死の藝術」コレクターとしての上位に在するのがレンブラント・レイニーであるわけです。

 そんな「裏社会」と太いパイプを持つレンブラントがなぜ「表社会」の最も光の当たる場所、アテネス唯一の美術館、夢幻美術館への所属を希望したか。その理由は極悪です。

 契機はこれです。裏で有名な「死の藝術」コレクターである「例のじいさん」の死。当然、死後その危険物はアテネス市警が押収済です。ブローカーは「まだ隠されているものがある。そこにこそ極上の品がある」と睨んでいますが、なにぶん彼らは裏に染まりきっています。しかし、レンブラント・レイニーは違います。

 彼らに言わせればレンブラント・レイニーは「表の世界」の住人です。これは彼女が「浅い」ということを意味していません。「極めて慎重」であることを意味しているのです。つまり、レンブラント・レイニーは「死の藝術」コレクターでありながらアテネスで最も強力な夢幻美術館と関わっても問題がないくらい表向きクリーンなのです。

 これは彼女が「浅い」のではなくむしろその逆、普通にクロであるよりもよほど黒い、漆黒と言ってもいいくらいクロであることを意味しているわけで、ブローカーは同じ穴の狢でありながら光の側に存在することのできるレンブラント・レイニーについてアイロニーをもって表現したわけです。レンブラントはそれに当然気がついていて、その「皮肉」を気に入らないと告げていますが、ブローカーがレンブラントに与えたこの情報はレンブラントが彼を脅したがために「今後も高配を賜る」べくブローカーが彼女とのパイプを維持するためやむを得ず吐いたコストであり、彼が皮肉のひとつも口にしたことは単に責めを負う悪趣味と言うにはレンブラント側がやや苛烈です。

 つまり、「裏社会」のルートからは入手できない「死の藝術」を「表社会」のルートを通って入手する――これがレンブラント・レイニーの夢幻美術館所属動機です。「クリーン」な彼女にしかできない、「表も裏も両方使ってコレクションする」という並の「汚れた」コレクターには不可能な芸当を彼女はやってのけているわけです。「裏社会」にも「表社会」にも両方身を置いて良品を手に入れる。これがレンブラント・レイニーの動機の全てです。

 この動機からレンブラントとプレイヤーの映し身である夢幻美術館の館長が初対面を果たすことになります。

 夢幻美術館は「死の藝術」と戦う自警組織であると語りました。しかし先のとおり夢幻美術館は「アテネスで唯一の美術館として高価な美術品に大衆が触れる機会を与える」という別の側面も持っており、こちらが夢幻美術館本来の役割です。

 そこにレンブラント・レイニーは「実力」をもって乗り込みます。つまり、「コレクターレンブラント」ではなく「藝術家レンブラント」として夢幻美術館に彼女の「藝術作品」を提供しに訪れた――という体裁で彼女は館長を訪ねたのです。

 メインストーリー開始時点の夢幻美術館は機能が破綻しており閑古鳥が鳴く状態で、これの立て直しが急務でした。レンブラントはメインストーリー開始時点で夢幻美術館に所属しており、つまりこの初対面は前・メインストーリーのやりとりなわけです。

 美術館機能をとにかく立て直したい館長にとって、「あのレンブラント」が元ネタである「藝術家レンブラント・レイニー」の作品が審美眼に適う素晴らしい作品であることは論を俟ちません。

 こうして彼女は館長の歓心を買うわけですが、これでは彼女が身銭を得られるだけで表社会とのパイプはできません(彼女はこうして表社会で売れているからこそ、「死の藝術」を爆買いできているわけですから、わざわざパトロンを増やすことに特別なベネフィットはありません)。

 そこで、彼女は「自警組織・夢幻美術館」の正式メンバーに加わりたいと強く要求します。

 夢幻美術館には人も金も作品もありません。レンブラントのような突出して有能な人材が自分から飛び込んでくることはあまりにも館長にとっておいしすぎます。ですから彼は当然歓喜します。

