悔しみのスライムを言語化してみる
小学生のころ、シャム猫を飼っていた。拾ってきたとき「ミュウ、ミュウ」と鳴いていたから「ミュウ」と名づけた。毛色はシルバーグレイで、足先と尻尾と耳だけが黒い。宝石のサファイアみたいなブルーの目で、洋画に登場しそうなエレガントな猫だった。
見た目とは違い、なかなかヤンチャな猫でもあった。しょっちゅう蛇や虫をを咥えたまま家に入ってきて、自慢げに私たち家族に披露していたものだ。
ある日、私が庭で遊んでいたときのこと。ミュウが植栽の陰から現れて、家の周りを囲む塀の上を歩いていた。平均台の上で華麗におどる新体操の選手のようで、うっとり見惚れていた。塀の端で行き止まりとなり、ミュウはピタリと歩みを止めた。
なぜか私は、塀のつづきを『顔面』で作ってみたくなった。
ミュウが立ち止まっている塀の端に近づき、私は思いっきり首をのけぞらせた。顎とおでこを、できる限り水平に保ち、顎を塀にピタッとくっつけた。顔面で道を作るとはいっても、20cmほど伸びただけである。
ミュウから見れば、足元に人間の顔面だけがデーーン、と横たわっているのだ。さぞ怖かっただろう。
何が起こったか。
ミュウは、右の前脚をすばやく振りかざした。鋭い爪が、私の鼻の、穴と穴を隔てる壁(この部分なんて言うの?)に引っかかった。「ニャーーー」と鳴き声をあげて、素早く走り去った。
取り残された私は、少し痛む鼻に手をあてた。改めて手のひらを見ると、血がべったりついている。
そこに通りかかったのは、庭仕事をしていた父だった。鼻から血を出している私を見て、「鼻血が出ているじゃないか!ティッシュを鼻に詰めて、横になりなさい!」と言う。
私はとっさに、「誤解を解かなければ」と思った。「鼻血」とは、自然発火的に起こるものであり、私のこれは違う。これは「鼻血」ではなく、「怪我」なのだ。それをどうしても説明しなくては、と思った。
私はまだ幼く、状況をうまく説明する語彙力を持たなかった。
「お父さん、これは鼻血じゃなくて、鼻から血が出ているだけ!」。「鼻から」の部分を、「は〜な〜か〜らぁ」のように強調してみたりして、なんとかわかってもらおうと力を込める。
父だって真剣だ。「あのね、鼻から血が出ることを『鼻血』と言うんだよ」と、ものを知らない幼子に言って聞かせるように、語りかける。違うんだよ、違うのに……。
結局、父の説得に根負けし、鼻の穴にティッシュを詰め、大人しくソファに横になる羽目になる。天井を見上げながら、「違うのになぁ」と呟いた。
アホな話だし、話せば笑いが取れる鉄板ネタでもある。しかし、あの時うまく言語化できなかったモヤモヤは消化不良でスライムみたいになって、今も心の底のすみっこでボヨボヨ揺れている。
だから、このnoteは実験でもある。あのときの出来事をちゃんと言語化してみたら、「悔しみのスライム」はどうなるか。溶けて消えてしまったら、ほんとのほんとの鉄板ネタになるかしら。
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