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「似合っている」というウソは必要?

昨日、本屋でチラッとみた本。
それは子ども向けの本で、「言い換え辞典」のようなものだった。

思ったことを率直に言うと、相手が傷つく場合がある。
だから、やさしい言葉に言い換えよう、という趣旨の本。

たとえば、友だちに借りた本が好みではなかった場合。

「つまらなかった」
と言うのではなく
「〇〇さん(貸してくれた人)が好きそうな本だなと思った」
と言い換えようね、というような内容が書かれていた。

なるほどね、と思いながら読んでいたのだけど
「それでいいのか?」と思うものがあった。

それは、
友だちが髪を切ったけど、似合っていないと思った。
それに対して
「前の方が良かったのに」というのはNG。
だから
「切ったんだね、似合っているよ」と言い換えるのが○、というもの。

それを読んで、思ったこと。

え、似合ってるって思わなかったんでしょ?
それって、ウソじゃん。

もし傷つけないように言うなら、

「髪切ったんだね。(切ったという事実が)いいね。」

これで良いのでは?

以前も同じことnoteに書いた気がするんですが、
「髪を切ったという事実」を肯定する。それでいいのでは?って話。

なんでウソつくんだろう。

というか、この手のウソを平気でつく人がちょっと苦手です。
顔は笑ってるけど、目は笑ってない…みたいなイメージ。

そうそう、以前似たような話を書いてました。

アサーティブネス(自分自身が気持ちよく自己主張するための権利を扱ったもの))の4つの柱は、率直、対等、誠実、自己責任。

で、私は特に率直・誠実でありたいと思っていて、森博嗣さんのこの言葉がグッときた、という話。↓

温かい言葉をかけるよりも、物事に対して素直でありたいし、他者に正直でありたい。

森博嗣「やりがいのある仕事という幻想」より引用

私は、他者に対して正直でありたいと思っている。

でも、今回チラッと読んだ著書の方は、率直誠実よりも
「相手を傷つけないこと」
に比重を置いている。

書き出してみると、
「なんだ、そんなことか」と冷静になれました。

考え方は人それぞれ。
「相手を傷つけない為のウソならついてもいい」と考える人もいるし、
「やはりウソは嫌だな」と考える人もいる。

そうか、それだけの違いか。

やはり書くって、いいですね。

ウソをつく人が苦手とか書いたけど、まあそれを選んでいる人がいるというだけの話。

そう。
ただ、それだけのこと。

<あとがき>
それだけのことですが、これ子ども向けの本なんですよね。やっぱりモヤモヤします。
ただ、それだけのこと~♪といえば森山直太朗。傷つけないといえば、B’zです。
B’z「愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけない」は、調べたらなんと1993年の曲でした。
え、30年前?稲葉さんって、ずっとカッコいいよなあ。
今日もありがとうございました。


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