 しかし、「できすぎている」のもまた事実です。ガールズクリエイションの主要なキャラクターは基本的にやたら頭が回ります。館長も例外ではありません。渡りに船だと思いながら話がうますぎると思うのです。

 レンブラントはここまで読んでいます。ガールズクリエイションの主要キャラクターはやたら頭が回ると先述しましたが、彼女はこれを想定問答として事前準備をしていました。

 レンブラント・レイニーは「死の藝術」により呪われています。これは事実です。彼女の外見は美術館の藝術家としては最年少格に見えますが実際は逆で最年長格です。

 つまり、この外見の頃からずっと呪われた少女であるという事実を彼女は館長に示すことができます。夢幻美術館は市議会議員を兼任しているアングルと通じて行政にもパイプを持っていることもあり、レンブラントの公的な情報を確認すれば実年齢と外見が乖離していることは容易に知ることができます。ここで嘘を吐いてもすぐバレるのでそんなことをする意味はなく、当然に事実であると館長も受け入れます。

 彼女が呪われていることも、呪いを解く方法を探しているのも、難航して困っているのも事実です。つまり、彼女は嘘を言っていません。しかし欺罔行為を働いています。レンブラント・レイニーはそれをさほど大したことだとは思っていないのです。

 この外見で年齢がストップするような頃からレンブラント・レイニーは死の藝術を蒐集しており、彼女が「死の藝術」をコレクションしているからこそ、そんな環境で生活しているレンブラントは幾重にも呪われているのであり、これは完全に自業自得です。何か大義があって集めているのではなく、「死の藝術」に惹かれているので集めている、審美眼に適うから蒐集しているというのが彼女の姿勢であり、それで呪われるなら望むところ、解決できるならそれに越したことはないが呪われること自体は必要なコストであるわけです。

 そして、彼女にとっては単なるコストに過ぎないものは当然表の日の当たる場所に生きている人にはとても深刻にうつります。そこで彼女は美術館に所属したい理由を告げるのです。

 夢幻美術館は「死の藝術」への表だった対処組織として市議会や市警と連携しており、個人研究だけでなく美術館所属である方が知識の集積が進み呪いを解くという自身の目的に適うとレンブラントは語るのです。つまりこれは「うまくできすぎた急な話」ではなく「きちんとした理由」があるのだと証拠に基づいて説得的に語るわけです。まあ全部欺罔行為なのですが。

 館長は作品から既にレンブラントの「藝術家」としての価値を認めているところですが、レンブラントは追撃するように「自警組織・夢幻美術館」が自分を正式なメンバーに加えることのベネフィットを語ります。

 彼女は「死の藝術」に呪われた存在であり、ゆえに呪いを解くために誰よりも真摯に「死の藝術」を研究している。だからこそ自分の知識は自警組織という側面でも役に立つと語るわけです。

 「流通」に関する知識も話す――つまり「使えない/悪質なブローカーとそのやり口」は夢幻美術館に垂れ流して潰す。夢幻美術館にとっては正義の実行であるし「死の藝術」コレクターとしては公に自分の名前を出さずあくまで夢幻美術館がやったこととして気に入らないものを消す。Win-Winです。館長も納得しかありません。

 まじふざけんなよ……

 こういったわけで、「死の藝術」の呪いを解きたいし自分のような子を生み出さないためにも知識を総動員して戦う正義の少女レンブラントちゃんは鼻息荒く「さっそく力になりたい」と宣言するわけです。

 館長は「それならちょうど手伝ってほしい案件がある」とその「偶然」に感謝します。裏で有名な「死の藝術」コレクターが死亡し、市警が処理を終えたものの未だ完遂できていない、回収されていないものがあるのではないかという疑惑を純粋な危機対策意識として夢幻美術館は持っていました。警察や自分たちの知識ではこれ以上は何もなさそうだ。しかしもし「死の藝術」に詳しい人間が現場を見たならば――? これはぜひとも早速行われるべき仕事であるわけです。しかし、まあ。

