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なぜ、今「太平洋戦争と日本のマラヤ・シンガポール占領の歴史」を振り返るのか

今年2月より、毎月ガイドを担当してきた
「マラヤの傷跡をたどるバーチャルスタディツアー(日本旅行アジア主催)」
のシリーズ。

今月で、4回目を迎えます。

次回は明後日です。
こちらからまだお申し込み間に合います。【6/6 終了しました】

これまでご参加いただいた方たちの声を抜粋しました。

この歴史のことを知らなったので衝撃的だった。

知らないことの罪深さを感じた。

マレー半島(マレーシアやシガポール)で暮らしている人には是非見て欲しい。

さらに深めた内容のセミナーがあれば参加したい。

日本人が知らない(学校では教わらない)アジアにおいて母国が残した負の歴史。

今一度、原点に立ち返り、歴史を学び直し、現代を生きるわたしたち日本人ができることについて、アジアの人々の視点に立って考える一時間です。

終戦した昭和20年(1945年)から、戦争の渦中にいた多くの人は黙して何も語らず、戦後の若い世代は実相を知ることもなく、76年の月日が流れました。

日本人の中には、今更昔のことを蒸し返して何になる、という意見もあるだろうけれど、現地の人々は、祖父母から親に、親から子にと語り伝え、現に小学校の歴史教科書の中でも日本軍が何をしたかが克明に描かれています。

当時のマレー半島には(旧英領マラヤ)多くの若い日本の兵士たちが送り込まれ、長く英国の植民地だったマラヤを占領し、多くの現地人や連合国軍の捕虜たちを使役し大日本帝国を建設しようとしました。その中には私のルーツのある九州福岡の兵士たちも含まれていました。

現地では、英国の歴史的惨敗から日本の占領下になり、太平洋戦争の終焉によって日本がこの地から去るまでの月日を「暗黒の3年8ヶ月」と呼び、今でも語り継がれています。

わたしが住むマレー半島の各地には、当時の犠牲者を追悼する慰霊碑が45ヶ所もあるそうです。(参考: 旅行ガイドにないアジアを歩くマレーシア

遺族の証言などを、日本人として真摯な態度で聞かせていただくことで見えてくる、この苦い歴史的事実を受け入れるという認識がなければ、いかに口先で親善を唱えても、本当に共感しあえることも、分かり合えることもないのだろう、と思います。

11年もマレー半島に住み、仕事や子育てを通して様々な方と関わって来た筆者が、あえてその記録を発表して事実を伝えて行きたい、と思いました。お伝えする内容は、一部名前や時期や起きた場所を変えるなどしてプライバシーに配慮してお伝えしていますが、概ね証言に基づいたノンフィクションです。

コロナ禍の今、わたしのすぐそばで、様々な社会問題が起き、それに応じた分断が助長される流れが止められなくなってきています。

そんな時、歴史は何を教えてくれるのでしょうか。

知られざる歴史を「知る」ことで見えてくる「わたしにできること」にフォーカスを当て、今起きている様々な社会問題や自分と異なる立場にいる人々を理解し「自分ごと」として捉える視点を養います。

もしご興味のある方は、ぜひバーチャルスタディツアーにご参加ください。


日本旅行アジアの告知ページ(こちらの募集は終了しています。ご希望の方はこちらへ→こちらからまだお申し込み間に合います。)【追記:6/6 は終了しました。次回は7/4・8/8・9/5 に開催します。】



過去に実施したバーチャルツアーについての記事はこちらのnoteマガジンから。
Before Too Late. (手遅れになる前に。)


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