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「キャボット家」と黒船ペリーの末裔「アリス」と「九条節子」(貞明皇后)と「昭和天皇ヒロヒト」を結ぶ点と線

キャボット一族はイタリア名はカボート一族です。
別名はウォーバーグでしょう。
ブッシュ一族の親分、あのウォーバーグです。

(参照:ブログ「黄金の金玉を知らないか?」さまの記事より)



まえがき

私が知りたいのはただ一つ。
誰が誰と繋がって、この日本は悪魔が跋扈するような国になっていったのかということ。

本記事でお伝えしたい内容は独自ではとても書けるものではないため、ネットで検索してこれはと思えた記事のご紹介となります。


貞明皇后(ていめいこうごう)の旧名は九条 節子(くじょう さだこ)

貞明皇后(ていめいこうごう)の旧名は九条 節子(くじょう さだこ)というそうです。昭和天皇の生みの母親(ということになっている方)ですね。「節子」は「せつこ」ではなく「さだこ」と読ませるのは一体何故かというのが第一の疑問でしたね。

そういえば皇族の紀子さんも「のりこ」ではなく「きこ」というのも、普通とは変わった読み方だということを思い出しました。皇族という特殊な方々というのは、何かわざとそのような名前の呼び方にするのが習わしなのでしょうか?

貞明皇后 - Wikipedia

この女性はやはりイルミナティ側に嫁ぐ人なので普通の女性ではありませんね。ご参考記事はこちらです。↓↓↓


本記事は九条 節子(くじょう さだこ)について主として書き、彼女に関連する人物や出来事を分かりやすく書ければいいかと思って臨んでいますが、やはり自分だけの力では無理というのは最初から分かっていますので、ネットで検索していたら、よさそうな記事を見つけました。

ご紹介させていただく記事には、麻生太郎とその祖父である吉田茂、吉田茂の養父である吉田 健三をはじめ、明治維新の裏側について、そして昭和天皇・裕仁の母親である貞明皇后つまり九条節子に課せられた目的についても、その他ロスチャイルドや私の知らないことが多数書かれていました。

九条節子とペリーの末裔アリスが出てくる記事は「新地球へようこそ」様の記事では2つのブログが紹介されていました。
そのうちの1つはImagine&Think!様の記事でしたが、同じ名称が入っているブログがもう一つありました。私が閲覧していたブログと「新地球へようこそ」様の記事で紹介されていたブログは別のブログでした。両者の記事は多少違うと思われますので、本記事ではそれぞれご紹介させていただこうと思います。


私が閲覧していたブログの記事では「るいネット」からの引用もされているようです。そのルイネットからの引用記事はこちらですね。
        ↓ ↓ ↓
日本の政界をコントロールするスコットランド貴族達②~黒人奴隷売買と麻薬売買で富を築いたキャボット一族 - るいネット (rui.jp)

まず先に、ルイネットからの記事を引用させていただきます。

注目すべき文言を太字とさせていただきます。

市場の支配構造

212394 日本の政界をコントロールするスコットランド貴族達②~黒人奴隷売買と麻薬売買で富を築いたキャボット一族  
猛獣王S ( 30代 東京 営業 ) 09/08/07 PM11 【印刷用へ

212393の続きです。

『日本の政界をコントロールする、スコットランド貴族達』(オルタナティブ通信)リンクより転載します。

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19世紀、江戸幕末の日本で倒幕の武力闘争を開始した薩摩・長州に鉄砲・弾薬の購入資金を提供したモルガン財閥のJ・ピアポント・モルガンは、明治維新政府の「生みの親」として、その代理人トーマス・ラモントを使い、日本の三菱財閥、三井財閥の「育成に力を注いだ」。モルガン財閥は、ロスチャイルド一族の代理人であった。


ロスチャイルドの代理人として、米国で、ロックフェラー一族に資金を注ぎ込む「窓口」となって来たのが、このモルガンであった。


1930年代、日本が中国侵略を行う際、その資金提供を行っていたロスチャイルド=ロックフェラー・ブッシュ一族。その資金提供の「交渉窓口」であった在日アメリカ大使ジョセフ・グルーも、また、モルガン=ロスチャイルド財閥の一族であった。ジョセフの従兄妹ジェイン・ノートン・グルーは初代J・P・モルガンの後継者ジャック・モルガンの妻であった。


この在日大使ジョゼフの妻アリス・ペリー・グルーは、名前の示す通り「黒船ペリー」の末裔として日本・東京で育ち・教育を受けていた。アリスの「幼馴染」であり、華族女学院=学習院女子部時代から、常に、アリスと共に3人で行動し、アリスから世界経済・政治について「レクチャー」を受け、侵略者ペリーと、ロスチャイルド=モルガンの「情報操作教育=洗脳教育」を受けていたのが、クリスチャン・鍋島信子、と九条節子であった。九条節子は昭和天皇・裕仁の母であり、アリスの親友・鍋島信子の娘は秩父宮妃である。


このアリスの母の旧姓はキャボット。黒人奴隷売買と、麻薬売買で富を築いたキャボット一族である。


九条節子等を通じ、昭和天皇以降の、「天皇に対する思想教育・思想洗脳」を「担当」して来たのが、奴隷貿易・麻薬貿易業者キャボットと、世界帝国の指揮官ロスチャイルドである。


天皇は、ロスチャイルドによる日本人奴隷支配のための「先兵」に過ぎない。天皇は、ロスチャイルドの「出先機関」である。


アリスの夫ジョセフ・グルーも、ハーバート大学時代、学生新聞「クリムゾン」の編集に携わっていたが、同じサークル仲間の友人に、キャボットが創立資金を出した麻薬専売会社ラッセル社の中国支配人であったルーズベルト一族のフランクリン・ルーズベルト(後の大統領)が居た。


一方、モルガン=ロスチャイルド資金で、倒幕に成功した明治政府の中核=薩摩藩士・大久保利通の息子は牧野家に養子に入り牧野伸顕を名乗っていたが、その娘・牧野雪子(大久保利通の孫)は年離れの親友アリスに「事実上、師事」し、国際情勢・政治経済の「教育」を受ける。モルガン=ロスチャイルドの洗脳教育である。牧野雪子は吉田茂の妻となり、吉田もモルガン=ロスチャイルドに寵愛され、出世街道を上昇して行く。雪子は麻生太郎首相の祖母である。


このアリスという女性の出自、日本での教育・土着の仕方、そして「政治的動きの奇妙さ」は、明らかに幼児期から英才教育を受けた諜報・スパイの動きである。


麻生首相の麻生産業グループの親会社が、ロスチャイルドの船舶会社ラファルジュであると言う経済的実態関係だけでなく、こうして、キャボット=アリス=天皇・吉田茂夫妻=麻生首相へと、有色人種(黒人、アジア・日本人)奴隷支配の「帝王学の系譜」は「継承されて来た」


なおキャボット一族の「直営」研究所が米国ブルッキングス研究所であり、かつてはナチス・ドイツの侵略戦争の「資金繰り」を担当した財務大臣ヒャルマール・シャハトを輩出している。


また、米国の通貨政策はブルッキングス研究所が作り、FRBが実行すると言われて来たが、このFRB議長を長年、務めてきたのがグリーンスパンである。グリーンスパン自身が経営し、その会長を務めるコンサルタント会社タウンゼンド・グリーンスパン社は、ブルッキングス研究所の下部機関として調査・研究に「従事」している。


グリーンスパンの「ボス」が、キャボット一族と「弁護士を共有」している事は先述した。


また長年、日本の内需拡大策(日本の富を米国買収に持って来るな、という通貨政策)として「日本の高速道路計画」を策定して来たのは、かつての日本道路公団では全く無く、このブルッキングス研究所=キャボット一族である。日本の財政赤字を拡大させる「無駄な公共事業の元凶=道路族」の、バックボーンは、ここにある

https://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=212394


次に、「さてはてメモ帳 Imagine&Think!  重要情報をゴミに埋もれさせないよう絵本化 避難所」さまの記事のご紹介です。

私は自分で理解しやすくしたいため、引用元記事を抜粋させていただき、それに見出しを付けさせていただきます。なお、カッコ書きで自分としての注釈も付けさせていただきます。

では、さっそくご紹介してまいります。

(人様の記事)さてはてメモ帳 Imagine&Think!  重要情報をゴミに埋もれさせないよう絵本化 避難所


暗号名 ヨハンセン 投稿者:Legacy of Ashesの管理人 - さてはてメモ帳 Imagine & Think! (goo.ne.jp)

こちらの記事↑を引用させていただきます。

暗号名 ヨハンセン 投稿者:Legacy of Ashesの管理人
2015-04-16 13:36:56 | 八百長戦争
暗号名 ヨハンセン  投稿者:Legacy of Ashesの管理人 投稿日:2015年 4月14日(火)17時49分36秒
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/3229

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/456.html

日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」、世界の真実の姿を求めて(海軍どころか外務省が既に腐敗していたようです)
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/456.html
投稿者 小沢内閣待望論 日時 2011 年 1 月 04 日 13:01:33: 4sIKljvd9SgGs

http://oujyujyu.blog114.fc2.com/blog-entry-679.html
日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」

太平洋戦争の前夜に日本の対米英戦争を決定した1941.9.6の「帝国国策遂行要領」に関する所謂「御前会議」の内容を細大漏らさず、敵米国の駐日大使に通報していた、日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」とは吉田茂。
元自民党総裁
=麻生太郎の祖父。

また吉田茂元首相の再軍備問題のブレーンだった辰巳栄一元陸軍中将(1895~1988年)も、米中央情報局(CIA)に「POLESTAR―5」のコードネーム(暗号名)で呼ばれていた。

「吉田は1878年(明治11年)、土佐自由党草分けの一人、竹内綱の五男として東京に生まれた。幼児に横浜の富裕な貿易商、吉田健三の養子となり、東京帝国大学政治科を卒業後、外務省に入省した。大久保利通の次男、牧野伸顕伯爵の長女、雪子と結婚。天津総領事、奉天総領事、イタリア大使、イギリス大使を歴任した。吉田茂は取り巻く人間を通して、ロスチャイルドの影響を受けていた。


吉田茂の養父である吉田 健三。

吉田 健三(吉田茂の養父)は帰国後、横浜に移って英国商社・ジャーディン・マセソン商会横浜支店長に就任。日本政府を相手に軍艦や武器、生糸の売買でめざましい業績をあげる。

ジャーディン・マセソン商会はロスチャイルド系であり、設立当初の主な業務は、アヘンの密輸と茶のイギリスへの輸出。
富豪であった健三の急死後、わずか11歳の吉田茂に50万円(現在の六十億円に相当)もの莫大な遺産が残される。

そして吉田茂の妻となった牧野雪子。
牧野雪子はアリスを通じてモルガン=ロスチャイルドの洗脳教育を受けた。

在日大使ジョゼフの妻アリス・ペリー・グルーは、名前の示す通り「黒船ペリー」の末裔として日本・東京で育ち・教育を受けていた。
アリスの「幼馴染」であり、華族女学院=学習院女子部時代から、常に、アリスと共に3人で行動し、アリスから世界経済・政治について「レクチャー」を受け、侵略者ペリーと、ロスチャイルド=モルガンの「情報操作教育=洗脳教育」を受けていたのが、クリスチャン・鍋島信子、と九条節子であった。

九条節子は昭和天皇・裕仁の母であり、アリスの親友・鍋島信子の娘は秩父宮妃である。このアリスの母の旧姓はキャボット。
黒人奴隷売買と、麻薬売買で富を築いたキャボット一族である。

吉田茂は妻となった牧野雪子により、天皇ともつながりを持つようになる。

吉田茂ー牧野雪子ーキャボット=アリスー九条節子(昭和天皇・裕仁の母)=天皇吉田もモルガン=ロスチャイルドに寵愛され、出世街道を上昇して行く。

雪子は麻生太郎首相の祖母である。

麻生の正体 
太平洋戦争の前夜に日本の対米英戦争を決定した1941.9.6の「帝国国策遂行要領」に関する所謂「御前会議」の内容を細大漏らさず、敵米国の駐日大使に通報していた、日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」こと吉田茂は、今の自民党総裁選の本命=麻生太郎の祖父だった(鬼塚英昭「天皇のロザリオ」上p403、成甲書房)。 

その功績で、トルーマン米大統領と占領軍最高司令官Dマッカーサーの決定で、吉田茂が戦後最長の長期政権の首相になった。 
麻生一族は、明治期に天皇が50万人の日本女性を拉致・連行して欧州へ女郎として売り払った時の石炭会社と石炭船運行会社のオウナーだった。
それで儲けた麻生の会社は資本蓄積して発展した(「オルタナティブ通信)。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E5%81%A5%E4%B8%89

吉田 健三(よしだ けんぞう、嘉永2年(1849年) - 明治22年(1889年))は日本の武士(福井藩士)、実業家。、
昭和期の内閣総理大臣・吉田茂は養子、英文学者・吉田健一は孫に当たる。

1849年、越前福井藩士・渡辺謙七の長男として誕生する。
のち、絶家していた渡辺家の一門・吉田家を再興した。
1864年に脱藩して大坂で医学を、次いで長崎で英学を学んだ。
1866年にはイギリス軍艦でイギリスへ密航し、2年間、同国に滞在して西洋の新知識を習得した。
1868年に帰国。一時は新潟に居住するが、のち横浜に移って英国商社・ジャーディン・マセソン商会横浜支店長に就任。
日本政府を相手に軍艦や武器、生糸の売買でめざましい業績をあげる。

さらに3年後に退社して独立し、慰労金(1万円)を元手に様々な事業を展開する。英学塾を皮切りに、翌1872年には東京日日新聞の経営に参画。

さらには醤油の醸造業や電灯会社の設立、ビールやトタン、フランネルの輸入など、実業家としての頭角を顕して横浜有数の富豪に成長した。

自由民権運動の高まりを見せていた当時、健三は自由民権・国会開設派の牙城であった東京日日新聞の経営参画を通じ、板垣退助や後藤象二郎、竹内綱ら、自由党の面々と誼を通じて同党を経済的に支援した。

特に竹内とは昵懇で、1878年の保安条例公布によって東京を追放された際、横浜の吉田邸に身を寄せている。

1881年8月には、竹内の5男茂を養嗣子とする。
生来心身頑強だったが、1888年の父謙七の死去後に病を得、横浜にて急死した。享年40。家族 [編集]妻は、儒学者佐藤一斎の孫・士子(ことこ)である。

茂が養嗣子となった理由について、実子に恵まれなかった健三が竹内に対し、当時懐妊していた竹内の妾が生んだ子が男ならば自分の養嗣子として貰い受ける約束をしていたから、といわれる。

備考 [編集]
富豪であった健三の死後、わずか11歳の茂に50万円(現在の六十億円に相当)もの莫大な遺産が残される。
茂はこれを「吉田財閥」と自嘲気味に称してはいるが、やがて遺産の大半を蕩尽してしまう。
莫大な遺産を一体何に蕩尽したのか、今もって不明である。
横浜太田町に構えた本邸の表門は、小男であった健三の背丈にあわせて造られていた。
政府高官や実業家などの訪問客が出入りしたが、低い門構えであるため、門内で待ち構えている健三に対して自ずとお辞儀をする羽目になったという。

茂の幼年期の回想によれば、健三は日の出前に起床するや、家族や女中らをたたき起こして毎朝大掃除をするなど、エネルギッシュな一面をもっていたという。

狩猟が趣味で、自ら狩猟協会を立ち上げて副会長に就任している。

因みに、会長には公爵近衛篤麿を擁立している。
大磯における初期の別荘族として知られる。
国府本郷村(現在の大磯町内)の海浜沿いの広大な地所を徐々に買い増し、1万坪もの別荘を営んでいる。

戦後「大磯」は、首相となった茂の代名詞となった。

信心深かった健三は、後年菩提寺として光明寺(神奈川県横浜市南区所在)を建立している。同寺の山号(吉上山)は健三と盟友であった上郎幸八の一字ずつと取って命名されている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%BB%E3%82%BD%E3%83%B3

ジャーディン・マセソン
ジャーディン・マセソン(Jardine Matheson Holdings Limited, 怡和控股有限公司)は、香港にヘッドオフィスを置くイギリス系企業グループの持株会社。

ロスチャイルド系であり、米誌フォーチュン誌の世界企業番付上位500社の企業ランキング「フォーチュン・グローバル500」では世界437位。

前身は東インド会社で、元は貿易商社。
1832年、イギリス出身のイギリス東インド会社元船医で貿易商人のウィリアム・ジャーディン[William Jardine, 1784-1843]とジェームス・マセソン[James Matheson, 1796-1878]により、中国の広州(沙面島)に設立された。中国語名は「怡和洋行」。

中国での拠点は1844年に上海の共同租界、外灘(バンド)の中山東一路27号に移し怡和洋行大楼と呼ばれた。
この場所の当時の地番は1号であり、ジャーディン・マセソンが最初に外灘(バンド)にて土地を獲得した。
(現在は外貿大楼と呼ばれ上海市対外貿易公司や上海市外貿局等が入るが、間もなくサックス・フィフス・アベニューの中国1号店となる予定。)

1841年に大英帝国の植民地の香港に本社を移転(現在登記上の本社はバミューダ諸島・ハミルトン))。

170年たった今でも、アジアを基盤に世界最大級の国際コングロマリット(国際複合企業)として影響力を持っている。
設立当初の主な業務は、アヘンの密輸と茶のイギリスへの輸出。

同じロスチャイルド系の香港上海銀行(HSBC)は、ジャーディン・マセソンなどが香港で稼いだ資金をイギリス本国に送金するために設立された銀行である。

清とイギリスとの間で1840年から2年間にわたって行われたアヘン戦争に深く関わっている。

アヘンの輸入を規制しようとする清朝政府とイギリスの争いが起こった際に、当時のアヘン商人の一つであるジャーディン・マセソン商会のロビー活動により、イギリス本国の国会は9 票という僅差で軍の派遣を決定した。

陳舜臣の『阿片戦争』にも、ウィリアム・ジャーディンとジェームス・マセソンが登場人物として登場する。

香港が中国に返還されるまでは、イギリス植民地資本であるジャーディン・マセソンの役員や幹部らがイギリス植民地下の香港行政局(現在の行政会議 )の非官守(官職)議員として参加し、香港政庁の政策に影響力を行使していた。

日本での歴史 [編集]日本では、幕末・明治期の重要人物であるトーマス・ブレーク・グラバー[Thomas Blake Glover, 1838-1911]が長崎代理店として「グラバー商会」を設立。

現在はグラバー園として公開されている。

幕末・明治の日本において、五代友厚(薩摩)、伊藤博文(長州)、坂本竜馬(海援隊)、岩崎弥太郎(三菱財閥)等を支援し、フランスに支援された徳川幕府打倒にも密接に絡んだたことで倒幕運動(明治維新)の黒幕としても知られる。

横浜(旧山下町居留地1番館、現山下町一番地)にも、1859年(安政6年)に上海支店にいたイギリス人ウィリアム・ケズィック[William Keswick, 1834-1912]

(ウィリアム・ジャーディン[William Jardine]の姉の子)が支店である「ジャーディン・マセソン商会」を設立。

日本に進出した外資第1号としても知られる。 麻生太郎前首相の祖父である吉田茂の養父・吉田健三が一時期、同社横浜支店長を勤めていた。

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=212394『日本の政界をコントロールする、スコットランド貴族達』(オルタナティブ通信)リンクより転載します。----------------------------------------------------------------
19世紀、江戸幕末の日本で倒幕の武力闘争を開始した薩摩・長州に鉄砲・弾薬の購入資金を提供したモルガン財閥のJ・ピアポント・モルガン[John Pierpont Morgan, 1837-1913]は、明治維新政府の「生みの親」として、その代理人トーマス・ラモント[Thomas Lamont, 1870-1948]を使い、日本の三菱財閥、三井財閥の「育成に力を注いだ」。

モルガン財閥は、ロスチャイルド一族の代理人であった。

ロスチャイルドの代理人として、米国で、ロックフェラー一族に資金を注ぎ込む「窓口」となって来たのが、このモルガンであった。

1930年代、日本が中国侵略を行う際、その資金提供を行っていたロスチャイルド=ロックフェラー・ブッシュ一族。

その資金提供の「交渉窓口」であった在日アメリカ大使ジョセフ・グルー[Joseph Clark Grew,1880-1965]も、また、モルガン=ロスチャイルド財閥の一族であった。

ジョセフの従兄妹ジェイン・ノートン・グルー[Jane Norton Grew]は初代J・P・モルガンの後継者ジャック・モルガン[John Pierpont "Jack" Morgan, Jr., 1867-1943]の妻であった。

この在日大使ジョゼフの妻アリス・ペリー・グルー[Alice Perry Grew]は、
名前の示す通り「黒船ペリー」の末裔として日本・東京で育ち・教育を受けていた。

アリスの「幼馴染」であり、華族女学院=学習院女子部時代から、常に、アリスと共に3人で行動し、アリスから世界経済・政治について「レクチャー」を受け、侵略者ペリーと、ロスチャイルド=モルガンの「情報操作教育=洗脳教育」を受けていたのが、クリスチャン・鍋島(松平)信子、と九条節子であった。九条節子は昭和天皇・裕仁の母(貞明皇后)であり、アリスの親友・鍋島信子の娘(勢津子)は秩父宮妃である。

このアリスの母の旧姓はキャボット。黒人奴隷売買と、麻薬売買で富を築いたキャボット一族である。

九条節子等を通じ、昭和天皇以降の、「天皇に対する思想教育・思想洗脳」を「担当」して来たのが、奴隷貿易・麻薬貿易業者キャボットと、世界帝国の指揮官ロスチャイルドである。

天皇は、ロスチャイルドによる日本人奴隷支配のための「先兵」に過ぎない。天皇は、ロスチャイルドの「出先機関」である。

アリスの夫ジョセフ・グルーも、ハーバート大学時代、学生新聞「クリムゾン」の編集に携わっていたが、同じサークル仲間の友人に、キャボットが創立資金を出した麻薬専売会社ラッセル社の中国支配人であったルーズベルト一族のフランクリン・ルーズベルト(後の大統領)が居た。

一方、モルガン=ロスチャイルド資金で、倒幕に成功した明治政府の中核=薩摩藩士・大久保利通の息子は牧野家に養子に入り牧野伸顕を名乗っていたが、その娘・牧野雪子(大久保利通の孫)は年離れの親友アリスに「事実上、師事」し、国際情勢・政治経済の「教育」を受ける。

モルガン=ロスチャイルドの洗脳教育である。

牧野雪子は吉田茂の妻となり、吉田もモルガン=ロスチャイルドに寵愛され、出世街道を上昇して行く。

雪子は麻生太郎首相の祖母である。

このアリスという女性の出自、日本での教育・土着の仕方、そして「政治的動きの奇妙さ」は、明らかに幼児期から英才教育を受けた諜報・スパイの動きである。

麻生首相の麻生産業グループの親会社が、ロスチャイルドの船舶会社ラファルジュであると言う経済的実態関係だけでなく、こうして、キャボット=アリス=天皇・吉田茂夫妻=麻生首相へと、有色人種(黒人、アジア・日本人)奴隷支配の「帝王学の系譜」は「継承されて来た」。

なおキャボット一族の「直営」研究所が米国ブルッキングス研究所であり、かつてはナチス・ドイツの侵略戦争の「資金繰り」を担当した財務大臣ヒャルマール・シャハトを輩出している。

また、米国の通貨政策はブルッキングス研究所が作り、FRBが実行すると言われて来たが、このFRB議長を長年、務めてきたのがグリーンスパンである。

グリーンスパン自身が経営し、その会長を務めるコンサルタント会社タウンゼンド・グリーンスパン社は、ブルッキングス研究所の下部機関として調査・研究に「従事」している。

グリーンスパンの「ボス」が、キャボット一族と「弁護士を共有」している事は先述した。

また長年、日本の内需拡大策(日本の富を米国買収に持って来るな、という通貨政策)として「日本の高速道路計画」を策定して来たのは、かつての日本道路公団では全く無く、このブルッキングス研究所=キャボット一族である。

日本の財政赤字を拡大させる「無駄な公共事業の元凶=道路族」の、バックボーンは、ここにある。http://www.47news.jp/CN/200910/CN2009100301000210.html

吉田茂側近がCIAに情報を提供 早大教授が米公文書発見 
吉田茂元首相の再軍備問題のブレーンだった辰巳栄一元陸軍中将(1895~1988年)が、米中央情報局(CIA)に「POLESTAR―5」のコードネーム(暗号名)で呼ばれ、自衛隊や内閣調査室の創設にかかわる内部情報を提供していたことを示す資料を3日までに、有馬哲夫早大教授(メディア研究)が米国立公文書館で発見した。

日本の再軍備をめぐり、吉田元首相の側近までも巻き込んだ米国側の対日情報工作の一端を示しており、戦後の裏面史に光を当てる貴重な発見だ。 

有馬教授は同館で発見したCIAのコードネーム表、辰巳氏ら旧軍人に関する文書などを総合的に分析。

「より強力な軍隊と情報機関の創設を願っていた旧軍人の辰巳氏は、外交交渉で日本に再軍備を迫っていた米国にCIAを通じて情報を流すことで、米国が吉田首相に軽武装路線からの転換を迫ることを期待していた」と指摘している。

CIAの辰巳氏に関するファイル(52~57年)では、辰巳氏は実名のほか「首相に近い情報提供者」「首相の助言者」「POLESTAR―5」とさまざまな名称で呼ばれ、「保安隊の人選」「自衛隊」「内閣調査室」などの「情報をCIAに与えた」と記されていた。

辰巳氏は占領期、旧軍人による反共工作組織「河辺機関」の一員で、連合国軍総司令部(GHQ)の了解の下、新たな軍隊と情報機関の立案に参画していた。吉田は首相就任後、「河辺機関」のほとんどの旧軍人を遠ざける一方、辰巳氏を信頼し、50年の警察予備隊の幹部人選などを任せた。

世界の金融王の経歴 2008年07月17日http://alternativereport1.seesaa.net/article/103047840.html 

長い間、世界経済・金融の帝王として、米国中央銀行FRBの議長であった、アラン・グリーンスパン。グリーンスパンは学生時代、スパイ養成大学として名高いコロンビア大学で博士号を取った。

第二次世界大戦中、対日の暗号解読部隊の中心地であった大学である。

学生時代のグリーンスパンの経済学の指導教授はジェーコブ・ウォルフォウィッツ[Jacob Wolfowitz, 1910-81]。

後に父ブッシュ政権で、国防副長官としてイラクとの戦争を強く主張するイスラエル直系の軍事産業の代理人ポール・ウォルフォウィッツの父である。学生時代からグリーンスパンは、この「組織」に「リクルート」されていた。

1977年、ロスチャイルドの銀行J・P・モルガンの、「社員」としてグリーンスパンは頭角を現わす。

このモルガン時代のグリーンスパンの同僚に、サウジアラビアの富豪スレイマン・オラヤンが居た。

オラヤンはモルガンの国際諮問委員会のメンバー、グリーンスパンは社外取締役であった。

当初は、アラムコ=アラビアン・アメリカ・オイルのトラックの運転手から出発したオラヤンは、後に、サウジの石油マネーをグリーンスパンと協力し、米国銀行に投資する「仲」となる。

グリーンスパンをFRB議長に指名した、前任者のFRB議長ポール・ヴォルカー[Paul Volcker, 1927-]は、財務省の次官であったロバート・ローザ[Robert Roosa, 1918-93]の指導下で教育を受け、その右腕として出世の階段を登って行った人物であった。

グリーンスパンのボスはヴォルカーであり、ヴォルカーのボスは、ローザであった。ローザは、ロックフェラー=ブッシュのハリマン銀行[Brown Brothers Harriman]の取締役であり、ローザのボスはロックフェラーであった。

明治維新
http://satehate.exblog.jp/20904939/

麻生太郎と南オセチアにみるマスコミの体質 by 桜井春彦
http://satehate.exblog.jp/9501704/

奴隷貿易商人の末裔=麻生太郎首相の系譜 by オルタ 他
http://satehate.exblog.jp/9879942/

下山事件 最後の証言 1
http://satehate.exblog.jp/22176519/

白洲次郎のプリンシプルとは? by 鬼塚英昭 原爆ホロコーストへの道http://satehate.exblog.jp/9332877/

ドラマ『白洲次郎』?
http://satehate.exblog.jp/10988148/

ヨハンセンと呼ばれた男 戦後最大の裏切り者 吉田茂と白洲次郎 伝説はかくつくられる。 日本の闇 / 2013-10-12 11:31:48http://blog.goo.ne.jp/luca401/e/1ed1a90a7eed19075ee9fdde16116c47?fm=entry_related

明治維新から吉田茂までの英米による日本支配の概略http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=268860

原爆投下の日本側の工作スパイ疑惑の(暗号名ヨハンセン)吉田茂首相から麻生太郎への影響力は、今は度の程度のものであろう?
 August 5, 2013 at 4:25pm