 こいつまじふざけんなよ。

 実際、彼女は「死の藝術」への知識と彼女自身のとある「藝術的センス」からあっさりと誰にも発見できなかった隠し部屋を発見します。彼女はエクスクラメーションマークをつけるほど大喜びします。

 未然に危険な死の藝術を回収できることがそんなに嬉しいんだなあ。正義感に溢れてるなあ――んなわけねえのです

 ちなみに、彼女は僅かな陰影を発見した自分の手法について館長に説明していますが、そんなことはどうでもいいというくらい心が躍っています。マジでどうしようもないです。

敵だね。

 彼女は発見した「死の藝術」を破壊するつもりなどさらさらありません。全く、これっぽっちも微塵もありません。

 ブローカーの言葉は本当でした。隠されていた「死の藝術」は極上です。これであの人は「使える」ことがわかったのでレンブラントちゃんに潰されずに済むでしょう。たぶん。よかったねえ。こわ。

 絶対に破壊しない――夢幻美術館の藝術家ならあり得ない思考を彼女はしています。当然です、それがほしいのですから。

 挙げ句の果てにさらっと暴力と隠蔽工作まで思考を巡らせています。

 お前マジでなんなの?

 ちなみに「死の藝術」と因縁のある館長は一目でそれを「強敵」と認識しました。

 実際、レンブラントは攻め手を欠いているように館長には見えます。館長はずっとハラハラしながらレンブラントを見守っているのです。

 しかし、レンブラント・レイニーはぼーっと考えながら壊さないように慎重に立ち回っているだけであり、この「死の藝術」を全く脅威と見なしていません。むしろ「雑魚」だと思っています。

 このレンブラントの姿勢は「例外的なこと」ではなく「いつものこと」です。致死的であり得る「死の藝術」に対し、「鑑賞」するためにまともに相手をせずひょいひょい回避ばかりしているのは彼女の常です。

 一見「ゆるふわ」に見えるものの洞察力と判断力がプレイヤーに恐怖を感じさせるほど優れているドナテッロはその本質を適切に見抜いています。

 「生半可な「死の藝術」ではレンブラントの相手にならない」のは夢幻美術館の常識です。アルテはなので雑魚をさっさと始末しないレンブラントの姿勢について理解に苦しむものとして扱っています。「夢幻美術館にとって「死の藝術」は発見即破壊すべきもの」です。レンブラントが何をやっていたのかは異常に洞察力が鋭くなければ彼女達の常識に照らしてあり得ないことをレンブラント・レイニーはしているので、わからないのです。

 しかし、メインストーリー開始前、初対面の館長とレンブラントの間にはその実力についての信頼関係がまだありませんでした。上掲の別場面の「死の藝術」は本当に雑魚の中の雑魚、特別に作られ子供も殺さないレベルのものでしたが、二人が初めての事件で対面した「死の藝術」は館長の目から見て完全な危険物です。そして、攻め手を欠くレンブラントは館長の目には苦戦しているように見えました。

 だからこそ、館長からして致命的に見えた「死の藝術」の攻撃から、館長は身を挺してレンブラントを守ります。「死の藝術」相手に回避ばかりして舐めプするのはレンブラントにとっていつものことで、しかも館長から見れば「強敵」のそれはレンブラントにとってみれば「弱い」ので守られる必要はありませんでした。

 だからこそ、彼女は館長の無理を指摘するのですが、館長にとってそれは無理ではありません。

 ガールズクリエイションにおいて藝術家と彼女達が生み出したイマージュは藝術魔法を扱うことができ、館長のような(正確には館長も常人ではありませんが)常人には藝術家を文字通り肉弾戦から守ることはできません。

