逃げるって大事。「おひとり様」と「サードプレイス」の関係
Tverで、見逃していた番組を観ている。最近観て良かったのは、『あちこちオードリー』の宮下草薙➕ファーストサマーウイカさんの回、『徹子の部屋』のふわちゃんの回、そして、『マツコ会議』のヒロシさんの回。
ソロ・キャンパーとしてYouTubeで大ブレイク中のヒロシさんの回は、昔から「ひとり行動」好きの私にとって、とても興味深かった。番組中で、ソロキャンプの意味を「東京(日常)の人間関係を持ち込まないため」。「逃げないことではなく、逃げることが大事」と語り合っていたあたりが胸熱ポイントだった。
サードプレイスというアメリカの社会学者オルデンバーグが提唱した概念がある。家庭(第 1 の場)でも、職場や学校(第2 の場)でもない“第 3 の場所”を意味する。特徴は、以下の 8 つ。①中立性 ②社会的平等性の担保 ③会話が中心に存在すること ④利便性があること ⑤常連の存在 ⑥(自分自身が)目立たないこと ⑦遊び心があること ⑧感情の共有 である。それぞれが社会的立場を気にせず、自分都合で集まり、気軽に交流できる場所として表現されることが多い。例えば、馴染みが集っているような、近所のカフェや居酒屋あたりがそれにあたるとされている。
私は、このサードプレイスを思いっきり意訳し、「自分の役割から解放される場所」であると定義している。母であるとか、部長である、とかそういう役割が一切必要のない場所。ただの一人の人間でいられる場所、である。オルデンバーグの8つの特徴を満たすことはできないけれど、サードプレイスの中には、このひとりで心地よく過ごせる場所も内包しても良いのではないかと思う。ソロ・キャンパーのヒロシさんを見ていて、なんだかそれが確信に変わってしまった。
外食、観劇、旅行……働く女性の「ソロ活」について書かれた記事を読んだ。ここに書かれているすべてのソロ活を私はコンプリートしていることに気がついた。一方、働きながら子供を育てる同僚が、「私の夢は一人旅」とよく慟哭しているので、自分が自分の時間を全てコントールできている現状の意味を最近は大いに噛み締めている。
ひとりスナックにハマったことがある。お酒はほとんど飲めないけれど、「私にとってのサードプレイスはスナックだ!」と、職場との帰宅途中にあるスナックにひとりで飛び込み、居心地が良さそうな数軒にボトルを入れ、気ままに行って、気ままに喋って、たまに歌って、気ままに帰る。そんな日々を過ごしていた。自分の素性を明かすことなく、たまたま居合わせた人と昭和のお笑いの話なんかをしたり、たまたま居合わせた人と『ロンリーチャップリン』をデュエットしたりすることが私にとって最高の癒しだった。
だんだん顔見知りが増えていった。最高の時間だったはずが何故だか気分ではなくなっていった。それは飽きてきた頃だったとも思えるし、それまでの居心地の良さが何故だか窮屈さに反転していった頃だったとも思う。
そして、その後に、私が向かった先は大学院だった。いろいろな大義名分はあったけれど、今思えば、誰でもない自分でいられる場所として、ただ自分の問題意識と向き合っていれば良い時間を求めていたように思う。そして、こちらもスナック同様、同級生との交流が増え、素性がバレていくうちに、その魅力が半減していくということも実感した。コミュニティというものは良くも悪くも、コミットしていけばいくほど、自ずと役割が発生しまうものである。
だからこそ、ひとり時間って大事。
逃げるって大事。
友達とワイワイしなくても、常連の店がなくても大丈夫。ひとりで喫茶店でボーッとするだけでもいい。絶対に役割を課せられることのない聖域は、断然ひとりの時間である。
役割を離れて過ごせる時間があるから、役割を求められる場所での自分に余裕がもてる。
ソロ活と言えばの鴨長明の『方丈記』は俗世を離れ、達観して一人で生きる男の随筆だと思っていたが、ある時、彼は最後まで「これで良いのかな?」と自問自答し、揺れていたということを知る。
役割だけの生活は苦しい。けれど、役割が全くない人生は詫びしい。
結局は、その中で揺れるしかない。あえてその揺れ幅を大きくした方が気が楽になるし、日々を楽しめそうだ、と私は最近考えるようになった。
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