肉体の悶々(ヌ)我がお花系不妊治療戦記 Ⅲ ~コウノドリの謎

2015年の夏がやってきました。

およそ2年に及んだ不妊治療はもう辞めようと決め、やってくる夏を満喫しようといろいろなプランも立てました。

そんな折、夏だというのに体調がどうも優れなくなってしまいました。尾籠な話ですみませんが、私はほぼ持病と言っていいくらい膀胱炎になりやすい体質でして、それがまた来たかと思わしき諸症状が消えません。とにかく頻尿で、どーにも嫌な下半身の感じが全然消えない。

どーもなんかおかしいなあ、と思い始めたのは、暑い夏場のビールが全く美味しく感じなくなったある夜のことでした。お酒大好きなこの俺様が、普通はゴキュゴキュいける1杯目がまったく喉を通らず、ビアグラス1杯飲み終えるのがやっと。


あるぇ?


不妊治療やめてから、毎朝基礎体温を計測したり生理の予定日だのをせっせとスマホアプリで管理するという面倒なこともすっきり辞めていました。(これがまたもう、ものすごい開放感なのね)
さらに、これまでの治療で何度か経験があるのですが、ホルモン剤の服用とか注射とかやった後の月は生理の予定が大幅に狂うものでした。なので確か数日前のこの日に来ていなければならないはずのベイダーさん(※生理の我が家での隠語)が今に至るもうんともすんとも音沙汰がないことにも特に不自然は感じておらず、あー、またかな、くらいに思っておりました。

しかし、ここまでビールがまずいということは、尋常ではありません。ちなみにお店は我が家お気に入りの中でもトップクラスの地元のビストロです。ビールそのものはかなり美味しいはずです。


まーそんなはずはないんですが、というか治療辞めてるんですよ、培養した卵は死んでしまったし。まあ一本無駄にすると思って、どれどれ、と戯れに久々に妊娠検査薬を使ってみたんですけどね




したっけ(北海道弁)、わずか数秒で判定窓にくっきり陽性の青いラインが出たわけですよ。


ファッ?

ワッツハップンド?


人工授精やらタイミング法やらを経て、そのたびドキドキワクワクしながら検査に挑むも、うんともすんとも無風状態だったあの白い判定窓。これはもしかしたら検査のやり方がまずいのではないかと、紙コップに尿を貯めて検査棒を漬け込むみたいなこともやりました。トイレに籠城したまま、無風状態の小窓をいつまでも眺めていたこともありました。いや、よくよく見ると薄ーい薄ーい青い線が見えるような気がする、心の目で見れば見える気がする、などと自分を欺瞞しつつ、でも結局その数日後には何事も無かったようにふつーに生理が来る、という無情な現実。そういう繰り返しをもうイヤになるほどやってきておりました。というか、期待→無駄打ち→落胆、のサイクルに心底うんざりしていました。

そういう経緯があったあとなので、あっさり、何もしていないのに陽性判定が出た時には、嬉しいよりも何よりも

「お、おぅ」

が先に口をついて出ました。
ビールのまずさで妊娠を知る2015年夏。
完全に諦めていましたんでその2日後に北海道サイクリング旅行に出発する予定が入っていましたし、さらにその5日後には香港と台湾への出張の予定も入っていました。さらに言えば夏フェスのチケットも買っちゃいましたし、そのうえ東北での100キロ自転車レースにもエントリーしておりました。(結局最後以外は全部やってしまいましたが。今のところ中の人は元気です。すまん中の人)

翌日産院に行って確認したところ、あっさり心音まで確認。「おめでとうございます」といいながらニコニコの先生が見せてくれたエコー写真には確かに今まで一度も見たことのない丸い物体が写っていました。

私は2年不妊治療をやって、治療に費やした金額は合計で50万以上のどこかみたいな感じでしたでしょうか。中には10年やっていて1000万コースでも結果が出ない、という方もいらして、こういうように結果は出ないわ妊活が原因で離婚しちゃうわという悲劇的な方もいらっしゃいます。確率が高いといわれる体外受精でも、年齢的な因子を考えると私の年齢では妊娠率は10%前後とかだそうですし。おそらくこのように妊活業界に参戦している方々にとって、前回前々回に書いたような私の苦悩など「屁」でございましょう。

