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追憶のミーコ その9

2006年。
角川書店の文芸誌にて、
「電車屋赤城」の連載が始まった。

この頃には、複数の出版社から執筆の依頼があった。
すべて大手である。
打ち合わせと称する接待も頻繁に受けた。
まるで世界が一変したような心持ちであった。
「夢じゃないよな?」と、
自分の頬を何度も叩いたものである。
それほど今までとは違った。

なにより驚いたのがギャラ、つまり原稿料だった。
「少なくてすみません」と提示されるのが、
バイク誌の頃の倍以上の額だったのである。
しかも好きなだけ書いてよいという。
さらに取材費も別途で出た。
ともかく、書けば書くほど貧しくなったそれまでとは、
まるで違う世界である。

食事も、一日三食に戻った。
見切り品狙いで、
こそこそスーパーに行くこともなくなった。
バイクへの給油も、
リッター単位ではなく満タンとなった。
とはいえ、結果を出さなければならない。
私は渾身の力を込めて、「電車屋赤城」の執筆を続けた。

そんな私の邪魔をしてはいけないと思ったのか、
ミーコはあまり顔を出さなくなっていた。

そんなある日であった。
都内での打ち合わせのために、
部屋を出て駅に向かう私の前に、
突然ミーコが現れたのだ。

電車に遅れまいと、私は急いでいた。
しかし「あとでな、ミーコ」と何度言っても、
足元にじゃれつき、そしてついてくる。
いつもとは違う声音で鳴いている。
こんなことは初めてであった。
おかしい、とは感じた。
だが待ち合わせがある。
腕時計に目をやり、
「夜には帰ってくるから」と何度言っても、
ミーコは足元から離れようとしない。
私は小走りとなった。
そこでミーコは、まとわりつくのをやめた。
振り返ると、ミーコは路上に座り、
じっとこちらを見つめていた。

そう。
それがミーコを見た最後だった。

その夜も翌日も、何日経っても、
ミーコは姿を現さなかった。
そしてそれは今に続く永遠になった。

あれは、私への別れの挨拶だったのだろう。

猫は、自分の寿命を知っているのだと思う。
予知能力も備わっているのかもしれない。
自分の死を悟り、そっと姿を消すと、
誰かに教わったこともある。

今となってはどうしようもないことだが、
あのとき私は、立ち止まるべきだった。
抱き上げ、真意を汲み取るべきであった。
メッセージを受け取り、
これまでの感謝を伝え、
別れを惜しむべきであった。
それだけが、悔いとなり今も残っている。

私とミーコの日々は、終わった。

そうして「電車屋赤城」が刊行され、
唐突に見えないミーコが現れ、
私は慟哭するのであった。

よく、西日を見つめていた。

※次回で終わりにします。

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