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その納得、本当の気持ちですか?

 哲学者、政治家、ネロ帝の家庭教師としても知られる古代ローマのセネカ(紀元前1年〜65年)の残したとされる言葉「誰だって、判断するより、むしろ信じたい」があります。今回はこの言葉について思ったことを書こうと思います。
 皆さんは難しい命題や事柄について、自分で考えて答えを見出すよりも、本やネットで調べて「あーなるほど」と思うことはあるでしょうか。なるべく楽に正しい知識を付けられれば好都合だと思いますよね。一方で、その調べたことを本当かとどれくらい疑ったでしょうか。本当にその本、サイトの内容を完全に受け入れられるでしょうか?おそらく、全てを受け入れられるものには滅多に出会えないと思うのです。つまり、これはおそらく正しいことが書いてあるだろうと、曖昧さを振り切って信じていると思うのです。その方が考えるよりも楽だから。ここで先述のセネカの言葉を振り返ると、見事にこの状況を言い表していると思うのです。
 世の中を眺めていると一体どのくらいの課題や問題に明確な解があるでしょうか。つまり、本やネットに答えが載っていると言ってもいいでしょう。そんなことはおそらく滅多になく、よく考えて見なければ方向性すら見えてこない問題ばかりだと思います。自分はこの状況での重要な姿勢について、「常に正しい知識・思考を得ようとする潔癖主義ではなく、自分にとって重要な場面で間違った判断を下さないよう警戒を怠らないこと。(中略)思考(と行動)を動かすカンや柔軟性を身につけること。」というある教授からの言葉を引用したいと思います。すぐに何でも「信じる」のはある意味柔軟な感受性を持っていると言えるのですが、一度立ち止まって本当の気持ちを考えてみるのもいいかもしれません。
<参考文献・サイト>
・ショーペンハウアー『余録と補遺』
・大学の教授からの言葉

 

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