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読書は、人生がただ一度であることへの抗い

友人から薦められたオンライン英会話を始めようと思っているが、重い腰が上がらない。腰を上げなくてもいいはずなのに。家でできる気軽さで軽妙に始めてしまえばいいだけなのに、重い腰が上がらない。

動画配信サービスを観る時間が思いっきり増えてしまい、それはそれで疲れるので、積ん読の中から「“今”読みたい!」と思う本をピックアップしたり、amazonでポチッとしたり。

最近読んだ本、読もうとしている本たち。ベストセラーになっているカミュの『ペスト』、“今”が記されているとことあるごとに騒がれるオーウェルの『一九八四年』……歴史は繰り返すではないが、「答えに行き着いて、安心したい」という私の“今”の気持ちが表れているラインアップ。「名作と言われるものには何か現状の出口、つまり答えが書かれているのではないか?」と大いに期待しているのだと思う。

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読み始めは「“今”が書いてある!」と興奮はするものの、すぐにどっと疲れてしまう。それで集中力がなくなり、放り投げる。途中から、線を引きながら、特に気になる箇所を書き出しながら……と読書方法を変えたら、だいぶと頭に入ってくるようにはなった。“今”読むべき本なのかもしれないが、私は、読書に意味を求めすぎてしまっている。本当に“今”自分が欲している本がわからくなっている。そんなことをぼんやり思っている。

小説が書かれ読まれるのは、人生がただ一度であることへの抗議からだと思います

作家の北村薫さんが、たしか『空飛ぶ馬』のあとがきで書いていた。この一文に触れた時、「そうなんだよ! そうなんだよ!」と膝を打つような思いだった。

「時間はたっぷりある!」と、長い間、いつかは読みたいと思いつつも読み逃してきた名作と向き合う。もちろん、そこから得られるカタルシスは絶大だが、こんな状況下だからこそ、“今”に縛られない作品に、もっともっと自由に、積極的に触れていきたいな、と思う。人生は一度きりだが、読書で抗うことはできる。

自分がほかの誰かになれるとしたら? 次に本を選ぶ時はリラックスして、そう考えることにしよう。

余談だが、ブックカバーチャレンジ的なものが私のSNSのタイムラインを席巻し始めている。出版社で働いているため、読書促進につながるムーブメントは喜ばしいこと。皆でつながるオンラインの公開イベントとしてポップに楽しめばいい、とも思うのだけれど、「7日間本を紹介する」「バトンを7人にまわす」と、私にとっては負荷がかかる作業(特に後者)なので、声がかかる度にキッパリ断っている。声をかけてくれたその中のひとりは「ごめん。そうだよね。私も断れば良かった」と言っていたので、ここまで広がると、きっと断りきれないで頑張ってしまう人も出ていると思う。逆に声がかからないでショックを受けている人もいる気がする。軽妙に楽しめる人とそうでない人がいる、ということは心に留めておきたい。

もちろん、読んで良かった本が紹介されているのは単純に嬉しい。それとこれとは別の話。

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