北政所、おねさんにインタービュー その1(全2回)


ポンポン!
今日は3月3日、おひな祭り特別企画だよ。
豊臣秀吉(とよとみひでよし)の妻、おねさん。おねさんにインタービューしてみたよ。
おねさんは秀吉のガールフレンドの淀殿(よどどの)南殿(みなみどの)たちとすごろくをしている真っ最中だったよ。
「戦国時代、秀吉さんとの結婚式はどんなだったんですか?」
「うふふ。結婚式というのは祝言(しゅうげん)のことですね。その頃は、秀吉さんは、藤吉郎(とうきちろう)どのと呼んでおりましたの。そりゃあもう、ひどいものでしたよ。祝言はね、桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい)があった次の年でしたからね。永禄(えいろく)4年のことでしたよ。わたくしは、10と4つ、14歳で藤吉郎(とうきちろう)殿は25歳でしたでしょうか。わたくしは、浅野又右衛門(あさのまたえもん)さまのお家に養女にいっていましたのよ。おじさまはわたくしと藤吉郎どのが住むために、お長屋を開けてくだされましたの。お長屋というのは、家来の男衆の者たちが暮らしていた所でしたの。そのお長屋というのは、茅葺(かやぶき)でありましてね。畳もありませ
んのよ。板敷でしたの。その板敷の上に簀掻藁(すがきわら)を敷いて、その藁の上に畳まがいの薄縁(うすべり)を一枚敷きましてね。それだけで、もうご祝言でしたの。お着物は、これ可笑しゅうございますの。織田信長(おだのぶなが)さまが、左義長(さぎちょう)のお祭りをなさいました時の、上り旗をつなぎ合わせてこしらえたものなんですのよ。珍しゅうございましょ。もうどこへいってしまったやら、お宝になりましたものを。惜しいことをしましたよ。えぇ、左義長とはお正月にあるお祭りですよ。うふふ。このお着物のお話は、祖父物語(そふものがたり)にもありますのよ。

今日は、ここまで。ポン!

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