白雪糕(はくせつこう)と良寛(りょうかん)その2(全2回)


白雪糕(はくせっこう)を削ると、サラサラの粉になっていく。甘くて溶けやすいからママのおっぱいの代わりになっていったんだね。江戸時代の赤ちゃんたちは、白雪糕をちょっぴりづつお口の中に入れてもらっていたんだね。美味しいから、もっともっとと言って、お口を大きく開けていたことだよ。

そしてね、白雪糕に漢方薬を入れたものもあって、胃や脾臓(ひぞう)のお腹の薬になっていったものもあったって。白雪糕はね、そのうちに粉のものや、小さく切り分けたものやらと工夫されて売られるようになっていったというよ。

晩年の良寛(りょうかん)和尚(おしょう)さんがお菓子屋さんに、白雪糕を注文したお手紙も残っているんだって。良寛和尚さんが亡くなったのが1830年。71歳のことだから、ちょうど天保飢饉(てんぽうききん)の頃だったね。食べ物が少ない時だったから、きっと高価なものだったよ。ついでに良寛和尚さんの有名な歌を紹介するね。
自然を克服するのではなく、自然と調和し一体となることが大切だ。と教えを説いていた良寛和尚さんの歌だよ。

形見とて 何を残さん 春は花 夏ほととぎす 秋はもみじ葉
形見なんて残さずに、春は花を、夏はほととぎすの声を聞いて、秋の紅葉を楽しむのが最高だよ、っていう歌だよね。

これ、とっても有名だから覚えておくと、かっこいいよ。良寛和尚さんも白雪糕を食べていたんだね。

これでおしまい。最後まで読んでくれて、ありがとう。お休み、ポン!

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