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バーでは恋の話を、珈琲豆屋では珈琲の話を。

noteで知った林伸次さんの著書「恋はいつもなにげなく始まってなにげなく終わる」を少しずつ読み、味わっている。渋谷のバーでのストーリー。実在するバーだからこそ、読む側の想像をかきたてる。

本はこのように始まる。

人はなぜ、バーデンダーに恋の話をするのだろう

この本を読んでいると、私も恋の話を聞いて欲しくなる。コロナ禍でなければ、すぐにでもバー通いを始め、話を聞いてもらっただろう。私のストーリーにぴったりのジャズのナンバーとカクテルが溶け合って、きっと私の恋の話は実際以上の美しさを帯びるだろう。

しかし、それは叶わない。
そんな場所はない。
寂しさを感じつつも、
小説をゆっくり楽しめばいいと思っていた。

しかし、今日、
小説の世界を感じる出来事があった。

以前から気になっていた店がある。
バーではない。
大きなガラスの窓があるが、
中の様子が少しわかりにくい。
たたずまいは喫茶店。
けれど、小さな工場のような雰囲気もある。
何の店?

私は「喫茶店であって欲しい、少し本でも読みたい」と立ちどまった。

店の正面にドアがない。
京都のお茶屋さんのように細い路地を
少し入ったところに入口があった。
入っていいのか、躊躇する。
やや重いガラスのドアをあけると
男性と目があった。
店主だろう。

「コーヒー、飲めますか?」と私。

「あ、あ、はい」となんだか不思議な対応。

「ここは喫茶店ですか?」と尋ねると
「珈琲豆屋です」と答えが返ってきた。

そっか、工場のように思ったのは、
珈琲を炒る大きな機械のせいだったのだ。

そこから先は「恋はいつもなにげなく始まってなにげなく終わる」のような展開。

私が「私、なんだか落ち込んでいて、心ときめく珈琲が飲みたいんですけど」とは言わなかった。

代わりに「私は珈琲の味は分からないのだけれど、珈琲が好きでよく飲むんです」と話始めた。

すると店主は
「話せばいろいろありますが、珈琲は好きかどうかでいいんですよ」と
今度はさきほどまでとは違って流暢な言葉。

人見知りなのだろうか。
店主も初めての客に緊張していたのだろう。


「珈琲の味が分かる人ってどれぐらいいるのでしょうね。」

「ワイン通は多いけれど、珈琲通っているのでしょうか」

「女性の珈琲やさんが少ない気がしますね」

「アメリカンが好きなのだけれど、どうしてだろう」と尋ねると、

そのたびごとに店主の珈琲愛が詰まった回答が返ってきた。

どの答えも私が知らないことばかり。

店主こそ、珈琲通だ。

当たり前か。

バーに行きたい理由は、
恋愛の話をしたいってこともあるけれど、
お酒にまつわる話を聞きたいからでもある。

ただ「おいしい」と感じるだけではなく、それらのストーリーを知って、そのお酒と共にすごした人たちの人生に想いを馳せてみたい。

今日は珈琲についての話が存分に聞けた。

楽しい。

この店主と恋愛の話にはならなかった。
きっと何回通ってもその展開にはならないだろう。

「恋はいつもなにげなく始まってなにげなく終わる」の冒頭に、このように書かれている。

人はカウンターに座って、酒が入ったグラスを手にすると、なぜか目の前の酒を扱っている男に恋の話をしたくなるのだろう。

そう、やっぱり恋を美しく彩るには媚薬が必要。珈琲豆屋では、珈琲の話をしよう。それで十分ではないか。(YOKO)

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