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さらさらと

半年前に私は恋人と別れた。

1年半、付き合った人だった。

大学の1年と2年の途中までで終わった。

「いつか必ず由紀乃を連れて行くからね」

青森出身の雄太は、よく云っていた。


けれど、果たせなかった。

私は神奈川出身で、北の方は行ったことがなかったから、楽しみにしてたんだけどな。


大学のある東京は、人やビル群で、ごちゃごちゃしてる。

この中で東京出身の人は、どれくらい、居るのだろ。なんて思う。



人にぶつからないように、気を使いながら歩くことも、雨の日には電車の中で、私の靴が他人の傘からの水滴で濡れても、私は東京が好きだ。


何故だろう。

憧れていたからかな。

私の育った土地は、神奈川といっても、山に囲まれた場所だった。

駅からも遠いし、かといってバスも本数が少ない。


小学生の頃から、1時間かけて通学してた。

父は朝5時には車で会社に向かう。母は家庭菜園と、ガーデニングが好きだった。


顔には、玉の汗が光ってた。
私は、なんとなくキレイだな、と見ていた。

山に囲まれていたので、太陽が隠れるのも、とても早い。
私には、それも寂しかった。


両親は、私が東京の大学に行くことに、いい顔はしなかった。

家から通える大学もあったからだ。

それでも私は諦めなかった。

何度、反対されても、これだけは、絶対に譲らないと覚悟を決めて、父と母と3人で、何度も話し合った。


ついに両親も、根負けする日が訪れて、私の願望は叶った。


雄太の両親は、東京行きを反対することはなかったという。

「好きなことをしなさい」
と、雄太の考えに任せる教育方針だったようだ。


お互いに真逆の考えの親に驚いた。
雄太とは、新入生の歓迎会で知り合った。
私も雄太も演劇部に入ることにしたので、その歓迎会の席だった。


私はただ、何となく面白そうというだけの理由だったが、雄太は違った。
役者になるのが彼の夢で、真剣だった。

親からの仕送りの、半分は映画やお芝居を観ることに使ってたから、
まともな生活は出来ず、私がお弁当を作って彼に渡していた。


彼は恐縮しながら、お弁当を受け取っては、嬉しそうに笑顔を見せた。

大学も1年が終わる頃、雄太は私のアパートに来るようになり、自然と付き合うようになっていた。

雄太は友達と、共同生活を送っていたので、私は行くことはなかった。


大学2年になってからは、雄太は積極的に、劇団の試験を受けるようになったが、全敗が続いてる。

この頃から、雄太は変わっていった。

ギスギスしたり、ピリピリしたりと、
いつも険しい顔になってしまった。

私のアパートには、来てはいたが、
ムスッとしてる雄太と会話が弾むわけはない。


腫れ物に触るような、気まずさが部屋に篭ってる。

「夕食の買い物に行って来るね」
そう云って、靴を履いていたら、いきなり雄太が私を後ろから抱きしめた。


そのまま力ずくで、私をベットに連れて行き、私の服を次々と乱暴に脱がせ、暴れる私のことなど雄太の視界には入らないみたいに、下着も全て脱がされてしまった。


「やめて!こんな酷い!ねぇやめてよ。嫌だ!いやあー!」

私の言葉など、雄太には聴こえていない。

ここに居るのは、彼ではなかった。
獣だ。

メスを自分のやりたいようにしている、狂ったオスの獣に成り果てた生き物が暴れている。


暫くして、彼は全裸のまま、ベットに横たわった。

私は浴室に行き、下着と服を着ながら、涙が止まらなかった。


少し落ち着きを取り戻した私は、まだベットで寝転んでる雄太を見て、叫んだ。


「出てって!早く出て行ってよ!
これは私のベットだし、ここは私の部屋なのよ。もう2度と来ないで」


雄太は、ぼんやりと天井を見ている。

「警察を呼ぶわよ。私は本気だからね」


「俺のズボンのポッケに煙草とライターが入ってるから、取ってよ」

人を馬鹿にするにも、程がある。


私はバケツに水を入れて、彼の顔に全部ぶちまけた。

「何すんだよ!冷たいだろうが!」

私はもう一度、バケツに水を入れに行った。


「判ったよ。出て行くよ。あ〜あ、由紀乃のベットが水浸しだな。今晩、
どこで寝るのさ」


「判ったのなら、さっさとここから
立ち去って!人がどこで寝ようが
他人のアンタには関係ないわ」


雄太は服を着ながら、フフっと笑うと、「『他人』ね。それもいい。じゃあな、バイバイ」


今日中には、乾かないけど、布団を干した。

「床にクッションを、幾つも並べたら何とか寝れるでしょ」


「あれ?」

ベットの下に、何か落ちてる。

手を伸ばして拾ってみると、びしょ濡れの紙だった。


青森行きのチケットが2枚。

大学が夏休みに入った頃のチケット……。

「雄太、何を考えてたの?」

「私には判らない。教えてよ。何であんなことをしたの」


「2人で青森に行く予定だったの?
劇団に受からなくたって、俳優になる道は他にもあるかもしれないでしょう?それとも諦めるの?
そんなもんなんだ、雄太にとっての夢って」


私は飛行機のチケット2枚を、手に持ったまま、床に座り込んだ。


袋小路に入ってしまったんだね。
私たち。

何がいけなかったのだろう。

出口が……ない。

行き止まり。
引き返すことはできなかった?

【戻ろう。危険な気がする】

そう云って。



「夏は気持ちいいから好きだなぁ。
長く外にいると、熱中症になるから
短時間だけの癒しの時間。それが今」


「近くに、この公園があって良かった」

葉の揺れる音が、わたしは1番好きだ。

だから、ベンチに座って耳をすます。


  さらさら さらさら


「はい。どうぞ」

いきなりペットボトルが横から出て来て、驚いた。


「スポーツドリンクだよ。汗をかいてるから飲んだ方がいい」


「それから……あの時は、本当に由紀乃には申し訳ないことをしてしまった。
謝って許されることではないけど」


彼は私が座っているベンチの前で、地面に正座をすると、土下座をした。

「すみませんでした」

そのまま何分も、雄太は頭を上げなかった。


私は、何て云ったらいいのか、自分でも見つからない。

あの時の心の傷は、まだ残ってる。


ただ、一言だけ彼に訊いた。


「袋小路から出られたんだね」


雄太は、顔を上げて私を見ると、少し考えてから、こう云った。


「人んちの、ブロック塀をよじ登ったんだ。急いで門を開けて、そしたら表に出られた」


「袋小路に閉じ込められても、何とかなるって知ったよ。
諦めなければだけど」


私は貰ったスポーツドリンクを、
半分のんで、彼に渡した。


雄太は、汗を流しながら、全部飲んだ。


これから先も、行き止まりで、立ち往生してしまうことが、あるのだろうか。

それでもきっと、出口は見つかると、何となく思う自分がいる。


「ありがとね。若葉さん。また明日来るから。素敵な音を聴かせてね」


「それから雄太、冬の青森、行けたらいいね」


「任せといて。バイト頑張るから。
じゃあな由紀乃」


「うん」

     バイバイ

       雄太


さらさら さらさら 今日の若葉のささやきは、特別に心地いい。

自分に正直になれるのは、気持ちいい。


      了






















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