私はそもそも「自分がもてるものすべてを引き換えにしても子供が欲しい」とは思っていませんでした。他にも楽しい生活や大切な価値というものがありつつ、女性としての最終の〆切が近づいたので、焦りもありふわっと妊活を始めたクチです。薬も婦人科の診察も大嫌いだし、自分の時間とカネを自分の意志に反して取られまくるのも基本的にはいやでいやでしょうがない人です。なので、とにかく決めたところまでしか妊活をやらない、と最初にクリニックに通い始める時にきっちり決めていました。こんな屁の精神力と忍耐力と頑張りレベルの人が、治療を辞めたとたんに自然妊娠した。というのはなんというか・・・。妊活を真面目に続けている人には申し訳ないような気持ちと、あらためて「命が生まれる」こととは、人知を超えた何かによってもたらされているものだなあ、との思いをもちました。

ゆるふわクリニックの治療は結果的には役に立たなかったけど、一つだけ心に残った先生の一言があります。「とにかく、自然にね。頑張りすぎちゃだめだよ」と。悲壮になるくらいだったら辞めた方がいい、辛くなるなら辞めた方がいい。治療のせいで夫婦仲が拗れてしまうようなら辞めた方がいい、というのはしきりに言っていました。最終的には、そういうスタンスで臨んだことが自分にとってはやはり正解だったのかもしれません。布ナプキンと卵子擬人化はいただけませんでしたが、そういう意味ではここのクリニックを選んでよかったのかもしれません。

妊活という言葉は、就活とか婚活のように「頑張っていろいろな手段を講じて活動していれば、しかるべきのちに結果(就職なり結婚なり)にたどり着ける」という感じで使われているのかと思います。
しかし、そもそも不妊治療とは頑張った時間をかけたお金をかけたからといって、結果が伴うかどうかは当たるも八卦というか、気まぐれなコウノトリさんの胸先三寸、というのが実情なのではないのか。だから、今の流行りの「●●活」をつけて、真摯にまじめにそしていつまでも活動することをもてはやすような風潮は、多くの人にとってあまりよくない結果しか生まないのではないか、というのがまことに不真面目に妊活を終えた自分の感想です。

全力で子供を作ろうとしなかった自分のところを選んで子が来てくれたことも含み、世の中にはきちんと説明のつかないことがあふれているのであって、だからこそこの世は不条理で、でも面白いのだろうな、と。



さらに言えば、妊娠できたからと言って無事に産めるかどうかは出てくるまでわかりません。おうちに帰るまでが遠足、健康で産むまでが妊娠、ですので。かくいう私も現在妊娠中期に入ったものの、なにせ二度も子宮を切っているためハイリスク妊娠は絶賛継続中でして、割れそうに痛む腰とか妊娠性蕁麻疹とかしつこい食べづわりなどと戦いつつ、来るべき決戦に備えるべく積極的に全力でだらだらと生きている毎日でございます。ていうか『コウノドリ』に筋腫手術した妊婦が臨月に子宮破裂で大量出血して死亡するという縁起でもないエピソードが出てくるので内心大変気が気ではありません。

ワーディングということでいえば不妊「治療」というのもいかがなものなのか、というのもあります。子供が授からないことは「病気」であり、適切な治療を受けなければならない、みたいな。

アメリカのどこかのセレブが「どうして子供を産まないの」という質問に対して「私は歌うことができる喉を持っているけど、シンガーになろうという選択をしなかった。同様に子宮も持っているけど、子供を産む選択をしなかった」みたいな回答をした、みたいなコラムが気に入っていまして。子どもがいない人できない人に対して何かひけめとかプレッシャーを感じさせるような世の中であってはいけないとも強く思います。

なので、不妊治療・妊活にまい進している方には「くれぐれも、頑張りすぎない程度に頑張ってください、つらかったら休んだり何か別のコトを考えたりしてちょっと頭の中を整理してください」と強く言いたい。だって、妊娠って最終的にはほんと運ですから。子どもがいる人生もいない人生も、それぞれ同等程度に素晴らしいと私は今でも思っています。どっちに転ぶかを自分で100%選ぶことは、今の医療技術ではできない。だったら、どっちに転んでもどっちもしゃぶりつくし美味しいところを味わった方が絶対にトクだと思うので。


いちおうこのシリーズ完。
次の更新は中の人の話になるかな・・・。





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