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漁り火

 二人でテレビを観ていた。 

 
 悠馬、これって漁り火漁だよね。
 灯りにイカが集まって来たのを
 取るんでしょう?

 イカは灯りは嫌いなんだ。
 だから船の下に隠れるんだって。

 嫌いなのに何でイカは船に近づくの
 かな。


 灯りに集まるのは、プランクトンで
 それを食べに来るのが、小魚で。

 あ、そうか。イカは小魚を食べるんだ

 
 小魚は、イカの他にも大型魚の餌
 にもなるんだ。


 自然界は、上手く出来てるね。



この家に引っ越して来て半年が
経つ。

一人で暮らすのだから、1DKでいい。でもやっぱり1LDKがいいなぁ。贅沢かな。などと考えていた。


そしたら部屋が三つもある、平屋の家屋があり、借り手を募集中だった。

家賃は2万だと云う。

早速、物件を見せて貰う。


確かにあちこち傷んではいる。でも築40年の物件だもの、当然だろう。

それより私は、開放感のある部屋や、海の見える風景の方に感心があった。

私は、この家に住みたいと思い、
契約した。



痛んだ箇所は、建築士の友達に、ゆっくり直して貰おう。

最寄駅からは、徒歩20分。しかもダラダラした坂道。

けど、だからこその風景がある。

多少不便でも構わない。

私は、それくらい今の住まいが気に入っている。



半年前までは、都心に近く便利だが、ビルがばかりで、自然がほとんど無い街に住んでいた。

ほぼ10年、私はその街で、恋人の悠馬と暮らして来た。

お互い口には出さないだけで、いずれ結婚するのだろう。そう思っていた。


   先のこと判らない。

私は、この言葉を痛感することになる。

彼が昇進した途端に、上司から縁談の話しが来た。


お相手は、その上司の愛娘である。


「一度も会わないわけにはいかないし、会うには会うけど、その後は

丁重に、断るから心配しないで」


悠馬はそう云った。
云ってたけれど……。


「どうして?」

「結衣、本当にすまない。この通りだ」
悠馬は、土下座をした。

「許してくれ。無理かもしれないけど、でも僕には謝ることしか出来ない」


悠馬は上司の娘さんと結婚することことを選んだ。


何故だろう。

言葉が出て来ない。

ただーー。

憤りや哀しみでいっぱいの胸が、痛くて仕方がない。
凄く……痛い。



「結衣の好きにしていい。僕のことを、殴っても、蹴ってもいい。それだけのことを、僕は結衣にしたんだ」


10年ーー

何だったのだろう。

短くはないよね……。

だって、わたし、もうすぐ40だよ。

知ってる?悠馬。私が40歳になること。


ここで、一緒に暮らし始めた頃の私は、まだ30にもなっていなかった。

って、そんなことーー。

云ったところで、どうしようもないよね。

私も悠馬が好きだから、一緒に暮らすことを選んだ。

判ってるの、それくらいことは。


それから、1ヶ月後に、
私は悠馬と暮らしたマンションを出た。

前の晩に泣き過ぎた私の目は、
凄まじく腫れてしまった。
だからずっと、下を向いて、新居まで来たのだ。


「結衣ちゃん、壁の修理が終わったよ。見てくれるかな」

私は修理された壁を見て、驚いた


正直、かなりの汚れ方だったし、
ひび割れには、なってないけど、
細い線が、幾つもあった。
今はまるで新築の壁と変わらない。


「どうかな」

「どうもこうも。流石にプロの仕事は違うね、鈴木くん」


「合格でいいのかな?」

「もちろん!本当に助かりました。クラスメイトに鈴木くんが居てくれて良かった。ありがとう」


「喜んでもらえて、こっちも嬉しいよ」

「代金だけど、電話で云ってた金額で、本当にいいの?」


鈴木くんは、私が出した麦茶を飲むと、
「うん、それでいいよ」
そう云うと、タオルで顔の汗を拭いた。

私は、引き出しから封筒を取り出した。
「安くしてくれて、助かる。お疲れ様でした」

封筒を、鈴木くんに渡した。


「確かに。じゃあ俺行くわ」

「夕食を食べていってと云いたいところだけど、奥さんが待ってるものね」

「奥さん?俺、独り身だよ。今はね」

「そうなんだ。意外」

「結衣ちゃんこそ、意外だったよ」


じゃあまた

おやすみなさい


「『今はね』、そう云ってたな。鈴木くん」


簡単な夕食を済ませ、私はこの家の大家さんから頂いた、自家製
梅酒の入ったコップを持って、ベランダに出た。


眼下の海には、陽が沈むと同時に、
ポツリポツリと、船の灯りが増えてくる。


私は悠馬にとってのプランクトン。
それとも、小魚になるのだろうか。

  カラン

氷の入った梅酒は美味しかった。

イカに食べられた小魚でも
梅酒の美味しさは、判るものだね。


その後も、鈴木くんには、何度か修理をお願いした。

設計事務所の方にも来てもらい、
歪んだ柱を直してもらったりと、
