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世界はずっと歪んでいる

先日、
とあるDiscordで自分の絵(手癖)を殺したい
って話をした。

話した相手も大層殺したがっておったが
私も負けず劣らず殺したい。
ずっと殺したい。

いつ頃からそう思ったのかわからないけど
多分小学か中学生くらいの時に
絵を見せ合う友達に
「yokoshiの絵は、すぐyokoshiが描いた絵ってわかるね」
と言われた言葉が嬉しくもあり、呪いでもあったように思う。
ま、別にいいんだけど。

ただ言わせてほしいが好きでこの絵になったわけじゃねぇ。
小学校か中学校のときも今よりずっと下手だったが
後で見るとやっぱり自分の絵だった気もするし(もうその資料は残っていない)
高校~大学で絵をやってたときも、やっぱりどう考えても自分の絵だと思う。

※大学のイラストレーションで描いたどうにもなっていない絵を載せておく

タイル何なん?
可愛くないわねお前
どこにいるのお前たち

絵は、形と光を捉え、角膜と水晶体のところで屈折して網膜細胞に像を結び、それがそれぞれ色を感知する細胞が刺激され、それが電子信号となって視神経を通じ脳で処理されて、じゃぁ絵でも描くかってことで腕などに電子信号が行って、そのへんにある支持体にお気に入りの筆記用具を持って腕や指を動かす。
その動きの加減でもって、やれ神絵だのクソ絵だの萌え絵などが出来上がるという認識。

結局、インプットしたものが脳という、未だ全容が解明されていない不思議空間(脳)で変換されて、腕・手でアウトプットしている。
絵が下手っていうときは、インプットの量と質、脳での変換、腕・手の練度のどれか、または全てに問題があると思う。

そして、自分はと言うとおそらく脳での変換がどうも歪んでいる。
正確に言うと目~脳の変換あたりがどうにもおかしい気がしてならない。
常に絵がおかしいし、後で見てもおかしいし、描いていてその数分後はザイオンス効果により「好き/////」ってなっているが、数時間・数日・数年経つと、もう別れたクソ彼氏かクソ旦那かと思えるほどの嫌悪の対象になることも多い。
も・や・し・た・い!!!!!(燃やした)

有名な絵師の魔王様が、それは数分前・数時間前・数日前・数年前より成長してるからわかることなんだよ、って仰っていて「なるほどな」と思ったりもしたけど、本当に成長など出来ているのであろうか。

どうみてもずっと私の絵でしかないのだが・・・?(私が描いたからな)

もしかすると、
気に入らない理由は自分の絵だからかもしれない・・・!
ということで手癖を極力殺したいと思うようになった。

ただ、それを思っていてもなかなか殺せないもので、
最近は、その歪みこそが美しさにつながる本質的な部分なのかもしれないと思うようになった。

というのも、多くの作家は、目が大きいだの口が大きいだの、胸がバインバインだの尻がだるんだるんだの、色んな手癖や特徴があり、それが持ち味になり、売れているわけだ。

その特徴を取ってしまうと、途端にどこにでもある絵になってしまったり、物足りない絵になったり、違う作家に間違われる絵になることだってあるだろう。

特徴は他と違う
と言うこと。大きかったり歪んでたり。
つまりそれは目から手腕に伝達される中で、どうにも外れることのできない大きな轍があって、そこを高速暴走バイクで飛ばしていて、時に揺らいでそれたりもするが、キメッキメっで突っ走っているこの快感がやめられない!というのが絵を描いていて楽しいということなのかもしれない。
手癖を殺そうとする行為は、その轍とは違う小さな轍を作り始めて、ヨロヨロとうまく走れない状態なのかもしれない。だから苦しいし、楽しくない。でもそのうち、轍も広がって転がしやすくなるわけだ。

形が大きかったり歪むことも決して悪ではなく、俗に言う個性なのかもしれない。
あぁそう思うと少し楽になるね。

さいとうなおき先生もそれに近いようなこと言ってたし。
個性はパクチー。
そういえば、あたい、パクチー大好きだったわ!!!
https://www.youtube.com/watch?v=Ymy6K926UQ8

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