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読み返したいnote

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#つらつら

オセロをひっくり返してくれる人

先週、友人と立ち飲み屋さんで飲んでいたら、隣にいた知らないおじさんたちに絡まれた。最後お店を出るときに「今日の記念に1枚写真を撮ろう!」と言われ、私と友人と、絡んできたおじさんたちと、はたまたそのおじさんたちと絡んでいたさらに隣の人たちと、なぜか写真を撮ることになった。 後日友人からその写真が送られてきて、その1枚を見て私は驚いた。友人はちゃんと「楽しくなさそうな顔」をしていて、私は「楽しくなさそうなのに、無理に楽しんでいる顔」をしていた、のである。お世辞にも、そのときの会

「もう嫌だ、やめたい」と思ったときに思い出す言葉

川村元気さんの小説に、『四月になれば彼女は』というものがある。正直内容はあんまり覚えていないのだけれど、その中の「とある一節」だけは強く印象に残っていて、そしてその一節が、最近、ことあるごとに私の頭に浮かび上がってくる。 浮かび上がるシチュエーションは、たいてい、何かを「嫌だな」「続けている意味あるのかな?」「もう、やめたいな」と思うとき。仕事で嫌なことがあったり、彼氏とケンカしたり、自分がやっていることに意味が見出せなくなったり……。そんなときに、ふとその一節が頭に浮かび

愛の総量と、その愛の配り方

以前ともだちと、「愛の配り方って人それぞれだよね」という話をしていた。 なんでそんな話をしていたのかはもう忘れてしまったし、きっと特に深い意味はなかったと思う。新宿三丁目の「喫茶らんぶる」で、珈琲をすすりながらダラダラと仕事だとか恋愛だとかの話をしていたら、なんとなくそんな話になった。 「たとえば愛をお金にたとえるとして、人が持つ愛の総量が1000円やとしたら、その1000円をどう配るかって人によって違うやん」「誰にも1円も配らずずっと握りしめておいて、運命の人に出会った

「ウサギとカメ」の解釈から思うこと

「ゴールデンウィークは、母の実家である山形に行く」という暗黙のルールが明石家にはある。 母も姉も妹も(父は自由人なのでルール適応外)、どんなに私生活や仕事が忙しくてもゴールデンウィークの2日あるいは3日間は家族のために時間を作り、みんなで揃って祖父母に顔を見せに行く。 このルールは、私が生きている25年間、いまだかつて1度も破られたことがない。3姉妹が社会人になり実家を出て、家族の住む場所は京都・大阪・東京とバラバラになってしまったけれど、こうやって毎年必ず集まれる時間や

「選ばなかったもの」に想いを馳せる

「選ぶ」ことは、いつだって難しいな、と思う。 進学や就職、結婚、出産、といった「大きな選択」にはじまり、毎日何をしようか、何を食べようかといった「小さな選択」まで、あたりまえだけれど人生は、選択の連続、でできている。 何かを選ぶということは、すなわち何かを選ばないということ。何かを選びながら生きるということは、すなわち何かを捨てながら生きる、ということ。 そして、その「選ばなかったもの」に対してあーだこーだと言うことは、なんとなく、イケていないことだと思っていた。その「

愛にあふれている人

人はいくつも分人を持っている多面的な生き物だけれど、本当の心の奥底にある「本音」はひとつなのだ、と思う。 それは大げさにいえば「信念」のようなもので、その人が何を大切にして生きているか、どういう世界観を持っているのか、など、そういったようなことだ。 そしてその「信念」は、意図せずともその人が紡ぐ言葉に滲み出る。その人が書く文章をたくさん読めば読むほどに、まるで最大公約数のように、その人が大切にしていることがくっきりと浮き出てくる。 ああ、この作家さんは優しさを持つ人なん

仲は「ふたり」では深まらない

いくら側にいる大切な人だったとしても、話しきれないことは数多にある。家族や恋人、どれだけ仲が良い友達であったとしても、それぞれの関係でしか話せないこと、それぞれの関係だからこそ話せないこと、は、たくさん、たくさんあると思っている。 特定の人と長く同じ時間を共にするということは、一見、お互いのことを深く知ることにつながると思いがちだ。けれど、お互いがお互いのことを「知った風」になってしまったり、あるいはコミュニケーションが固定化されてしまったりして、実は長くふたりで同じ時間を

「おちゃめな肩書き」のすごさ

「人はわかりあえない」というテーマのなにがしかを、この一年間でおそらく50回以上は見たり聞いたり読んだり考えたりした。 それは、ダイバーシティというテーマが世の中で話題になったこと、「自分に正直に生きていい」という価値観が広がって常識という殻やまとまりを人々がどんどんぶち破るようになってきたこと、「そもそも常識をぶち破らずとも人は多様だ」という考えがさらには出てきたこと、そして何よりそういった話題に私が興味を持っていること、など、さまざまな要因があるのだと思う。 「わかり

「なぜ書くのか」についての備忘録

もともと、自分のことは「書くタイプ」ではないよなあ、と思っていた。 私が「書くタイプ」と聞いて思い浮かべるのは、小学生の頃に作文コンクールで賞を取りまくっていたような、まるで書くために生まれてきたかのように天性的天才的文才を持つ人だとか、映画や音楽のレビューを書かせたらピカイチで、ある特定の分野においては誰にも負けないような熱い情熱を持っている人だとか、世の中に対して何かれっきとした課題意識があって「伝えたいこと」を持っている人だとか、そういう人たちのことだ。 一方私はと

「本当のこと」を求めすぎない

「本当の気持ちはどこにあるの?」「本当に大切なことは何?」といったセリフを、今までの人生の中で何度聞いただろうか。 「真実の愛」「本当の自分」なんて言葉がこの世でしばしば使われるように、小説や映画の中でも、現実世界のあちらこちらでも、いつだって人は「本当」や「真実」を求めているよな、と思う。 私自身、自分の気持ちや何か行動するときの理由に対しては、ずっと「本当のこと」がどこかに存在するものだと思っていた。就活をする時には「本当に私がやりたいことは何なんだろう?」、性格や行