 それでも美術館の館長は所属する藝術家を守るものです。たとえば全く売れていないゴッホや批評界で全く評価されず落選を繰り返すマネらを「夢幻美術館は評価する」として庇護下に置いているのは彼の強い責任感によるものです。彼は所属メンバーを絶対に守ります。そして、それは社会的・金銭的なレベルに留まらず暴力沙汰でも彼女達が危機に陥っているならば身を挺してでも守ろうとするのが館長なのです。

 レンブラントはそういった「善意」を利用しますが「無碍」には絶対にしません。館長が夢幻美術館所属の藝術家として自分を扱い守るならば、「この案件」についてはもう諦めねばならないと判断します。彼女にはそういう一線があるのです。

 やだなあ、しゃあない壊すか。

 「そうなってしまった」レンブラントの異常さはこの「死の藝術」を「強敵」と判断した館長にも一目でわかるものです。

 「すごい殺気」なのですが、レンブラントにとっては「仕方ない壊すか……」というちょっとしょんぼりした気分混じりのものです。本気の本気を出しているわけではありません。彼女にとって「これ」は雑魚なのです。

 その宣言通り、「強敵」を「無傷で確保できる」と判断して舐めプしていたレンブラントは、「一撃で」それを破壊しました。この女はただでさえ強い夢幻美術館所属の藝術家たちの中で、彼女達の戦いを見ている館長からして「強敵」である「死の藝術」をその気になれば「一撃必殺」できる程度に強いのです。見た目は最年少格ですが、実際は最年長格です。しかも「鑑賞」という悪癖から毎回「死の藝術」との戦いは長引かざるを得ず、彼女の対「死の藝術」戦の経験値は文字通り「年季が違う」わけです。

 彼女が常在しているノワール地区とは少女が足を一歩踏み入れれば即荒くれ者が絡んでくるほどの無法地帯です。そこに少女の姿をした彼女が当たり前のように日常的に存在しているわけですから、彼女は異常者なのです。強すぎるのです。

 つまりレンブラント・レイニーは「暗い目的」とそれに裏打ちされた「暗い強さ」を持った少女なのですが、今までの夢幻美術館では成し遂げることのできなかった「深い知識に裏打ちされた「死の藝術」への対処」のはじめての鮮やかすぎる実践。館長は闇の少女に光を見ました。

 これで終われば影が光へ一歩踏み出す良いお話なのですがそうではありません。「光あるところには闇がある」――自分に光を見出したならばそこには必ず闇があるのだと彼女は一人になって呟きます。

さすが年長者だけあって上手くいかなくても狼狽えません
館長に興味を持ってくださったようです
うん……?

 「死の藝術」はその本性からして悪性・暴力性に満ちています。だからこそ破壊すべきなのです。しかし、「それをただ単にコレクションする」とはどういうことかをこの話の結末が示しています。

 「そうありたい自分」を完全に抑制される拷問的状況に「コレクション」された「死の藝術」たちは苦悶の叫びをあげます。そして、それを鑑賞してレンブラント・レイニーは恍惚とするのです。

 苦しみ嘆く「死の藝術」を眺めながら笑顔で今日は失敗してしまったレンブラントは呟きます。

 敵だね。

レンブラント・レイニーの光と影

 レンブラント・レイニーは鋭い知性を持っていて、裏社会と太いパイプを持つだけあってそれを上手く扱います。彼女は呪われた少女でありながら、それ自体を武器だと思っています。

 「幼い少女の外見」は彼女によって幾度も「大したことない相手」として相手の油断を誘う武器として自覚的に活用されます。ただでさえ強いレンブラントは、基本的に相手を欺瞞した上で攻撃してくるのです。

 「死の藝術」のブローカーのような人間にとって、レンブラントは成功した藝術家であり財を成しており、絶対に手放したくないお得意先であると同時に手を出してはならない本当にヤバい実力者なのであり、それを知らないチンピラは油断を突いたレンブラントの攻撃により一瞬で無力化されます。

 つまりレンブラントはただでさえ強く賢いのに、慎重に慎重を期して常に頭を使って目的のために生きているのです。そんな彼女にとって、目的のために死力を尽くす人間は好意と敬意に値します。彼女にとっての館長がそれです。