原爆を落とす命令はすべてスティムソンによってなされた。
その情報は国務大臣、グルーによって日本の吉田、牧野、樺山、白州のヨハンセングループを通じ貞明皇后に伝わっていた。http://mayo.blogzine.jp/blog/2008/07/post_3bbd.html

日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」

太平洋戦争の前夜に日本の対米英戦争を決定した1941.9.6の「帝国国策遂行要領」に関する所謂「御前会議」の内容を細大漏らさず、敵米国の駐日大使に通報していた、日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」とは吉田茂。元自民党総裁選=麻生太郎の祖父。

また吉田茂元首相の再軍備問題のブレーンだった辰巳栄一元陸軍中将(1895~1988年)も、米中央情報局(CIA)に「POLESTAR―5」のコードネーム(暗号名)で呼ばれていた。http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/456.html

500票束のバーコード付き票が全く管理されていないことの証明  小野寺光一 + 『目ン無い千鳥』
http://satehate.exblog.jp/21175393/

小泉総理のイスラエル、パレスチナ自治区及びヨルダン訪問 (概要と成果) 平成18(2006)年7月15日http://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/s_koi/mdeast_06/gs.html

2006年9月、福島県知事佐藤栄佐久氏辞職へ追い込まれ、10月23日に東京地検により収賄の容疑で逮捕される。 → 福島第一原発3号炉へMOX燃料投入へ: 東京電力 福島第一原子力発電所3号機 2010年(平成22年)9月18日より試運転開始。YAHOO知恵袋は闇組織の犯行予告に使われている? ザ・エデン 2015年04月13日http://kinnikuking.blog81.fc2.com/blog-entry-1309.html2008年10月22日

自国の支配層によって三たびも“核の人体実験”に投げ込まれた日本国民 あっしらhttp://satehate.exblog.jp/16704685/麻生大臣のヨルダン、イスラエル及びパレスチナ自治区訪問 (概要と成果) 平成19(2007)年8月http://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/g_aso/me_csa_07/me_gs.html

イスラエルの会社が、福島原発の安全管理をやっていた! by 千早http://satehate.exblog.jp/16081021/

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https://blog.goo.ne.jp/beingtt/e/0c5dc4b2938fc231a3adda77662aa8ab

※画像を拝借いたします。

<日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」とは吉田茂。 元自民党総裁選=麻生太郎の祖父>
https://blog.goo.ne.jp/beingtt/e/0c5dc4b2938fc231a3adda77662aa8abより拝借


<吉田茂元首相の再軍備問題のブレーンだった辰巳栄一元陸軍中将(1895~1988年)も、米中央情報局(CIA)に
「POLESTAR―5」のコードネーム(暗号名)で呼ばれていた。>

https://blog.goo.ne.jp/beingtt/e/0c5dc4b2938fc231a3adda77662aa8abより拝借


<吉田茂は取り巻く人間を通して、ロスチャイルドの影響を受けていた。>
https://blog.goo.ne.jp/beingtt/e/0c5dc4b2938fc231a3adda77662aa8abより拝借


<吉田茂の養父である吉田 健三>
https://blog.goo.ne.jp/beingtt/e/0c5dc4b2938fc231a3adda77662aa8abより拝借


<ジャーディン・マセソン(Jardine Matheson Holdings Limited, 怡和控股有限公司)は、
香港にヘッドオフィスを置くイギリス系企業グループの持株会社。
ロスチャイルド系であり、米誌フォーチュン誌の世界企業番付上位500社の企業ランキング
「フォーチュン・グローバル500」では世界437位。

前身は東インド会社で、元は貿易商社。
1832年、イギリス出身のイギリス東インド会社元船医で貿易商人の
ウィリアム・ジャーディン[William Jardine, 1784-1843]と
ジェームス・マセソン[James Matheson,
1796-1878]により、中国の広州(沙面島)に設立された。中国語名は「怡和洋行」。>
https://blog.goo.ne.jp/beingtt/e/0c5dc4b2938fc231a3adda77662aa8abより拝借


<中国での拠点は1844年に上海の共同租界、外灘(バンド)の中山東一路27号に移し
怡和洋行大楼と呼ばれた。この場所の当時の地番は1号であり、ジャーディン・マセソンが最初に外灘(バンド)にて土地を獲得した。(現在は外貿大楼と呼ばれ上海市対外貿易公司や上海市外貿局等が入るが、間もなくサックス・フィフス・アベニューの中国1号店となる予定。)

1841年に大英帝国の植民地の香港に本社を移転
(現在登記上の本社はバミューダ諸島・ハミルトン))。
170年たった今でも、アジアを基盤に
世界最大級の国際コングロマリット(国際複合企業)として影響力を持っている。>
https://blog.goo.ne.jp/beingtt/e/0c5dc4b2938fc231a3adda77662aa8abより拝借


<設立当初の主な業務は、アヘンの密輸と茶のイギリスへの輸出。
同じロスチャイルド系の香港上海銀行(HSBC)は、ジャーディン・マセソンなどが
香港で稼いだ資金をイギリス本国に送金するために設立された銀行である>
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<香港が中国に返還されるまでは、イギリス植民地資本であるジャーディン・マセソンの役員や
幹部らがイギリス植民地下の香港行政局(現在の行政会議 )の非官守(官職)議員として参加し、香港政庁の政策に影響力を行使していた。>
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<日本では、幕末・明治期の重要人物であるトーマス・ブレーク・グラバー
[Thomas Blake Glover, 1838-1911]が長崎代理店として「グラバー商会」を設立。>
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<現在はグラバー園として公開されている。>
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<横浜(旧山下町居留地1番館、現山下町一番地)にも、1859年(安政6年)に上海支店にいた
イギリス人ウィリアム・ケズィック[William Keswick, 1834-1912]>
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<(ウィリアム・ジャーディン[William Jardine]の姉の子)が支店である
「ジャーディン・マセソン商会」を設立。日本に進出した外資第1号としても知られる。
麻生太郎前首相の祖父である吉田茂の養父・吉田健三が一時期、同社横浜支店長を勤めていた

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<19世紀、江戸幕末の日本で倒幕の武力闘争を開始した薩摩・長州に鉄砲・弾薬の購入資金を
提供したモルガン財閥のJ・ピアポント・モルガン[John Pierpont Morgan, 1837-1913]>
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<明治維新の「生みの親」としてその代理人:トーマス・ラモント>
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<その資金提供の「交渉窓口」であった在日アメリカ大使ジョセフ・グルー>
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<この在日大使ジョゼフの妻アリス・ペリー・グルー[Alice Perry Grew]は、名前の示す通り
「黒船ペリー」の末裔として日本・東京で育ち・教育を受けていた。アリスの「幼馴染」であり、華族女学院=学習院女子部時代から、常に、アリスと共に3人で行動し、
アリスから世界経済・政治について「レクチャー」を受け、
侵略者ペリーと、ロスチャイルド=モルガンの「情報操作教育=洗脳教育」を受けていたのが、
クリスチャン・鍋島(松平)信子、と九条節子であった。
九条節子は昭和天皇・裕仁の母(貞明皇后)>
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<アリスの親友・鍋島信子の娘(勢津子)は秩父宮妃である。>
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<このアリスの母の旧姓はキャボット。
黒人奴隷売買と、麻薬売買で富を築いたキャボット一族である。>
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九条節子等を通じ、昭和天皇以降の、「天皇に対する思想教育・思想洗脳」を「担当」して来たのが、奴隷貿易・麻薬貿易業者キャボットと、世界帝国の指揮官ロスチャイルドである。
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<天皇は、ロスチャイルドによる日本人奴隷支配のための「先兵」に過ぎない。
天皇は、ロスチャイルドの「出先機関」である。>
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アリスの夫ジョセフ・グルーも、ハーバート大学時代、
学生新聞「クリムゾン」の編集に携わっていたが、
同じサークル仲間の友人に、
キャボットが創立資金を出した麻薬専売会社ラッセル社の中国支配人であったルーズベルト一族のフランクリン・ルーズベルト(後の大統領)が居た。

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一方、モルガン=ロスチャイルド資金で、倒幕に成功した明治政府の中核
=薩摩藩士・大久保利通の息子は牧野家に養子に入り牧野伸顕を名乗っていた

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その娘・牧野雪子(大久保利通の孫)は年離れの親友アリスに「事実上、師事」し、
国際情勢・政治経済の「教育」を受ける。モルガン=ロスチャイルドの洗脳教育である。
牧野雪子は吉田茂の妻となり、吉田もモルガン=ロスチャイルドに寵愛され、
出世街道を上昇して行く。雪子は麻生太郎首相の祖母である
。>
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なおキャボット一族の「直営」研究所が米国ブルッキングス研究所であり、
かつてはナチス・ドイツの侵略戦争の「資金繰り」を担当した
財務大臣ヒャルマール・シャハトを輩出している
。>
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また、米国の通貨政策はブルッキングス研究所が作り、FRBが実行すると言われて来たが、
このFRB議長を長年、務めてきたのがグリーンスパンである。

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<学生時代のグリーンスパンの経済学の指導教授は
ジェーコブ・ウォルフォウィッツ[Jacob Wolfowitz, 1910-81]
。>
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後に父ブッシュ政権で、国防副長官としてイラクとの戦争を強く主張する
イスラエル直系の軍事産業の代理人ポール・ウォルフォウィッツの父である。
学生時代からグリーンスパンは、この「組織」に「リクルート」されていた
。>
https://blog.goo.ne.jp/beingtt/e/0c5dc4b2938fc231a3adda77662aa8abより拝借


 

グリーンスパンをFRB議長に指名した、
前任者のFRB議長ポール・ヴォルカー[Paul Volcker, 1927-]

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財務省の次官であったロバート・ローザ[Robert Roosa, 1918-93]
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グリーンスパンのボスはヴォルカーであり、ヴォルカーのボスは、ローザであった。
ローザは、ロックフェラー=ブッシュのハリマン銀行[Brown Brothers Harriman]の取締役
であり、ローザのボスはロックフェラーであった
。>
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https://blog.goo.ne.jp/beingtt/e/0c5dc4b2938fc231a3adda77662aa8abより拝借



<小泉総理のイスラエル、パレスチナ自治区及びヨルダン訪問 
(概要と成果) 平成18(2006)年7月15日>
https://blog.goo.ne.jp/beingtt/e/0c5dc4b2938fc231a3adda77662aa8abより拝借


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<麻生大臣のヨルダン、イスラエル及びパレスチナ自治区訪問 
(概要と成果) 平成19(2007)年8月>
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<イスラエルの会社が、福島原発の安全管理をやっていた!>
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<113 311>
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自分のために見出しを付けたいために、抜粋させていただき、見出しを付けさせていただきます。

1.日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」は吉田茂で麻生太郎の祖父でした

太平洋戦争の前夜に日本の対米英戦争を決定した1941.9.6の「帝国国策遂行要領」に関する所謂「御前会議」の内容を細大漏らさず、敵米国の駐日大使に通報していた、日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」とは吉田茂。元自民党総裁=麻生太郎の祖父。

また吉田茂元首相の再軍備問題のブレーンだった辰巳栄一元陸軍中将(1895~1988年)も、米中央情報局(CIA)に「POLESTAR―5」のコードネーム(暗号名)で呼ばれていた。

(※吉田茂のCIAコードがポチと書かれた記事あり↓)

(※ 吉田茂総理のCIAコードネームがポチ。 (daiwaryu1121.com) )


吉田は1878年(明治11年)、土佐自由党草分けの一人、竹内綱の五男として東京に生まれた。

幼児に横浜の富裕な貿易商、吉田健三の養子となり、東京帝国大学政治科を卒業後、外務省に入省した。

大久保利通の次男、牧野伸顕伯爵の長女、雪子と結婚。

天津総領事、奉天総領事、イタリア大使、イギリス大使を歴任した。
吉田茂は取り巻く人間を通して、ロスチャイルドの影響を受けていた。


2.吉田茂は養父である吉田 健三から11歳で健三の急死後に莫大な遺産を受け継いだ

吉田 健三(吉田茂の養父)は帰国後、横浜に移って英国商社・ジャーディン・マセソン商会横浜支店長に就任。
日本政府を相手に軍艦や武器、生糸の売買でめざましい業績をあげる。

ジャーディン・マセソン商会はロスチャイルド系であり、設立当初の主な業務は、アヘンの密輸と茶のイギリスへの輸出。
富豪であった健三の急死後、わずか11歳の吉田茂に50万円(現在の六十億円に相当)もの莫大な遺産が残される。


3.吉田茂の妻となった牧野雪子、「黒船ペリー」での侵略者ペリーの末裔である在日大使ジョゼフの妻アリス・ペリー・グルー、そしてクリスチャン・鍋島信子と九条節子の女性たちは「情報操作教育=洗脳教育」を受けていた!

そして吉田茂の妻となった牧野雪子。
牧野雪子はアリスを通じてモルガン=ロスチャイルドの洗脳教育を受けた。

在日大使ジョゼフの妻アリス・ペリー・グルーは、名前の示す通り「黒船ペリー」の末裔として日本・東京で育ち・教育を受けていた。
アリスの「幼馴染」であり、華族女学院=学習院女子部時代から、常に、アリスと共に3人で行動し、アリスから世界経済・政治について「レクチャー」を受け、侵略者ペリーと、ロスチャイルド=モルガンの「情報操作教育=洗脳教育」を受けていたのが、クリスチャン・鍋島信子、と九条節子であった。


4.九条節子は昭和天皇・裕仁の母であり、アリスの母の旧姓はキャボットで、黒人奴隷売買と麻薬売買で富を築いたキャボット一族!

九条節子は昭和天皇・裕仁の母であり、アリスの親友・鍋島信子の娘は秩父宮妃である。このアリスの母の旧姓はキャボット。
黒人奴隷売買と、麻薬売買で富を築いたキャボット一族である。


5.吉田茂ー牧野雪子ーキャボット=アリスー九条節子(昭和天皇・裕仁の母)=天皇吉田もモルガン=ロスチャイルドに寵愛され、出世街道を上昇!

吉田茂は妻となった牧野雪子により、天皇ともつながりを持つようになる。

吉田茂ー牧野雪子ーキャボット=アリスー九条節子(昭和天皇・裕仁の母)=天皇吉田もモルガン=ロスチャイルドに寵愛され、出世街道を上昇して行く。

雪子は麻生太郎首相の祖母である。


6.麻生家の史実の1つ~明治天皇による日本人女性の人身売買との関わり、健三の生活様式や趣味および茂が養子となった経緯、茂が健三からの遺産の使徒不明の件などについても

麻生の正体 
太平洋戦争の前夜に日本の対米英戦争を決定した1941.9.6の「帝国国策遂行要領」に関する所謂「御前会議」の内容を細大漏らさず、敵米国の駐日大使に通報していた、日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」こと吉田茂は、今の自民党総裁選の本命=麻生太郎の祖父だった(鬼塚英昭「天皇のロザリオ」上p403、成甲書房)。 

その功績で、トルーマン米大統領と占領軍最高司令官Dマッカーサーの決定で、吉田茂が戦後最長の長期政権の首相になった。 

(※日本の黒い霧さんのブログで、トルーマンは日本人を猿扱いした発言をしていたことがわかる記事あり↓)

(※日本にとって最悪だったアメリカ大統領まとめ。 (daiwaryu1121.com)


麻生一族は、明治期に天皇が50万人の日本女性を拉致・連行して欧州へ女郎として売り払った時の石炭会社と石炭船運行会社のオウナーだった
それで儲けた麻生の会社は資本蓄積して発展した(「オルタナティブ通信)。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E5%81%A5%E4%B8%89


吉田 健三(よしだ けんぞう、嘉永2年(1849年) - 明治22年(1889年))は日本の武士(福井藩士)、実業家。、
昭和期の内閣総理大臣・吉田茂は養子、英文学者・吉田健一は孫に当たる。
1849年、越前福井藩士・渡辺謙七の長男として誕生する。
のち、絶家していた渡辺家の一門・吉田家を再興した。
1864年に脱藩して大坂で医学を、次いで長崎で英学を学んだ
1866年にはイギリス軍艦でイギリスへ密航し、2年間、同国に滞在して西洋の新知識を習得した。
1868年に帰国。一時は新潟に居住するが、のち横浜に移って英国商社・ジャーディン・マセソン商会横浜支店長に就任
日本政府を相手に軍艦や武器、生糸の売買でめざましい業績をあげる。

さらに3年後に退社して独立し、慰労金(1万円)を元手に様々な事業を展開する。英学塾を皮切りに、翌1872年には東京日日新聞の経営に参画

さらには醤油の醸造業や電灯会社の設立、ビールやトタン、フランネルの輸入など、実業家としての頭角を顕して横浜有数の富豪に成長した。

自由民権運動の高まりを見せていた当時、健三は自由民権・国会開設派の牙城であった東京日日新聞の経営参画を通じ、板垣退助や後藤象二郎、竹内綱ら、自由党の面々と誼を通じて同党を経済的に支援した。

特に竹内とは昵懇で、1878年の保安条例公布によって東京を追放された際、横浜の吉田邸に身を寄せている。

1881年8月には、竹内の5男茂を養嗣子とする
生来心身頑強だったが、1888年の父謙七の死去後に病を得、横浜にて急死した。享年40。家族 [編集]妻は、儒学者佐藤一斎の孫・士子(ことこ)である。

茂が養嗣子となった理由について、実子に恵まれなかった健三が竹内に対し、当時懐妊していた竹内の妾が生んだ子が男ならば自分の養嗣子として貰い受ける約束をしていたから、といわれる

備考 [編集]
富豪であった健三の死後、わずか11歳の茂に50万円(現在の六十億円に相当)もの莫大な遺産が残される。
茂はこれを「吉田財閥」と自嘲気味に称してはいるが、やがて遺産の大半を蕩尽してしまう。
莫大な遺産を一体何に蕩尽したのか、今もって不明
である。
横浜太田町に構えた本邸の表門は、小男であった健三の背丈にあわせて造られていた。
政府高官や実業家などの訪問客が出入りしたが、低い門構えであるため、門内で待ち構えている健三に対して自ずとお辞儀をする羽目になったという。

茂の幼年期の回想によれば、健三は日の出前に起床するや、家族や女中らをたたき起こして毎朝大掃除をするなど、エネルギッシュな一面をもっていたという。

狩猟が趣味で、自ら狩猟協会を立ち上げて副会長に就任している。

(※「狩猟が趣味で自ら狩猟協会を立ち上げる」でふと思ったことは、これがきっかけで統一教会が銃の元締めみたいなことになったのかな?でした。間違っているかもしれませんが。)



因みに、会長には公爵近衛篤麿を擁立している。
大磯における初期の別荘族として知られる。
国府本郷村(現在の大磯町内)の海浜沿いの広大な地所を徐々に買い増し、1万坪もの別荘を営んでいる。

戦後「大磯」は、首相となった茂の代名詞となった。

信心深かった健三は、後年菩提寺として光明寺(神奈川県横浜市南区所在)を建立している。同寺の山号(吉上山)は健三と盟友であった上郎幸八の一字ずつと取って命名されている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%BB%E3%82%BD%E3%83%B3

ジャーディン・マセソン
ジャーディン・マセソン(Jardine Matheson Holdings Limited, 怡和控股有限公司)は、香港にヘッドオフィスを置くイギリス系企業グループの持株会社。

ロスチャイルド系であり、米誌フォーチュン誌の世界企業番付上位500社の企業ランキング「フォーチュン・グローバル500」では世界437位。

前身は東インド会社で、元は貿易商社。
1832年、イギリス出身のイギリス東インド会社元船医で貿易商人のウィリアム・ジャーディン[William Jardine, 1784-1843]とジェームス・マセソン[James Matheson, 1796-1878]により、中国の広州(沙面島)に設立された。中国語名は「怡和洋行」。

中国での拠点は1844年に上海の共同租界、外灘(バンド)の中山東一路27号に移し怡和洋行大楼と呼ばれた。
この場所の当時の地番は1号であり、ジャーディン・マセソンが最初に外灘(バンド)にて土地を獲得した。
(現在は外貿大楼と呼ばれ上海市対外貿易公司や上海市外貿局等が入るが、間もなくサックス・フィフス・アベニューの中国1号店となる予定。)

1841年に大英帝国の植民地の香港に本社を移転(現在登記上の本社はバミューダ諸島・ハミルトン))。

170年たった今でも、アジアを基盤に世界最大級の国際コングロマリット(国際複合企業)として影響力を持っている。
設立当初の主な業務は、アヘンの密輸と茶のイギリスへの輸出

同じロスチャイルド系の香港上海銀行(HSBC)は、ジャーディン・マセソンなどが香港で稼いだ資金をイギリス本国に送金するために設立された銀行である。

清とイギリスとの間で1840年から2年間にわたって行われたアヘン戦争に深く関わっている。

アヘンの輸入を規制しようとする清朝政府とイギリスの争いが起こった際に、当時のアヘン商人の一つであるジャーディン・マセソン商会のロビー活動により、イギリス本国の国会は9 票という僅差で軍の派遣を決定した。

陳舜臣の『阿片戦争』にも、ウィリアム・ジャーディンとジェームス・マセソンが登場人物として登場する。

香港が中国に返還されるまでは、イギリス植民地資本であるジャーディン・マセソンの役員や幹部らがイギリス植民地下の香港行政局(現在の行政会議 )の非官守(官職)議員として参加し、香港政庁の政策に影響力を行使していた。

7.「グラバー商会」を設立したトーマス・ブレーク・グラバーは明治維新の黒幕としても知られる!「ジャーディン・マセソン商会」は日本での「グラバー商会」の支店第一号で、吉田健三が一時期、同社横浜支店長を勤めていた

日本での歴史 [編集]日本では、幕末・明治期の重要人物であるトーマス・ブレーク・グラバー[Thomas Blake Glover, 1838-1911]が長崎代理店として「グラバー商会」を設立。

現在はグラバー園として公開されている。

幕末・明治の日本において、五代友厚(薩摩)、伊藤博文(長州)、坂本竜馬(海援隊)、岩崎弥太郎(三菱財閥)等を支援し、フランスに支援された徳川幕府打倒にも密接に絡んだたことで倒幕運動(明治維新)の黒幕としても知られる。

横浜(旧山下町居留地1番館、現山下町一番地)にも、1859年(安政6年)に上海支店にいたイギリス人ウィリアム・ケズィック[William Keswick, 1834-1912]

(ウィリアム・ジャーディン[William Jardine]の姉の子)が支店である「ジャーディン・マセソン商会」を設立。

日本に進出した外資第1号としても知られる。 麻生太郎前首相の祖父である吉田茂の養父・吉田健三が一時期、同社横浜支店長を勤めていた。

(※ここでは唐突ですが「支店」での連想で思い出されてきた「あること」↓)

思い出した事とは、でれでれ草さんのブログで書かれていたことです。
            ↓ ↓ ↓
美智子皇后の真実①謎の出自 | 皇室ブログ・でれでれ草 (sakura.ne.jp) 

『伏見様のブログに依る新事実:
かつて佐賀県多久に網雄さんと言う男性がいて、若い頃上海で仕事をしてました。
1923年に、娘富美を連れて帰国。
1959年の皇太子妃婚約前に、副島家に戸籍を売って下さいと頼みに来たが、断られたので、勝手に副島を名乗った。本当に不思議なことだらけです。』

http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=836

(※なお、こちらの記事↑では、「正田冨美」と書かれていましたが、正しい名前は「冨美子」で、それを「冨美」と簡略化して書かれたのだろうと思っています。そして「正田冨美子」とは現在の上皇后である美智子さんの母親のことです。)
(※ 実は「正田冨美子」の家系図がおかしいことが書かれてもいました。↓↓↓)
美智子皇后の真実⑧同和地区だった(上) | 皇室ブログ・でれでれ草 (sakura.ne.jp)

正田富美(旧姓)副島(そえじま)富美は、家系図で父は、副島綱雄となっていますが、横線だけ引いて妻の欄は空欄で、その横線に、寂しげな縦線が下りて、娘、富美となっています。

http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=860

正田美智子の母、富美子の生母が不明です。

http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=860より拝借


 副島綱雄は、実態は、独身主義者(時代的に有り得ない)か、性的不能者か男色化のいずれかだったと推測します。
一番妥当性のあるのは、「無精子症」かな。

これなら、富美が誕生したとされる1909年(明治42年)日韓併合の1年前に、当時、いくら、上海イギリス疎開で、女遊びしても子供は出来なかっただろうと思います。

どうどうと偽造したのならば、妻の欄に、「キヌ」とか「ヤス」とか記入すれば出来上がりです。敢えてしなかった???

★実質は【養女】だったのだと推測します。
私は、綱雄が、上海英国疎開の【孤児院】から、見目麗しい【英中ハーフの幼い孤児】を貰い受けたか?禁断を侵して中国人の女との間に子を作ってしまった不良英国人神父から、直接貰い受けた可能性が高いと思います。同じような事は、「掲示板」の方々もおっしゃっていました

生前の正田富美は中国語ペラペラだったそうです。

さて、この正田富美と言う女、多くの写真を注視すると、色白で長身の美人、白人の血が入っていますね。

『正田富美の中国版Wikiを下記にコピペしました。
中国語の得意な方は、是非読んで翻訳して頂けると有り難いです。
中国語は高校の時に習った「漢文」と構造は同じですから、私でも確認できる箇所があります。

①最も重要だと思われるのは、本人のWikiにもかかわらず、父親の、副島綱雄の記載しかないことです。
中国人も調査した結果、母親の情報が取得できなかったのだと思います。

②兄弟の記載もありません。不自然だと思いますが、やはり、兄弟の情報が得られなかったのだと推測します。

③佐賀名門は、佐賀下級武士の間違いです。多久藩という2万石の小藩で、しかも家老でも何でもない家が、名門というのは笑止です。中国人が調査しに来た時に、富美本人が大ぼら吹いて名門ということにしたのでしょう。

④>出生於中國上海,在滬生活十六年・・・は上海で生まれて、16歳まで中国にいたということだと思います。

⑤>通中文・・・は中国語ペラペラと言うことでしょう。

⑥>在雙葉高女的「禮拜」集會中,為正田英三郎的母親相中,19歲完婚。
・・・は、双葉高等女学校の「礼拝」で正田英三郎の母と知り合い、19歳で結婚したと言うことでしょう。帰国後3年でよく卒業できたなと思います。卒業したとは、書いてありませんが

http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=860より拝借

こちらは正田美智子の母、富美子の生母の中国版ウィキペディアのようです。「『正田富美の中国版Wikiを下記にコピペしました。」と書かれていました。↓↓↓

正田富美子[编辑]
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副島富美子

副島

富美子
出生
明治四十二年 1909年
逝世
昭和六十三年 1988年(78–79歲)
親屬
夫 正田英三郎
子 正田巌
正田修
女 皇后美智子
安西恵美子
其他親屬 女婿:明仁
外孫子:仁親王、秋篠宮文仁親王
外孫女:田清子
外曾孫子:悠仁親王
外曾孫女:愛子內親王、真子內親王、佳子內親王
正田富美子(舊名副島富美子,1909年~1988年),日本今上天皇明仁的皇后美智子的母親,出身佐賀名門副島氏。丈夫是前日清製粉集團的名譽會長正田英三郎。
早年生活[编辑]
出生於中國上海,在滬生活十六年,通中文。父親副島纲雄是日本「國策會社」理事,也是「江商」上海支店店長。1923年9月歸國,居東京,就讀麴町雙葉女子高等學校。在雙葉高女的「禮拜」集會中,為正田英三郎的母親相中,19歲完婚。
婚姻生活[编辑]
富美子與英三郎婚後曾旅居國兩年,在柏林生下長子,返日後又陸續添了一男兩女。美智子皇后是她的長女。她曾被社交圈譽為「有明治時代古雅端莊氣質的貴夫人」,但卻因為女兒美智子入宮而飽受精神折磨。在美智子婚事發佈後,就有旁系皇族與舊
華族群起攻擊她在上海生活的經歷,又不斷有消息傳來美智子在宮中受到欺壓,身心重創。為了杜絕莫須有的抹,富美子幾乎未再涉足社交圈。
參考資料[编辑]
• 齊濤。《美智子與雅子》。台北:台灣商務印書館,2006年。
取自“https://zh.wikipedia.org/w/index.php?title=正田富美子&oldid=33452404”
分类:
• 佐賀縣出身人物

http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=860より拝借


8.天皇は、ロスチャイルドによる日本人奴隷支配のための「先兵」に過ぎない。天皇は、ロスチャイルドの「出先機関」である

19世紀、江戸幕末の日本で倒幕の武力闘争を開始した薩摩・長州に鉄砲・弾薬の購入資金を提供したモルガン財閥のJ・ピアポント・モルガン[John Pierpont Morgan, 1837-1913]は、明治維新政府の「生みの親」として、その代理人トーマス・ラモント[Thomas Lamont, 1870-1948]を使い、日本の三菱財閥、三井財閥の「育成に力を注いだ」。

