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変わらないで、なんて私のエゴでしかないんだけど

ベトナム暮らしを一休みして10日間、日本でひと休みしている。

桜を見て、焼き肉を食べ、コンビニのツナおにぎりを食べる以外に、私が帰国した理由が「新潟」だった。

LCCのピーチ航空のポイントが失効間際になり、どこか...どこでもいいから行かなくては! と焦っていた1月末。グーグルマップを眺めて、ピーチが発着している場所でまだ行ったことがない場所はどこ?

それが新潟だった。



春の陽気を感じることができた京都から、春の足音が聞こえ始めた新潟へ。新潟駅を降りて、大きな荷物をロッカーに押し込み、カメラを持って歩くことにした。

私が生まれて育った場所は、山のふもと。国道が1本通っていて、その両脇に吉野家、イオン、マクドナルドがあった。均一化された何の個性もない、田舎だった。大きな発展をせぬまま、きれいに凸凹とした穴や盛り上がりを埋められた。田んぼだけが、ぼーっとそのまま座り込んでいるそんな町だった。

なんていうのかな。そうだ、自然に囲まれているのに無機質な町。



だから新潟駅周辺を散歩していると、自分が生まれる前の人々の活気のようなものが、身体にからみついてくる。

まだここにいるで

と何度も腕を引っ張られた(新潟だから、関西弁なはずはないんだけど。そう聞こえた)、ような気がした。

色褪せた看板たちが。塗装が剥がれた壁たちが。

厳しい冬を何度も乗り越えたんだろう。どれも簡単に「ノスタルジックで素敵ね」なんて言えないくらいの強さを見せつけていた。

私の生まれた町にはもうない。人の営みが昔から続いているという気配。



古くなったものは新調するほうがいいのかもしれない。新しいものは、もっと洗練されてシンプルで使いやすいだろう、きっと。でも新潟の町を歩いて、私は自分勝手な願いを持ってしまう。

どうか、変わらないでください。
5年後、私が来たときも同じ思いを抱かせて

セピア色に染まったカーテンも、錆びた電柱も。

強烈な生活感。このまま、どうか変わらないで。

変わってほしいと願うより、変わらないでと願う気持ちのほうがエゴイスティックだ。森羅万象、変化が止められないという原則を無視し、自分の思い出の中に閉じ込める行為なのだから。


そう最初から分かっている、無理だ。きっと新潟の町も変わっていくのだろう。暮らす人にとって、良き方向へ進化していくのだろう。そうなってほしい。

そう分かっていても、無機質な町に生まれた私は、ただ願う。

誰かが生きた証を見せて


エゴイスティックで切実な思いを抱え、私はからみつくような「生活感」にレンズを向けた。

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