 館長は美術館の運営と「藝術犯罪」への対処という実務をこなすだけでなく、啓発に非常に積極的な、日常に常に勉強を取り入れ向上を図っている人間です。その啓発は自身に留まりません。

 「死の藝術」について表社会にいる人々はあまりにも知識が足りません。ゆえに館長はレンブラントを中心とした勉強会を開き、夢幻美術館所属の藝術家皆について「死の藝術」に関する深く広範な知識を共有しようとします。

 ひいては、来館した一般市民の不安に適切な対処法で応え、「レンブラントの教え」をアテネス一般に広げたいと考えています。「自警組織・夢幻美術館」の目的にそれは適っており、そのための努力は尋常ではありません。ゆえにこそレンブラント・レイニーはそれが完全に達成されると困るものの、館長のそういった姿勢自体はとても好ましいものだと思っているのです。

 館長は「藝術犯罪」とは全く別種の研究会にも属しており(それは「ワールドイミテイター」という連続イベントで取り扱われます)、とにかく冷静沈着で知性があり地に足の付いた考えをする人です。「藝術犯罪」が起きたときも彼は慌てません。しょせん自警団に過ぎない夢幻美術館は必ずアテネス市警と連携して動きます。一歩目としてまず警察に連絡を入れるのです。理知的かつ合目的。レンブラント・レイニーが好むタイプの人間です。

 しかし、館長にとってみればレンブラント・レイニーの方がすごいのです。

 これは単に感覚を口にしているのではありません。館長にとって自分の姿勢は「館長の責任」を果たすという義務の遂行です。つまり、館長にとってみれば自分のやっていることは「やって当たり前、これができてはじめて館長に値する」程度のことでしかないわけです。彼にとってのレンブラントは違います。

 レンブラント・レイニーの「死の藝術」に関する研究はあくまでもその呪いを受けた自分のためのものです。コストを支払って皆と共有する義務はありませんし、知識を金に変えることだってできます。しかしレンブラントはそうしません。無償で夢幻美術館に自分の知識を共有します。既に売れているレンブラントはゴッホやマネのように美術館の庇護を必要としないのです。にもかかわらず彼女は美術館に所属し、皆のために心を砕いています。

 もちろんレンブラントにとってみればそれは取り繕っているのであり、彼女は「共有したら困る」ことは決して共有しません。たとえば自分が「死の藝術」をコレクションしている、などということは。

 だからこそ館長に褒められるたび否定する彼女なのですが、館長にしてみればあのときはじめて夢幻美術館を訪れてからずっと、レンブラント・レイニーは夢幻美術館や自分に「与え続けてくれている」存在です。レンブラントが自分たちにしてくれたことのお返しを、自分たちは何もできていないのです。

 レンブラントにしてみれば「夢幻美術館所属」であること自体が既においしいです。「表社会の情報網」は彼女にとって是非とも維持したいものであり、そのためにコストを支払い続けることは妥当な戦略です。ゆえに、既に欲しいものは手に入れているレンブラントにとって館長の申し訳ない、何かしたいという気持ちは色々な意味ですわりの悪いものです。

 しかし、自分が意図的に館長を欺瞞しているわけですから、館長がそういう気持ちになること自体はレンブラントにも理解できます。それを放っておけない館長の強い意志も評価に値します。だから、彼女は「あの「死の藝術」を入手する手段」を敵の猛攻をぼんやり凌いでいたときと同様、いつもの「何か適当に言っておく」戦略を採ります。

 面倒臭いのは、折れない館長はレンブラントにとって面倒臭いのですが、そういう折れない目的に真っ直ぐな人がレンブラントは好きです。面倒くさいなあと思いつつ好感度が上がっているのです。実にめんどくさい。そこから適当に言い繕った結果がこれでした。