モルガン財閥は、ロスチャイルド一族の代理人であった。

ロスチャイルドの代理人として、米国で、ロックフェラー一族に資金を注ぎ込む「窓口」となって来たのが、このモルガンであった。

1930年代、日本が中国侵略を行う際、その資金提供を行っていたロスチャイルド=ロックフェラー・ブッシュ一族。

その資金提供の「交渉窓口」であった在日アメリカ大使ジョセフ・グルー[Joseph Clark Grew,1880-1965]も、また、モルガン=ロスチャイルド財閥の一族であった。

ジョセフの従兄妹ジェイン・ノートン・グルー[Jane Norton Grew]は初代J・P・モルガンの後継者ジャック・モルガン[John Pierpont "Jack" Morgan, Jr., 1867-1943]の妻であった。

この在日大使ジョゼフの妻アリス・ペリー・グルー[Alice Perry Grew]は、
名前の示す通り「黒船ペリー」の末裔として日本・東京で育ち・教育を受け
ていた。

アリスの「幼馴染」であり、華族女学院=学習院女子部時代から、常に、アリスと共に3人で行動し、アリスから世界経済・政治について「レクチャー」を受け、侵略者ペリーと、ロスチャイルド=モルガンの「情報操作教育=洗脳教育」を受けていたのが、クリスチャン・鍋島(松平)信子、と九条節子であった。九条節子は昭和天皇・裕仁の母(貞明皇后)であり、アリスの親友・鍋島信子の娘(勢津子)は秩父宮妃である。

このアリスの母の旧姓はキャボット。黒人奴隷売買と、麻薬売買で富を築いたキャボット一族である。

九条節子等を通じ、昭和天皇以降の、「天皇に対する思想教育・思想洗脳」を「担当」して来たのが、奴隷貿易・麻薬貿易業者キャボットと、世界帝国の指揮官ロスチャイルドである。

天皇は、ロスチャイルドによる日本人奴隷支配のための「先兵」に過ぎない。天皇は、ロスチャイルドの「出先機関」である。

アリスの夫ジョセフ・グルーも、ハーバート大学時代、学生新聞「クリムゾン」の編集に携わっていたが、同じサークル仲間の友人に、キャボットが創立資金を出した麻薬専売会社ラッセル社の中国支配人であったルーズベルト一族のフランクリン・ルーズベルト(後の大統領)が居た。

一方、モルガン=ロスチャイルド資金で、倒幕に成功した明治政府の中核=薩摩藩士・大久保利通の息子は牧野家に養子に入り牧野伸顕を名乗っていたが、その娘・牧野雪子(大久保利通の孫)は年離れの親友アリスに「事実上、師事」し、国際情勢・政治経済の「教育」を受ける

モルガン=ロスチャイルドの洗脳教育である。

牧野雪子は吉田茂の妻となり、吉田もモルガン=ロスチャイルドに寵愛され、出世街道を上昇して行く。

雪子は麻生太郎首相の祖母である。

このアリスという女性の出自、日本での教育・土着の仕方、そして「政治的動きの奇妙さ」は、明らかに幼児期から英才教育を受けた諜報・スパイの動きである。

麻生首相の麻生産業グループの親会社が、ロスチャイルドの船舶会社ラファルジュであると言う経済的実態関係だけでなく、こうして、キャボット=アリス=天皇・吉田茂夫妻=麻生首相へと、有色人種(黒人、アジア・日本人)奴隷支配の「帝王学の系譜」は「継承されて来た」


9.グリーンスパンそしてキャボット一族の謀略について

なおキャボット一族の「直営」研究所が米国ブルッキングス研究所であり、かつてはナチス・ドイツの侵略戦争の「資金繰り」を担当した財務大臣ヒャルマール・シャハトを輩出している。

また、米国の通貨政策はブルッキングス研究所が作り、FRBが実行すると言われて来たが、このFRB議長を長年、務めてきたのがグリーンスパンである。

グリーンスパン自身が経営し、その会長を務めるコンサルタント会社タウンゼンド・グリーンスパン社は、ブルッキングス研究所の下部機関として調査・研究に「従事」している。

グリーンスパンの「ボス」が、キャボット一族と「弁護士を共有」している事は先述した。

また長年、日本の内需拡大策(日本の富を米国買収に持って来るな、という通貨政策)として「日本の高速道路計画」を策定して来たのは、かつての日本道路公団では全く無く、このブルッキングス研究所=キャボット一族である。

日本の財政赤字を拡大させる「無駄な公共事業の元凶=道路族」の、バックボーンは、ここにある。http://www.47news.jp/CN/200910/CN2009100301000210.html


10.戦後の裏面史に光を当てる貴重な発見

吉田茂側近がCIAに情報を提供 早大教授が米公文書発見 

吉田茂元首相の再軍備問題のブレーンだった辰巳栄一元陸軍中将(1895~1988年)が、米中央情報局(CIA)に「POLESTAR―5」のコードネーム(暗号名)で呼ばれ、自衛隊や内閣調査室の創設にかかわる内部情報を提供していたことを示す資料を3日までに、有馬哲夫早大教授(メディア研究)が米国立公文書館で発見した。

日本の再軍備をめぐり、吉田元首相の側近までも巻き込んだ米国側の対日情報工作の一端を示しており、戦後の裏面史に光を当てる貴重な発見だ。 

有馬教授は同館で発見したCIAのコードネーム表、辰巳氏ら旧軍人に関する文書などを総合的に分析。

より強力な軍隊と情報機関の創設を願っていた旧軍人の辰巳氏は、外交交渉で日本に再軍備を迫っていた米国にCIAを通じて情報を流すことで、米国が吉田首相に軽武装路線からの転換を迫ることを期待していた」と指摘している。

CIAの辰巳氏に関するファイル(52~57年)では、辰巳氏は実名のほか「首相に近い情報提供者」「首相の助言者」「POLESTAR―5」とさまざまな名称で呼ばれ、「保安隊の人選」「自衛隊」「内閣調査室」などの「情報をCIAに与えた」と記されていた。

辰巳氏は占領期、旧軍人による反共工作組織「河辺機関」の一員で、連合国軍総司令部(GHQ)の了解の下、新たな軍隊と情報機関の立案に参画していた。吉田は首相就任後、「河辺機関」のほとんどの旧軍人を遠ざける一方、辰巳氏を信頼し、50年の警察予備隊の幹部人選などを任せた。

世界の金融王の経歴 2008年07月17日http://alternativereport1.seesaa.net/article/103047840.html 


11.グリーンスパンは学生時代、スパイ養成大学として名高いコロンビア大学で博士号を取った

長い間、世界経済・金融の帝王として、米国中央銀行FRBの議長であった、アラン・グリーンスパン。グリーンスパンは学生時代、スパイ養成大学として名高いコロンビア大学で博士号を取った。
第二次世界大戦中、対日の暗号解読部隊の中心地であった大学
である。

(※ここでコロンビア大学について書かれている記事を見つけました。↓)

アメリカの「対日スパイ養成大学」コロンビア大学 - るいネット (rui.jp)

こちらの記事↑によりますと、コロンビア大学は、麻薬密輸業者アビール・ロウ一族によって、麻薬の売り上げ利益・資金で創立、運営されているのだそうです。

コロンビア大学 - 浮世風呂 (goo.ne.jp)

(※こちらの記事↑によりますと、第二次世界大戦中から、日本への「スパイ組織」は、このコロンビア大学に置かれ、この大学が、米軍の「対日・諜報スパイ組織」の中心となって来たそうです。)



学生時代のグリーンスパンの経済学の指導教授はジェーコブ・ウォルフォウィッツ[Jacob Wolfowitz, 1910-81]。

後に父ブッシュ政権で、国防副長官としてイラクとの戦争を強く主張するイスラエル直系の軍事産業の代理人ポール・ウォルフォウィッツの父である。学生時代からグリーンスパンは、この「組織」に「リクルート」されていた。

1977年、ロスチャイルドの銀行J・P・モルガンの、「社員」としてグリーンスパンは頭角を現わす。

このモルガン時代のグリーンスパンの同僚に、サウジアラビアの富豪スレイマン・オラヤンが居た。

オラヤンはモルガンの国際諮問委員会のメンバー、グリーンスパンは社外取締役であった。

当初は、アラムコ=アラビアン・アメリカ・オイルのトラックの運転手から出発したオラヤンは、後に、サウジの石油マネーをグリーンスパンと協力し、米国銀行に投資する「仲」となる。

グリーンスパンをFRB議長に指名した、前任者のFRB議長ポール・ヴォルカー[Paul Volcker, 1927-]は、財務省の次官であったロバート・ローザ[Robert Roosa, 1918-93]の指導下で教育を受け、その右腕として出世の階段を登って行った人物であった。

グリーンスパンのボスはヴォルカーであり、ヴォルカーのボスは、ローザであった。ローザは、ロックフェラー=ブッシュのハリマン銀行[Brown Brothers Harriman]の取締役であり、ローザのボスはロックフェラーであった。


(人様の記事)私は吉田茂のスパイだった/2.26事件を語ろう

「私は吉田茂のスパイだった」 | 2.26事件を語ろう (ameblo.jp)

こちらの記事↑から一部引用させていただきます。

(前略)
 この本は東輝次(本名ではないようです)書いた方の死後、遺族がみつけて、発表されました。
 「防諜記」という手記自体は短いもの
です。保坂正康氏が吉田茂の半生を書き足していて、とてもわかりやすくなっていました。麻生和子著「父 吉田茂」と、「秘録陸軍中野学校」もあわせて読むと、さらにわかりやすいかもしれません。

 私がスケート関係者から聞いた、本に書かれていない話も捕捉しておきます。

 陸軍にとって、吉田茂の天敵だったのは、周知のとおり。なんといっても、2.26事件の標的だった牧野信顕の娘婿です。

 広田内閣が組閣の話し合いをしているときも、寺内寿明と武藤章がサーベルをかちゃかちゃ鳴らして、飛び込んできて、「ここに牧野の娘婿がいるのかぁ!」と脅かしていったりもしました。これも有名な話です。

 首相官邸は血と弾丸だらけだったので、広田弘毅は「宮内省の一室を使わせてください」と頼んだのです。でも、宮内省にしてみたら、陸軍ににらまれるなんて、「とんでもない」と断ります。
 仕方なく、外務省の一室で組閣の話し合いをしたといういきさつがあり、「もしあのとき宮内省が部屋を貸してくれたら、寺内たちもああいう行動にでなかったはずで、歴史は変わっていたかも」と悔やむ声もあります。

 広田は陸軍の要求どおり、外務大臣から吉田をはずし、おわびがてらイギリス大使として派遣します。この頃、バイオリンの諏訪根自子がベルギー留学していて、稲田悦子もスケート留学する話があり、横浜港まで見おくりに行って、そのことで手紙をやりとりする約束をしています。もっとも戦争で留学話もオリンピックも、つぶれてしまうのですが。

 アメリカとの戦争がはじまると、吉田はほとんど大磯の別荘で暮らします。そこへ憲兵隊と陸軍中野学校の両方からスパイを送り込み、女中も買収して手紙や電話はすべて内容をチェックしていました。
 一つ屋根の下に住みながら、憲兵隊と陸軍のスパイはお互い気がついていませんでした。この本は陸軍のほうのスパイが書き残したもの
です。

 吉田雪子夫人は開戦前、乳がんで亡くなり、麻生和子の提案で、こりんという舞妓が後妻として(入籍はせず)家を守っていました。

 男手は兵隊にとられてしまい、力仕事ができる書生を吉田家では探していたのです。
 陸軍中野学校で防諜員としての特別訓練を受けたとはいえ、もともと農家の育ちだった東青年は何もなかった土地に、一から畑を作ります。飯塚の麻生家から孫がきていたり、こりんの母親も大磯で暮らしていた時期があり、大人数の家族が飢えないように東青年は本来の任務はスパイであるにもかかわらず、それを隠して(あたりまえですが)せっせと働きます。

 吉田は朝風呂が好きで、川から桶で水を汲んでこなくてはならなかったし、汲み取り業者も徴兵されてしまい、東青年が汲み取り、畑にまくなり、処理しないとどうしようもなかったのです。

 やんちゃだった吉田の孫の麻生太郎(後の総理大臣)が、朝早くから書生室に入ってきて、疲れ切って寝ている東青年のふとんの上でジャンプをし、「起きて!早く汲み取りしないと、あふれてしまうとよ」と叫んだそうです。
 
 吉田はその後、近衛文麿と共同作成した天皇陛下への上奏文が発覚し、逮捕されてしまいます。もっとも東青年はまったく知らず、いきなり目の前で逮捕されて、ただただ驚いてしまいます。

 はじめて女中がスパイだったことに気がつく吉田家の人間でした。が、東青年までがスパイとは、終戦がきても、ずっと気がつかないままです。さすが陸軍中野出身というべきでしょう。
 ともか東青年が畑で食糧をつくってくれたり、肥溜めや風呂の世話をしたり、いろいろよくしてくれたことを感謝していたそうです。
 これは彼の人柄なのでしょう。

 吉田も相当に東青年のことを気にいっていて、やめると言い出したときも、「きみをこのまま書生にはしておかないよ。戦争が終わったら麻生産業でもなんでも世話してあげるから」と引きとめたほどです。麻生産業といえば、飯塚の麻生グループの前身。スケートリンクの管理人になっていたかもしれませんw

 拘置所にぶちこまれた吉田は、そこで空襲にあい、看守と神宮外苑に逃げたり、のみやしらみにやられたり、さんざんな体験をします。

 釈放されたのは東郷茂徳らが陸軍大臣の阿南惟幾に辛抱つよく、「ひどいじゃないか」と抗議したためのようです。東郷家には吉田茂からの礼状が残っています。

 この東郷茂徳と阿南惟幾が御前会議ではまっこうから衝突し、鈴木貫太郎首相が最高のタイミングで、おそれおおくも「ご聖断をあおぎます」となったわけです。

 戦争が終わってまもなく、挨拶に訪れた東青年ははじめてスパイだったことを告白します。吉田は相当にびっくり仰天して、絶句したそうですが、その後、就職の世話を申し出てくれたのでした。

https://ameblo.jp/talk226/entry-12064160776.html
https://assets.st-note.com/img/1676814140029-7oJyVEJ3ts.pngより拝借



(人様の記事)昭和天皇は広島原爆3日前から13万人を集めて焼き殺した!吉田茂・白洲次郎も朝鮮人のクエーカー教徒「明治天皇は箕作圭吾」

昭和天皇は広島原爆3日前から13万人を集めて焼き殺した!吉田茂・白洲次郎も朝鮮人のクエーカー教徒 | 「明治天皇は箕作圭吾(みつくりけいご)」 (ameblo.jp)

こちらの記事↑はいつの間にか削除されていましたので、私が書いた別の記事で引用させていただいた箇所から引用させていただきます。

爆心地6日まで学徒1〜2年生1万5千人出勤命令/義勇隊3万人/各部隊集中流入8万人流入(広島県史)。広島の原爆8月6日の3日前から13万人集め丸焼き計20万人爆死:広島県史 
吉田茂は【原爆トラストと軍閥三菱の諜報員&天皇密使の白洲次郎】
「米軍資料原爆投下の経緯」
人口10万人の日本都市47へ9日間に渡り1600万枚のリーフレット投下。
しかし、日本側天皇重鎮陸海軍首脳はこれをデマとして拾った人々の口を封じた。
強制疎開と言う名の瓦運び「8月3日ー6日」まで=【広島県史】

昭和天皇・吉田茂(ヨハンセン)の朝鮮人グループが、原爆を投下するために空襲をしなくて平和だった広島市に他府県の人たちを「強制疎開」させる為と日本人学徒をだまして13万人弱の大量動員し、原爆投下予定の広島市内で3日前から強制労働!!

だから8万➕4万5000人➕12万5000人焼きゴロシ
広島原爆投下直後の広島市内の白黒写真

広島原爆投下の日 1945年8月6日

・無警告 原爆を投下しにエノラ・ゲイが現れたのに空襲警報を鳴らさず!!

・畑俊介第二総軍が広島市民を爆心地へ動員

「広島爆心地中島」原爆遺跡保存運動懇談会編・長谷川氏の手記

および「広島県史」↓

学校関係者は極力反対.しかし1945年8月3日〜連日

義勇隊3万人

教職員の反対無視して
学徒動員1、2年生1万5000人出勤を命じた」と記録。

つばめ on Twitter: "被爆当日の御幸橋橋詰。 原爆の熱線により大火傷を負い、救助を待つ被爆者達の姿。 応急処置として、消防団の男性が一斗缶の食用油(菜種油)を重傷者達に塗布している。 松重美人氏撮影 ※ 画像は被爆者の証言に基づき、専門家によりモノクロ写真に彩色 ...


「白洲次郎岳父樺山愛輔は天皇の母貞明皇后と深く結ばれている」
↑クリックして読んで下さい。

昭和天皇の左に座っているのが、母で大正天皇の后だった貞明皇后

貞明皇后が、吉田茂の飼い犬だった白洲次郎の嫁の父「樺山愛輔」と深く結ばれていたそうです!!

吉田茂・白洲次郎たちほとんどは
貞明皇后と同じくクェーカー教徒であった。
つまり日本人ではなく、英国のグラバーたちに雇われた朝鮮人のスパイ
!!

左:吉田茂(朝鮮人)  右:白洲次郎(朝鮮人)  

2人とも英国スパイの朝鮮人で、吉田茂は英国大使・白洲次郎も英国にスパイ留学

真珠湾攻撃が御前会議で決定すると、吉田茂がすぐに英国に報告したと言われています!!そのごほうびで、吉田茂は戦後初の総理大臣に!!

貞明皇后、周囲には吉田ヨハンセングループがたむろ・白洲次郎はSGウォーバーグの忠告を忠実に厳守し国際金融寡頭勢力のために生涯を捧げた。▶︎【吉田茂のCIA暗号名ヨハンセン

麻生太郎と寬仁親王妃信子の祖父・吉田茂は大久保利通の孫の雪子の婿で、大久保利通は鹿児島市高麗町の朝鮮人!!豊臣秀吉の「朝鮮出兵」で島津が連れて来た朝鮮人のコジキ。

明治維新以降は↑このように麻生と安倍・岸が朝鮮人同士で結婚して、日本を支配!!

大正天皇の后が貞明皇后が、大正天皇は知恵遅れで虚弱体質で小作り出来ず、息子の昭和天皇の父親は明治天皇にすり替わった箕作圭吾(みつくりけいご)の弟の箕作元八(みつくりげんぱち)だと言われている!!

貞明皇后 公家の出身で「クエーカー教徒」なんて有りえない!朝鮮人!!

明治・大正時代は、明治天皇がすり替わったのがバレバレだったので火消しのために昭和天皇には旧皇族の良子、三笠宮家には徳川家の喜久子妃、秩父宮には松平家の百合子妃と、日本人の妃をもらってゴマ化した!
1884年(明治17年)6月25日、公爵九条道孝の四女として、生母の野間幾子の実家である東京府神田錦町(現:東京都千代田区神田錦町)に誕生。道孝は明治4年(1871年)に正室和子を亡くしており、幾子は道孝の側室だった。

同年7月、東京府東多摩郡高円寺村(現:杉並区)近郊の豪農である大河原金蔵、てい夫妻に里子に出され、『九条の黒姫様』(くじょうのくろひめさま)と呼ばれるほど逞しく育った。農家の風習の中で育ち、栗拾いやトンボ捕りをするなど裸足で遊んだ。

大河原家は高円寺地域の氏神である氷川神社の氏子であったが、大河原家の敷地内には稲荷神社の祠もあった。また、養母のていは仏教への信仰心も篤く、早朝から観音経(法華経の一部)を読経しており、節子もていと共に仏壇に手を合わせていた。

1888年(明治21年)には、赤坂福吉町の九条家に戻る。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%9E%E6%98%8E%E7%9A%87%E5%90%8E
ウィキペディアに書かれているように、正室の子ではなく①「側室=朝鮮人の売春婦?」、②里子「本物は殺害して、朝鮮人の子にすり替えた?」、明治に入ってからの皇族はこの①②のパターンで朝鮮人にすり替えて行ってますから!!しかも「四女」だし。

太平洋戦争前から【OSS暗号名ヨハンセンの吉田茂】が
御前会議最高機密を駐日大使グルー(のちのCIAフロント)へ横流し
→国務省陸軍省へ打電。


■【皇居地下参謀本部ヨハンセングループ】

=【麻生太郎祖父吉田茂/吉田茂岳父牧野伸顕】

そして

■【ロスチャイルド同系シグムンド・ウォーバーグ原爆トラスト中核の諜報員白洲次郎】

白州岳父樺山愛輔&陸軍上層樺山資紀(民間NHKを諜報機関同盟通信社国営へ開設)が事前に

■【原爆投下実行スティムソン米国務長官(ロスチャイルド配下)】



■【原爆投下時間場所応答】←グルー著「グルー滞日十年」

P141

白洲次郎について書かれた本には英国時代の記述がない。

徳本栄一郎「英国秘密ファイルの昭和天皇」

皇居を見据えるユニオンジャック:白洲次郎とウォーバーグ財閥


白洲次郎は英国で突然貧乏になっている
父の経営する白州商店が倒産したからだ。
白州はウォーバーグ財閥の援助で大学生活を送り
(卒業の記録も専門学部も明らかでない)


その間陸軍と三菱が闇貿易のために作った昭和通称の1社員として生活していたのだ。

吉田茂は駐英大使時代、大使館に白州を寄宿させている。


白洲次郎はユダヤ財閥ウォーバーグの配下の情報員であり陸軍と三菱の隠れエージェントでもあった。

ロスチャイルドとウォーバーグは1枚の系図。 

1945年1月に終戦とせずヒロヒトが原爆投下を受け入れた理由は
【ウラン〜プルトニウム原爆完成まで待った】

天皇ヒロヒトは第二総軍畑俊六へ「食い伸ばし」命令、警戒警報すら発令させなかった.

8月6日まで広島へ各部隊の集中は凄まじいもの

大勢の軍人・軍属流入軍事関係者8万人

P,58 広島原爆戦災記

オリンピック作戦

スティムソンは日本へ原爆を確実に落とすという約束をロックフェラー・モルガン、イギリスの金融界の面々としていた。

この計画を「国務次官・駐日大使グルー(CIAフロント」のルートで日本指導者一部へ伝えた。

P,54

アメリカ兵捕虜搭乗員は「僕たち嘘言わない、8月6日広島は焼け野原になる」

伝単「8月5日広島を大空襲する」SHU1945年2月26日 

合計458万4000枚散布米国発表

(講談社)広島原爆戦災記(広島市編集)

P,40

広島市役所原爆誌(広島市役所)

[近く広島に大きなみやげを持っていくから楽しみにして待ってなさい]
というビラを敵機が撒いた。
ビラは憲兵隊によって回収され、
その内容は口外してはならない-ということになっていた。




1945年6月2日

「ステイムソン委員会日本へ原爆投下勧告」

ロンドンBBC放送を中継ニューデリー放送

「予告されていた原爆投下」光人社



1945年5月皇居地下ヨハンセングループ参謀本部

【内堀】では
CIA記名統治者HIROHITO、

OSS暗号名ヨハンセン吉田茂(麻生祖父)

陸軍上層牧野伸顕(吉田茂岳父)

樺山資紀(白洲正子祖父)、

通訳白洲次郎(正子の夫)

樺山愛輔(正子実父)が

原爆投下司令者のスティムソン米国務長官(ロスチャイルド配下)と

原爆投下日時場所の相談。



【外堀】では

・20〜50万人南京虐殺の事実上の統治者岸信之(安倍晋三祖父)、

里見甫(パチンコ・セガサミーホールデイングス里見治の祖父)が満州麻薬暴利数兆円を国内へ戦費送金。


樺山資紀はNHKを諜報機関化[合同通信社として国営軍事化]

テニアンの米兵へ

【知ってるぞ、尻にRのついたエノラ・ゲイ

原爆機がいつどこから発つか・知ってるぞ】と
東京ローズへ流させていた1945年7月。

https://ameblo.jp/bottiecell-i1444/entry-12677554147.html
↑詳しくはこちらをクリックして読んで下さい!!

https://ameblo.jp/sumisumi-world-2020/entry-12677595406.html


https://ameblo.jp/sumisumi-world-2020/entry-12677595406.html


https://ameblo.jp/sumisumi-world-2020/entry-12677595406.html


https://ameblo.jp/sumisumi-world-2020/entry-12677595406.html


https://ameblo.jp/sumisumi-world-2020/entry-12677595406.html


https://ameblo.jp/sumisumi-world-2020/entry-12677595406.html


※こちらの記事↑で気になった箇所は①貞明皇后についての記述と②白洲次郎についての記述です


①貞明皇后についての記述
貞明皇后 公家の出身で「クエーカー教徒」なんて有りえない!

②白洲次郎についての記述
白洲次郎は英国で突然貧乏になっている
父の経営する白州商店が倒産したからだ。
白州はウォーバーグ財閥の援助で大学生活を送り
(卒業の記録も専門学部も明らかでない)

その間陸軍と三菱が闇貿易のために作った昭和通称の1社員として生活していたのだ。吉田茂は駐英大使時代、大使館に白州を寄宿させている。
白洲次郎はユダヤ財閥ウォーバーグの配下の情報員であり陸軍と三菱の隠れエージェントでもあった。

上記の①で「クエーカー教徒」が出てきますがこれは何でしょう。

※クエーカー教徒とは?

