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その思いはどこからくるのか?


以前入社したばかりのスタッフに
「それでも作り続けることができるのはどうしてか?」と聞かれた。

え、深い意味ないよ。。。
子供が夢中で泥団子磨いたり、
砂場に掘ったトンネルに水流したり
砂浜で座り込んでたら波が戯れてくれるのが気持ちいい
そんな感じ。

作るのが楽しい。
っていう概念ではなくて
何もかんがえずに気がついたら作っている感じ。

一生懸命作ったものを食べて欲しい。
喜んで欲しい。
満足のいく時間が終えれて後からそんなところの気持ちが湧いてくる。

全部勝手な押し付けで、自己満足でしかない。
作りたいものをひたすら作って届けている。

そんなに頑張ってる実感はない。
頑張らなくてもできていることなので、
多分前世でやっていたとか?、与えられた宿命とか??

とことんやりたくってやっている。

そういえば、近所に栗や銀杏、胡桃までもも拾いに行ってお弁当に入れようと
ひたすら堅い殻との格闘したことも。
リーフレタスやミニトマトは庭で作っていた時期も。
自然農の勉強もちょこっとしてみたり。
おもしろそ〜とか、どんな味なんだろう、美味しいだろうな。。

8年経って、(←時間かけすぎっ、、かなりアホ、、、)
ようやく自分の手の広げた大きさや背負える荷物がわかるようになってきた。

今は土は触らない。
できるだけ重い荷物は持たず、台車や台座を使って体を大切に使う。
疲れたら寝る。
できる事ややりたい手間は存分に惜しみなく。
しんどくなったら休むを繰り返しつつ。

飲食業に就て8年目。
8歳だと小学校2年生くらいかな。
少しずつ大人になっていっているのかもしれない。

これまで付き合わせてしまったけれど
たのし〜〜って思っている人しか残っていないと思う。


昨夜は
なぜ田舎に住もうと思ったの?どこからその思いが来たの?」
と聞かれた。

これはさっきの質問と逆行していて、親としての理想や憧れから。

無心になれる場所で子育てがしたい。
たくさんの自然の中で、感覚を研ぎ澄ませてほしい。
そう考えてのこと。

実は私は洗練されたインテリア雑誌の中のような暮らしで生まれ育ち
とてもキレイな、環境で育った。
お手伝いさんもいて、夕飯作ってくれたな。
泥臭い子育てじゃなくて、
感情の波風を立ててはいけないような。

だからこそ挑戦したかった。
子供ができたら、、、いっぱい挑戦したかった。

例えば、食器洗い機ではなくて、手で洗う。
スィッチぽんのお風呂ではなくて、薪でくべるおふろ。
誰かがお風呂に入ってる時に、薪を足してあげたりする感じ。

子育ては布おむつを縫い、毎日たくさん洗濯物を干して
庭で育てたスイカは子供達のたらいプールで冷やしたり
お腹空いたらきゅうりやトマト野苺や柿、いたどりをちぎって食べながら遊んだり。
冬の寒い時にはみんなで味噌を仕込み、
庭の七輪で魚を焼いて。
「コラー!!」って大きな声で怒ったり
飼っているペットの死に直面して一緒に泣いたり
お腹空いた赤ちゃんに納豆渡してぐちゃぐちゃドロドロにされて大笑いしたり
虫取り網が死なるほどの大きなカエル捕まえて図鑑で一緒に調べたり

昭和な子育て、、自然の摂理を肌身に染み込ませるような経験や
自然の厳しさや優しさを感じながら育って欲しかった。
いや、違うね。
私がそう育ちたかったんだ。

そういうわけで、私の子供心はいまだに健在で
日々冒険や挑戦をやりたいようにやっているはた迷惑な大人。

私の日常の色んなことの原動力は、今生きている感覚を味わいたいからなのかな。

書き進めているうちに気がついた。


毎日のお弁当のタグは私のこの全文の要約、
各SNSの紹介コーナーの冒頭はスタッフが交代で書いてくれています。

合わせてお楽しみください。



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