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もしもパリにカフェ  が存在しなかったら  〜その4


パリに現存する最古のカフェ
その名もル・プロコープ


今迄にパリのカフェにまつわる話を3回ほど書いたけれど、今回のカフェ話も実は重要で、この時にこのカフェが存在していなかったらパリのカフェの歴史が変わってしまっていたであろうと言うくらい。

また、ここでハッキリさせなくてはいけないのは、今回の主役<カフェ・プロコープ>は1686年のオープン時はレストランではなかったが、現在はカフェというよりレストラン色が強い事。
しかしながら昼間にコーヒーを飲みに来るのも可能、何故なら営業時間が毎日昼の12時から夜の0時までノンストップだから、例えば15時位にエスプレッソだけ注文しても追い出されないのである。
ところが、昼前に来ても開いていないのでオープン時間だけを考えるとやはりカフェとは言い切れないのかも知れないけれど。

近くにある他のカフェとは雰囲気が全く違う事もここではっきりさせておく必要がある。

私は天気が良ければ夕方頃に、ここのテラスでシャンパーニュを飲むのが大好きだ。特に仕事が終わって疲れているときなどは癒やされるからである。

話は変わるし私は今まであまり試したことがないのだけれど、ランチを定時に食べ損ねた時に友人がよくやるのだけれどチーズやシャルキュトリー(ハムやドライソーセージ等)の盛り合わせにワインを合わせて、要するに早目のアペリティフを取るのも繋ぎとして良きかなと思う。

現在のテラス


まあ、あのテラスで女一人カッコつけて(私の場合あまりカッコ良くないかな)みたところで通りがかりの人達に呆れられるのがいいところか。

そんな勇気はない。やはりシャンパーニュで止めておこう。


さてここでル・プロコープ物語を少々。
まずは店の名前<ブロコープ>が気になると思うけれど、シチリアからパリにやって来たイタリア人の青年、フランチェスコ・プロコピオの苗字をフランス語読みするとプロコープになるそうだ。

彼はパスカルというアルメニア人の経営するカフェでギャルソン(ボーイ)として働く事になった。
その働きぶりは知らないが、なかなか出来る青年というイメージがある。
何故なら数年後にパスカルが店を手放してロンドンに旅立ったあと、店を買い取ったからだ。

それが1686年で、その時から名前もル・プロコープになったそうだ。

さらにフランチェスコは母国のジェラートをフランスに持ち込んだ。
当時ジェラートはまだフランスになかったので(私の勝手な想像だとフランスではその当時はシャーベットが主流だったのかと)大流行になった。
彼の閃きは功を奏し、ジェラートの店を出すほど迄にヒットしたそうだ。

ル・プロコープの看板のうちの一つ。
現在でも表にある。カフェ-グラシエとあるがカフェ-ジェラート屋と訳せる。


何より次から次へと様々な彼の懸命なアイディアでル・プロコープを歴史的カフェに育てていったことは普通出来ない事で、またその記録が今日まで残されているのはありがたいことだ。

客の中には結構著名人もいて、作家のヴォルテール(1694-1778)やルソー(1712-1778)などはコーヒーの味わい(香り?)そのものがお気に入りだったそう。
ヴォルテールはカフェの二階に住居を構えた。今でもその部屋は保存されているらしく、机も置きっぱなしになっているらしい。

その後、ル・プロコープは当時流行っていた文学サロンとして主に作家や詩人が通うようになり、さらには政治家なども顔を出すようになったそうだ。

ベンジャミン・フランクリンがこのカフェでアメリカ独立宣言の草書を書いたと言うのは知っておいて無駄にならない話。

文学サロンとはフランス語でcafé littéraire(カフェ・リテレール)のことで、希望者が集まって意見交換や、役者に本の抜粋を読んでもらったものを聴いたりするところの事だが、カフェや、アルコール等の冷たい飲み物を取りながら行われるので店側としても結構良い収益になったのではないかと思われる。

フランス革命時期にはダントン(1759-1794)、マラー(1743-1793)やロベスピエール(1758-1794)等も頻繁に顔を見せていたそうだ。また、革命前夜には多くの革命家がル・プロコープに集まったそうだ。
そういえばダントンの像はすぐ近くにあったな。

ダントン像。但し背が高すぎてチビの私には写真撮るのは無理だった。


また、今でもテラスの壁のガラスケース内にロベスピエールやフランクリンのポートレートも見られる。

テラスに飾ってあるロベスピエールのポートレート


ナポレオン一世が若い頃に訪れて食事をしたものの、お金を持ち合わせていなくて、代わりに自分のビコルヌ(帽子)を置いていった話は有名で、また今でも店内のガラスケースに飾られている話も事実。

作家のジョルジュ・サンド(1804-1876)、ポール・ヴェルレーヌ(1844-1896)、テオフィル・ゴティエ(1811-1872)もよくここに来たそうだ。
室内にジョルジュ・サンドのポートレートが飾ってある。

そんな客たちを常に惹きつけて来たのもプロコピオのアイディア、仕事ぶりと、それを受け継いできた人々のおかげなのだ。


ル・プロコープが現在のようなレストランになったのは1957年以来だそうだ。
ただし先述したように、フランスの場合レストランとカフェ、ビストロやブラッセリー等の区別が曖昧な様な気がするし、日本も含めて他の国とも異なると思う。
しかしながらル・プロコープで出てくる料理や落ち着いているサーヴィス内容、内装等はレストランそのもの。

店の前に置かれているメニューを見ると、種類が豊富なのがわかるが、中でもお勧めとして、コッコー・ヴァン(鶏肉の赤ワイン煮込み)、牛頭ココット煮1686年スタイル、さらには牛フィレ革命風(フォワグラなどが使われている凄そうな一品)などが中央にドドーンと書かれているのは流石。

ただでさえこれらの料理はボリュームたっぷりなのにこの内容にプラスして前菜やデザート、挙げ句の果にチーズも頼んでワインも飲んだらもうその日は他のこと何も出来ない。

さらにここは良いタイミングでよく食後酒を勧めに来たりするので、普通カフェでは流石にそんな事ないから限りなくカフェに近いけれどやはりレストランだと言えるであろう。

店内の一部。特に二階はいくつかに分かれており、部屋によって様々な内装。


建物的には1962年に歴史的建造物に指定されている。
部屋毎に雰囲気も様々で、ナポレオンの帽子にしても、フランスの歴史の香りがコーヒーや料理と共に漂っているという表現がピッタリである。

テラス側の通りは屋根のないパッサージュ形式になっており、向かいのレストラン内にはなんとフィリップ・オーギュスト時代の塔もある。これは13世紀のものなのでル・プロコープ物語以前の話になる。

というわけでル・プロコープがこれからもフランス、特にパリの歴史やその舞台を語り継いでいってほしいと切に願うのである。
もしここに来る事があったらこれらすべての思い出と、古くからのパリのエスプリも是非感じていって欲しい。

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