 これはバグです。レンブラント・レイニーが戦略的に動くならこの発言はあり得ません。彼女は賢いので即座にヤバい発言をしたことに気がつきます。

 彼女は「年季が違う」ので考えずに適当にものを言ってもだいたいのことはその培ってきたその場しのぎのセンスでなんとかうまくやれます。しかし、このときはバグりました。明らかにハイリスクなことを自分から要求してしまったのです。彼女は自分が割と館長を気に入っていることに自覚的ですが、館長への好感度が滅茶苦茶高くなりつつあることにはこのとき無自覚だったのです。

 そして、館長は地に足の付いた考えをする人間です。距離を近くと言っても具体的にどうしたものか、となります。コミュニケーションをセンスでやっている人間はそんなことは考えないわけですが、レンブラントや館長はそういう人間ではなく、地に足が付き、しっかり物を考えて言行を出力する人間なのでそういう所をパッと済ませず擦り合わせようとするのです。そこからのレンブラントの出力がこれです。

 このときのレンブラントにはあまり自覚はありませんが、レンブラント・レイニーという仲間はめちゃくちゃ甘えたがりな性分をしています。

 そのくせ、レンブラントは美術館の理念と完全に対立する絶対に明かせない秘密を館長に対して最初から抱いています。

 館長がこう問うとき、レンブラントは顔に出るほど同様します。本人に自覚があるかどうかはわかりませんが、彼女には「黙っていても思考が顔に出る」という癖が公式設定としてあります。

 館長にこう問われたとき、レンブラントは当然自分の秘密に館長が足を踏み入れたのではないかと思い、焦り、苦しむのです。けれど、「いつもみんなのために頑張ってくれて何も求めない」レンブラントを見る館長からはそれが違ってうつります。

 レンブラントはいつだって周りに気を遣っていて、いつだって一生懸命で、それが無理になっていないか不安なのです。何かあるたびにびくりとマイナスな感情が顔に出るレンブラントに、館長としてどうにかしてあげたいのです。それは美術館を守るという館長の責任からくる当然の義務でもありますし、レンブラントという個人を好いている館長という個人の想いでもあります。

 レンブラントはバグって「遠慮するな」を出力しましたが、館長には遠慮しないことを求めるくせに自分は遠慮しているように館長には見えます。これはレンブラントからしてみれば当然で、一線を引いていないと全てが喪われかねないので遠慮せざるを得ないのです。

 レンブラントにとっては自業自得でそんなに気にしていない、解ければ御の字、進捗が悪いけどまあコレクション作業よりはどうでもいいか程度の呪いも館長はひどく心配しています。本当はとても苦しいのに無理して隠しているのではないかと。

 レンブラントは何とか表面を塗り固めてその場を去りますが、館長はそれでも納得しませんでした。絶対にレンブラントは無理をしているし、それはよくないことで、なんとかしたいのです。なぜなら館長にとってレンブラント・レイニーとは、

 生真面目で優しい、絶対に放っておけない女の子だからです。

 レンブラント・レイニーは自分が本質的に「ひとりきり」であることをそうあるべきだと思っています。彼女はそもそも大勢の輪に入るのが好きではありませんし、ぎゃあぎゃあやかましいのも好きではありません。

 ですがそれ以前の問題として彼女は「ひとりきり」でなくてはならない、特に夢幻美術館のような陽の当たる場所の人たちと同じところにいてはならないと思っています。

 彼女は「死の藝術」をコレクションしながら、それが社会的に是認されることだとは全く思っていないのです。だから世間、館長のような人には顔向けできないし、呪いのことも自業自得だとして誰にも八つ当たりしません。そして、一人納得します。

 この時間が彼女にとってしあわせな時間であることは事実です。つまり、苦悶の声をあげる「死の藝術」を鑑賞している時間は彼女にとって至福のひとときです。「死の藝術」とは時に以下のレベルの行いが生きている人間に適用され作成されるものです。