我が家は、どんどん快適になって来た。


ある晩、鈴木くんに、私が作った料理を食べて貰うことになった。

実はわたし、料理作りは好きなのだ。


「結衣ちゃん、どれも美味しいよ。
すごい腕前だね。このソースや、
ドレッシングも、結衣ちゃんの手作りでしょう?」

「そう。判って貰えて嬉しい。作ることが好きだし、誰かに食べて貰うことも幸せなんだ」


鈴木くんは、不思議そうに、でも感心した目で、私を見ている。

「料理が作れるっていいよね。男でも女でも」

鈴木くんは、そう云いながら、フライパンで作った焼豚をパクッと食べた。

「旨いね、これ」

「でもね、簡単なのよ」

「今度、作り方を教えて貰える?」
「もちろん」

料理のレシピを何品かまとめて、鈴木くんに渡そうと思った。


「実は俺、去年、離婚したんだ」

「そっか」

「恥ずかしいけど、2年と続かなかったよ」


「……鈴木くん、梅酒を飲まない?
ビールの方がいいかな」


「梅酒を貰おうかな」


冷やした梅酒のコップを握ると、鈴木くんは離婚の話しを続けた。

「全く料理が作れない人だったんだ、別れた嫁さん」

「そういう人だっているよ。料理学校に通ったりはしたの?」


鈴木くんは、いや。『行きたくない』って、行かなかった」

「そうかぁ。食べることに興味がない人っているらしいけど、別れた奥さんが、そうだったのかな」

「とにかく太るのは、絶対に嫌だと云ってたけど」

しばし沈黙の時間


「だから、俺が作るって云ったんだけど、それはそれで嫌なんだって」


海の方から、花火の音が聴こえた。

「毎年やってるんだ、けっこう迫力があるよ」



鈴木くんと私は、海を観ていることにした。

「わぁ!凄いね。大きな花火。ここで暮らしてると、エッセイのネタに困らないだろうな。それを収入としている私には、有難いことです」


少しして、花火の打ち上げは終わった。

花火の余韻が残ってるからか、私は少し寂しい気持ちになっていた。


鈴木くんは梅酒が気に入ったみたいだ。


「プランクトンを食べた小魚は、自分たちより大きな魚に食べられる」

鈴木くんは、少しだけ驚いた表情を見せたが、私は続けた。

「大型魚は、鮫や鯨たちに食べられるが、一番の強敵は我々、人間だと理解した」


 カラカラ

「氷が溶けてきちゃった」


「……結衣ちゃんも、色々あったんだな」

鈴木くんは優しい眼差しで、私を見ていた。

そんな目をしたら反則だと思った。


やっぱり、お祭りの後は、寂しい。

「電話で、お母さんに、悠馬と別れたって云ったら、動揺してしまって」

「10年以上だものな。結衣のお母さんも別れるとは考えたことが、なかったんだろう」


「判るけど、でもね。一番心がボロボロになっているのは私なんだ」

鈴木くんは、黙って訊いてくれていた。



「半年やそこらで、治る傷なんかじゃないのに」

私は、冷蔵庫から梅酒の瓶を取り出すと、鈴木くんと自分のコップに
付け足した。


「美味しいな。梅酒」

「美味しいよね。大家さんの手作り梅酒」

  人のこと、馬鹿にして……。


思わず呟いてしまった。

ハッとして私は、鈴木くんを見た。

「結衣ちゃんは、どれだけ悪態をついても、俺はいいと思う。自分の中に仕舞い込むなんて、よくないよ」


「ありがとう……」


「おい!結衣ちゃんと交際していたヤツ!
よくも俺の大事な、クラスメイトに、酷いことをしてくれたな」

「長いこと付き合っておいて、最後は上司の娘と結婚だって?」


訊いてたら、私は堰を切ったように、涙が止まらなくなっていた。


   ひどいよ悠馬

   これって何なのよ

「結衣ちゃんも、その男に云ってやりたいこと、大きな声で叫ぶといい」

鈴木くんに云われた私は、ベランダに出た。

「悠馬のバカヤロー!」


「その調子だよ結衣ちゃん」


「私は悠馬を許さないから!絶対に
許さないからーー!」


「俺もだぞ、お前のことは絶対に、許さないぞーー!」


私は泣きじゃくっていた。

顔はグチャグチャだろう。

けれど、そんなこと、どうでもよかったんだ。

鈴木くんを見たら、彼も泣いていた。

料理が作れなくても、鈴木くんが
キッチンで作ることも嫌な人であっても、鈴木くんにとっては大切な
人だったんだね。


私たちは、暫く泣きながら叫んでいた。

そして鈴木くんは、私の家に、泊まった。

私とは別の部屋に。


先のことは判らない。

私はもう一度、このことを学ぶのかもしれない。

けれど何故だろう

私はそのことが

楽しみで仕方ない。


      了


*手直ししました🙇‍♀️














   

   


      








































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