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不登校と次男 1

私には3人の子どもがいます。
⭐︎娘(大学生)自分のやりたいことがはっきりしてて周りに関係なく邁進するマイペースさん。現在、他県在住。
⭐︎長男(高校生)3人の中で勉強が一番できる。周りに流されがち。絶賛反抗期。進学校在学。
★次男(中学生)納得しないと動けない。周りとテンポがあわない。自分の意見ははっきりしてるのに、時として気持ちを言葉にするのが苦手。気づかいが上手。好きなのは、折り紙・工作・生き物・美味しいもの。優しい愛嬌のいい子。
その他、昭和テイスト満載の旦那と、祖父母(私の両親)とおば(私の妹)の大家族で、暮らしてます。

さて、中学生の次男ですが、現在地元の中学校には行ってません。いわゆる不登校です。次男の小学生時代までの話をします。

次男は小さな頃からなかなかのヤンチャ君で、私の友達に預けたりすることができませんでした。予測不能な動きをしたり、走っていなくなったりしちゃってました。長男もヤンチャではありましたが、園児になってからは預けることもできました。(言葉が出る前は手が出ちゃう時期もありましだが、言葉が出たら落ち着きました。)「この子達のオカンしてるのすごい!私は無理だわ!」友人に何度か言われました(笑)
娘と長男は、成長するにつれ、自分の嫌なことにも適当に折り合いをつけられました。
そして、2人とも学校は好きでした。娘は学校も先生も好きだったし、長男は学校はそれほどでもなかったかもしれないけど友達が好きでした。が、とにかく次男は適当に折り合いをつけることができない!それでかなり苦労することになりました。

例えば、夏休みの読書感想文!次男は、自分の意見は割とハッキリしてるのに、言葉を文字化するのが苦手なので毎年大変でした。娘と長男の書いた昔のを写すとかしちゃえばいいのに、それも嫌だし、「こうしたら?」「ああしたら?」とか、人の意見だと嫌だし、納得いかず怒りまくった挙句結局やれなくて、私がネットにある読書感想文テンプレートを元に聞き取り調査をして、それを次男に見せながら、一緒にやってる風を装って私がまとめて、最終的にそれを写すというのを6年生までやってました。娘と長男は3年生くらいからは、適当に埋めましたが、その「適当」ができない。
6年生の頃を例にとると、本選びから「テンプレートを使って書く」と決心するまで2日、母がまとめて原稿用紙に書くのに1日。ほぼ3日間。その間に暴れたり喚かれたりして、私と祖母のダメージでかかったです。が、そんな次男を見るのが嫌で、旦那は早々に逃亡…(怒)

宿題が大変になったのは中学年の頃でした。お付き合いが、本当に毎日地獄のようでした。本当にやりたくないのならこの際「やらない」でも良いと思うんだけども、次男本人が「やりたくないけど、やらないかん!やらないという選択肢が自分の中にない。」ので宿題やらなきゃいけないから とりかかるけどやりたくないからサボってると時間だけ過ぎて怒れちゃったりやりたくない宿題を数行に時間もかけてやって力尽きちゃってでもやらねばならないと思い込んでるからパニック…。
成長するにつれ、徐々にパニックが少しずつ時間が短くなりましたが、とにかくとりかかるまでかなり時間がかかりました。やり始めれば割と時間かからないのにね!途中で集中が切れると、元に戻るけども…。
娘と長男は中学年には、長期休暇の宿題の管理も私の手から離れましたが、次男はずっと進捗管理しないと、最後にパニックになるので大変でした。

宿題パニックの頃から、学校への行き渋りが始まりました。当時の担任の先生は、「宿題はちゃんとやりなさい!」というタイプだったせいか「やらねばならない」感を強めちゃったような気がします。で、宿題が終わってないから行けないとか、準備が終わってないから行けないとか、まぁとにかく毎朝の攻防が始まったわけです。おばもたくさん面倒を見てくれました。美味しいものや旅行で釣ったり、あの手この手でなんとか家族でやりくりしてました。
同居の祖父母は教育関係の仕事を長年やってましたので、やっぱり優等生が基本って染みついており、「宿題はやるべきもの」「学校は行くべき物」って意識が高く、次男には言わなくてもそういうオーラが出てました。それもプレッシャーだったんでしょうね。

宿題パニックがひどくなり、行き渋りが強くなった頃、3月から翌6月までのコロナ休校と相成りました。次男は不登校になるかもしれないと思ってたので、ちょうどいい休憩になったような気がします。
この期間に行政の教育相談所に母子で何回か通ったりしましたが、なんとなく合わなくて数回で行くのはやめました。
コロナ休校中は、こどもたちとたくさん散歩したり、庭や公園でお弁当を食べたり、不便ながらも工夫を凝らして日々を過ごしました。米の消費量が半端なかったですけどね(笑)

そして高学年になり、宿題に少しずつ折り合いをつけて行きました。先生と相談しながらやれるようにやってました。
次男にとって、細かく手取り足取り指導してくださる先生より、適度な距離で好きなように泳がせてくれる先生の方が居心地よさそうでした。
時々パニック起こしながら、時々大幅に遅刻したりしながら(私は、次男が小学校に入学→卒業まで、行ける日は小学校の登校に歩いてましたので、行ける日は遅刻に付き合ったりしてました。)そんな小学生時代でした。

高学年の頃、スクールカウンセラーさんにも相談をさせていただき、WISC-IV検査を受けさせていただきました。次男の得意不得意が客観的にわかれば、次男本人に自分の取り扱い説明書を手に入れて欲しかった。僕はこういうことになるとパニックになるとか、わかって欲しかったけれど、まだ本人にはピンと来ず、あまり響かなかったような気がします。

とまぁ、今回は次男の小学生時代のお話でした。

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