仕事の合格ラインってどこにある?
職場のデスクの背後に、小さな段ボール箱がひとつ置いてあった。「なんだろう」と中を見ると、箱いっぱいにイベントのチラシが入っている。輪ゴムでいくつかの束に分けられていて、それぞれに「〇〇中学校 2年生」などと書かれたフセンが貼ってある。
「学校に配ります?」と、上司にたずねた。外部からのチラシは、教育委員会を通じて学校に渡るようになっている。
上司は、「チラシだけドーンと来てもねぇ。鑑(かがみ)がないまま配布すると、学校が困惑するよね。先方に電話してメールで鑑を送ってもらうことになっているから、その後で学校へチラシを送ろうか」と、わたしに言った。
鑑(かがみ)とは、「ヘッドレター」とも言い、書類の1枚目に添えるものだ。それを読めば「誰が、いつ、何のために」この文書を作ったのか、概要が把握できる。この場合、「学校長宛・生徒へのチラシ配布の依頼文」が鑑になるだろう。
数日経って、チラシの存在を忘れかけていたころ、先方からのメールが届いた。「やっときたか」と思いながら、添付されているPDFを開く。
PDF化された鑑は、2ページにまたがっていた。2枚目にあるのは、問い合わせ先情報の1部。2行だけハミ出てしまいました、といった感じ。
なるほど。「鑑は一枚に納めましょう」は常識かと思っていたが、思ってたほど一般的ではないのかしら。PDFだから編集できないなぁ(職場のPCでは)と、少し悩む。結局、「2枚とも印刷→ 2枚目の2行を、ハサミで切り取る→ 切り取った2行を、1枚目の下部にのりで貼る→ 学校分コピー」というアナログな方法を取った。
1階にある「文書室」と言う場所には、下駄箱のような棚があり学校名が印字されたラベルが貼ってある。毎日、各学校の用務員さんがやってきて、棚の中のものを学校へ運んでくれる。その日も、鑑を添えたチラシの束を封筒に入れ、各学校の棚に差し入れた。そして、「『想像力』なんだよなぁ……」としみじみ思う。
誰かに何かを渡すとき(文章であれ物であれ)、相手側の状況やアクションを想像できるか。受け取った相手が困惑しないように、手間をかけないように配慮する。私もクライアントワークをやって身につけた習慣だけど、できない人が本当に多いよなぁ。
昨夜、さとゆみゼミ卒業生の、ウサミさんによる「テープ起こしの勉強会」があった。ウサミさんは、さとゆみさんがいつもテープ起こしを依頼している方だ。
「どんなコツやノウハウがあるんだろう」。きっと一般的な「テープ起こし」以上の何かがあるはずだ、と考え参加した。
勉強会では、すぐに試してみたいノウハウがたくさんあった。しかし、一番心に残ったのは、ウサミさんの「執筆者への心配り」だ。ライターにどれくらい優しい「テープ起こし」を差し出せるか。ウサミさんのテープ起こしの工程には、相手への思いやりがベースにある気がした。
さとゆみさんが、今日のエッセイでこんなことを書かれていた。
昼間、「想像力なんだよなぁ」なんて偉ぶっていた自分が、恥ずかしくなった。
勉強会の最初、「テープ起こしとは?」と尋ねられたとき、「読んで意味や文脈がわかる文章にすること」と答えた。そこまでやれば、相手が「困ること」はないだろうと考えたからだ。
ウサミさんの視座は、「困らせない」なんて、ゆうに超えたところにあった。テープ起こしを受け取った人が、楽に執筆できるように、喜んでもらえるように、工夫する。
「困らせない」なんてギリギリラインじゃないか。どんな仕事をするときも「喜んでもらう」を合格ラインにしよう。リピートされる職業人になるために、視座をグッと上げていく。
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