「やりたい」 を 「やらなくちゃ」に変えたもの
昨日、近所の図書館へ出かけた。「〇〇さんに図書館でトークイベントをしてもらう」という企画を提案するためだ。
イベント担当のHさんとは、事前に電話やメールでやりとりをしていた。約束していた時間にカウンターへ向かうと、Hさんは利用者の本探しの手伝いをしていた。他のスタッフに来訪を伝え、しばらく待つと笑顔で出迎えてくれた。
Hさんは、カウンター後方の広い机を手のひらで示し、「少々お待ちください」と、その場を離れた。わたしは待っている間に、机の上でパソコンを広げ、左横に企画書を置く。企画書はA4の紙1枚。昨日のうちに「企画内容(案)」「〇〇さんのプロフィール」「確認事項」などをまとめておいた。
Hさんはすぐに、パソコンとノートを抱えて戻ってきた。ようやく机を挟んで向かい合う。わたしたちの表情は、硬かったと思う。
企画書の「テーマ」や「参加者の層」は、あいまいなままにしておいた。「図書館側の意向と、すり合わせながら決めよう」と考えていたからだ。
お話の前半、「平行線かな」と感じていた。私の思いと、図書館側の意向に、わずかなギャップがある気がした。
ふいに、Hさんが「図書館の目の前に高校があるので、若年層にも響く内容だといいですよね」と言った。
そのとき、ひらめいた。たぶん、ふたり同時に。
テーマを、キャリアに結びつけたらどうか。地方に住んでいる学生は、想像できる職業の選択肢が少なくなりがちだ。学校のカリキュラムにも、「キャリア教育」はある。さまざまな職業については、冊子や本を通じて学べる。しかし、知識として知っているのと、本人から話を聞くのとでは、得られる情報の質が違うはずだ。
〇〇さんに、ご自身のお仕事やキャリアについて話してもらおう。メインの参加者は、高校生や大学生。キャリアに迷っている大人でもいい。
わたしたちは、お互いの目を見つめあった。目的が1つになった。「やりたい」が「やらなくちゃ」に変わった瞬間。
そのあと自然な流れで、Hさんが今の仕事を選んだ経緯について話してくれた。「学生のとき、もっといろいろな職業人の話を聞けていたら、選択肢が広がっただろう、と思いますよね」。わたしの言葉に、うなずき合う。きっと、私と同じように、Hさんも学生時代の自分の姿を思い出していたはずだ。
このイベントが、ひとりの学生の視野を、グーーンと広げる可能性だってある。
テーマが定まってからはもう、前のめりだ。イベントを実現させるために、何をどう進めていくか、話し合う。Hさんも図書館の上層部に話を通すため、真剣に考えてくれた。その場の温度が、2度くらい上がった気がした。
打ち合わせが終わって、ひとりになって考えた。
やりたい企画があっても、私の思いだけじゃ相手を動かせない。かといって、相手の希望に合わせるだけなら、ただの妥協だ。しかし、その企画に「社会的意義」を見出し、その重要性を共に感じられたら、一気に同じ方向を向ける。
さぁ、この企画、実現させなくちゃ!
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