書評『イノセント・デイズ』

2023年度「サギタリウス・レビュー 学生書評大賞」(京都産業大学)
図書部門 特別賞作品

「幸乃の最後はハッピーエンドかそれともバッドエンドか」
奥川綜一郎 経営学部・マネジメント学科 3年次

作品情報:早見和真『イノセント・デイズ』(新潮文庫、2017)

元恋人の家に放火して妻と1歳の双子を殺めた田中幸乃と産科医、義姉、中学時代の親友、元恋人の友人など彼女の人生に関わった人々の語りから浮かび上がる「整形シンデレラ」と揶揄するマスコミ報道との虚妄。そして終盤から明かされる哀しい真実とは一体何か。 事件の凄惨さから死刑判決を言い渡される彼女だが再審はせず、ただ死刑が執行される日を待ち望み、外野では幼馴染の弁護士が無罪となるよう奔走する長編ミステリーである。

ストーリーの全般は、それぞれ1章ずつ幸乃と関わりがあった人から見た、幸乃の人物像について語られるのだが、私は誰一人として彼らに感情移入できるエピソードはなかった。なぜなら、彼らの言動に全く共感できなかったからに尽きる。あの場面でどうして彼女を見捨てたのか、なぜ幸乃の本心を考えなかったのかと彼らが思春期で心身ともに未熟だったからという理由で済ますことは決してあってはならないと思った。彼らが幸乃の死刑執行を知り、自分の行いを懺悔する者、幼少期の思い出を取り戻そうとするもの、全く動じないものなど十人十色だった。

例えば、幸乃が中学生の頃、唯一共通の好きな事で意気投合した小曽根という子がいた。彼女は学校独自の女友達のコミュニティから見捨てられたくない思いから、つい犯罪行為に手を染めてしまう。しかし、小曽根の母が悲しむという理由から幸乃が彼女の罪を受け入れ、濡れ衣を着る。幸乃は彼女に対して、嫌悪感を示さずむしろ彼女を助けたいという思いすら垣間見えた。

なぜ、彼女は他人の罪を被るのかそして放火事件による死刑宣告に再審をしないのか。その理由は彼女の人間性にあった。先ほど、他人の犯罪行為を代わりに背負ったように彼女は他人から嫌われることを最も恐れていた。もっと言うと、彼女を必要としている人から見捨てられたくなかったのだ。その背景には、母が先天性の発作が原因で事故死した日から繰り返し行われた父のDVがあった。その後、名字も変わり学校でも疎外感に悩まされ、自分は誰からも必要とされていないと悲惨な幼少期を送った。しかし、学校で始めてできた友人や恋人など、自分を必要だと認識してくれる人物と出会うなかで自分よりも彼らの幸福を第一に考えるようになった。

幸乃が死刑執行を望んだ理由も、相手との人間関係の拗れにより彼女の価値観も不安定になり徐々に精神が追い込まれてしまい、命を絶つ方法を模索していた中、放火事件を機に冤罪人となりやっと死刑という強制的に命を絶つ方法を得たのである。

ここまでから推測されるように幸乃の人柄は至って優しく、他人想いである。タイトルの「イノセント」が幸乃を指していることは読んでいて察する方もいると思う。ではなぜ「イノセント」なのか、それは彼女が作中の登場人物の中で最も無垢な存在だったからである。しかし、その人間性が不幸なことに彼女の生涯にとって重い足かせとなってしまった。

この作品の結末はバッドエンドであり、ハッピーエンドでもある。それは誰に感情移入するかによって異なる。

私はこの作品の結末がハッピーエンドであると思う。なぜなら、この作品は決して幸乃の転落人生を描いているわけではない。彼女は母と同じく先天性の発作を抱えながら孤独ながら周囲の人と関わり合い、時には人生を他人に左右されたとしても、必要としてくれる人のために最大限尽くしてきた。そんな彼女が、冤罪と知りながらも最後まで「自分を必要としてくれる人に見捨てられることが嫌」と一貫した価値観のまま死刑を受け入れたのである。

一つの感情(悲しい、怒り、寂しい、安堵した)だけで、この作品を語ることは難しいが少なくとも幸乃は最後には救われたんだという気持ちを持った。皆さんも、この作品を読んで果たしてハッピーエンドかそれともバッドエンドと感じるのかぜひ体感していただきたい。