 レンブラント・レイニーが「死の藝術」に親しみコレクションしているというのは、このレベルの作品をも出来さえ良ければ愛しているということです。彼女が「死の藝術」を見るとき、その評価は「善悪」でも「強弱」でもなく「審美」によって評価されます。「弱い」「死の藝術」でも彼女にとっては価値を認めうるものです。

 「死の藝術家」相手でも義憤に駆られるのではなくその作品を見せてくれるというなら興奮して飛びつきます。

 そして、残虐性それ自体にレンブラント・レイニーは中立です。「死の藝術」が残虐なことをしているから好んでいるのではなく、それがもつ藝術的側面に惹かれているのが彼女です。つまりどれだけ残虐であっても審美眼に適わなければ彼女にとってそれはゴミも同然です。

 「どれだけ残虐にやったか」ではなく「その作品がどれだけ藝術的なのか」が彼女にとっては大事なのです。逆に言えば残虐にやってしまっても出来がよければ彼女にとってそれは愛好に値するのです。

 そして、そんな人間が陽の当たる場所にいてはならないこともレンブラントは承知しています。その上で、「表社会の情報網」が欲しいから光の下にでてきたのがレンブラントです。彼女が「表社会」の人間だというのは、あのブローカーが言うようによりその闇を深める皮肉なのです。

 だからこそ、レンブラントは好悪以前の問題として「ひとりでいるべき」だと考えています。自分が夢幻美術館という光に属さないことを彼女自身が一番よくわかっているからです。

 だからこそ、館長はレンブラントに贈り物をしました。燭台と蝋燭。それを二人で闇の中、泉の前で灯します。

 レンブラントはその明暗に魅入りました。

 その景色をふたりで眺めながら、館長はぽつりぽつりと語ります。

 館長はレンブラント・レイニーの真実を知りませんが、それでもレンブラント・レイニーを知りたいと思い、一人の時間を楽しむという趣味を彼女は持っているだろうとなんとなく理解しています。そしてそれを否定するどころか、自分の贈り物をそのために用いることを素晴らしいことだとさえ言います。

 それでも、と彼は続けるのです。

 "べき"だけは絶対に違うと。ひとりの時間を楽しむのは良いけれど、そうある"べき"だということは認めないと彼は言います。だから、彼は彼の贈り物を二人で見ると決めました。

 ひとりでいる"べき"なんてことはない。ふたりで見て綺麗だと思っても"いい"。それはレンブラント・レイニーにとって許されることだということを館長は伝えたかったのです。そうしたいからそうしただけで、それは義務感から来る行いではありません。レンブラントが美術館所属だからそうしたのではなく、彼がレンブラントを好きだからそうしたのです。だからこれは館長の気分の問題で、ともすれば自己満足です。

 レンブラント・レイニーはバグりませんでした。

 何をやっているのか理解して、そうしました。レンブラント・レイニーを光輝いていると館長が言ったとき、レンブラントは光があるときそこには闇があると言いました。それと全く同じ意味で、効果は反転します。

 「藝術家レンブラント・レイニー」のモチーフ。実在の「レンブラント・ハルメンソーン・ファン・レイン」の異名は「光と影の魔術師」です。彼女が僅かな陰影から隠し通路への道を発見したように、光と影が効果的にあらわれる場やモノを好むように、表現技法や藝術的気質としてそれは受け継がれていますし、「レンブラント・レイニー」という個人自体が光を参照すれば闇を参照せざるを得ず、闇を参照すれば光を参照せずにはいられないものとして物語られているのです。レンブラントが闇によって一線を引くとき、光と闇の別ちがたい関係によってその一線は踏み越えられざるを得ません。レンブラントが闇であるとき、レンブラントが光輝いていることは同時に成立しているのであり、誰も彼女からそれを奪い去ることはできないのです。こうして、彼女は自分自身の夢幻美術館での立ち位置と館長への態度を定めていきました。好意が極点に達したとき、レンブラント・レイニーは壊れます。

やめなよ作業後の人の匂いを嗅ぐのは
さすが館長、数日風呂に入らず作業して石膏臭い状態で美術館を彷徨くミケランジェロとは違う
huh?