クェーカー教徒(クェーカーきょうと)とは? 意味や使い方 - コトバンク (kotobank.jp)

クエーカー教徒の「聖なる実験」 (jw.org)

こちら↑のサイトは「エホバの証人」でした。。
とても分かりやすく説明されていますね。

でれでれ草さんのブログでは ↓↓↓

秩父宮雍仁親王⑥クエーカー派のクーデター | 皇室ブログ・でれでれ草 (sakura.ne.jp)

こちらの記事↑から一部引用させていただきます。

この大久保からはじまり、麻生太郎、三笠宮信子につながる系譜は、キリスト教徒の系譜であり、国際金融同盟の使用人の系譜であり、おそらくはルーツは北朝鮮系被差別部落からでたと思われる筋金入りの陰謀の家系とおもわれます。この牧野を父のように慕っていたのが昭和天皇でした。
父のように慕っていた牧野が辞職したとき、昭和天皇はそれを惜しみ涙を流したそうです。父のような存在であると同時に、巨大な陰謀の共犯者同士の関係だったといえるのかもしれません。

牧野と貞明との関係について、鬼塚史観では「2人は親密な男女の関係であり、クエーカー教徒つながりの仲」と推測しています。

http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=18376
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=18376より拝借
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=18376より拝借

クエーカー教徒については、これもよくわかりませんが、結局、原始キリスト教が根源にあるならば、それはイルミナティの悪なる宗教のように思えてきます。「エホバの証人」で詳しくわかりやすく説明されていましたが。。つまりは、バハイ教と同じようなもので、世界統一政府、世界統一宗教に繋がるようなモノなんだと思います。

フリッツ・スプリングマイヤー氏のインタビュー記事に「エホバの証人」について触れられている箇所がありました。↓↓↓

フリッツ:
も○○の塔のアートには、
何千というオカルトシンボルが隠されている
ことに気づいたのです。
も○○の塔の雑誌にある滝の絵を良く見ると頭蓋骨だったり。
かつてカリヤー&アイヴズにもそういう隠し絵が入っていました。
も○○の塔の出版物にはオカルトメッセージが隠されています。
例えば山羊が羊の群れを率いているとかそういうのです。
または「すべてを見渡す目」つきのオカルトジュエリーを抱えた
泥棒が逃げているとか、そういう。
彼らは隠しメッセージをどっさり持っています。
エ○○の証人が利用されているなんて誰が思うでしょう?
エ○○の証人は、一部のマインドコントロール奴隷に
接触するために使われています。

疑われずに戸別訪問できるのは誰でしょう?
私はシスコをイルミナティから脱出させました。
彼女を助けたのは私だけだとは言いませんが、
エ○○の証人が家に来たら「ドアを開けちゃだめだよ」と言っています。

https://ameblo.jp/stop-electronic-torture/entry-12135114092.html


※大正天皇は別の方の記事では頭が弱いという印象を抱かせる記事を見つけた一方で、でれでれ草さんのブログでは次のことが書かれていました。

一部引用させていただきます。

大正天皇を「新聞の飛ばし記事」「宮内庁の発表」で「御病状は重篤」との印象操作をもって、大正天皇を廃位にちかい状態においやり駆逐した一人が、宮内大臣の牧野伸顕でした。

(中略)

大正天皇は、仮に話せなくなっていたとしても、理性も知性も失ってはいなかったことがわかります。

http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=18376

こちらの記事で出てくる「牧野伸顕」は別の方の記事、本記事ですでに上記でご紹介している記事では、「陸軍にとって、吉田茂の天敵だったのは、周知のとおり。なんといっても、2.26事件の標的だった牧野信顕の娘婿です。」とありました。

2.26事件も私はよく知りません。

※2.26事件の被害者の遺族である渡辺和子さんが語ったことが書かれているサイトを見つけました。

↓↓↓


(人様の記事)奴隷貿易商人の末裔=麻生太郎首相の系譜 by オルタ 他

こちらも「Imagine&Think!」です。九条節子とペリーの末裔のアリスについての記述があります。また、アメリカ大陸発見についても書かれていました。アメリカ大陸発見については公式とされていることと実際は違うのではないかという思いが湧いてきました。隠されている何かがあるような印象です。

キャボット家は奴隷売買で巨万の富を築いてきた一族らしいです。これは日本で天皇と三菱と日本郵船が結託し、日本人女性を騙して売春婦として輸出し巨額の蓄財を成していった話と共通すると思いました。


引用させていただきます。

奴隷貿易商人の末裔=麻生太郎首相の系譜 by オルタ 他

奴隷貿易商人の末裔=麻生太郎首相の系譜
http://alternativereport1.seesaa.net/article/107743200.html


ニ重スパイ=ヘンリー・キッシンジャーの正体」より続く。

 環境問題でノーベル「平和賞」を受けたアル・ゴアの顧問弁護士であり、同時に、暗殺されたケネディ大統領の「財産管理人」として事実上、ケネディ家の財産を「支配する」アンドレ・マイヤー[André Meyer, 1898-1979]。


金で殺人を請負うイスラエル・マフィア「殺人株式会社」の顧問弁護士でもあるマイヤーは、その師匠と共に、長年、米国中央銀行FRBの議長を務めて来たアラン・グリーンスパンを育て上げて来た。


マイヤーの部下であり右腕である、ワシントンのロウ&コーク法律事務所、リビー法律事務所は、長年、マイヤーの麻薬売買の代理人事務所として機能してきた。このリビー法律事務所の経営者ルイス・リビーが、米国チェイニー副大統領の主席補佐官であった。


同時に、このリビー法律事務所は、長年、中南米でバナナの黒人奴隷農園を経営してきたUF・ユナイテッド・フルーツ社(現在はチキータ・バナナ社)の顧問弁護士事務所であった。


UFの経営者一族がブッシュ大統領一族であり、その共同経営者が著名な「キャボット一族」である。UFの黒人監視組織が、後にCIAに発展する。

 このキャボット一族が黒人を奴隷としたように、キャボットの「所有する」日本人奴隷として動いて来たのが麻生首相一族である。

 1492年 コロンブスはカリブ海に到達した。これが「コロンブスのアメリカ大陸発見」と言われている。しかし実際には、コロンブスはカリブの島嶼に到着したに過ぎない。1497年、アメリカ本土に到着し、本格的に米大陸への入植を開始したのが、英国ブリストル港から来訪したジョン・キャボット[John Cabot]、セバスチャン・キャボット親子であった。(ジョン・カボット(英: John Cabot、伊: Giovanni Caboto、1450年頃 - 1498年)は中世の航海者。ユダヤ人。北アメリカ大陸の発見者として知られる。イタリア語読みではジョヴァンニ・カボート、英語読みではジョン・カボットとなる。コロンブスと同じジェノヴァに生まれ、前半生はヴェネツィアで活動し、1484年にイギリスへ移住した。1496年に国王ヘンリー7世の特許状を受けて・・・)


キャボット一族は、21世紀現在、ロスチャイルドと、ロシアのプーチンに資金提供を行っているスイス金融界の源流である、ヴェネチア金融界の一画を占める、ジェノア生まれの銀行家ジョバンニ・カボートを源流としている。この一族はロシア・キエフのローゼンバーグ一族と縁戚にあり、ロシア=スイスの地下金融水脈を形成している。

この「真の米大陸の初代侵略者」キャボット一族は、アフリカ黒人を奴隷として米国に「強制連行する」奴隷商人として、巨万の富を築き上げる。


キャボット一族は、この黒人奴隷貿易で得た資金を使い、1823年、麻薬専売会社ラッセル社の創立資金を提供する。ブッシュ大統領一族が監査役を務めるラッセル社は、トルコ製のアヘンを米国に持ち込み販売した。その流通を担当したのが米国内で独占的な麻薬販売網を形成していたシンジケート=パーキンス一族であった。そのボス=ジョン・ハンディアサイド・パーキンスの娘エリザと、サミュエル・キャボットが結婚し、キャボット=パーキンス一族は、19世紀前半では全米一位の資産家に「成長する」。

米国の富が、黒人奴隷売買と、麻薬売買で形成された事実を、キャボット一族[Cabot family]が体現している。

 このキャボット一族から「資金融資」を受け、創立されたのがウィリアム・フォーブス[Bertie Charles Forbes]の雑誌「フォーブス[Forbes]」である。 フォーブス・アジア支局は、キャボット一族の「アジアにおける麻薬売買とアジア人奴隷売買=誘拐された日本人女性を売春婦として売買するビジネス」の「安全確保」のための、諜報・スパイ組織として成立・運用されて来た。キャボットによる、アジア侵略の「先兵」が、フォーブス・アジア支局である。

 一方、キャボット家の奴隷売買・麻薬売買の富は、スイスに集積され、キャボットの代理人であるスイスのシェルバーン伯爵が、スイス金融界の「ドン」として君臨し続けて来た(*注1)。

 19世紀、江戸幕末の日本で倒幕の武力闘争を開始した薩摩・長州に鉄砲・弾薬の購入資金を提供したモルガン財閥のJ・ピアポント・モルガンは、明治維新政府の「生みの親」として、その代理人トーマス・ラモントを使い、日本の三菱財閥、三井財閥の「育成に力を注いだ」。


モルガン財閥は、ロスチャイルド一族の代理人であった(*注2)。

ロスチャイルドの代理人として、米国で、ロックフェラー一族に資金を注ぎ込む「窓口」となって来たのが、このモルガンであった。(引用注:シッフ家も忘れてはいけませんが)

 1930年代、日本が中国侵略を行う際、その資金提供を行っていたロスチャイルド=ロックフェラー・ブッシュ一族。その資金提供の「交渉窓口」であった在日アメリカ大使ジョセフ・グルーも、また、モルガン=ロスチャイルド財閥の一族であった。


ジョセフの従兄妹ジェイン・ノートン・グルーは初代J・P・モルガンの後継者ジャック・モルガンの妻であった。

この在日大使ジョゼフの妻アリス・ペリー・グルーは、名前の示す通り「黒船ペリー」の末裔として日本・東京で育ち・教育を受けていた。(Alice Perry Grew was the daughter of premier American impressionist painter Lilla Cabot Perry, daughter of Dr. Samuel Cabot (of the New England Cabots) and her husband, noted American scholar Thomas Sergeant Perry.)


アリスの「幼馴染」であり、華族女学院=学習院女子部時代から、常に、アリスと共に3人で行動し、アリスから世界経済・政治について「レクチャー」を受け、侵略者ペリーと、ロスチャイルド=モルガンの「情報操作教育=洗脳教育」を受けていたのが、クリスチャン・鍋島信子、と「九条」節子(「」は引用者)であった。九条節子は昭和天皇・裕仁の母であり、アリスの親友・鍋島信子の娘は秩父宮妃である。


このアリスの母の旧姓はキャボット。黒人奴隷売買と、麻薬売買で富を築いたキャボット一族である。

九条節子等を通じ、昭和天皇以降の、「天皇に対する思想教育・思想洗脳」を「担当」して来たのが、奴隷貿易・麻薬貿易業者キャボットと、世界帝国の指揮官ロスチャイルドである。

天皇は、ロスチャイルドによる日本人奴隷支配のための「先兵」に過ぎない。天皇は、ロスチャイルドの「出先機関」である。

アリスの夫ジョセフ・グルーも、ハーバート大学時代、学生新聞「クリムゾン」の編集に携わっていたが、同じサークル仲間の友人に、キャボットが創立資金を出した麻薬専売会社ラッセル社の中国支配人であったルーズベルト一族のフランクリン・ルーズベルト(後の大統領)が居た。


一方、モルガン=ロスチャイルド資金で、倒幕に成功した明治政府の中核=薩摩藩士・大久保利通の息子は牧野家に養子に入り牧野伸顕を名乗っていたが、


その娘・牧野雪子(大久保利通の孫)は年離れの親友アリスに「事実上、師事」し、国際情勢・政治経済の「教育」を受ける。モルガン=ロスチャイルドの洗脳教育である。牧野雪子は吉田茂の妻となり、吉田もモルガン=ロスチャイルドに寵愛され、出世街道を上昇して行く。

雪子は麻生太郎首相の祖母である。

このアリスという女性の出自、日本での教育・土着の仕方、そして「政治的動きの奇妙さ」は、明らかに幼児期から英才教育を受けた諜報・スパイの動きである。

麻生首相の麻生産業グループの親会社が、ロスチャイルドの船舶会社ラファルジュであると言う経済的実態関係だけでなく、こうして、キャボット=アリス=天皇・吉田茂夫妻=麻生首相へと、有色人種(黒人、アジア・日本人)奴隷支配の「帝王学の系譜」は「継承されて来た」 (*注3)。


 なおキャボット一族の「直営」研究所が米国ブルッキングス研究所であり、かつてはナチス・ドイツの侵略戦争の「資金繰り」を担当した財務大臣ヒャルマール・シャハトを輩出している。


また、米国の通貨政策はブルッキングス研究所が作り、FRBが実行すると言われて来たが、このFRB議長を長年、務めてきたのがグリーンスパンである。グリーンスパン自身が経営し、その会長を務めるコンサルタント会社タウンゼンド・グリーンスパン社は、ブルッキングス研究所の下部機関として調査・研究に「従事」している。

グリーンスパンの「ボス」が、キャボット一族と「弁護士を共有」している事は先述した。

 また長年、日本の内需拡大策(日本の富を米国買収に持って来るな、という通貨政策)として「日本の高速道路計画」を策定して来たのは、かつての日本道路公団では全く無く、このブルッキングス研究所=キャボット一族である。日本の財政赤字を拡大させる「無駄な公共事業の元凶=道路族」の、バックボーンは、ここにある。


*注1・・・拙稿「ロスチャイルドを奴隷として扱う一族」参照。(引用注:この題名はちょっと大げさすぎると思います)

*注2・・・J・P・モルガンは事実上の財閥形成の1代目=正確には事業を起こしたのは父であるため2代目になる。また2008年、サブプライム問題で瀕死となった銀行モルガン・スタンレーを三菱UFJ銀行が「救済」する理由は、この三菱の出自にある。元々、「両者は一つ」である。

*注3・・・拙稿「次期首相?麻生太郎の出自
         「次期首相?麻生太郎の系譜
         「麻生首相・政策ブレーンの正体」参照。

++

景気浮揚とはいっても、また「無駄な」公共投資をやらされるのでしょうかね?


++

コロンブスがカリブ諸島に上陸した5年後、ジョン・カボット[c.1450-c.1498]として知られるイタリア人が、西イングランドのブリストル(聖堂騎士団の港)を出港した。


ニューファンドランドノヴァスコシア、そして北米大陸を、公式に「発見」するためだ。


ブリストルという名は、女神バラティの名に由来している(バラティはかつて、カエル・ブリトと呼ばれていた)。ブリストルは当時、騎士団の一大拠点であった。今でも市内には、テンプル・ミーズと呼ばれる場所があるが、それは当時の名残りだ。


このカボットは、英国王ヘンリー七世からの支援を受けていた。

カボットの息子セバスチャン(ヴェネチア生まれ[c.1474-c.1557])は、ヘンリーのために探検航海を行い、地図の作製を担当した。

セバスチャンは、カナダのハドソン湾まで航海したり、スペインの探検隊を南アメリカに案内したりもした。カボット父子は普段から、アジアへの新航路を探し求めているのだと公言していた。しかし真相は、その公言とはうらはらにスペインの南アメリカ探検も、英仏による北米探検も、ともにバビロニアン・ブラザーフッドによってお膳立てされたものだったのである。(引用注:確かにアジアに来ていますが)

公認の歴史では、カボットとコロンブスのあいだにはなんのつながりもないということになっている。ジョン・カボットの本名は、ジョヴァンニ・カボートという。

のちに彼はヴェネチアに帰化しているが、その出身地はジェノヴァである。コロンブスがジェノヴァを中心に活躍していたとき、カボートもまたそこにいたのだ。


高位のフリーメーソンであるマンリー・P・ホールは、「両者はともに、秘密結社『東方の賢者たち』にかかわっていた」と言う。


後略

デーヴィッド・アイク 大いなる秘密 上 第9章 呪われた自由の大地 p435より


参考

The Reformation Online proudly presents John Cabot (Giovanni Caboto), the real Discoverer of the New World!!
http://www.reformation.org/cabotia.html



関連

ウォーバーグ一族
http://satehate.exblog.jp/7966411/

https://satehate.exblog.jp/9879942/

※画像を拝借いたします。

<環境問題でノーベル「平和賞」を受けたアル・ゴアの顧問弁護士であり、
同時に、暗殺されたケネディ大統領の「財産管理人」として事実上、
ケネディ家の財産を「支配する」アンドレ・マイヤー[André Meyer, 1898-1979]。>
https://satehate.exblog.jp/9879942/より拝借


<金で殺人を請負うイスラエル・マフィア「殺人株式会社」の顧問弁護士でもあるマイヤーは、
その師匠と共に、
長年、米国中央銀行FRBの議長を務めて来たアラン・グリーンスパンを育て上げて来た。>
https://satehate.exblog.jp/9879942/より拝借



<マイヤーの部下であり右腕である、ワシントンのロウ&コーク法律事務所、リビー法律事務所は、長年、マイヤーの麻薬売買の代理人事務所として機能してきた。

このリビー法律事務所の経営者ルイス・リビーが、
米国チェイニー副大統領の主席補佐官であった。>
https://satehate.exblog.jp/9879942/より拝借


https://satehate.exblog.jp/9879942/より拝借
https://satehate.exblog.jp/9879942/より拝借


<同時に、このリビー法律事務所は、長年、中南米でバナナの黒人奴隷農園を経営してきた
UF・ユナイテッド・フルーツ社(現在はチキータ・バナナ社)
の顧問弁護士事務所であった。>
https://satehate.exblog.jp/9879942/より拝借


<UFの経営者一族がブッシュ大統領一族であり、
その共同経営者が著名な「キャボット一族」である。
UFの黒人監視組織が、後にCIAに発展する。  

このキャボット一族が黒人を奴隷としたように、
キャボットの「所有する」日本人奴隷として動いて来たのが麻生首相一族である。

 1492年 コロンブスはカリブ海に到達した。
これが「コロンブスのアメリカ大陸発見」と言われている。
しかし実際には、コロンブスはカリブの島嶼に到着したに過ぎない。
1497年、アメリカ本土に到着し、本格的に米大陸への入植を開始したのが、
英国ブリストル港から来訪したジョン・キャボット[John Cabot]、セバスチャン・キャボット親子であった。(ジョン・カボット(英: John Cabot、伊: Giovanni Caboto、1450年頃 - 1498年)
は中世の航海者。ユダヤ人。北アメリカ大陸の発見者として知られる。

イタリア語読みではジョヴァンニ・カボート、英語読みではジョン・カボットとなる。
コロンブスと同じジェノヴァに生まれ、前半生はヴェネツィアで活動し、
1484年にイギリスへ移住した。1496年に国王ヘンリー7世の特許状を受けて・・・)>
https://satehate.exblog.jp/9879942/より拝借


https://satehate.exblog.jp/9879942/より拝借


https://satehate.exblog.jp/9879942/より拝借



<キャボット一族は、21世紀現在、
ロスチャイルドと、ロシアのプーチンに資金提供を行っているスイス金融界の源流である、
ヴェネチア金融界の一画を占める、
ジェノア生まれの銀行家ジョバンニ・カボートを源流としている。
この一族はロシア・キエフのローゼンバーグ一族と縁戚にあり、
ロシア=スイスの地下金融水脈を形成している。

この「真の米大陸の初代侵略者」キャボット一族は、
アフリカ黒人を奴隷として米国に「強制連行する」奴隷商人として、巨万の富を築き上げる。>
https://satehate.exblog.jp/9879942/より拝借



<1930年代、日本が中国侵略を行う際、
その資金提供を行っていたロスチャイルド=ロックフェラー・ブッシュ一族。
その資金提供の「交渉窓口」であった在日アメリカ大使ジョセフ・グルーも、
また、モルガン=ロスチャイルド財閥の一族であった。
ジョセフの従兄妹ジェイン・ノートン・グルーは
初代J・P・モルガンの後継者ジャック・モルガンの妻であった。

この在日大使ジョゼフの妻アリス・ペリー・グルーは、
名前の示す通り「黒船ペリー」の末裔として日本・東京で育ち・教育を受けていた。>
https://satehate.exblog.jp/9879942/より拝借


<アリスの「幼馴染」であり、華族女学院=学習院女子部時代から、
常に、アリスと共に3人で行動し、アリスから世界経済・政治について「レクチャー」を受け、
侵略者ペリーと、ロスチャイルド=モルガンの「情報操作教育=洗脳教育」を受けていたのが、
クリスチャン・鍋島信子、と「九条」節子(「」は引用者)であった。

九条節子は昭和天皇・裕仁の母であり、
アリスの親友・鍋島信子の娘は秩父宮妃である。>
https://satehate.exblog.jp/9879942/より拝借



<アリスの夫ジョセフ・グルーも、ハーバート大学時代、
学生新聞「クリムゾン」の編集に携わっていたが、
同じサークル仲間の友人に、
キャボットが創立資金を出した麻薬専売会社ラッセル社の中国支配人であったルーズベルト一族のフランクリン・ルーズベルト(後の大統領)が居た。>
https://satehate.exblog.jp/9879942/より拝借



<一方、モルガン=ロスチャイルド資金で、
倒幕に成功した明治政府の中核=薩摩藩士・大久保利通の息子は
牧野家に養子に入り牧野伸顕を名乗っていたが、>
https://satehate.exblog.jp/9879942/より拝借


<その娘・牧野雪子(大久保利通の孫)は年離れの親友アリスに「事実上、師事」し、
国際情勢・政治経済の「教育」を受ける。
モルガン=ロスチャイルドの洗脳教育である。
牧野雪子は吉田茂の妻となり、
吉田もモルガン=ロスチャイルドに寵愛され、出世街道を上昇して行く。

奴隷貿易商人の末裔=麻生太郎首相の系譜 by オルタ 他_c0139575_2271974.jpg
雪子は麻生太郎首相の祖母である

https://satehate.exblog.jp/9879942/より拝借


<コロンブスがカリブ諸島に上陸した5年後、
ジョン・カボット[c.1450-c.1498]として知られるイタリア人が、
西イングランドのブリストル(聖堂騎士団の港)を出港した。>
https://satehate.exblog.jp/9879942/より拝借


https://satehate.exblog.jp/9879942/より拝借


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<ニューファンドランド、ノヴァスコシア、そして北米大陸を、公式に「発見」するためだ。>
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https://satehate.exblog.jp/9879942/より拝借


<ブリストルという名は、女神バラティの名に由来している
(バラティはかつて、カエル・ブリトと呼ばれていた)。

ブリストルは当時、騎士団の一大拠点であった。
今でも市内には、テンプル・ミーズと呼ばれる場所があるが、それは当時の名残りだ。>
https://satehate.exblog.jp/9879942/より拝借


<このカボットは、英国王ヘンリー七世からの支援を受けていた。>
https://satehate.exblog.jp/9879942/より拝借


https://satehate.exblog.jp/9879942/より拝借


<カボットの息子セバスチャン(ヴェネチア生まれ[c.1474-c.1557])は、
ヘンリーのために探検航海を行い、地図の作製を担当した。>
https://satehate.exblog.jp/9879942/より拝借


https://satehate.exblog.jp/9879942/より拝借



<セバスチャンは、カナダのハドソン湾まで航海したり、
スペインの探検隊を南アメリカに案内したりもした。

カボット父子は普段から、アジアへの新航路を探し求めているのだと公言していた。
しかし真相は、その公言とはうらはらにスペインの南アメリカ探検も、英仏による北米探検も、
ともにバビロニアン・ブラザーフッドによってお膳立てされたものだったのである。
(引用注:確かにアジアに来ていますが)>
https://satehate.exblog.jp/9879942/より拝借



<公認の歴史では、カボットとコロンブスのあいだにはなんのつながりもない
ということになっている。
ジョン・カボットの本名は、ジョヴァンニ・カボートという。

のちに彼はヴェネチアに帰化しているが、その出身地はジェノヴァである。
コロンブスがジェノヴァを中心に活躍していたとき、カボートもまたそこにいたのだ。>
https://satehate.exblog.jp/9879942/より拝借


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<高位のフリーメーソンであるマンリー・P・ホールは、
「両者はともに、秘密結社『東方の賢者たち』にかかわっていた」と言う。>


こちらの記事↑に入っていた関連記事

ウォーバーグ一族

引用させていただきます。

ウォーバーグ一族: (フォトギャラリー)  by Clifford Shack


JFK政権時代のクーンローブのパートナー達。ジェイコブ・シッフ[Jacob Schiff]の肖像画の下には、(左から)オットー・カーン[Otto Kahn]の息子であるギルバート・ウィリアム・カーン[Gilbert W. Kahn] 、シッフの孫たち、ジョン M. シッフ[John M. Schiff, 1904-1987] 、とフレデリック M. ウォーバーグ [Frederick M. Warburg, 1897-1973, フェリークス・ウォーバーグとフリーダ・F・シッフの長男]。

もしケネディ暗殺に誰が最終的に責任を負うのかを理解するのに関心があるなら...この連中の状況をつぶさに調べてみなさい。


マックス・ウォーバーグ[Max Warburg, 1867-1946]、乳児のエリックとともに。マックスは、ドイツのウォーバーグ銀行の頭取です。

彼はアドルフヒトラーに資金調達し操作したと告発されている。
告発者の一人は、有名なドイツの将軍エーリヒ・ルーデンドルフ[Erich Ludendorff]の妻であるマティルデ・ルーデンドルフ[Matilde Ludendorff]である。

悲しむべきことに、JFKの暗殺を調査することによって、私は同じ結論に達するに至った。

エリック・ウォーバーグ[Eric Warburg, 1900-1990](左)、老後のジョン J. マクロイ[John J. McCloy, 1895-1989]と会う。

マクロイは、気の利いたウォール街企業の弁護士で、ウォーバーグ一族のために60年以上忠実に仕え続けた。

マクロイは、提案されたアウシュビッツへ繋がる鉄道線の爆撃を挫折させた。彼はまた、ウォーレン委員会を代表する人物であった。

マクロイは、調査者を暗闇に止めておくために設計された大幅に混乱させる訳の分からない言葉を創り出す特別な法律的な才能を有していた。間違いなく彼の能力はJFK暗殺の背後の陰謀団を発見することから人々を遠ざけておくために指名された。

ウォーバーグ家はロスチャイルド家とともに、イスラエル国家に資金調達した。ここでエディ・ウォーバーグ[Eddie Warburg, 1908-1992、 フェリークスの4男]はゴルダ・メイア[Golda Meir]と共に大笑いしている。

エディ・ウォーバーグ、ゴルダ・メイア首相とエレノア・ルーズベルト[Eleanor Roosevelt]の側で。FDルーズベルトの母方の祖父は、セファルディユダヤ人で、サスーンのために麻薬を中国に搬送することによって財産を築いた。

エリック・ウォーバーグ、1950年代の後半。 エリックは戦後、陸軍元帥ヘルマン・ゲーリング[Hermann Göring]を尋問、ゲーリングは尋問後間もなく死亡した。それは自殺だったのか、それとも自殺させられたのか?

フレディ・ウォーバーグ[フレデリック M. , Freddy Warburg, 1897-1973、 フェリークスの長男]。ジョン J. マクロイとともにコネチカット州の不動産を買った。(かれらは隣人だった) マクロイのように、フレディは熱心なテニスプレイヤーだった。彼はまたバージニア州に1000エーカーの馬の飼育場を所有していた。

マクロイは、ウォーバーグとの会談のためJFKをその農場に連れて行った。

フィリップ王子[Prince Phillip]が、ローラ・ウォーバーグ[Lola Warburg, 1901-1989、 マックスの長女、エリックの妹]をイングランドの彼女のバーンサイドの家に訪問。
ローラがいかにして王子の一歩先を歩んでいるかに注意されたし。
それは図太さではない。
それは一人の有力なレディです。

ジェームズ・ポール"ジミー"ウォーバーグ[James Paul "Jimmy" Warburg, 1897-1969、 ポール・ウォーバーグ[Paul Warburg, 1868-1932]の息子]。 積極的な統一世界連邦主義者で出資者。コード・マイヤーJr.[Cord Meyer Jr.](メアリー・ピンチョー・マイヤー[Mary Pinchot Meyer]の夫)に対するメンター

ローラ・ハーン-ウォーバーグ[Lola Hahn-Warburg]、彼女の恋人、イスラエルの初代大統領ハイム・ワイツマン[CHAIM WEIZMANN 1874-1952]と 。写真がいたずら好きの手に落ちてしまった場合にそなえ、彼らがいかに防衛的距離をとっているかに注意。

フリッツ・ウォーバーグ[Fritz Warburg, 1879-1964、 マックス、ポール、フェリークス達の弟]。ストックホルムで孫達と。

ヒトラーはスウェーデンなしには動くことができなかった。

彼の戦車のために必要なボールベアリングは2つの工場から来た。

一つはフィラデルフィア、 もう一つはスウェーデンの。

これらのベアリングなしには、ヒトラーの有名な機甲師団は一インチも動くことができなかった!!!

フィラデルフィアはマクロイのホームタウンだった。

フリッツのホームは、スウェーデン。


ちなみに、ヒトラーのルフトヴァッフェ(ドイツ空軍)は、ロックフェラーのスタンダードオイルからヒトラーに提供された特別な航空機用添加物なしには、地面から離陸することはできなかっただろう。

その主題に関連してはおまけに...ドイツの戦争努力のために必要なトラックを吐き出したのはドイツフォードの組立工場だった。


元記事は
The Warburgs  by Clifford Shack
http://www.geocities.com/cliff_shack/photogallery_warburg.html


新アドレス

http://cliffordshack.com/photogallery_warburg.html

参考
The Warburgs: The Twentieth-Century Odyssey of a Remarkable Jewish Family, by Ron Chernow. Reviewed by John Weir

http://www.ihr.org/jhr/v15/v15n5p33_Weir.html

Descendants of Salomon Benedict Goldschmidt and Reichle Cassel

http://wikiprotest.com/index.php?title=Descendants_of_Salomon_Benedict_Goldschmidt_and_Reichle_Cassel


FRB成立とウォーバーグ家人脈
http://www.bekkoame.ne.jp/ro/gg9342/gomi/study/hilose/hil-war-frb.html

ナチスとアメリカ企業の協力関係
http://hexagon.inri.client.jp/floorA6F_hc/a6fhc200.html

さてはて、第三次世界大戦計画を練っているのは誰でしょうか?

https://satehate.exblog.jp/7966411/

※こちらの記事↑より画像を拝借いたします。

<FK政権時代のクーンローブのパートナー達。

ジェイコブ・シッフ[Jacob Schiff]の肖像画の下には、
(左から)オットー・カーン[Otto Kahn]の息子であるギルバート・ウィリアム・カーン[Gilbert W. Kahn] 、シッフの孫たち、ジョン M. シッフ[John M. Schiff, 1904-1987] 、
とフレデリック M. ウォーバーグ [Frederick M. Warburg, 1897-1973,
フェリークス・ウォーバーグとフリーダ・F・シッフの長男]。 >
https://satehate.exblog.jp/7966411/より拝借


※ここで余談ですが、「アンネの日記」を思い出しましたので、

上記の記事に「オットー」という名前が出てきました。「オットー」はユダヤ人でよく見られる名前ですね。アンネ・フランクの父親のお名前もたしか「オットー・フランク」だったかと思います。

その娘であるアンネが書いていたという「アンネの日記」について、あれは父親がお金を払って別人に書かせたものだと書かれている記事があるかと思えば、そういう説もあるが鑑定した結果からは、やはり本人が書いたものであると書かれている記事がありましたので、ここに両説の記事を参考としてご紹介させていただこうと思いました。

まずは別人が書いたという説です。

こちらの記事↑に、私にとってはとんでもないという印象を持った記述がありました。

「1954年の写真。アンが2年間、家族や他の4人と共有した隠れ場所の入り口をカバーする本棚。但し、これらの階段や本棚は、戦後、アンネの日記の記述内容に沿って改造したものであることをポーランド政府が認めている。」とありました。

なぜ、そんなことをしたのか?というのが素朴な疑問です。

また、アンネの日記のこと以外にも
「強制収容所にかき集められたユダヤ人は寧ろ大切に扱われた。」、
「ガス室自体が無かった。~ガス室は戦後に新築されたものであるとポーランド政府が認めている。」という記述もありました。

ここで私は思い出したことがありますので書きます。

それを見たのは、たぶんかなり前のことだったかと思いますが、強制収容所に連れて来られた、おそらくユダヤ人(?)の人たちと思われる人達が皆、全裸状態もしくは半裸状態とも言える状態にされていて、写真のほぼ中央に写っていたのは大人の女性で、その方は裸とも言える状態にされていて、月経中のためだったのか、股の間から経血が流れているのだろうと思える状態の姿で写っていました。直視することが憚られるあまりにも生々しいその写真の画像に、言い知れぬ拒絶感と恐怖感が起こったことを鮮明に覚えております。女性はそのようなあらぬ姿であっても、無理に歩かされているという姿でした。女性の顔は恐怖でひきつっいるように私には見えました。

この写真の画像を私は今でもはっきりと覚えていますので、

「強制収容所にかき集められたユダヤ人は寧ろ大切に扱われた。」、
「ガス室自体が無かった。~ガス室は戦後に新築されたものであるとポーランド政府が認めている。」という記述は、にわかには信じられないという思いです。。

もし、「強制収容所にかき集められたユダヤ人は寧ろ大切に扱われた。」が事実であるなら、私が見たあの写真に写っていた人たちはユダヤ人の人たちではなかったということなのでしょうか?

