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【ローカル新聞コレクション】第3回

「防長新聞」2003年7月5日付

旅先で入手し、自宅に所蔵している新聞を紹介します。今回第3回として山口県岩国市で発行していた新聞を紹介します。
こちらは横浜在住時代に旅行をした際にJR岩国駅キヨスクで入手したものです。

「防長新聞」の紹介

この新聞は廃刊の経緯が話題となり、ネット上でも記録が多く残っています。

防長新聞(ぼうちょうしんぶん)は、かつて山口県で発行されていた地方新聞。
1. 防長新聞 (1884 - 1978) - 1884年に「防長新聞合資会社」より創刊した地方紙。1978年に廃刊。
2. 防長新聞 (1992 - 2006) - 1992年に当時の「防長新報」が1から題号を買い取り『防長新聞』の題号を継承した地域紙。2006年に廃刊。

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新聞社を含め企業が多額の負債を理由に倒産するのはどこ企業でもあり得る話しですが、2006年12月に新聞を廃刊した上で発行している防長新聞社が自己破産を申し立てて倒産、翌2007年1月に新聞社が新聞社の経営に関与していた反社会的勢力に手形を乱発していた事が明るみに出ます。

「防長新聞」題字。

「防長新聞」は第二次世界大戦中の新聞統合で山口県の県紙として県内各所の新聞社が1942年に合併して成立した「関門日報」の流れを汲みますが、戦後「関門日報」を改題した「防長新聞」は販売不振で1978年に休刊となりました。
山口県の県紙の座は戦後1946年から下関市で発行していた水産専門紙「みなと新聞」の発行元であるみなと新聞社が1969年から発行している「山口新聞」が受け継いでいます。

「山口新聞」2020年1月1日付題字。

休眠状態になっていたのを元々1964年に岩国市の地域紙「岩国日日新聞」として創刊した「防長新報」が買い取り、「防長新聞」となったもので、販売区域は山口県東部に限られていました。
しかし販売は不振でした。元々「防長新聞」が本拠としていた山口県は下関市や宇部市など西部が北九州の、周南市や岩国市など東部が広島と両隣にそれぞれ大都市があり、その勢力圏に入っているため新聞も西部は北九州市で発行している全国紙、東部は広島県の「中国新聞」が強く、県紙は育ちにくい環境にありました。

山口県岩国市の紹介

「防長新聞」が拠点としていた山口県岩国市は人口約12万人の山口県東部の拠点都市です。広島県に接し、約100km離れた県庁所在地の山口市よりも広島市の方が近く、岩国駅から広島駅まで電車で約50分と通勤可能な範囲内にあります。市域を東西にJR山陽本線、山陽新幹線、国道2号線、山陽自動車道が通り交通の便に恵まれています。

市内には日本三大奇橋の錦帯橋があり観光客も多く、米軍岩国基地がある事でも知られています。2012年に岩国基地の滑走路を使用した岩国錦帯橋空港が開港し羽田への直行便が飛ぶようになり、交通の便が更に良くなりました。

岩国市から隣接した玖珂郡和木町と広島県大竹市にかけて瀬戸内海沿いに化学工業コンビナートが広がり、瀬戸内工業地域の一角も担っています。重要港湾である岩国港もあり、輸出入も行われています。

「防長新聞」の後継紙

「防長新聞」の廃刊の後に元記者の有志が2007年4月に岩国市内を販売区域とした地域紙「日刊いわくに」を創刊しました。毎週月~金曜日の週5回刊で、祝日は休刊になります。
こちらはコンビニ等での即売は行われておらず、入手は直接新聞社に赴く他ないようです。

友人から寄贈頂いた「日刊いわくに」2020年12月12日付

公式ホームページはありませんが、ウィキペディアに記述がありました。

日刊いわくに(にっかんいわくに)とは、山口県岩国市全域を発行地域とする地方新聞である。

2006年12月19日付をもって休刊した防長新聞に代わる郷土紙として、防長新聞社に所属していた元記者などにより創刊。

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