 本当に何がどうすればこうなるのか。レンブラント・レイニーは甘えたがりです。そして匂いフェチです。これには理由があります。

 やめなよ強く言えなくなるような理由言うの――やめません。なぜならレンブラントはそういう効果を発揮するだろうことをわかっててこういうことを言うからです

 館長にとってレンブラントの呪いはシリアスな問題です。身体の年齢が固定されていることも、味覚が喪失されたことも館長にとっては重大事です。レンブラントはそういう館長の心配を理解し、嬉々として利用し、抱きつき、匂いに包まれて、甘えます。お前マジでそういうとこだぞ。

 ――ちなみに、ですが。このようにレンブラントも館長も素直に素を出すということをしません。基本的に表と裏、光を影に二人とも意識的です。館長はつとめて理性的で善意ある温厚な紳士として振る舞いたがりますし、レンブラントは自分の光と闇をいいように使い分けて利用します。

 この「建前」が二人して完全に崩壊する場が例外的に存在します。「寝室」です。ガールズクリエイションはFANZAゲーです。18禁です。そういうシーンがあります。非常にリッチな作りでそれ単体として評価に値するのですが、館長とレンブラントの関係においてそれは「取り繕えない場」としてあらわれます。

 レンブラントは館長の野性的な側面に興奮し、好きな人に身を任せて安心しきっていますし、館長は館長でいつも辛そうに自分を偽るレンブラントがこのときだけは全部を見せてくれて愛おしく、つまり二人してハマります。

 レンブラントに関しては味覚を失ったように鮮烈で体感的な幸福というものは自分にはもう望めないものと思っていただけに呪いで毀損されなかったそれはあまりにも色鮮やかな彼女にとっての体感的幸福でした。そうであればあるほどレンブラントは自分を繕う余裕がなくなり、館長がますます嬉しくなり、どつぼにはまります。

 「寝室」が本筋と独立しているゲームも少なくないのですが、「光と影の魔術師」を描くためあまりにも効果的に「寝室」をフル活用されているのがレンブラントです。この子と館長の関係を描ききるためには「寝室」が要るのです。不可欠なのです。

 こうしてレンブラント・レイニーを知っていくと、ただプロフィールを見るだけでなんだかにやにやできてしまうのです。

 レンブラント・レイニーを「敵」と言うとき、私たちプレイヤーとしての館長は、それを含めて全部、君が全部好きだと言っているのです。「敵」と言っておきながら彼女の魅力にはまっている態度を露呈すること、つまり闇をもって光を証明しているのです。

 ――このレベルでのキャラクターの作り込みがガールズクリエイションにおいてはなされています。レンブラント・レイニーが異常なのではなく、ガールズクリエイションの藝術家とはこのレベルで鮮やかに魅力的な個人です。以前のnoteではブグロー先生に軽く触れましたが、メインストーリー4章のロダンのようなものはロダンのその全てを伏線とした強烈な一撃で狭い界隈を狂わせました。個別ストーリーじゃなくてメインストーリーでそれをやるのか!? と愕然とするような独走を彼女は行いました。他にも語り出せばとまらない魅力が藝術家たちにはあります。

 ちなみに、レンブラント・レイニーは2024年3月10日現在追加スタイル実装がなく、イベントストーリーもなく、来月4月にそれが実装される予定です。そして初回ガチャは引き直し可能で最高レア、☆5のレンブラントを含むお気に入りを引いて終わらせることができます。埋蔵されている石で4月の天井も間に合うかもしれません。つまり、今始めればレンブラントの全部を知ることができます。

 やろう、ガールズクリエイション! 滅茶苦茶不器用だけどこのゲームが真剣なことを僕はわかっているんだ!! やろう!!!! プレイナウ!!!!

 ガールズクリエイションはいいぞ!


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