地球のためにわたしにできること

 

12月第1日曜、雲の低いどんより天気の日、パリで鉱物のイベントにいってきた。原石、加工石、ジュエリー用にカットされた石やネックレス用に糸を通してある貴石、半貴石やジュエリーの製品を売っている展示会だ。

たくさんの色の石がスポットライトを浴びてキラキラしてとても美しい。いわゆる資源の豊かな国から発掘されてくる石たち。アフリカ、中近東、インド、南アメリカなどからやってくる。出展者の多くは発掘者に近い位置にいる。業者というよりも個人事業な販売者な印象が強い。

鉱物展示会にいくとき毎回再確認するのは、「地球を壊している」という事実。

この事実をどう納得していいのかわからない。「気持ちがざわざわするなら、いかなければよい」がいちばんまっとうで直球な答えなんだろうけど。

展示品をみていて「自然の美しさにほれぼれすること」「収入、利益、生活のために地球を破壊したから商品ができたということ」「美しさに惹かれて買うこと」「わたしが買うなら、それは破壊に結果的に賛同しているということ」「地球破壊をやめた方がよくない?という考え」これらをどうつじつまをつけていったらよいのかわからない。

うらない師が使うような水晶の玉も売っていたから、それを買って、そういうときはどうしたらよいのかきいてみたらいいんだろうか。

コロナウイルスのせいで、展示会が中止になっていたから知人にばったり会えるのはうれしい。なん人もの知り合いとすれちがい挨拶をした。最高クラスのコレクションを展示しているジェラールが「ヨウコ!ずいぶん久しぶり、マスクしてたからわからなかったよ!」と明るく声をかけてくる。近況を報告した後で、本当ならわたしの思いについて彼の意見を聞いてみたいところだが、その会場での彼は問答が目的ではないので別の機会にまわすことにした。

それから1週間後。かけ布団を洗える洗濯機のあるコインランドリーに車でいった。老ねこが粗相をしたからだ。スタートボタンを押して待ち時間約1時間。ふだん、1時間のヒマな時間ができることはめったにない。散歩に出てもよかったが、見えたのは商店街の道端に落ちている空きビン、空きカン、お菓子の包装紙など。待ち時間のあいだ、ゴム手袋とゴミ袋を買ってゴミ回収することにした。フランス人の彼は、僕は手伝わない、といって散歩に行った。細かい雨が降っている。

初めて5分もたたないうちに、ありがとうと感謝の気持ちをわたしにつたえ、いくつかごみを持ってきて協力してくれたフランス人がいた。わたしもありがとうといった。

それほどひどく散らかっていたわけではないから、30分ほどでおわり、商店街のゴミ集荷場にもっていき終了。

ふつうに生きていたら好むと好まざるにかかわらず、地球にやさしくないことをしてしまうことがある。ちいさなことでもできるなにかをしたい。そういうのを罪滅ぼしというんだろうか。


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