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傘が全く役に立たない。

それどころか自分が飛ばされそうな強風。

雨は横なぐりに降るから目を開けるのも大変だ。

電線が、命を得たのを喜ぶかのように、大きく自由に跳ね回る。

「早く建物に避難しないと」


飛んでくる看板や幟を避けながら、ようやくビルの中に入れた。

全身びしょ濡れだ。

髪もシャンプーしたあとのようになっている。

顔をいくつもの雫が伝う。

「涙のようで、嫌だな」


着替えたい。このままじゃ風邪を引きそうだ。

初めて入ったビル。

見るとわたし同様に避難したらしい人たちがコーヒー店で休んでいた。

「あとは洋服屋さんが有れば」


見廻すと、ブティックみたいなお店があった。

「ああいうお店は案外と高いのよ。それなのに私の趣味とは、ほど遠い服が並んでるのよね」

しかし、下着が透けたままじゃ……。

選ぼうにも他にお店が無いのだから私は入ることにした。


途端にタメ息が出た。

予想通りだ。

並んでる洋服はスパンコールだらけのセーターや、カラオケ大会に出場しそうなフリルが幾つも着いたデザインのドレスたち。


恐る恐る値札を見てみる。

た、高い!

だけど買うしかないよね、この格好じゃ。

どれにしよう。

店内を見て歩く。


「いらっしゃい、ちょうど昨日入荷したの。

お姉さん運がいいわ」

バサバサと音が聞こえそうなツケ睫毛の店主が云う。

私は引きつった笑顔を返した。

「神様、お願いします。一着くらいは、まともな服(失礼な)がありますように」

祈りは直ぐに通じた!

ごくごく普通の真っ白な八分丈のTシャツを見つけたのだ!ミラクル!

トップスはこれでいこう。


後はボトムスのほうが有れば。

トラ柄やヒョウ柄が幅を利かせているな。

「まるで大阪やん。行ったこと無いけど」

無地でいいから、いや無地がいいです!

神様、お願いします。


あった。

薄いクリーム色のサブリナパンツ。

「地味でしょう?私は反対したんだけど、妹が気に入って仕入れちゃったのよ」

妹さま、ナイスです!

試着したらぴったりだったので、私は真っ白いTシャツとサブリナパンツを購入した。


直ぐにパウダールームに向かい、グショグショの服から新品に着替えた。

やれやれと、鏡を見た。

髪がヒドイ状態だ。短めの長さで、まだ良かったと思うが、これは……。

「雷様の子供じゃないんだから」

私はバックからハンドタオルを3枚取り出すと、丁寧に髪を拭いた。


15分後

「これくらいが限界かな。なんとか格好はついたよね」

とにかく疲れた私はさっきのコーヒー店に入ることにした。

水をたっぷり含んだパンプスを履いているので気持ち悪い。


店内はかなり混んでいる。

二人用の席を見つけ、椅子に座った。

途端に疲れがドッと出た。

私はトラジャを注文し、バックから携帯を取り出した。

電源は切ってある。


握り締めたまま暫くジッとしていた。

自分が何をしたいのかがわからない。

ただ、握っていた。

かなりの厚みがある窓ガラスが、この狂った風に時折り震動している。

テーブルに、そっとコーヒーが置かれた。


その漂う香りに、私の凍った魂が溶け出した気がした。

ゆっくりとカップを唇に運ぶ。

目を閉じて、一口だけ飲んだ。

「おいし」

いつの間にか、広角が僅かに上がっている私がいた。


この嵐では交通網は何も動いていないだろう。

タクシーは何時間待ちだろうか。

ホテルは?

今からでも何とか予約出来るかもしれない。

まぁそんなこと、どうでもいい。

どうでもいい……。


指先で、そっと携帯の電源を押す。

真っ暗から発光した瞬間。

指が泳いでしまう。

今の私に必要なのは、メールか

留守電かで迷ってる。


決める前にもう一口、コーヒーを含ませて、コクンと流し込む。

メールを開く。

虚な眼差しで、あの人からのメールに辿り着いた。

   〈読むの?〉

え?

   〈読めるの?今の貴女に〉


どうしたらいい?

     〈……〉

ねえ、どうしたらいいのか教えて。

  〈貴女が正直になるだけ〉

……これ、か。

“削除”


           〈無理しなくていい〉

けど、もう1年経つし。

   〈何年経とうが関係ない〉


一度、携帯を閉じた。

胸に安堵した心が広がるのが分かる。

「そうよ、関係ないんだ、年数なんて。誰にも私にさえも関係ない」


あの人の海外転勤をきっかけに、互いの気持ちまで離れてしまっただけのことだ。

それだけ……。


「ホテルは止めて、スーパー銭湯に行こうっと」

カップの底に少しだけ残ったコーヒーを

飲み、レジで精算を済ませた。


さっきよりは少しだけ、嵐は大人しくなった。

気のせいかもしれないけど。

ここからスーパー銭湯は歩いて15分。

「傘は挿すだけ無駄だから」

まだ雨は横に降っている。


「よし!」

ビルの外へ駆け出した。

パンプスは捨てて来たから裸足で歩道を踏み締める。

この方が危なくない。

人にぶつかるのだけ注意して、雨で白くなった街を、またずぶ濡れになりながら私は足早に目的地を目指す。


「着いた!湯船に浸かって温まりたい」

慌てた途端に滑って尻餅をついてしまった。

「いった〜い」

「大丈夫ですか?」


見られてたんだ、恥ずかし過ぎる。

「手を出して、引っ張り上げますから」

「す、すいません」

親切な人の手を握った。


あっ!

えっ!

同時に顔を見た。

「あーーー!」


嵐は、考えられないものまで運んで来た。


       (完)
















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