さらに疑問が湧いてきました。

メンゲレ博士は、駅でユダヤ人たちを乗せた列車が到着するのを待ち受けていて、降りてきたユダヤ人(?)の1人1人を吟味し、選別していったということがネット記事で書かれているのを閲覧しました。

メンゲレ博士は特に双子に興味を抱いていたらしく、双子を見つけては残酷な実験をしていったそうです。ウィキペディアにもそのようなことが書かれていました。これのどこが「ユダヤ人は寧ろ大切に扱われた。」になるのでしょうか? それとも残酷な実験をされた双子の子供たちはユダヤ人ではなく、別の人種だったのでしょうか?

こうした疑問と似ているのが、今のウクライナ戦争だと思います。ウクライナ人の方で、家族をウクライナに残している女性が日本語で語っておられました。
「ウクライナ人がウクライナ人を殺している。ウクライナ人がウクライナ人をレイプしている。」と。

ウクライナ人の中にナチス組織の人たちがいるらしいのです。そのことについても書いた記事を、関連記事として本記事の下の方に載せています。


「アンネの日記」について、次のようなツイートもありました。


次にご紹介させていただくのは、やはり本人が書いたという説です。

こちらの記事↑では、ウマズラさんという方の動画が紹介されていました。

「本人が書いた説」につきましては、こちらの記事↑をお読みいただきたいと思います。


ここでは、その動画のウマズラさんについて記述したいと思います。
ブログ「日本の黒い霧」で「ウマヅラ」で検索してみました。

こちら↑からピックアップさせていただきます。



https://daiwaryu1121.com/post-42628/より拝借





一部引用させていただきます。

ウマヅラビデオや林千勝、三橋貴明なんかが間違っているのは表に出ている発言をそのまま受け取っているからなんですね。

ウマヅラビデオは最新の動画でも従来のイルミナティとニューイルミナティが戦っているとか、バイデンは反イスラエルだなどと間違ったことを言っています。

(中略)

現在の世界情勢は第二次世界大戦のときとよく似ていて、表で要人が発言していることと裏の真意は別なんですね。

ヒトラー率いるナチスドイツとスターリン率いるソ連が独ソ不可侵同盟関係を結んだと思った矢先にドイツがソ連に侵攻しましたよね。

このように表と裏は別なのです。

イルミナティとニューイルミナティは戦ってなどいません。

そもそもニューイルミナティなんてものはないです。

従来のイルミナティがあるだけです。

バイデンは表向きは反イスラエルの発言をしていましたが、裏ではイスラエルとがっつり繋がっています。

バイデンを操っているのはイスラエル側の勢力ですから。

ウマヅラはトランプが中東の火種を大きくしたように語っていましたがそれも間違いです。

トランプは口では中東を火だるまにするようなことを言っていましたが、実際は軍をなんとか止めて中東での戦争を回避していました。

中東からの米軍の引き上げも行いました。

ロックフェラーとロスチャイルドも戦ってなどいません。

ロスチャイルドのヨーロッパ勢がロックフェラーのアメリカ勢を操っているだけです。

戦っているように見えるのはイルミナティが両陣営を両建てでやってるだけのことです。

(後略)

https://daiwaryu1121.com/post-45114/

そもそもYouTube動画についてですが、いわゆる陰謀系や、これぞ真実系の動画は、その動画作成者さんの主観が強く入ると思っています。

なぜ彼ら彼女らは、そうした動画を毎日のように、あるいは毎週のようにアップしているのでしょうか? 単なる趣味や小遣い稼ぎなのでしょうか?
理由は他人様のことですからどうでもいいことではありますが、なぜそうなのかをちょっと考えてみることは、動画に傾倒して騙されることから遠去かることにも繋がると思います。逆に言いますと、そうすることで、ある意味での「真実」も見つけてしまうことにもなるかもしれません。


なお、アンネの日記は本当は誰が書いたのかにつきましては、私はその話を精査する能力もヒマもありませんので、そういう説(両説)が出ているという認識だけにとどめておこうと思います。この案件もイルミナティが絡んでいるのであれば、イルミナティ事案ということになり、一般人が真相を探り当てるのは困難であろうと思われます。ネットから拾った情報で想像することにとどまるだけですね。


※話を元に戻します。再び、記事より画像を拝借いたします。


<マックス・ウォーバーグ[Max Warburg, 1867-1946]、乳児のエリックとともに。>
https://satehate.exblog.jp/7966411/より拝借


<エリック・ウォーバーグ[Eric Warburg, 1900-1990](左)、
老後のジョン J. マクロイ[John J. McCloy, 1895-1989]と会う。

マクロイは、気の利いたウォール街企業の弁護士で、
ウォーバーグ一族のために60年以上忠実に仕え続けた。
マクロイは、提案されたアウシュビッツへ繋がる鉄道線の爆撃を挫折させた。
彼はまた、ウォーレン委員会を代表する人物であった。

マクロイは、調査者を暗闇に止めておくために設計された大幅に混乱させる
訳の分からない言葉を創り出す特別な法律的な才能を有していた。

間違いなく彼の能力はJFK暗殺の背後の陰謀団を発見することから
人々を遠ざけておくために指名された。 ウォーバーグ一族_c0139575_8204524.gif>
https://satehate.exblog.jp/7966411/より拝借


<ウォーバーグ家はロスチャイルド家とともに、イスラエル国家に資金調達した。
ここでエディ・ウォーバーグ[Eddie Warburg, 1908-1992、
フェリークスの4男]はゴルダ・メイア[Golda Meir]と共に大笑いしている。>
https://satehate.exblog.jp/7966411/より拝借


<エディ・ウォーバーグ、ゴルダ・メイア首相と
エレノア・ルーズベルト[Eleanor Roosevelt]の側で。

FDルーズベルトの母方の祖父は、セファルディユダヤ人で、
サスーンのために麻薬を中国に搬送することによって財産を築いた。>
https://satehate.exblog.jp/7966411/より拝借


「サスーン」で思い出すのは理美容関係の「ヴィダルサスーン」です。関係あるのだろうか。

こちらのウィキペディア↑によりますと、ヴィダル・サスーンやユダヤ人とありました。


<エリック・ウォーバーグ、1950年代の後半。
エリックは戦後、陸軍元帥ヘルマン・ゲーリング[Hermann Göring]を尋問、
ゲーリングは尋問後間もなく死亡した。それは自殺だったのか、それとも自殺させられたのか?>
https://satehate.exblog.jp/7966411/より拝借


<フレディ・ウォーバーグ[フレデリック M. , Freddy Warburg, 1897-1973、 
フェリークスの長男]。ジョン J. マクロイとともにコネチカット州の不動産を買った。
(かれらは隣人だった) 

マクロイのように、フレディは熱心なテニスプレイヤーだった。
彼はまたバージニア州に1000エーカーの馬の飼育場を所有していた。
マクロイは、ウォーバーグとの会談のためJFKをその農場に連れて行った。 >
https://satehate.exblog.jp/7966411/より拝借


<フィリップ王子[Prince Phillip]が、
ローラ・ウォーバーグ[Lola Warburg, 1901-1989、 
マックスの長女、エリックの妹]を
イングランドの彼女のバーンサイドの家に訪問。

ローラがいかにして王子の一歩先を歩んでいるかに注意されたし。
それは図太さではない。
それは一人の有力なレディです。 >
https://satehate.exblog.jp/7966411/より拝借



<ジェームズ・ポール"ジミー"ウォーバーグ[James Paul "Jimmy" Warburg, 1897-1969、 
ポール・ウォーバーグ[Paul Warburg, 1868-1932]の息子]。
積極的な統一世界連邦主義者で出資者。

コード・マイヤーJr.[Cord Meyer Jr.]
(メアリー・ピンチョー・マイヤー[Mary Pinchot Meyer]の夫)
に対するメンター>
https://satehate.exblog.jp/7966411/より拝借


<ローラ・ハーン-ウォーバーグ[Lola Hahn-Warburg]、彼女の恋人、
イスラエルの初代大統領ハイム・ワイツマン[CHAIM WEIZMANN 1874-1952]と 。

写真がいたずら好きの手に落ちてしまった場合にそなえ、
彼らがいかに防衛的距離をとっているかに注意。>
https://satehate.exblog.jp/7966411/より拝借


<フリッツ・ウォーバーグ[Fritz Warburg, 1879-1964、
 マックス、ポール、フェリークス達の弟]。ストックホルムで孫達と。>
https://satehate.exblog.jp/7966411/より拝借


アルバート・パイクの世界操作計画

引用させていただきます。

下の参考サイトをもとに、わかりやすく?まとめ直してみました。

 アルバート・パイク (1809ボストンに生まれ~1891年ワシントンで死去)

           ワシントン警察本部のそばにある銅像

               主要著書:道徳と教義?

                  メンフィス33

 ハーヴァード大学卒業後、弁護士、詩人、多作な作家として活躍していた南部連邦の将軍、アルバート・パイクは、1857年に秘密結社イルミナティの最高幹部(フリーメイソン:スコティッシュ・ライト最高位33階級)となり、「黒い教皇」と呼ばれるようになった。彼は、アメリカ南北戦争操作の(特に南部)総指揮者でもあり、オハイオ州シンシナティに本部を置いていた秘密結社「金の輪の騎士達」がリンカーン暗殺に関与したことが明るみに出た後、その名称を「KKK」に変更した当事者でもある。


 彼が1871年8月15日付けで、イタリアのグランド・オリエント・フリーメイソンのトップで「イタリア建国の父」であるジュゼッペ・マッチーニ(イタリア・マフィアや「ヤング・アメリカ」の父でもある)に送った書簡には、(我々にとって)恐るべき「未来計画」が書かれていた。

 それによると、まず、「世界を統一するために今後3回の世界大戦が必要だ」と書いてあり、「1回目はロシアを倒すために、2回目はドイツを倒すために、3回目はシオニストとイスラム教徒がお互いに滅し合い、いずれ世界の国々もこの戦争に巻き込まれ、それが最終戦争に結びつくだろう」と書かれていた。

いわく、

「第一次世界大戦は、ツァーリズムのロシアを破壊し、広大な地をイルミナティのエージェントの直接の管理下に置くために仕組まれることになる。そして、ロシアはイルミナティの目的を世界に促進させるための“お化け役”として利用されるだろう。」


「第二次世界大戦は、『ドイツの国家主義者』と『政治的シオニスト』(パレスチナ地方にユダヤ人国家を建設しようとする人々)の間の圧倒的な意見の相違の操作の上に実現されることになる。その結果、ロシアの影響領域の拡張と、パレスチナに『イスラエル国家』の建設がなされるべきである。」


「第三次世界大戦は、シオニストとアラブ人とのあいだに、イルミナティ・エージェントが引き起こす、意見の相違によって起こるべきである。世界的な紛争の拡大が計画されている……」
「キリストの教会と無神論の破壊の後、ルシファーの宇宙的顕示により、真の光が迎えられる……」

このように、何も知らされない世界の「ロボット」達は「笛吹」に誘導され続けてきた。

現在は、第三次世界大戦の初期局面である(そうな)。

なお、パイクの資金源はロスチャイルド代理人ブライヒレーダー[1822-93]だったとか。


参考
アルバート・パイクについて
http://www.asyura.com/sora/bd10/msg/95.html


(一部抜粋)
 マッチィーニ[June 22, 1805, Genoa, Italy - March 10, 1872, Pisa, Italy]はイルミナティの首長であったばかりでなく,ヨーロッパでの主要な革命家であった。マッチィーニは崩れ去った『OLD ORDER』に対して『NEW World Order』を創設すべく決心し,ゴールを達成する計画を練り上げた。マッチィーニは1870年1月22日,パイク宛の手紙に世界支配のための計画を詳細に述べた。


 「我々は,現在,すべての同盟において,制度,中枢の権威,高位の多様式な儀式の一致を継続して組織化することができなければならない。しかし,我々が選ぶであろう最高位のメイソンのために,新しい最高のライトを生み出さなければならない。それは我々の兄弟メイソンリーにとって,最も厳しい誓約になるであろう。この最高のライトは,一つの国際中枢として,また未知となる指揮により,我々はさらに強力にすべてのフリーメイソンリーを統治することになる。」Lady Queensborough, pp. 208-209

 この秘密のライトは『ザ・ニュー・アンド・リフォームド・パラディアン・ライト』と呼ばれる。(The New and Reformed Palladian Rite)チャールストン,サウスカロライナ,ローマ,ベルリンに本部があり,東半球ではマッチィーニ,西半球ではパイクが,このライトの先頭に立った。

 パイクは,彼の所信とゴールを1871年『Morals and Dogma of the Ancient and Accepted Scottish Rite of Freemasonry』において述べた。この莫大な書でパイクが述べたのは,
「無目的な大衆の集団は,有効に利用され,管理されなければならない。それは知性(?)によって統率されるべきである。」

「迷信(宗教),独断と偏見により,人類に対して至る所に築かれる砦を破壊するために,集団は頭脳と法(イルミナティの)を有しなければならない。その大胆な行為は不変の結果をもたらし,真の革新となる。そこに崇高な勝利がある。」

「保守派と司法の規則による統制,組織的運動と努力,これらの結合により,すべての集団は結集され,知性(イルミナティ)により支配され,偉大な変革は進み出す準備ができる。」

「変革が失敗に取って代わるのは集団が十分に統制されないからである。」
MORALS AND DOGMA OF THE ANCIENT AND ACCEPTED SCOTTISH RITE OF FREEMASONRY 1-2 (Rev. Ed. 1950)

 パイクは,世界征服の計画を設計し,1871年8月15日付けのマッチィーニ宛の手紙で,その計画について述べた。 パイクは将来,New World Orderのために3つの世界大戦を準備するつもりだと述べた。第3次世界大戦では,「我々は無政府主義者と無神論者を解き放し,恐ろしくたくさんな社会的大変動を誘発させる蛮行そして残虐な混乱の始まり,すべての恐怖は,はっきりと諸国民に,完全なる無神論の効果を見せつける。 至る所で市民は世界中の少数派の革命家から防御することを強いられ,それら文明の破壊者を根絶しようとする,そして大多数はキリスト教に幻滅を感じ,その瞬間から,その理神論の精神は,コンパス(方向)を失い,何を崇拝すべきかわからないが,理想を切望するだろう。 キリスト教と無神論の破壊に続き,一般的な反作用の動きにより,最終的には公共の目に明らかになる全世界へのルシファーの純粋な教義の明示によって,本当の天光が授けられる。 キリスト教と無神論は,どちらも打破され,同時に根絶される。
Des Griffin, FOURTH REICH OF THE RICH 71-72 (1989)


アルバート・パイクの“予言”
http://inri.client.jp/hexagon/floorB1F_hap/_floorB1F_ap.html


新世界秩序の未来プログラム
http://m00m.blog1.fc2.com/blog-entry-23.html


第三次世界大戦へのカウントダウン
http://www.ne.jp/asahi/petros/izumi/arano/arano040830.htm


反キリストの現実
http://www.ne.jp/asahi/petros/izumi/arano/arano040802.htm


頻発する幼児誘拐は悪魔礼拝の生贄&やがて宗教も一つに統一される
http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/5614/zas18.html


太田龍の時事寸評:アルバート・パイクの一八七一年八月十五日付けの手紙の信憑性について
http://www.asyura2.com/0304/bd25/msg/533.html


なぜ反ロスチャイルドなのか(7)-宗教と秘密結社と戦争
http://www.anti-rothschild.net/main/07.html


アルバート・パイクの『未来計画』
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20051109


研究メモ ロスチャイルドについて ⑦  【日本人が知らない 恐るべき真実】
http://www.asyura2.com/07/hasan49/msg/614.html


Who was Albert Pike?
http://www.threeworldwars.com/albert-pike.htm


アルバート・パイク資料 HAARP
http://www.asyura.com/biz0310/war40/msg/178.html


FINAL WARNING: A HISTORY OF THE NEW WORLD ORDER
http://www.the7thfire.com/new_world_order/final_warning/illuminati_leadership_changes.htm


Albert Pike (1809-1891)
http://www.biblebelievers.org.au/pike.htm


The Communist Machines
http://www.mystae.com/restricted/streams/masons/communist.html


THE NEW WORLD ORDER-MAFIA Connection
http://skunks.wordpress.com/the-new-world-order-mafia-connection/


アルバート・パイク2&メイソン
http://www.asyura.com/sora/bd10/msg/649.html


「第3次世界大戦のシナリオもすでに完成している」 他
http://www.asyura2.com/0601/revival1/msg/149.html


フリーメーソン世界帝国への野望
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/daiyogen20.html


『フリーメーソン世界帝国への野望ー遂に暴かれた超機密戦略』 鬼塚五十一から
http://hiroshima.cool.ne.jp/h_sinobu/meson1.htm


イルミナティ(illuminati)
http://mickeymickeymickey.seesaa.net/article/31977752.html


イルミナティの歴史 れんだいこ
http://www.gameou.com/~rendaico/seito_palesutina_yudayaginmondai_iluminatyco_history.htm


「シオンの議定書現代バージョン」  れんだいこ
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/seito_palesutina_yudayaginmondai_giteisyoco_gendaiban1co.htm


フリーメーソンの歴史 れんだいこ
http://www.gameou.com/~rendaico/seito_palesutina_yudayaginmondai_freemeisonco_history.htm


フリーメーソン
http://10e.org/oldlog/penguintalklog/hurimaison.htm


デーヴィッド・アイク著 太田龍監訳 大いなる秘密 
http://www.sanko-sha.com/sankosha/editorial/books/items/145-0_146-9.html


              
参照

新世界のためのアジェンダ?
http://satehate.exblog.jp/6991054/


お札でわかる911と世界人間牧場
http://satehate.exblog.jp/6942545/


自分に国家の通賃をコントロールさせよ。そうすれぱ誰が法律を作ろうと知ったことではない。
http://satehate.exblog.jp/6924499/


911再訪:「自由」の女神の独白
http://satehate.exblog.jp/8565383/


カバリスティック 9.11
http://satehate.exblog.jp/9680666/


サバティアン・フランキスト・イルミナティ;全能の目カルトとしても知られる。
http://satehate.exblog.jp/7920212/


黒い貴族 デーヴィッド・アイク「最大の秘密」よりの抜粋
http://satehate.exblog.jp/8022382/


かれらはいかに世界を支配しているか By Henry Makow Ph.D.
http://satehate.exblog.jp/8078264/


すべてのユダヤ人(と非ユダヤ人)が知っておくべきこと By Henry Makow Ph.D.
http://satehate.exblog.jp/8315847/


イルミナティ反逆者が、緊急警告を発する(アンコール) By Henry Makow Ph.D.
http://satehate.exblog.jp/8481805/


ルバヴィッチ派「アメリカの友」&ハルマゲドン
http://satehate.exblog.jp/9757761/



by oninomae | 2007-09-17 00:18 |

https://satehate.exblog.jp/6982937/

※こちらの記事↑より画像を拝借いたします。

<アルバート・パイク 
(1809ボストンに生まれ~1891年ワシントンで死去)>
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<ワシントン警察本部のそばにある銅像>
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< 主要著書:道徳と教義?>
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< メンフィス33>
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<ハーヴァード大学卒業後、弁護士、詩人、多作な作家として活躍していた南部連邦の将軍、
アルバート・パイクは、
1857年に秘密結社イルミナティの最高幹部
(フリーメイソン:スコティッシュ・ライト最高位33階級)となり、
「黒い教皇」と呼ばれるようになった。

彼は、アメリカ南北戦争操作の(特に南部)総指揮者でもあり、
オハイオ州シンシナティに本部を置いていた秘密結社「金の輪の騎士達」が
リンカーン暗殺に関与したことが明るみに出た後、
その名称を「KKK」に変更した当事者でもある。>
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こちらの画像の白装束の人たちが「KKK」つまり、「クー・クラックス・クラン」で秘密結社と言われている組織の1つなわけですね。



<彼が1871年8月15日付けで、
イタリアのグランド・オリエント・フリーメイソンのトップで
「イタリア建国の父」であるジュゼッペ・マッチーニ
(イタリア・マフィアや「ヤング・アメリカ」の父でもある)
に送った書簡には、
(我々にとって)恐るべき「未来計画」が書かれていた。  

それによると、まず、「世界を統一するために今後3回の世界大戦が必要だ」と書いてあり、
「1回目はロシアを倒すために、
2回目はドイツを倒すために、
3回目はシオニストとイスラム教徒がお互いに滅し合い、
いずれ世界の国々もこの戦争に巻き込まれ、
それが最終戦争に結びつくだろう」
と書かれていた。

いわく、 「第一次世界大戦は、ツァーリズムのロシアを破壊し、
広大な地をイルミナティのエージェントの直接の管理下に置くために仕組まれることになる。
そして、ロシアはイルミナティの目的を世界に促進させるための
“お化け役”として利用されるだろう。」 >
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<「第二次世界大戦は、『ドイツの国家主義者』と『政治的シオニスト』
(パレスチナ地方にユダヤ人国家を建設しようとする人々)の間の
圧倒的な意見の相違の操作の上に実現されることになる。

その結果、ロシアの影響領域の拡張と、
パレスチナに『イスラエル国家』の建設がなされるべきである。」>
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このような、ヒットラーの群衆に向けての演説に対しても、ロスチャイルドなどがサクラ群衆を動員するための資金援助をしたのでしょうね。

それにしても、このヒットラーさんの演技(?)は迫真に迫っているようですね。人々の人身掌握も深く研究されていたことがうかがえそうです。

人様の記事によりますと、ヒットラーは登場するときにも光の効果や音(※音楽のことか?)をうまく使ったりなど、演出にも趣向を凝らして群衆が自分に陶酔するように仕向けていったというようなことが書かれていました。舞台で演じるダンサーみたいですね。言い方が悪いですが、群衆の衆目を一身に浴びて騙していくような手法です。

私は真実を訴えるのに趣向を凝らした光(※これはサブリミナルとも言うのかな?)とか音楽は必要ないと考えます。

むしろこうした演出をすること自体が群衆に対するマインドコントロールであるように思います。

そういうのはYouTube動画でも、拝聴しているとよく見受けられます。
一つの動画を長く拝聴していますと、だんだんそういうことがわかるようになってきました。


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<「第三次世界大戦は、シオニストとアラブ人とのあいだに、
イルミナティ・エージェントが引き起こす、意見の相違によって起こるべきである。
世界的な紛争の拡大が計画されている……」
「キリストの教会と無神論の破壊の後、
ルシファーの宇宙的顕示により、真の光が迎えられる……」

このように、何も知らされない世界の「ロボット」達は「笛吹」に誘導され続けてきた。
現在は、第三次世界大戦の初期局面である(そうな)。
なお、パイクの資金源はロスチャイルド代理人ブライヒレーダー[1822-93]だったとか。>
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< マッチィーニ[June 22, 1805, Genoa, Italy - March 10, 1872, Pisa, Italy]は
イルミナティの首長であったばかりでなく,ヨーロッパでの主要な革命家であった。
マッチィーニは崩れ去った『OLD ORDER』に対して『NEW World Order』を創設すべく決心し,ゴールを達成する計画を練り上げた。

マッチィーニは1870年1月22日,パイク宛の手紙に世界支配のための計画を詳細に述べた。>
https://satehate.exblog.jp/6982937/より拝借


<パイクは,世界征服の計画を設計し,
1871年8月15日付けのマッチィーニ宛の手紙で,その計画について述べた。 
パイクは将来,New World Orderのために3つの世界大戦を準備するつもりだと述べた。

第3次世界大戦では,「我々は無政府主義者と無神論者を解き放し,
恐ろしくたくさんな社会的大変動を誘発させる。

蛮行そして残虐な混乱の始まり,
すべての恐怖は,はっきりと諸国民に,完全なる無神論の効果を見せつける。
至る所で市民は世界中の少数派の革命家から防御することを強いられ,
それら文明の破壊者を根絶しようとする,
そして大多数はキリスト教に幻滅を感じ,
その瞬間から,その理神論の精神は,コンパス(方向)を失い,何を崇拝すべきかわからないが,理想を切望するだろう。 

キリスト教と無神論の破壊に続き,一般的な反作用の動きにより,
最終的には公共の目に明らかになる全世界へのルシファーの純粋な教義の明示によって,
本当の天光が授けられる。 

キリスト教と無神論は,どちらも打破され,同時に根絶される。
Des Griffin, FOURTH REICH OF THE RICH 71-72 (1989)>


「キャボット家」と黒船ペリーの末裔「アリス」と「九条節子」(貞明皇后)と「昭和天皇ヒロヒト」を結ぶ点と線」の点と線とは・・・

皆さま、こちらのすぐ上の画像↑に貼らせていただいた記事本文からの文章をしっかりとお読みいただきたいと思います。ここに奴らがこれから起こそうとしている混乱の根底にある思想が出ています。ナチスの思想だと思います。つまり悪魔崇拝主義者の思想です。本記事のタイトル「「キャボット家」と黒船ペリーの末裔「アリス」と「九条節子」(貞明皇后)と「昭和天皇ヒロヒト」を結ぶ点と線」の点と線も、この思想が大元の点であると思われます。

最初から、明治維新というクーデターも、日本で起きた未解決事件、三浦春馬さんその他の有名人の暗殺事件、中村哲医師や、新聞記者などなどの暗殺事件、政治家の謀殺事件のすべては、ナチス思想が根底にあるのではないでしょうか。そして勿論ですが、コロナキャンペーンやコオロギ食などの昆虫食、毒まみれの食品開発製造も、すべてナチス思想の悪意からきていると考えます。

すべては「New World Order」のためだったということです。
黄金の千年王国樹立のためということです。

千年王国については私が書いた別記事、本記事の下に貼った「世界は八百長」で詳しく書いたつもりです。その記事では下の方で書いています。
フリッツ・スプリングマイヤー氏のインタビュー記事も一部引用させていただきました。

フリッツ・スプリングマイヤー氏のインタビュー記事では、まさに上記の画像の本分説明で書かれていたことと内容が一致しているように思える記述もありました。その記述箇所とともに、その他関連すると思える記述箇所も、ここでご紹介させていただきます。

注目すべき箇所を太字とさせていただきます。

一部引用させていただきます。

モリス:
あなたがいま挙げたグループとイルミナティの関係は?


フリッツ:
決定権を持ち、背後から物事をコントロールしているグループが
世界中にたくさんあります。
特定のグループがイルミナティの表看板をしています。

それは実際の目的を持たないという意味ではなく、
目的のために奉仕しているという意味です。

でもその背後に隠されたレベルのコントロールが存在するのです。


モリス:
イルミナティファミリーと、その組織自体のゴールは何ですか?
彼らはなぜこれほどたくさんの組織に浸透したのですか?


フリッツ:
究極的には、「反キリスト」の称号を掲げて
世界の注目を浴びる男性と共に、
「新世界秩序」といわれるものを実現することです。
それが究極的なゴールです。

これは宗教の押し売りではなく、単純な事実にすぎません。
人々の(マインドコントロールによる)プログラミングを
ほどいてみますと、そのコマンドの多くは、
反キリストの統治下に世界を統一するための、
非常に極められた計画とつながっています。



(中略)


モリス:
それは彼らが長年のあいだ、自分たちの家族に対してマインドコントロール技術を使って来たせいですか?


フリッツ:
Oh yes。イルミナティは、自分たちの仲間にも、他人にも、何世紀にも渡って、マインドコントロールを使ってきました。
すべては非常に頑丈に守られた秘密になっています。
世界規模の統一された陰謀なんてものの存在を一般人にまったく気づかせることなく、この「新世界秩序」実現のためにこれほど色々と実行できている理由の一つです。彼らはいかにも自然であるかのように見せかけて物事を実行する方法に非常に長けています。


(中略)


モリス:
彼らは両側に資金提供をしつつ、緊張を高める戦略を促進し、その扇動の結果として生じる紛争から儲けているように見えます。


フリッツ:
きりがないほど例がありますよ。
たとえば、ゲシュタポのトップだったハインリッヒ・ミュラーは、ある時、ユダヤ人の名家を連れ出して、彼らのスーツケースを自ら自分の車に載せ、スイス国境に到着すると、スーツケースをまた自ら運びました。

ちなみにスイスの警備員たちは、ゲシュタポのトップがユダヤ人一家をナチスドイツから脱出させようとスーツケースを運んでいたので、笑っていました。

リスナーの皆さんも、こういう事が見えるようになれば、隠されたレベルがあることにお気づきになると思います。

イルミナィのレベルというのは、一般人が見ることを許されているレベルをはるかに越えたところにあります。彼らはコトの背後で手を結んでいる連中です。

https://ameblo.jp/stop-electronic-torture/entry-12135105962.html

こちらの記事↑に「イルミナィのレベルというのは、一般人が見ることを許されているレベルをはるかに越えたところにあります。彼らはコトの背後で手を結んでいる連中です。」とありました。


ですから、一般大衆は、昭和天皇その他の皇族については、表面的な面しか見せられていないものですから、テレビやラジオ、新聞、週刊誌などから発せられる情報によって、敬愛の念や尊敬の念を抱かされてしまってきたわけですね。


日本の天皇と三菱と日本郵船が結託して日本人女性を騙して売春婦として輸出した事実について

日本でのその人身売買の話は、日本の黒い霧さんのブログおよびるいネットで書かれていました。

(ご参考記事)

明治天皇、大正天皇、昭和天皇、福沢諭吉、三菱財閥、三井財閥、日本郵船などにより50万人以上の少女が海外に「からゆきさん」として人身売買されていた。


日本の黒い霧さんの記事です。

こちらの記事↑に参考記事として入っていたるいネットからの記事です。

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=280559&g=132207

引用させていただきます。

近代市場の拡大

280559 三菱と天皇一族と福沢諭吉  
小澤紀夫 ( 40代 大阪 営業、企画 ) 13/09/05 AM02 
印刷用へ】  

実業家岩崎彌太郎と啓蒙思想家福沢諭吉の一目を置き合う関係がありました。慶応義塾や東大から多くの人材が三菱には採用されました。
 彌太郎は豪語しました。
「番頭や手代を学識者にすることは出来ないが、学識者を番頭や手代にすることは出来る」


三菱グループのHP 「福沢諭吉と弥太郎」
リンクから引用します。

<引用開始>
大阪にある中津藩の蔵屋敷で福沢諭吉が生まれたのは天保5年。土佐の田舎で彌太郎が生まれた翌日だった。福沢 は蘭学を緒方洪庵(こうあん)に学び、ついで英語を勉強した。幕府の欧米使節に随行すること三度、著述活動を通じて西洋の制度・理念の紹介に努めた。

慶応3(1867)年の10月、長崎商会の主任だった彌太郎は長崎から船で京都に向かった。21日の日記に記している。
「晴、早朝下関を発つ。…壇ノ浦では歴史に思いを馳せる。船室に入って、西洋事情二冊を読了する。…夜、広島の御手洗港に着く。…風雨激しくなる」。福沢の著書『西洋事情』は当時のベストセラー。彌太郎、33歳。福沢への一方的出会いだった。

福沢は慶応4年、三田に慶応義塾を開設し教鞭をとる。その翌々年、彌太郎は大阪で海運業を立ち上げた。明治6年には三菱を名乗り、翌7年東京に進出した。

当時の最大手は日本国郵便汽船会社。態度大きくいかにも乗せてやるという風情。これに対し、新興の三菱は、店の正面におかめの面を掲げ、ひたすら笑顔で応対する。武士の意識が抜けず笑顔の出来ない者には、彌太郎は小判の絵を描いた扇子を渡し「お客を小判と思え」と指導したという。これを聞き、自ら両社の現場を視察した福沢は、「岩崎は商売の本質を知っている…」と塾生に語ったと言われる。

実物が三菱東京UFJ銀行の本店に保管されている。

初期三菱には当然のことながら土佐出身者が多かった。石川七財(しちざい)、川田小一郎らに代表される幕末・維新の激動の中を生き抜いた仲間だ。ところがある時期から、土佐とは直接関係のない学識者が増えて行く。彼らは三菱の経営の近代化に大きな役割を果たす。

その背景には実業家岩崎彌太郎と啓蒙思想家福沢諭吉の一目を置き合う関係があった。慶応義塾や東大から多くの人材が採用された。彌太郎は豪語した。「番頭や手代を学識者にすることは出来ないが、学識者を番頭や手代にすることは出来る」

【福沢門下生の活躍】

明治8年、彌太郎の頼みに応え福沢が推薦して、荘田平五郎が入社した。翻訳係、すなわち西洋知識の導入担当である。まず、三菱の会社規則が作られた。冒頭で「当商会は…まったく一家の事業にして…会社に関する一切の事…すべて社長の特裁を仰ぐべし」と、社長独裁を明快に謳った。三井や住友と決定的に違うところである。

後に三菱の第二代社長岩崎彌之輔に丸の内の土地を買い取るよう進言したのは荘田平五郎だった。その意味では日本屈指のオフィス街、「丸の内」の生みの親ともいえる。

三菱汽船会社規則
会社の利益・損益ともに社長の一身に帰し、利益が大きいときは月給を上げることもあるが、損益が大きいときは月給を減らすこともある、などあくまで社長主体の会社体裁が規定されている。 (三菱史料館所蔵)

彌太郎自身は西洋の学問を学んでいない。にもかかわらず早々に複式簿記を採用し、原価償却の概念も取り入れている。福沢門下生の言うことを理解できた柔軟な頭脳は、おそらく長崎以来の外国商人との長い付き合いの中で培われたものであろう。

初期三菱には、荘田のほか、日本郵船の社長になった吉川泰二郎、後に日銀に転じて総裁にまでなった山本達雄、明治生命を創設した阿部泰蔵(たいぞう)ら、錚々たる福沢門下生がそろっていた。福沢は「実業論」の中で、経営者・岩崎彌太郎を、こう評価している。
「岩崎社長は…広く学者社会に壮年輩を求めてこれを採用し、殊に慶応義塾の学生より之に応じたる者最も多かりしが…社員おのおのその技量を逞しくし、良く規律を守りて勉励怠らず、社務整然として…他諸会社に対して特色を呈した…」

彌太郎の長男久彌も、幼少時、明治8年から3年間、卒業したばかりの豊川良平のもとで慶応義塾に通った。

<引用終了>


天皇一族と三菱財閥で日本初の船舶会社:日本郵船と福沢諭吉との関係を説明するブログリンクもあります。

<引用開始>
 1885年、天皇一族と三菱財閥で日本初の船舶会社、日本郵船が創立されました。明治維新により富国強兵の道を歩み始めた日本は、欧米からあらゆる兵器を購入し続けていましたが、欧米への支払いに当てる資金が日本にはありませんでした。そこで福沢諭吉は、「賤業婦人の海外に出稼ぎするを公然許可すべき」という指示を天皇に与えました。

 賤業婦人つまり売春婦として日本人女性を海外に「輸出、 売却」し、兵器購入資金を作るというプランであり、天皇一族はこのプランに飛び付き実行しました。(福沢諭吉全集 第15巻)

 1900年初頭から天皇の命令の下、「海外に行けば良い仕事があり、豊かな生活が出来る」という宣伝が日本全国で大々的に行われる事になりました。日本の健全な家庭に育った当時の若い女性達は天皇の言葉を信じた事は言うまでもありません。天皇一族によりだまされ「売春婦として欧米に販売された」日本人女性の数は数十万人と言われております。

 大部分は健全な家庭に育った若い女性達であり、天皇は「健全な女性を売春婦」として「売却」する事で、欧米の売春業者から女性1人あたり数千円、当時普通の会社員であれば10数年分の給与を手に入れていたのです。その金額が数十万人分=莫大な資金がこの天皇一族のサギ行為、女性の人身売買により天皇一族に転がり込んだわけです。その資金の一部は戦争のための兵器購入に当てられましたが、大部分は天皇の「個人財産」として「蓄財」されました。天皇一族は自分の金儲けのために、健全な若い日本人女性をだまし、売春婦として欧米に「売却」して来ました。

 天皇一族は欧米の売春業者とタイアップした日本の売春業者なのです。

 天皇により経営される日本郵船により、欧米に「売却」された日本人女性は、1人残らず現地に着くと即座に売春宿に「連行」され監禁されました。そして売春を強制されました。初めての外国であり、逃げ場も助けてくれる相手もいない。数十万人の日本人女性が、天皇によって売春を強制された。これが従軍慰安婦の原型とも言えるでしょう。

日本郵船の共同経営者三菱財閥もこの売春業で巨大化しまた。

この莫大な富を生む売春業に参加させてもらったお礼に、三菱財閥は昭和天皇の結婚後の新居を、全額三菱財閥の出資で建設することになりました。渋谷区下渋谷の第一御領地の「花御殿」が昭和天皇の新婚の住居であり、それは数十万人の日本人女性を「売春婦として販売した」利益で、三菱の天皇に対する「売春業参加のお礼」として建設されたしろものです。
(山田盟子「ウサギたちが渡った断魂橋」 新日本出版社)。

また天皇が大株主であった船舶会社商船三井も天皇と協力し、同一の「売春婦・輸出事業」に従事する事に至りました。

<引用終了>

福沢諭吉の孫と岩崎弥太郎の孫は婚姻関係になっています。

https://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=280559&g=132207

こちらのるいネットの記事に書かれているのと同じ内容と思える情報がTwitterにもありました。

369不動さんのツイートに動画が入っていました。

追記:今見ましたら動画が出ないように設定されてしまったようです。言論封殺でしょうか?

こちらのツイート↑に入っている動画は本当はまだ続きがあったはずですが、今はなぜか途中で切れて終了してしまいますね。なぜなのでしょうか?

私が載せた人様の別のツイートも、完全に閲覧できなくなったものもありました。何か意図的な操作でもされているのでしょうか。

どういうわけか、一般庶民に知られてはまずそうな内容のものにつき、そのような傾向があるように感じられます。



(参考・毎日新聞・「思想家の福沢諭吉も1896年、自身の新聞の社説で「海外の移植地に娼婦の必要なるは明白にして、むしろ公然許可するこそ得策なれ」と主張している。」)

「1日で49人の相手を…」 過酷な労働、波乱の人生赤裸々に 「からゆきさん」肉声テープ発見

こちらのサイトも日本の黒い霧さんの記事に参考として入っていました。

https://mainichi.jp/articles/20201228/k00/00m/040/337000c


福沢諭吉の提言に従って、明治天皇の名の元に行われた事業(実質売春婦輸出事業)について、山田盟子の「ウサギたちが渡った断魂橋」(新日本出版社)からの引用をされている記事を見つけました。その記事に、特徴的な着物の着方をしている若き日本人女性たちが写し出されている写真の画像も貼られていました。

その記事は次のDr.朝比奈Blogさんの記事です。

明治から昭和にかけての人身売買

こちらの記事で、山田盟子の「ウサギたちが渡った断魂橋」(新日本出版社)からの引用の箇所を引用させていただきます。

1900年初頭から天皇の命令の下、
「海外に行けば良い仕事があり、豊かな生活が出来る」
という宣伝が日本全国で大々的に行われた。

日本の健全な家庭に育った当時の若い女性達は天皇の言葉を信じた。

天皇一族によりだまされ「売春婦として欧米に販売された」日本人女性の数は数十万人。

大部分は健全な家庭に育った若い女性達であり、天皇は「健全な女性を売春婦」として「売却」する事で、欧米の売春業者から女性1人あたり数千円、当時普通の会社員であれば10数年分の給与を手に入れていた。

その金額が数十万人分=莫大な資金がこの天皇一族のサギ行為、女性の人身売買により天皇一族に転がり込んだ。 その資金の一部は戦争のための兵器購入に当てられたが、大部分は天皇の「個人財産」として「蓄財」された。

天皇一族は自分の金儲けのために、健全な若い日本人女性をだまし、売春婦として欧米に「売却」して来た。

天皇一族は欧米の売春業者とタイアップした日本の売春業者であった。

天皇により経営される日本郵船により、欧米に「売却」された日本人女性は、1人残らず現地に着くと即座に売春宿に「連行」され監禁された。そして売春を強制された。

初めての外国であり、逃げ場も助けてくれる相手もいない。

数十万人の日本人女性が、天皇によって売春を強制された。

これが従軍慰安婦の原型である。

日本郵船の共同経営者三菱財閥もこの売春業で巨大化した。

この莫大な富を生む売春業に参加させてもらったお礼に、三菱財閥は昭和天皇の結婚後の新居を、全額三菱財閥の出資で建設する。

渋谷区下渋谷の第一御領地の「花御殿」が昭和天皇の新婚の住居であり、それは数十万人の日本人女性を「売春婦として販売した」利益で、三菱の天皇に対する「売春業参加のお礼」として建設された。

(山田盟子「ウサギたちが渡った断魂橋」 新日本出版社)。

https://www.proto-s.net/20181224-2/



そもそも、黒船ペリー来航について

ブログ「タマちゃんの暇つぶし」で見つけた記事です。その記事によりますと、1853( 嘉永6 )年のペリー来航は、日本征服の目的をもっての下見であり、ペリーの報告を元に日本完全支配の『 オレンジ計画 』が策定されたのだそうです。『 オレンジ計画 』とは、これまた私にとっては初耳の言葉です。一体どういう計画だというのでしょう。


大正天皇について

るいネットからの記事と別のサイトからの記事をご紹介させていただきます。それぞれ自分にとって重要と思えた箇所を太字とさせていただきます。

「大正天皇から昭和天皇への「御代替わり」。これがアジア全域を戦争の惨

るいネットから引用させていただきます。

一次・二次大戦

348556 大正天皇から昭和天皇への「御代替わり」。これがアジア全域を戦争の惨禍に巻き込む転機となった。  

匿名希望 19/08/16 PM09 【印刷用へ
「前進」さんの記事を紹介します。
リンク


通説では、昭和天皇は英邁な平和主義者だったが、軍部の暴走により戦争に引きずり込まれた、という事になっています。
しかしその実態は違う事、アジア全域を巻き込んだ戦争の惨禍は、大正天皇からの御代替わりがその転機となった事が語られています

以下、引用します。

【繰り返すな戦争-天皇制と戦争-戦争責任は昭和天皇にある 最高指揮権を握り軍隊に命令】

(前略)

■代替わりの過程で大弾圧
 1901年生まれのヒロヒトは、病弱な大正天皇の代理として21年から摂政を務め、26年12月に昭和天皇となった。この大正から昭和への天皇代替わりの過程は、日本とアジアの人民を血みどろの戦争と暗黒の時代に引きずり込む歴史的転換期となった。

 17年ロシア革命と18年ドイツ革命は、ヨーロッパに暗い影を落としてきた2大君主制を崩壊させ、世界中の労働者や抑圧された民族を奮い立たせた。日本では労働運動が一大高揚期を迎え、20年には初のメーデーが開催された。横暴な軍部への怒りや普通選挙権要求の声も高まり、天皇・皇室を批判する「不敬事件」も多発した。19年、朝鮮では3・1独立運動、中国では5・4抗日闘争が日本の侵略の前に立ちはだかった。

 こうした状況への危機感を、ヒロヒトは21年8月の日記に「世界の思想界は大に乱れ、過激思想は世界に広まらんとし、労働問題はやかましくなりたり」と記している。軍部や財閥を中心とした日本の支配層は、天皇代替わりを機に国内階級闘争を鎮圧し、ぐらついた天皇・皇室の権威を立て直そうとした。特に深刻化していた軍隊の士気低下に対し、天皇への絶対服従の軍紀を再確立することが急務だった。ヒロヒトもまた摂政就任直後から軍隊の掌握に務めた。

 26年12月に大正天皇が死ぬと、早くも27年5月には新天皇ヒロヒトの命令で中国・山東省への侵略出兵を開始。28年には本格的に代替わりの儀式が始まるが、「儀礼と宣伝を通じた新天皇の創出過程は、思想統制装置の顕著な増強・拡張と手を携えていた」(ハーバート・ビックス著『昭和天皇』)。この年、全国で労働者・学生1600人が一斉逮捕された3・15弾圧に続き、治安維持法の改悪と全国への特高警察(思想警察)の設置が、いずれも緊急勅令(天皇の命令)で行われた。

 そして12月には過去最大規模の大礼特別観兵式・観艦式が行われ、陸海軍を閲兵するヒロヒトの様子が新聞やラジオで大々的に報道された。「大正天皇の弱さが大正デモクラシーの台頭を促したのに対して、昭和天皇の即位はその終焉(しゅうえん)をもたらし……君臨し、かつ統治する天皇の神格化の完成を宣言した」(同)。こうして日本は破滅的な15年戦争へと突き進むのである。

 戦後の日本では、「もともと昭和天皇は平和主義者だったが、当時は天皇ですら軍部の暴走を止められなかったのだ」というつくり話が流布されてきた。だがこれは歴史の事実に反する大うそだ。ヒロヒトは名実ともに戦争の最高指導者であり、意識的な戦争放火者だった

(後略)

https://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=348556


こちらもるいネットからの記事です。

https://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=258855&pgh=1

日本人と縄文体質

258855 大正天皇の実像は史上稀に見る英明な天皇という説  
今井勝行 ( 中年層 東京 会社員 ) 11/11/20 PM09 【印刷用へ

大正天皇は障害を持っていたと言われるが、実は英明な天皇であり、押し込められたのであり、その代わりに摂政に押し立てられたのが裕仁皇太子、つまり後の昭和天皇であるという説を、「れんだいこの大正天皇論」は提起している。(リンク

 (最新見直し2007.3.3日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 大正天皇の悲劇が分かるか。れんだいこはようやっと分かる気がする。

 明治天皇の誕生日は、戦前は明治節、今は文化の日として、昭和天皇は緑の日として慶祝されているが、大正天皇のそれは無い。つまり、大正天皇は故意か偶然にか歴史の谷間に埋没させられていることになる。この現象は、在位期間が15年という短きゆえにだけではないように思われる。原武史・氏の「大正天皇」(朝日新聞社)がこの暗闇に灯を燈したが、その史的意義が大きい。

 大正天皇は脳性病状を理由に幽閉され、昭和天皇が摂政としてその任に就いてきた。ところで、この過程は今流布されているところの話し通りなのであろうか、疑問無しとしない。これまでれんだいこは、我がサイトでこの種の「世間常識」に数々の挑戦をしてきた。未だ無視され続けているが、いずれれんだいこの功績が世の注目を浴びる日が来るであろう。同様に、れんだいこが以下指摘する大正天皇論も青天の霹靂を為すであろう。

 れんだいこに云わせれば、大正天皇の実像は史上稀に見る英明な天皇であり、その「大正天皇の幽閉は一種のクーデターであった」のではなかったか。このクーデターは、その後の大東亜戦争に向かう軍部及び政財界勢力、それを操る国際金融資本ロスチャイルド派の陰謀、それに引きずられた当代のエセ・インテリらの日帝グループにより強行され、大正天皇は彼らに;餌食にされ、無理矢理失脚せしめられたのではなかろうか。

 これにより明治維新後の歴史は画期的に右回天したのではなかったか
。西南の役での西郷派の一網打尽が第一次右回天とすれば、大正天皇閉じ込めは第二の右回天ではなかったか。以来、日帝の好戦化は不可逆的な道のりになり、大東亜戦争まで歩を進め、敗戦で瓦解するまで定向進化したのではないのか。この視点を確立したい。

 大正天皇の実像論に戻る。それには明治天皇から捉えねばならない。明治天皇の治世の特質を最簡略に云えば、内治的な殖産興業政策と外治的な対外侵略政策との二頭立てで処世してきたように思われる。明治天皇の治世を継いだ大正天皇の時代は、この二つのベクトルが矛盾として拮抗しあう時期に至っていた。如何に御すべきか。大正天皇及びその側近達は逡巡のうち、内治的な殖産興業政策を基調とする御世に向おうとした。こうして、一次的に「大正ルネサンス」時代が現出した。

 しかし、そういう大正天皇の治世は大きな抵抗に遭った。これを咎めた勢力が弄した手段が、裕仁皇太子の押し立てであった。このグループにより大正天皇は押し込められ、裕仁皇太子を摂政に就任させた。その上で、外治的な対外侵略政策に突っ走って行った。それは欧米の帝国主義政策の猿真似であり、「バスに乗り遅れるな」であった。国際金融資本ロスチャイルド派がこれを陰謀した。この視点を確立したい。

 してみれば、裕仁の運命は摂政にまつりあげられた時点で決まっていた。裕仁の皇太子から昭和天皇への軌跡は、敷かれたレールの上を走らざるを得ない中での挙措動作でしかなかった。昭和天皇の治世は、この流れにある時は抵抗しある時は推進するという歴史のジレンマに翻弄され続けたのではないのか。してみれば、時代が要請し、これに応えた苛酷な役者の役回りこそ昭和天皇を貫く特質であったとみなせよう。

 これを思えば、大正天皇の御世こそは、敷かれようとするレールに抵抗し、遂に真性に脳を煩わされたか、あるいはそのように外伝させられて幽閉せしめられた経過ではなかったか。極論で言えば、内治派に対する外地派の策動が勝利的に貫徹したのであり、ここに大正天皇の悲劇が垣間見られるのではないのか。大正天皇の才を見るに、むしろ稀に見る英才であり、感覚的に繊細且つ優美であられた、と見るのが正確なのではなかろうか

 しかし、そうなるとこれは日本近代史上特筆されるべき政変であった、最たる不敬事件であった、ということになる。残念ながらこの観点からの考察は未だタブーのようである。れんだいこならではの身易さ故に、皇室問題、大陸侵略問題、大東亜戦争考の新視角として取り上げてみたい。

 こたび大正天皇実録が公開されつつあるが、これが封印されてきた背景にはこのような深刻な意味がある。あぁだがしかし、これを受け止める側の能力が干乾びており、問題が問題として意識されていない。御用系ならともかく左派系からの追跡が未だ皆無のように見える。かの東大政治学教授丸山眞男でさえ、薄っぺらな大正天皇論を開陳している。泰斗でさえそうであるからして、左派の頭脳には漬ける薬が無いとはこのことだろう。この貧弱確認から始発せねばならないとは先が思いやられる。

 2003.11.7日再編集、2007.3.3日再編集 れんだいこ拝 
 大正天皇押し込めの背後に、幕末黒船来航以来の国際金融資本ロスチャイルド派の暗躍を加える必要がある。明治維新政府は、彼らの意向により帝国主義的侵略戦争の陣営に引き入れられ、豚の子戦略で太らされた挙句最終的に大東亜戦争で成敗された経緯が認められる。太田龍史観を学ぶことにより、そういうことに気づかされた。この面で、太田龍・氏に感謝申し上げる。

 2007.1.20日 れんだいこ拝
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この頃に業界も憲政会と結びつく三菱と政友会と結びつく三井が登場する。これも、金融資本の対立構造の兆しか

https://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=258855&pgh=1


こちらの記事↑によりますと、大正天皇は、1367にも及ぶ漢詩と456首の和歌を残すなどしていたそうです。もしそれらが間違いなく本人が作ったということであれば、噂にあるような知的障害は該当しなさそうに思います。


昭和天皇は大正天皇の子供ではないという記事あり

引用させていただきます。

鬼塚英昭が発見した日本の秘密

2017-06-18 07:35:56 | 歴史

これをリヴァイバル


山本五十六の真実④鬼塚英昭氏が発見した日本の秘密
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/687.html
投稿者 ♪ペリマリ♪ 日時 2011 年 11 月 23 日 14:38:56: 8qHXTBsVRznh2

山本五十六とヨハンセングループとの関係に言及する前に、
まずみなさんの頭に入れてほしいことがあります。


DVD『鬼塚英昭が発見した日本の秘密』成甲書房より

以下転載。


今日は日本の歴史について話したいと思います。それも近代から現代にかけて、明治・大正昭和にかけて、みなさんに語りたいと思います。なぜその近代というものが大事かというと、近代を知ることは、今、平成の時代に起きていることを知ることができると思っているからです。で、まず最初にですね、とんでもないって思われる方がいらっしゃるかも知れませんが・・・明治が始まる前、幕末のことを少しだけしゃべりたいと思います。

私がたぶん2006年の10月と思うんですけど、山口県の柳井(やない)市というところに行きました。そこにもうかなり高齢なんですが、松重楊江(まつしげようこう)さんという方が住んでおります。その人を訪ねて行きました。で、彼に会い色んなことを聞きました。彼の本もその前に読んでおりました。どうしても彼に会って本当のことを聞きたいと思って、色々な質問をしました。

柳井市というのは瀬戸内海に面した、山口県の広島寄りのところにある地なんです。光町(ひかりまち)というのがあって、柳井市というのがあります。その光町と柳井の間に、熊毛郡田布施町(くまけぐんたぶせちょう)という町があります。光町はかなり平野で、商業地帯で工業面も盛んです。柳井市も同じように小都市ではありますが、かなり平野部分があります。その光町と柳井の間に山が曲りくねるように競って、海に流れ落ちてるような狭い土地があります。

『熊毛』というのは、山が曲りくねるとか湾曲しているとか、そういう状態を日本人は昔から『熊毛』と言ったらしいんです。それで『熊毛』という町が日本にも沢山ありますが、大体そういう所を『熊毛』といっているみたいです。極端にいうと人が住むのにあまり適さないような所なんです。で、そこに田布施町というのがあります。海辺の、海に近い所なんですが、熊毛郡田布施町というのは、田畑もあまりなく、ほとんど雑草が生い繁るような所です。今でもコンビニがある程度ですね。商業地帯はほとんどない寂しいなんです。光市と柳井市にはさまれた寂しい市(町)にですね、日本史の歴史の秘密が隠されています。田布施町と柳井の間に田布施川という川が流れています。その川の両岸から、大正から昭和それから戦争の前後にかけて凄い人材が出てきます。



ちょっと例を挙げてみましょう。明治から大正昭和期にかけて、明治では伊藤博文、ま、ちょっと場所が離れますけど山縣有朋、それから時代が昭和に近づくにつれて、岸信介・佐藤栄作の兄弟、それから田布施川を挟むようにして、代議士では難波作之助、これは難波大助という皇太子を銃でうとうとした男のお父さん、国光五郎これも代議士、で、私が注目するのは岸信介と並び3スケというのがいまして、鮎川義介(ぎすけ)・日産コンチェルンの総帥、久原房之助(くはらふさのすけ)・日立グループの総帥、松岡洋右・戦前の外務大臣。まだいくらでもいます。共産党の書記長であった実力№1の宮本賢治、マルクス主義を世に広めた京大教授の河上肇、法律界の大御所といわれた岩田宙造、戦後最後の内務相の憲兵を組織して『日本のいちばん長い日』を演出した内務相トップの安部源基。こういうのが一度に溢れ出るように、田布施の町の周辺から登場するわけです。


なぜでしょうか。でね、そこの原因をたどる時に、どうしても一人の男にたどりつきます。私が田布施に行きまして、松重楊江という人に会って秘密を聞きました。松重楊江は私にこう言いました。「ここのそばに田布施川という小さな川がある。そこの田布施川-そのひとは柳井に住んでいます-を渡って、あの山の向こうの方から老人がいつも野菜を売りに来ていた。」


その時に私が色々雑談をしている時に奥さんも傍にいまして、奥さんもそう言いました。「そういつも野菜を売りにきていた」と。ところが時々変なことを言う。何を言ってんだといったら、『うちの爺ちゃんは明治天皇や』と言うてるんですよ。で、松重楊江も笑っていたそうです。でも彼は宮本賢治の家のそばで宮本賢治の一族ですから、東京で共産党の幹部まで行き、宮本賢治の秘書になるような男です。故郷に帰ってきてダンボール工場をやったところが成功して、いっぱしの工場の経営者となり、息子に後を譲ってました。優秀な男なんです。で、どういうことかというと『うちのお爺ちゃんが大室寅之佑(おおむろとらのすけ)といって明治天皇になったんだ』というわけです。


話を聞いてみると何か辻褄が合うような気がする。それで色々調べているうちに、ひょっとしたらこの大室近佑(おおむろちかすけ)という老人が私に喋っているのは本当のことじゃないかと思い、萩の郷土史家を連れてきて調査した。萩の郷土史家とともに、山口県の郷土雑誌に『変な老人の話で・・』というようなことで記事を書いた。それを中央の鹿島昇という弁護士が読んで、松重楊江のところに訪ねて来ました。彼が言うのには「私は大室近佑の言う話を信じるから、近佑に会わせろ」と言った。で、まあ、近佑に会う。

それで鹿島昇と松重さんは-その当時はまったく歴史家じゃないんですけど-触発されて二人で本を出そうじゃないかと言った。それから松重楊江は近代史にのめり込むわけなんです。そして独自に調査をやり、大室寅之佑が明治天皇になった過程を、沢山の本に執筆するわけです。私も彼の本に刺激をされて『天皇のロザリオ』『日本のいちばん醜い日』に、彼の話を中心に引用するわけです。で、私はそこで止まれば別ですけど、背景を探ろうと思いまして、幕末から明治にかけての色んな文献を当たっていく過程で納得しました。たぶん間違いなく大室寅之佑が明治天皇になったんだと。


(統)な歴史家には非常に申し訳ない話なんです。というのは、ある時私の所に電話がありました。



「もしもし鬼塚さんですか」

「はい」

「私はあのー歴史をやってるもんですが」

「何ですか?誰ですか?」

秦(はた)といいます」

「秦って、先生あのー、秦郁彦(いくひこ)先生ですか?」

「そうです。あなたは、あなたの書いてる本の中で大室寅之佑を明治天皇と書いていますが証拠はあるんですか?」

と言われますから、私は数々の証拠を言いました。すると彼はこう言いました。


「大室寅之佑の戸籍を見たことがありますか?」

「いやありません」

「戸籍が無い人を、どうして明治天皇だったと言えるんですか?大室寅之佑は本当に存在したんですか?」



で、幾度も同じ質問をするので色んな面から説明したけど、彼は納得しませんでした。

で、それで今言ったように、田布施を中心とした付近から出てきた人も喋り、


「先生、宮本賢治も、野坂参三は少し場所が離れますけど、同じ山口出身ですよ」

と言ったら、彼はポッと言いました。


「鬼塚さん、私はそのことは詳しいよ」

先生、どうして詳しいんですか?

私もその一族だ。田布施の川の近くで私は生まれ育った


それで私はぴんと来ました。そうか。歴史を隠そうとするべく現代史の大家になったのかと。一時間くらい色々喋りました。結局、彼は最後まで


「大室寅之佑の戸籍が無いのに、どうして存在するのか?」

と言って最後は話が別れました。


戸籍が見たことがないから現実とは違うんじゃないか、という話には納得しません。明治天皇になった大室寅之佑を京都の御所に訪ねて、イギリスの外交官たちが謁見します。その時にイギリスの外交官の一人が日記に書いています。『御簾(みす)の中に大男がいた。顔色は真っ黒だった。唇に赤い紅を差していた。とても異様であった』


これは本当に異様な話なんです。孝明天皇というのは肖像画も残っていますが、細面の男です。そして睦仁(むつひと)というのがその子どもですけど、中山慶子(よしこ)と孝明天皇の間に生まれたのが明治天皇になる睦仁です。明治天皇になった大室寅之佑は中山慶子に一回も面接していません。僕はずいぶん調べました。一回も面接しない親子というのがあるでしょうか?ドナルド・キーンというのが明治天皇について書いてます。彼は一回だけ面接したというのを創生し親子の情を書いていますが、それとて一回だけしか面接をしたことがない。親子でありながらしかも一回も会ったことが無いというのは、これはもう正常ではありません。


それで中山忠能(ただやす)は公卿なんですけど日記をつけていて、『睦仁というのは非常に身体が弱くて細くていつも泣いていた』と。そしてまたある日記に突然彼は『奇兵隊天皇が生まれた』と書いてます。奇兵隊というのは高杉晋作が創り、大室寅之佑もそれに参加しました。特に身体が大きかったから、『力士隊』というのがありましたがその一員です。その『力士隊』の一員である大室寅之佑は、伊藤博文が大事に育てました。伊藤博文の家は大室寅之佑の家から歩いても、昔の人だったら30分ぐらいで行くんじゃないでしょうか、近いところに住んでいます。彼は伊藤博文に大事に育てられて、明治天皇に仕立てられたと私は思うんです。それは『奇兵隊天皇』という言葉を、中山慶子のお父さんがはっきり書いています


そして朝彦(あさひこ)親王というのがいまして、これはショウレイインという悪名を持つ坊主が、天皇にほとんど関係がないんですけど、明治天皇が出来たときに万が一の場合に皇統が消えたら悪いというので、いくらか孝明天皇につながりのある男を探したらおりました、それを朝彦親王として、そこから日本のあの皇族たちが全部生まれて来ます。明治の皇族たちはみんなそこから、その家の子どもたちです朝彦親王も『明治天皇は毎日将鬼の幽霊を-孝明天皇が亡霊として将鬼の姿として現れ-毎日泣きじゃくっている』という日記を残しています。


もう一つ大事なことがあります。みなさんはご存知かもしれませんが、『徳川家康』を書いた山岡荘八というのがいます。大ベストセラーでした。この人が『明治天皇』という小説を書いています。不思議なことに明治時代になっての天皇を書かず、孝明天皇とその妃のことを書いています。その中で明治天皇が小さい時のことを書いていまして、近所で豆腐屋が通って笛を吹くと「トーフィ、トーフィ」と言ったそうです。京都の八瀬童子という所のがありまして、天皇の葬式のときは棺を担ぐ役をしてまして、どうも中山慶子はそこの生まれであろうと山岡荘八は書いています。中山家の兄妹になる息子が中山忠光といいますけど、この人が長州の人によって殺されます。逆らったんですね。殺されます。そういう具体的なことを山岡荘八は書いて、『明治天皇』という題をつけています。山岡荘八は見事に明治天皇誕生の裏を描いていますが、ただ孝明天皇も睦仁も殺されたというところには一行も、まあ触れられなかったと思いますね、戦後書いてますから


去年、東京大学でフランス展がありました。偶然私は東京にいまして、東大に行ってフランス展を見に行った折に、明治天皇を隠し撮りした写真が東大の資料館で飾ってました。大男です。今の相撲取りでいったらどうでしょうか、百何十キロの大男です。これが明治天皇の姿なんです。泣きべそっていた子どもが突然東京に現れたら、西郷隆盛と相撲を取り江戸城で白馬を乗りまわしたという有名な話があります。そりゃそうでしょう。大男です。『力士隊』にいた男に間違いありません。色が真っ黒くて大男でブサイクな男です。キョソーネという人が描いた肖像画による明治天皇とは似ての似つかん姿です。これはフランスの人が発表し東大が認めて明治天皇の写真として発表してるんだから、これこそ間違いありません


ということは、私たちは田布施という町の、これははっきり申しますと朝鮮です。なぜ朝鮮かと申しますと、そうですね、これはちょっと語りにくい話なんですけど、歴史的にいいますと山口県は長州藩になる前に大内藩だったんです。守護大名・大内家がずっと支配してました。大内家は完全な、本人たちも言ってますが朝鮮人です。大内家の家臣が毛利が侵入して負けたために散っていくわけです。彼らが散り散りになって、ほとんどが民にされるわけです。この過程は上智大学の神学部の教授が『遥かなる高句麗』という本の中にはっきりと書いています。

まだあります。2006年10月6日か8日号の週刊朝日に『家政婦は見た!阿部晋太郎研究』というのが出ました。安部晋三は岸と佐藤栄作の直系の一族です。その一族の安部晋三のお父さんの晋太郎が死んで棺に入る時に、家政婦をずっとやって晋太郎を子どもの時から育てた久米うめさんという女性が週刊朝日の記者に言ってます。「死ぬ時初めて分った。日本人の体型ではない。朝鮮人の体型だ。棺に入れるとき初めて全体の姿を見た。晋太郎は生前いつも口癖のように私に言ってた、『俺は朝鮮人だ、俺は朝鮮人だ』。私はまさか晋太郎が朝鮮人とは思わなかったけど、死ぬ時に棺に入れる姿を見て、ああこれは日本人ではないということを認識した」。


ということはそういう面から見ても、あのは私も行ってみましたけど朝鮮です。そして非常に寂しい所なんです。そこからあの周辺の人が、日本を支配する人が沢山出て来るということは、大室寅之佑が明治天皇になったということの証しではないでしょうか。例外があるでしょうか。2キ3スケといって、2キは東条英機と星野直樹ですが、3スケといわれるのは先ほどいいました岸信介・松岡洋右・鮎川義介この3人が期せずして一致して満州帝国を創ります。そして膨大な利益を上げます。


※「2キ3スケ」とは満州国に強い影響力を有した軍・財・官の5人の実力者のこと。「弐キ参スケ」は彼らの名前の末尾からつけられた。東條英機(とうじょう ひでキ、関東軍参謀長)星野直樹(ほしの なおキ、国務院総務長官)鮎川義介(あいかわ よしスケ、満業(満州重工業開発株式会社)社長)岸信介(きし のぶスケ、総務庁次長)松岡洋右(まつおか ようスケ、満鉄総裁)。5人のうち、鮎川義介・岸信介・松岡洋右の3人は満州三角同盟とも称された。(ウイキペデイアより転載)


細川護貞(もりさだ)『情報天皇に達せず』という本があります。この本によりますと、東条があの当時数億円単位の金を政界工作に使ったとあります。岸信介が東条を追い落としたのは、近衛が秘書の細川に言ってます「あれはお前が言うような、世間で言われているような話じゃない。東条が金をバラまきすぎたのを岸信介がみんなに訴えて、東条を失脚させたんだ」ということです。東条は一族ではないために、金をたくさん貯めて日本の銀行に戦後入れます、そして戦犯で殺されますが、預金封鎖になって全財産を無くします。岸信介はちゃんと天皇と同じようにスイスの銀行に預けたために、岸信介・佐藤栄作・安部一族は大金持ちです。今、安部晋三が総理大臣になれたのも、最終的にはそのお金が役に立ってるんです。ということを持って私は大室寅之佑が明治天皇になったと、まずここから考えますと日本の歴史が見えてきます。


コンプライアンスというのは「情け」とか「いい加減」とか「気まぐれ」とか「気休め」、それにドールをつけてコンプラドールという言葉があります。これは要するに外人がオモチャのように使えるような、気休めの人材を集めて自由自在に操り、その国を支配するということです。


中国にアヘン戦争をしかけて、香港・上海銀行を中心に支配していくユダヤ人たちは、中国人の連中をコンプラドールとして使いました。同じように日本人をいちばん大事なところで、権力の中枢でコンプラドールにされた可能性、大なんです。大室寅之佑が明治天皇になり、そして大正・昭和と続く過程で、色んなスキャンダルに巻き込まれていきまして、そのスキャンダルをヨーロッパ、殊にユダヤを中心とする国際金融マフィアが知り、天皇一族を操っている。これが第二次世界大戦の遠因になったと思うんです


どうでしょうか。そういう面から歴史を見ると、私に電話をかけてきた秦さんやら、それから半藤一利さんの歴史観とはまるきり異なるわけです。で、私はみなさんにお願いしたいのは、やはり日本を知るためには日本の暗い部分に目を向けるべきではないか。それを直視しないから日本人はいつまでたっても、今もそうですけど、アメリカ人に利用されてるじゃないかと。僕たちはそういうことを全部知ろうじゃないかと。知った上で堂々と外国の勢力に立ち向って行くべき時が来たんじゃないでしょうか。

それでまた、これで続きがいっぱいあります。日露戦争もぜんぶ同じパターンで仕掛けられたと思うんです。日露戦争を始めるとき、伊藤博文は反対します。「負ける」って、「するな」と。伊藤博文も孝明天皇や睦仁殺しに一番かんでいる男なんですが、彼でさえ「やったらイケン」と言います。でも戦争をするように仕掛けられて、高橋是清が「金がないのにやるのか?」「じゃ、お前金策に行ってこい」というので彼が金策に行って、いちばん最初にイギリスのロスチャイルドに会います。

イギリスのロスチャイルド家は自分では直接関与したくないので、クーン・ローヴ商会、イギリスのロスチャイルド家が金を出して全額投資したクーン・ローヴ商会に紹介します。高橋はイギリスからアメリカに渡ってクーン・ローヴ商会に「国債を買ってくれ」と言います。ちゃんと話が出来てたんでしょう、クーン・ローヴ商会が買います。シフという男ですけど買います。

それでイギリスから軍艦を買ったりします。万が一日本が負けて国債がパーでもだいじょうぶ、日本を実質的に支配すればいいんですから。そして軍艦さえないのに、イギリスから軍艦を買って運良く勝ちます。全部これ仕掛けられたと思うんですよ。


で、日露戦争の後に第一次世界大戦があります。これも運良く日本がちょうど良いいところで甘い汁を吸わせてくれるように、イギリスを中心とする勢力が最後の段階で日本を迎えいれて、ドイツ敗北のために役立ったと言って、ヴェルサイユ条約で日本に太平洋の島々の委任統治を認めます。実質的に上げるわけです。日本が太平洋戦争でがんばれたのも、あの小さな島々をもらったからなんです。それがなかったら、日本はとてもアメリカに対抗できませんでした。


で、太平洋戦争の前に大正天皇のことを少し喋ろうと思います。東久邇(ひがしくに)というのが、戦後、首相になりますけど、この男のことを少し喋ろうと思います。もうスキャンダルだらけの日本ですけど、大正天皇は子種がありませんでした。歴史的にまちがいはありませんが、現代史家は認めません。でも子種はありませんでした。というのは、2・26事件でを亡くした河野司というのがおりまして、この人が2・26事件というのはどうして起きたんだろうと調べて回る時に、東久邇にぐうぜん遭って話を聞いた時に、東久邇がこういうように言いました。「お前の弟が死んだのは、遠因は昭和天皇と秩父宮の争いにある」


で、それはどういうことかというと、大正天皇に子種が無かった。じゃ、昭和天皇はなぜ生まれたかということを、東久邇が河野司という男に喋ります。これは映画脚本家・笠原和夫という、東映全盛時代に脚本を書くんですけど、この人ものすごい勉強家でして、2・26やら色んな事件を映画につくるべく脚本を書きます。この男が河野司と対談をしてます。その中で河野司が笠原に言います。「私はあの時、『軍艦』というキャバレーでたまたま東久邇と遭った。それで東久邇が私に『河野、お前に今日は本当のことを話してやろうか』と言って話してくれた。」と。


◎河野司と三島由紀夫は親交がある。三島由紀夫がごく親しい人しか招きいれない自室の部屋に入れて語り合うほどの仲である。三島由紀夫はやはり2・26事件の処罰に連座した末松太平とも付き合いがある。



「じゃあ昭和天皇はなぜ生まれたんか」と言ったら「そこまでは言われない。だけど貞明(貞明皇后)はえらく昭和天皇の父親を嫌ってた」ということです。それで私はハッとしました。私は小学生のころだったと思うんですけど、戦後、カストリ雑誌のようなものを読んだことがあるんです。その中で西郷八郎という名が出て、これは西園寺八郎のことを書いたらマズイと思って西郷八郎になったと思うんですが、その西郷八郎という男が登場して、大正天皇の傍にいた妃を手に取って、大正天皇が嘆くのにもかかわらず山に連れて行ってチョメチョメした、という三文小説がカストリ雑誌に載ったことがあります。もうずい分前の戦後のカストリ雑誌です。ひょっとしてあれは本当の話じゃないのか。西郷八郎というのは西園寺八郎のことではないのか。それで西園寺八郎をいっぱい調べて見ました。


『木戸日記』というのがあります。木戸幸一が戦後、東京裁判資料として提出した資料です。都留重人(つるしげと)というのが、木戸の娘を貰ってまして、その関係で都留重人が木戸を説得して、「あんたの日記をもう出せ」というので世に出たものです。その中で年月不詳というのがあって、島津治子の話があって、この島津治子というのは貞明皇后の女官を長く務めたんですけど、主治医が亡くなった後に、貞明から女官を去るように言われまして、去った後に民間宗教に凝り固まって妙な言動をする女なんです。そのことを木戸幸一が書いていて、年月不詳という中にこう書いてます。『大正天皇の侍従の指令-貞明皇后のお相手八郎のこと』。『貞明皇后のお相手八郎のこと』とは西園寺八郎のことです。その西園寺八郎は隠れた重要な人物で、ちょっと余分なことを喋ります。


長州藩に徳山藩というのがあるんですけど、長州は萩が本家で(徳山藩はその)分家なんです。そこに毛利元徳(もうりもとのり)という分家なんだけれども一応城を構えた殿さまがおりまして、その殿さまの八番目に生まれたから毛利八郎といいます。その毛利八郎が本家の毛利頼近の養子になります。ま、形でしょう。で、頼近の息子として、形式なんでしょうけど、西園寺公望の養子として西園寺八郎となる。

西園寺公望は女房がいませんでしたけれど、子どもを儲けていたんです。新子といいますその新子と西園寺八郎が結ばれるんです。ちょうどその頃に、西園寺八郎は子どもの時から大正天皇と同じ学習院の同期で幼友達なんですが、大正天皇は子種がないので結局ある筋から西園寺八郎に「お前が強引にやってこい」と、で、西園寺八郎は命令されるがまま貞明とチョメチョメしまして、まチョメチョメという言葉はどうでしょうか、チョメチョメしまして子どもが生まれます。それが昭和天皇です。


私見では昭和天皇の母親は貞明皇后ではない。昭和の闇の本質は昭和天皇と秩父宮の確執ではなく、長州を後ろ盾にする昭和天皇VS極端な長州嫌いの貞明皇后の確執だと思う。これが昭和最大の分水嶺2・26事件を引き起こす。貞明皇后は田布施村政権を佐幕派に大政奉還しようと図り、樺山愛輔を二度も駐米大使・松平恒雄が駐在するワシントンへ往復させて、松平容保候の四男である彼の娘を秩父宮の妃に貰い受けた。貞明皇后が秩父宮を皇位につけようとした動機は盲愛ではないと私は思う。彼女の言動からは意思がはっきりしていて正義感が強い人となりが伝わってくる。笠原和夫は2・26は第二の壬申の乱と言ったが、私は2・26は第二の戊辰戦争であると考えている。そして田布施村王朝を転覆させようとした貞明皇后は、戦後心臓麻痺で急死している。私は吉田茂と昭和天皇が暗殺したと考える。白洲次郎は戦後は暗殺工作から身を引いている。


重松(松重)楊江はまた次のように述べている。『貞明皇后の本当の名前は朱』田布施村から輩出された人脈によって樹立された明治王朝・大正王朝・昭和王朝・平成王朝とは即ち朝鮮王朝のことである。明治維新で職を失った旗本の娘の中から、美女を選び城内に入れて「千代田遊郭」なるものを伊藤博文らがつくりました。そこは、天皇や重臣たちの遊び場でした。そこに朱貞明がやってきました。才色兼備ゆえ、天皇や伊藤博文に見初められて、やがて大正天皇の妃になったのです。』


つまり明治王朝・大正王朝・昭和王朝・平成王朝とはすなわち朝鮮王朝のことである。よって貞明皇后の出自が朝鮮であることは理にかなっている貞明皇后が大正天皇と結婚したのは15歳である。白羽の矢を立てられた彼女が九条家に引き取られ、学習院に通わされ鍋島信子・牧野雪子と交友している在学中、大正天皇の妃候補として千代田城にお目見えしたのだろう。おそらく貞明皇后は朝鮮王朝を引き継ぐ嫡子を産む女性としてふさわしい出自なのだろう。


◎また私見では昭和天皇と貞明皇后は血縁がないと考える。貞明皇后は極端な長州嫌いで有名、かつ個性的な性格で意思が強い。西郷八郎が彼女の隙を狙って襲えたのは一回きり、貞明はガードを堅くして(例えば女官を常時周囲におく)防御しただろう。貞明皇后が西園寺八郎を拒絶したので、田布施村の大室家の血筋に連なる子どもが連れてこられたのが昭和天皇である考える。貞明皇后はDNAも強烈なのか、昭和天皇以外の三人の息子は彼女に酷似している。猛禽類のような鼻をしている。その中で昭和天皇一人だけ面立ちがソフトである。見目良い賢そうな子を選んできたのだろう実際昭和天皇は恐るべき頭脳の持ち主である。鷹揚な生物学者然とした風貌で「あ、そう」を連発するほほえましいキャラを演じた千両役者でもある。幼少の時「昭和天皇と秩父宮は双子である」という風聞が根強くあったという。この兄弟は母胎に宿っている時期が一部重なっていたのだろう。双子ではなく母胎が二つあったのだ。昭和天皇には長州出身の西園寺八郎が後ろ盾になった。昭和天皇を銃撃しようとした難波大助は田布施川の辺に住んでいたから、そのことを知っていたのかもしれない。


で、彼(八郎)は西園寺家に新子という女がいながら、まったく寄り付きもしないで天皇家に入りこんでピッタリと自分の息子の昭和天皇の傍にいます。ずーっと侍従をします。一時、大正天皇の侍従武官長の奈良武次という男とけんかして、けんか両成敗で数年間、昭和天皇の傍を離れますが、死ぬまで傍にいます。ということは昭和天皇の行動も全部、西園寺八郎が牛耳ったであろうと言われるほど、傍にいます。その西園寺八郎の子どもが公一(きんかず)といいます。


ゾルゲ・尾崎秀実の仲間であった西園寺公一も、晩年は中共の党員であった。昭和49年後半と記憶するが、NHKテレビで西園寺が 「あの戦争は俺達がやったんだ」 とニヤニヤしながら語っていたことは、今も脳裏から離れない。腹立たしい事実である。


一番大事なのは、次女が春子といいまして、この春子が住友家の御曹子の住友吉左衛門(第十五代当主・住友友純)の嫁さんになります。ということは、住友と天皇家は血縁もいいとこなんです。そうでしょう?そこから考えると昭和の闇もまた見えてきます。


◎八郎の岳父・西園寺公望は1919年パリ平和会議全権大使。、シナリオについては知悉していただろう。日米開戦前夜に死んでいるのは、シナリオに反対して消されたと私は思う。公望の私設秘書・原田熊雄は住友に丸抱えされてヤラセの連絡係りとして活躍する。住友は確かに怪しい。


じゃあ秩父宮は二番目に生まれますが、秩父宮はどうなんでしょうか。秩父宮は東久邇が自分から言えないけど、東久邇の子どもなんです。「こいつは何を言ってるんだ」と思うでしょうけど、『西園寺候と政局』という原田熊雄という男が書いた本があります、その本を私が言ったようなことを頭に置いて読まれると、東久邇と秩父宮が親子であるということが良く分ります。いつも行動を共にして、西園寺が東久邇が妙な行動を取ると秩父宮を呼びつけて「東久邇に言え、妙な行動を取るな、と」。そして又、秩父宮が変な行動を取ると西園寺候が東久邇を呼びつけて「あの子どもをもう少しセーブしろ」と言います。東久邇は自分を自慢したくて、河野司を呼んで喋ったのかもしれません。(大正天皇に)子種がないことは事実です。で、貞明皇后はいろんな男とデキてます。で、樺山愛輔というのともデキているのはまちがいありません。そういうのから昭和の闇も見えてきます。


樺山愛輔は白洲次郎の岳父である。私には次郎よりよほど優秀なインテリジェンスに見える。白洲次郎はエージェントのくせに饒舌で注目を浴びすぎている。付き合っている文士たちにシナリオの一端をポロポロ喋り、本やエッセイでバラしている。エージェントとしては失格であるが、わざとやっているのかもしれない。「俺の正体を見抜け」という声がきこえてきそうなほど手がかりを与えている。それに比べて愛輔は寡黙である。まったく喋らない。だからほとんど歴史の俎上に上げられず、ノーチェックできたエージェントの鑑である。チャーチルも本質はエージェント、吉田茂もエージェント、ルーズヴェルトも下半身不随でなければ秘密裡に飛び回っただろう。自由に動き回れないので代わりにドノヴァンにOSSを組織させた。ルーズヴェルトはドノヴァンを『私の秘密の足』と名づけている。


◎ウィキペディアによると、樺山愛輔(1865年6月3日-1953年10月21日)は、日本の実業家、政治家。伯爵。1865年、薩摩藩士・樺山資紀の長男として鹿児島に生まれた。1878年、米国に留学。アマースト大学卒業後はドイツ・ボン大学に学ぶ。実業界に入り、日本製鋼所、十五銀行などの役員を務める。(注 白洲商会の倒産は十五銀行の不調が原因である。白洲文平に引導を渡して次郎を帰国させる舞台設定は、樺山愛輔がやったのかもしれない)1922年、父資紀(海軍大将、伯爵)の死後、爵位を襲爵した。1925年に貴族院議員に選任され、1947年に貴族院が廃止されるまで務めた。1930年のロンドン海軍軍縮会議には随員として参加。(注 山本五十六が予備会議に出て世界に注目された)太平洋戦争中は、近衛文麿や原田熊雄、吉田茂などと連携して終戦工作に従事した。1946年、枢密顧問官に就任。20年以上の滞米経験から米国内に多くの知己を持ち、日米協会会長や国際文化振興会顧問、国際文化会館理事長、ロックフェラー財団などの国際的文化事業にも携わった。妻常子は、伯爵川村純義の娘。(注 昭和天皇と秩父宮を養育した人物である)壮年に至るまで政官界官職にキャリアを残していないが、鹿児島大百科事典(1981年)によれば、原因は体を壊したためとする。(注 正子によれば愛輔は猪肉が好物で、食べたくなると猪を肩にかついで坂を上がってきたという。実に壮健な人物である。)


◎また樺山愛輔は20年以上も滞米経験がある。アマースト大学の同窓生には後のクーリッジ大統領、モルガン商会のモローがいる。アマースト卒業後に引き続きボン大学留学。当時ボン大学には次郎の父親(ということになっている)白洲文平が留学している。文平もその前にハーヴァード大学に留学しているのである。


◎ぴゅあ☆ぴゅあ1949http://blog.livedoor.jp/k_guncontrol/archives/50282676.htmlよりダイジェストさせてもらいます。『白洲次郎の英国人脈にはジャーディン・マセソン商会の創業一族のウィリアム・ケズィック(兄)、ジョン・ケズィック(弟)がいる。


ウィリアムは昭和20年代マセソンの最高幹部、ジョンは白洲の友人。同社はイギリスの極東政策を実質的に支配していた商社であり、阿片戦争(1840-1842)の影の主役。このジャーディン・マセソンに白洲は日鉄・広畑工場(現・新日鉄)を格安の、わずか1億円で売却しようとし、日本の財界に阻止される。また、白洲がのちに会長となる東北電力にもジャーディン・マセソンは絡もうとしている。このJM商会はもともと吉田茂の父・吉田健三と深い関係があり、このJM商会が白洲次郎と吉田茂をつなぐきっかけになった思われる。さらにGHQ民生局(GS)文書より、「多くの人間は、白洲がビジネスで成功したのは、義父・樺山愛輔を通じた三井実力者たちとのコネクションのお陰と考えている」(1947年)。 白洲次郎は徴兵を忌避したが、それが可能であった理由も同じくGHQ民生局(GS)文書より、「白洲は(戦前、戦中は)日本海軍と水産業会の諜報連絡役を務め」(1947年)とある。戦前/戦中、日本の商社や水産会社が情報機関に協力したのは事実である。仕事で欧米やアジアを回り、帰国後、入手した情報を提供した。必要なら、海外支店駐在員に諜報員を受け入れ、資金調達も支援してきた。』


http://d.hatena.ne.jp/m3953/20101221よりダイジェストさせてもらいます。『吉田茂はロンドン駐在中にスコッチ・メーソンになったそうであるが、養父の健三も欧米エスタブリッシュメントと深い関係を持っていたようである。健三は、1864年、16歳の時、家を出て大阪で医学、長崎で英学を学んだのち、1866年英国軍艦に便乗して欧州に遊学した後、明治元年に帰国する。「英一番館」ことジャーディン・マセソン商会に入り、番頭をふりだしに、のち独立し、さまざまな事業を手がけ、横浜で1、2を争う富豪となる。健三の父である渡辺謙七もどうやらジャーディン・マセソン商会で番頭をやっていたようである。渡辺謙七は福井藩を脱藩して横浜へきて、ジャーディン・マセソン商会に入社し、その後、回船問屋になった。『渡辺謙七が福井藩を脱藩してジャーディン・マセソン商会に入社し、その息子の吉田健三もジャーディン・マセソン商会して財を築く。そして吉田健三が資金提供した光明寺が立つ久保山の火葬場で戦犯が火葬され、その息子の吉田茂が戦後日本を率いていく・・・、なんだかものすごい因果を感じてしまいます。』



◎世界の真実の姿を求めて!http://oujyujyu.blog114.fc2.com/blog-entry-679.htmlより転載させてもらいます。『吉田茂の妻となった牧野雪子はアリス(グルー駐日大使の妻)を通じて、モルガン=ロスチャイルドの洗脳教育を受けた。在日大使ジョゼフの妻アリス・ペリー・グルーは、名前の示す通り「黒船ペリー」の末裔として日本・東京で育ち・教育を受けていた。アリスの「幼馴染」であり、華族女学院=学習院女子部時代から、常に、アリスと共に3人で行動し、アリスから世界経済・政治について「レクチャー」を受け、侵略者ペリーと、ロスチャイルド=モルガンの「情報操作教育=洗脳教育」を受けていたのが、クリスチャン・鍋島信子、と九条節子であった。九条節子は昭和天皇・裕仁の母であり、アリスの親友・鍋島信子の娘は秩父宮妃である。このアリスの母の旧姓はキャボット。黒人奴隷売買と、麻薬売買で富を築いたキャボット一族である。



麻薬&奴隷商人たちに繋がるのは、田布施村王朝を樹立した伊藤博文以来の伝統である。牧野と樺山の娘婿たちも同様である。吉田茂のあらゆる伝記本は、遺産60億円の使途は不明だと書いて済ましている。吉田茂がこの莫大な遺産を受けとったのはわずか11歳の時、平素頑健だった健三が心臓麻痺で急死したためであるが、恐らくザ・オーダーのデス・ノートに心臓麻痺と記載されていたのだろう。吉田茂は白洲次郎を使って山本五十六、近衛文麿、尾崎秀実を抹殺している。五十六暗殺のスケジュールは、13日に昭和天皇のお気に入り鮫島元侍従武官が行動予定時刻の詳細を打電、これが死を賜る合図である。暗殺劇の予定は15日だったが「天候が良くない」という理由で延期された。アメリカ側が傍受できなかったのである。17日旗艦『武蔵』から再度打電され、これが傍受される。そして翌日18日の暗殺が決行される。



◎『この時ブイン上空で待ち伏せしていたジョン・W・ミッチェル少佐率いるP38戦闘機十六機は、ガダルカナル島のヘンダーソン飛行場から飛来してきたものであり、地点としても航続距離ぎりぎりのところであり、長時間滞留するわけにはいかなかった。有り難いことに山本五十六長官機一行が飛んでくる時間、コースは予め判明しており、時間に厳格な長官の性格まで分析した上での迎撃作戦なので、我が方がこの大編隊に気づかない限り、攻撃側の有利さは絶対であり、この勝負の帰趨は火をみるよりも明らかであった。』(衣川宏『ブーゲンビリアの花』より)


◎打電を幇助したのが海軍主計士官・中曽根康弘。陸海軍に秘密ルートを持つ白洲次郎が協力している。中曽根はこの功績によって吉田コネクションに加わり、戦後若手政治家として頭角を現わす。原発導入のためハーバード大学のサマースクールに参加、キッシンジャーの知己を得る。鬼塚さんも中曽根を転がして原発推進を図った黒幕は、吉田茂であると指摘されている。若手議員の中曽根や讀賣の正力が、『国策』を左右できるとは思えない。原発推進の『国策』は、国会議員でさえ立ち入れない奥の院で既定事項とされていたのである。


例えば2・26事件というのがあるんですが、昭和の闇というのは平成の闇もそうですが、ますます深まるのは、明治の時に話がさかのぼる訳ですよ。幕末に。その闇を私たちが直視してかからないから、今この福島の原発にも全部つながっていると僕は思うんです。福島の原発も真実を見るためには、そこから見ようじゃありませんか。そしてあえて言うなら日本人は、どこかでその巨大な闇に立ち向かうべき時に来ていると思います

目ン無い千鳥 八百長真珠湾攻撃 + 白洲・ケズウィック・次郎 ほか

http://blog.goo.ne.jp/beingtt/e/c412a8723b67dc09bc7ff6beb163ba95


偽史の最終兵器  落合莞爾の「堀川政略」史観

http://www.asyura2.com/12/cult10/msg/284.html

投稿者 ♪ペリマリ♪ 日時 2012 年 10 月 18 日 19:44:4


共謀罪強行採決で可決だそうですが、どっちにしろ、不正選挙なので無効ですし、憲法違反なので無効です。 velvetmorning blog 2017/06/15 21:04

http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2017/06/15/8598109


日本国憲法

第十六条  何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。


第十七条  何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる。


第十九条  思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。


第二十一条  集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

○2  検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。


第九十八条  この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。

アテテ逃げる?

http://blog.goo.ne.jp/beingtt/e/b53644d5a72f99e483a3671746fa9acc


悪党が支配する日本<本澤二郎の「日本の風景」(2641) 2017年06月18日

http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/52177586.html


<官邸が犯罪の巣>
 いやはや大変な時代である。福沢諭吉の「学問のすすめ」の冒頭を飾る「天は人の上に人を創らず、人の下に人を創らず、といえり」の紹介文から、もうずいぶんと時間が経っている。慶応義塾は彼が創設した大学だが、そこで学んだものらも「人の上に人を創り、人の下に人を創る」ことに専念しているような日本だ。日本国憲法を無視して、悪法を次々と強行しているだけではない。首相権限を悪用して、国有地をタダで払い下げる、利害関係人を官邸に投入して、政商に公有地・血税を流し込んでいる。まさに悪党が官邸を支配する日本ということになろうか



<強姦魔も無罪放免>
自己や身内のために権力を悪用して恥じない。

 極め付きは、薬物を使ったジャーナリストによる強姦事件をもみ消して、それでいて平然としている警視庁と官邸である。犯人に反省の色は全くない。一部の官邸特権層にとって、刑法は存在しないのであろうか。110年ぶりの刑法改正は、一体なんなのか。詩織さんを、これ以上、悲劇に巻き込ませてはなるまい。

 魅力的な女性は、3万~4万人のやくざに狙われているわけだから、そのレイプ被害者は軽く数十万人を数える。さらに、不埒な男たちが割って入り、レイプしている。その中には、医師や坊さん、教師も警察官もいる。むろん、政治屋もたくさんいる。加えて、正義を口にするジャーナリストもいるわけだから、レイプ被害者は100万人の大台に乗っているかもしれない。それでも沈黙する被害女性である。


 要するに、魅力的な女性は、この日本列島で安心して生きられない。恥ずかしいことに、やくざの街・木更津の住人でありながら、この現実に気付かなかった筆者である。問題は、数十万ないしは数百万人の被害者が、警察に訴えない点にある。

 原因は、女性の人権意識の低さと、法律の決定的不備と警察官の不誠実さが関係している。教育の欠陥を露呈している。その点で、TBS強姦魔をあぶりだすことに成功した詩織さんは、本当にえらい。勇気ある立派な日本人を代表する女性である。


 彼女の無念を、昭惠は別として、安倍内閣の女性閣僚が共有できるであろうか。小池知事はどうか。ボールは全女性に投げられている。国連の人権専門官も見守っている。


<暑中見舞いに悲しい返書>
 半年ほど留守をしていて、3月中旬に帰国した関係で、年賀状を見たのが遅かった。そのため、暑中見舞いのハガキが出来てまもなく、賀状への返礼を出したのだが、やはり過去を知る識者からの返書は厳しい。


 元外務官僚の野田さんは「戦前戦中の、あの暗い日本に戻ろうと公言している現政権は、まことに時代錯誤そのものであり、寒心に堪えません。昭和2年生まれの老骨として、毎日の新聞記事に憂慮せざるを得ません」と書いてきた。政治評論をしない新聞への警鐘もこめている

 日本を代表して大使として赴任してきた野田さんの不安は、この5年の間に頂点に達している。


 千葉県人の日下部さんは「最近は影を潜めていた右翼ややくざが活発に動き出し、不安を感じることがあります」という。千葉県警への警鐘であろう。木更津だけではない。最近、警視庁が、世論を気にしてか、ようやく東京・銀座の「めかじめ料」を摘発したらしい。詩織さん効果なのか。

 先輩の宮川さんは、84歳にして現在も日本記者クラブに顔を出している。日本政治に対して「極右の1強に振り回され、本当に腹が立つ。悔しい思い」と書いてよこした。


 悪党に支配された官邸に歯ぎしりしている日本人は多い。後輩の高沢女史は「いまこそ独自の平和外交で、日本国民を守る状況ではないか」と訴えてきた。彼女は、筆者への叱咤激励である。


 他方で、中国古来の思想から「3回注意して改めなかったら、もはや批判しても無駄なことだ。批判する価値がないので、止めた方がいい」との忠告も聞こえてくる。

 中国古来の教えである道学の道場は、山深い険しいところにある。下界と関係を絶つことを勧める。仙人になれ、というのである。確かに、正論のようでもあるが。


 帰国3か月目にして、初めて近くのダムへとドライブしてみた。石川啄木ではないが、自然の豊かな故郷に感謝したくなるのだが、人家が姿を消した山奥で、産廃場のような場所を目にして、瞬間、心が曇ってしまった。水源地の産廃場を何度か記事にした記憶があるが、無念にも足元でとなると、やはり悲しい。千葉県は放射能だけではない。


 房総の山々は、すでに大きく削られてしまった。その上に産廃場が出来た。ハマコー利権で知られた。この辺りの水は本当に大丈夫なのか。保健所は監視しているのか。やくざに投票した木更津や君津・袖ケ浦の住民がいたせいである。このあたりの「めかじめ料」を警察は、捜査しているのであろうか。

 山を崩壊させたため、山で暮らしてきた動物が里に降りてきた。毎年大豆を栽培してきた隣の畑の所有者は「昨年は大豆を食べられてしまい、どうしてよいか」と嘆いていた。いまもさら地のままだ。ハマコー利権のツケは大きい。


 ところで、法律も人間の運用次第で左右される。東洋哲学の真髄は、人間教育にある。「修身」を説く。そうして家庭・一族の安定確保。ついで政治を治める資格が出来る。修身斉家治国平天下である。悪党には、この基本の人間が出来ていない。

 ならば、法律を権力で抑え込むことを、容赦なく断行する政府に対して、ひたすら屈する子羊から、1日も早く脱出できる日本人にならなければ、それは自ら人間の屑を名乗ることになる


2017年6月18日記(政治評論家・日本記者クラブ会員)

https://twitter.com/bilderberg54/status/874266144214994944

アルルの男・ヒロシ(一般人)‏ @bilderberg54 7:04 AM - 12 Jun 2017


そして、法務省の側で共謀罪法案を強力に推進して菅官房長官の歓心を買っているのが、#黒川弘務 ・法務事務次官だ。黒川は民主党政権時代には小沢一郎強制起訴を画策し、甘利明の口利き事件では不起訴を画策、その功績で次官に昇格。通信傍受・司法取引など冤罪の温床を拡大。極悪人だ。

https://blog.goo.ne.jp/beingtt/e/d8f96869505f4ee8342b7c3f2b12a3bb

※画像を拝借「『うちのお爺ちゃんが大室寅之佑(おおむろとらのすけ)といって明治天皇になったんだ』というわけです。」

https://blog.goo.ne.jp/beingtt/e/d8f96869505f4ee8342b7c3f2b12a3bbより拝借


※画像を拝借「ということは、私たちは田布施という町の、これははっきり申しますと朝鮮です。なぜ朝鮮かと申しますと、そうですね、これはちょっと語りにくい話なんですけど、歴史的にいいますと山口県は長州藩になる前に大内藩だったんです。守護大名・大内家がずっと支配してました。大内家は完全な、本人たちも言ってますが朝鮮人です。大内家の家臣が毛利が侵入して負けたために散っていくわけです。彼らが散り散りになって、ほとんどが民にされるわけです。この過程は上智大学の神学部の教授が『遥かなる高句麗』という本の中にはっきりと書いています。」

https://blog.goo.ne.jp/beingtt/e/d8f96869505f4ee8342b7c3f2b12a3bbより拝借


※画像を拝借「私はみなさんにお願いしたいのは、やはり日本を知るためには日本の暗い部分に目を向けるべきではないか。それを直視しないから日本人はいつまでたっても、今もそうですけど、アメリカ人に利用されてるじゃないかと。僕たちはそういうことを全部知ろうじゃないかと。知った上で堂々と外国の勢力に立ち向って行くべき時が来たんじゃないでしょうか。」

https://blog.goo.ne.jp/beingtt/e/d8f96869505f4ee8342b7c3f2b12a3bbより拝借


※画像を拝借「日露戦争もぜんぶ同じパターンで仕掛けられたと思うんです。日露戦争を始めるとき、伊藤博文は反対します。「負ける」って、「するな」と。伊藤博文も孝明天皇や睦仁殺しに一番かんでいる男なんですが、彼でさえ「やったらイケン」と言います。でも戦争をするように仕掛けられて、高橋是清が「金がないのにやるのか?」「じゃ、お前金策に行ってこい」というので彼が金策に行って、いちばん最初にイギリスのロスチャイルドに会います。」

https://blog.goo.ne.jp/beingtt/e/d8f96869505f4ee8342b7c3f2b12a3bbより拝借


※画像を拝借「イギリスのロスチャイルド家は自分では直接関与したくないので、クーン・ローヴ商会、イギリスのロスチャイルド家が金を出して全額投資したクーン・ローヴ商会に紹介します。高橋はイギリスからアメリカに渡ってクーン・ローヴ商会に「国債を買ってくれ」と言います。ちゃんと話が出来てたんでしょう、クーン・ローヴ商会が買います。シフという男ですけど買います。」

https://blog.goo.ne.jp/beingtt/e/d8f96869505f4ee8342b7c3f2b12a3bbより拝借


※画像を拝借「『貞明皇后のお相手八郎のこと』とは西園寺八郎のことです。その西園寺八郎は隠れた重要な人物で、ちょっと余分なことを喋ります。
長州藩に徳山藩というのがあるんですけど、長州は萩が本家で(徳山藩はその)分家なんです。そこに毛利元徳(もうりもとのり)という分家なんだけれども一応城を構えた殿さまがおりまして、その殿さまの八番目に生まれたから毛利八郎といいます。その毛利八郎が本家の毛利頼近の養子になります。ま、形でしょう。で、頼近の息子として、形式なんでしょうけど、西園寺公望の養子として西園寺八郎となる。」

https://blog.goo.ne.jp/beingtt/e/d8f96869505f4ee8342b7c3f2b12a3bbより拝借


※画像を拝借「ゾルゲ・尾崎秀実の仲間であった西園寺公一も、晩年は中共の党員であった。昭和49年後半と記憶するが、NHKテレビで西園寺が 「あの戦争は俺達がやったんだ」 とニヤニヤしながら語っていたことは、今も脳裏から離れない。腹立たしい事実である。」

https://blog.goo.ne.jp/beingtt/e/d8f96869505f4ee8342b7c3f2b12a3bbより拝借


※画像を拝借「『白洲次郎の英国人脈にはジャーディン・マセソン商会の創業一族のウィリアム・ケズィック(兄)、ジョン・ケズィック(弟)がいる。」

https://blog.goo.ne.jp/beingtt/e/d8f96869505f4ee8342b7c3f2b12a3bbより拝借


※画像を拝借「『吉田茂の妻となった牧野雪子はアリス(グルー駐日大使の妻)を通じて、モルガン=ロスチャイルドの洗脳教育を受けた。在日大使ジョゼフの妻アリス・ペリー・グルーは、名前の示す通り「黒船ペリー」の末裔として日本・東京で育ち・教育を受けていた。アリスの「幼馴染」であり、華族女学院=学習院女子部時代から、常に、アリスと共に3人で行動し、アリスから世界経済・政治について「レクチャー」を受け、侵略者ペリーと、ロスチャイルド=モルガンの「情報操作教育=洗脳教育」を受けていたのが、クリスチャン・鍋島信子、と九条節子であった。九条節子は昭和天皇・裕仁の母であり、アリスの親友・鍋島信子の娘は秩父宮妃である。このアリスの母の旧姓はキャボット。黒人奴隷売買と、麻薬売買で富を築いたキャボット一族である。』」

https://blog.goo.ne.jp/beingtt/e/d8f96869505f4ee8342b7c3f2b12a3bbより拝借



※画像を拝借「例えば2・26事件というのがあるんですが、昭和の闇というのは平成の闇もそうですが、ますます深まるのは、明治の時に話がさかのぼる訳ですよ。幕末に。その闇を私たちが直視してかからないから、今この福島の原発にも全部つながっていると僕は思うんです。福島の原発も真実を見るためには、そこから見ようじゃありませんか。そしてあえて言うなら日本人は、どこかでその巨大な闇に立ち向かうべき時に来ていると思います。」

https://blog.goo.ne.jp/beingtt/e/d8f96869505f4ee8342b7c3f2b12a3bbより拝借
https://blog.goo.ne.jp/beingtt/e/d8f96869505f4ee8342b7c3f2b12a3bbより拝借



※画像を拝借「いやはや大変な時代である。福沢諭吉の「学問のすすめ」の冒頭を飾る「天は人の上に人を創らず、人の下に人を創らず、といえり」の紹介文から、もうずいぶんと時間が経っている。慶応義塾は彼が創設した大学だが、そこで学んだものらも「人の上に人を創り、人の下に人を創る」ことに専念しているような日本だ。日本国憲法を無視して、悪法を次々と強行しているだけではない。首相権限を悪用して、国有地をタダで払い下げる、利害関係人を官邸に投入して、政商に公有地・血税を流し込んでいる。まさに悪党が官邸を支配する日本ということになろうか。」

https://blog.goo.ne.jp/beingtt/e/d8f96869505f4ee8342b7c3f2b12a3bbより拝借


明治天皇すり替え説について

上記で引用させていただいたこちらの記事↑で出てくる「鬼塚さん」は昭和天皇とその母である貞明皇后とは血は繋がっていないとお考えなのでしょうか。

それでいながら、「西園寺八郎は命令されるがまま貞明とチョメチョメしまして、まチョメチョメという言葉はどうでしょうか、チョメチョメしまして子どもが生まれます。それが昭和天皇です。」とも書いておられるようです。

私の読解力が未熟だからなのか、鬼塚さんは、昭和天皇と貞明皇后は実の親子で血が繋がっているとお考えなのか、あるいはそうお考えではないのかがよくわかりませんでした。

しかし鬼塚さんは、昭和天皇は大正天皇の実の子ではないとははっきりと認識されているように感じました。では昭和天皇の生みの母親は一体誰なのでしょうか。このパターンは上皇后の美智子さんの母親ということになっている正田冨美子さんの生母が不明ということがブログ「でれでれ草」さまの記事で書かれていたことと似ているように思いました。

また、「鬼塚さん」は明治天皇にすり替わった者は大室寅之助とお考えのようです。

以前は私も人様の記事を閲覧していて、そのように思っていました。しかし、この天皇すり替え説については多くの方が書いていて、それを閲覧しますと、「大室寅之助」と思わせておいて、実はさらに別の人物がすり替わったのではないかと思える記事が複数ありました。

以下、御参考としてそのような記事をご紹介させていただきます。

明治天皇は「箕作圭吾(みつくりけいご)」大室寅之助説はフェイクか? | 「明治天皇は箕作圭吾(みつくりけいご)」 (ameblo.jp)

こちらの記事↑から一部を引用させていただきます。

(前略)
箕作圭吾(みつくりけいご)
は、1868年の明治維新の2年前、1866年にはスパイとして英国に行って写真を撮影していた!!エリザベス女王にスパイとして接見したとも言われている。そして明治維新の1868年に帰国!!すり替わったか?
1871年(明治4年)に東京墨田川で心臓発作で溺死となっているが、怪し過ぎる!!
本物の明治天皇(睦人親王)と同じ1852年生まれとされる。
(後略)

https://ameblo.jp/sumisumi-world-2020/entry-12691587532.html


https://ameblo.jp/sumisumi-world-2020/entry-12691587532.htmlより拝借


https://ameblo.jp/sumisumi-world-2020/entry-12691587532.htmlより拝借



「維新の悪人たち」伊藤博文の孝明天皇暗殺と、明治天皇すり替え!!【明治天皇は箕作圭吾!】 | 「明治天皇は箕作圭吾(みつくりけいご)」 (ameblo.jp)

こちらの記事↑から一部を引用させていただきます。

(前略)
明治天皇 絶対に顔を見せなかったそうだ。

自分の出自は自分が一番よく知っている。
「お通りになられるから地面に顔を伏せ」
「写真は絶対撮らせない、絵師に書かせたものを撮らせていた」

(中略)

ただ、明治天皇がすり替わり、尚且つ外国勢力が裏で暗躍していたことが問題なのだ。初代内閣総理大臣の伊藤博文は、孝明天皇殺しの下忍テロリスト。外国勢力が裏で日本を支配し、ならず者が総理大臣なのは今も変わらない。歴史で習った明治天皇は現人神とかいって神格化されていた。
写真がたった2枚しかないのは、すり替えがばれるからなのだな。
やむを得ず公の場に出るときは、顔を真っ白に化粧して、眉毛を上に書いていた、
って志村けんのバカ殿かよ!
(後略)

https://ameblo.jp/sumisumi-world-2020/entry-12646935765.html


14才の本者の明治天皇(睦仁親王)即位式の写真! すり替わった箕作圭吾15才の写真 | 「明治天皇は箕作圭吾(みつくりけいご)」 (ameblo.jp)

<本者の明治天皇 14才の即位式の写真>
https://ameblo.jp/sumisumi-world-2020/entry-12692048072.htmlより拝借


本物の明治天皇!? 右:ニセ明治天皇の箕作圭吾(みつくりけいご) | 「明治天皇は箕作圭吾(みつくりけいご)」 (ameblo.jp)

こちらの記事↑から一部を引用させていただきます。

明治維新は、英國ロスチャイルドと薩長田布施町朝鮮人によるクーデターです。
天皇暗殺後、伊藤博文の子分である(田布施町朝鮮人)大室寅之祐が明治天皇になりすまし成功。もう1人言われているのが箕作圭吾。現在の皇室も影武者が何人もいるので、2人いたのかもしれませんね。。
どっちにしろ朝鮮人です。
京都にいてはバレるので、東京に引越しをしました。
(中略)
明治天皇は朝鮮人の箕作圭吾にすり替わっていた!!豊臣秀吉の【朝鮮出兵】で日本に来た朝鮮人!!
 幕末に孝明天皇は伊藤博文に暗殺され、本当の明治天皇(睦仁親王)も貧乏公家の岩倉具視たちに殺害された!!そして箕作圭吾(みつくりけいご)という岡山県美作(現在・津山市)の山窩(サンカ)と呼ばれる朝鮮部落出身の男にすり替えた!!
(中略)
「フリーメーソン」とは、欧米のユダヤ人が世界支配するために日本やアジアの「被差別部落民」を使って、天皇や王を殺害したりすり替えて乗っ取るための陰謀組織です!!「フランス革命・アメリカ独立戦争・明治維新」全て白人に化けたユダヤ人がフリーメーソンと言う組織を作って・マリーアントワネット・ルイ16世・ロシア皇帝・明治天皇も暗殺した!!
フェイクで、ニセ明治天皇は大室寅之助と書いて有りますが、現在は「箕作圭吾(みつくりけいご)」と訂正された本が出版されています!!

https://ameblo.jp/sumisumi-world-2020/entry-12672421318.html
<反転され色ずけされています(左)
右はすりかわった後のなりすまし 明治天皇。
(箕作圭吾 みつくりけいご)>

https://ameblo.jp/sumisumi-world-2020/entry-12672421318.htmlより拝借


明治天皇は誰か | なりはんブログ (ameblo.jp)

こちらの記事↑から一部を引用させていただきます。

明治天皇が大室寅之祐(おおむろとらのすけ)にすり代わった、いやいや箕作圭吾にすり代わったのだ、その後西郷隆盛が下野したときに、明治天皇とすり代わったなど諸説あり定まっていない。

 そもそも吉田松陰が処刑されたのは、田布施に行った後だ。南朝の末裔と称する大室寅之祐に会い、明治天皇の暗殺を企てたのがその真相だ。
立派な人物なんかじゃなく陰謀家で策略家だ。

吉田松陰は右翼思想の先駆けだったんだ。彼によって攘夷志士が生まれ、清(今の中国)や朝鮮に対する間違った思想を刷り込んだ結果、間違った国家主義が生まれたからだ。この思想がやがて国粋主義や戦争国家に発展して日本は自滅することになる。

大室家は江戸時代に断絶しており、もとより寅之祐は南朝の血を引いてはいない。網元をやって儲けた父親が大室の姓を買ったんだよ(長州 田布施(たぶせ)(山口県 光市)は代々朝鮮部落で、海賊行為を働いて生計を立てていたんだ。漁業をやっていた形跡はない)。 しかも本物の寅之祐は幼少で他界してる。

 大室寅之祐は海援隊に在籍当時、相撲力士で強盗狼藉を働いて新撰組に誅殺されたともいわれる。

箕作圭吾(みつくりけいご)は山窩*1(さんか)の出自。 岡山県津山市出身で、原爆の材料になるウランが採れる人形峠(幽霊が出るので有名な山)を始め全国の鉱山を知り尽くしていたという。それで17歳の若さにもかかわらず天皇の身代わりに選ばれたそうだ

リン光を放つウラン鉱石

1955年まで発見されなかったとはとうてい信じられない。

 このことから、維新当時から核分裂を応用して高性能爆弾を作ることが研究されていたことがわかる。

 1873年に箕作圭吾は闇に葬られ、西郷隆盛(吉之助)にすり替わったという説を支持するぞ。
謎の下野(げや)があるからだ。その後まもなく西南戦争で西郷は自決した(死んだのは替え玉*2)。 城山で切腹ではなく仲間に暗殺されたとも伝えられる。

1873年下野(明治政府から離れる)
1877年西南戦争で死亡

しかも隆盛は本名じゃないんだ。名前さえいつわっていたんだ。 本当の名前は隆永(たかなが)。

 どんな顔だったか伝わっていないけど、背が高く骨ばってたって証言がある。銅像の西郷さんとはまったくイメージがちがうね。

フルベツキ写真に写ってる浪人風の男がそれらしい。 よくみて捜してごらん。
(中略)
*1
ナデシ。世間師。山中に住み、箕(み)(魚を捕るとき使うザル)、ビク(捕った魚を入れるザル状のかご)、籐(とう)かご、ざる、漁網、こけしを作る職人(木地師(きじし))を営んでいた

もともと奈良時代以降は律令外(税金を取れない民)、江戸時代は士農工商の外に追いやられた民(定住しないので税金の取りようがない)だった。

 山窩は維新後に戸籍を作ることが強制されて山を追われると、空き巣、盗賊に身をやつす人が多かったという。

 山中で竹で家を造って、定住せず移動生活をするのが本来のライフ スタイルだったのに、維新政府に生活を崩されてしまったからだ。


古代遺跡、古墳、聖地を守護していたのもかれら。
 といっても私が山窩の一族なわけではないけど……。
(後略)

https://ameblo.jp/narihan/entry-12310540759.html
https://ameblo.jp/narihan/entry-12310540759.htmlより拝借


こちらの記事↑で出てくる岡山県の人形峠についてですが、仁科原爆を作った仁科さんは岡山県出身だったことを思い出します。


本物の明治天皇(睦仁親王)暗殺写真!!エリザベス女王がオークション出品で東大が落札!【拡散願う】 | 伊藤博文は日本の天皇2人と朝鮮の閔妃を暗殺した朝鮮人テロリスト (ameblo.jp)

こちらの記事↑から一部を引用させていただきます。

本物の明治天皇(睦仁親王)の暗殺写真を、7年前にエリザベス女王がオークションに出品し、東大が落札していた!! 1868年のグラバーがやった明治維新のテロで、日本は英国🇬🇧植民地になった‼️白衣装の「睦仁天皇」を三人が取り囲んでいます。左、伊藤博文、右、西郷隆盛。背後に「斬首刀」に手を掛けた小松宮彰仁親王。安重根の孝明天皇暗殺説は証拠がありませんが、睦仁天皇処刑直前写真から伊藤博文が参画し、予告どおり、西郷隆盛と睦仁天皇の両手の自由を奪い、背後の小松宮彰仁親王が斬首
 撮影日時は、1872年(明治5年)11月21日 横須賀造船所ドライドック前 明治天皇(睦仁)暗殺テロ・クーデーター!!

https://ameblo.jp/tariribana/entry-12691360282.html
https://ameblo.jp/tariribana/entry-12691360282.htmlより拝借


この写真↑は小松宮彰人親王より国外へ持ち出され、英国のヴィクトリア女王に手渡されたそうです。なぜ、このような写真(決して慶事とは言えない写真)をわざわざ日本の親王が英国の女王に手渡したのか疑問に思う。このような写真をもらう方ももらう方だと思う。しかも、相手は他国の女王だ。(もらう方にとっては慶事だったということか?)
当時の日本と英国との関係はどのようなものであったのか。
そしてその関係は今もなお続いているのか否か。

https://ameblo.jp/tariribana/entry-12691360282.htmlより拝借


https://ameblo.jp/tariribana/entry-12691360282.htmlより拝借


<↑本物の明治天皇(睦人親王)の右後ろで「斬首する刀」を持っているのが、小松宮彰仁親王、 睦仁天皇の右には東郷平八郎‼️乃木希典‼️←全員がグルの朝鮮人テロリスト
小松宮家は明治に入ってから作られた宮家なので、
1代限りの宮家の8男の庶子(愛人の子)としてお寺に預けられていたのを殺害して、
朝鮮人の子に入れ替えた可能性が高い!!>

https://ameblo.jp/tariribana/entry-12691360282.htmlより拝借



写真の中央の白い衣装の方は「睦人親王」で、その周りを取り囲んでいる3人は伊藤博文、西郷隆盛、小松宮彰人親王(睦人親王の背後に位置しているとのこと)だそうです。この小松宮彰人親王がぶっそうなモノを持っているのですね。白い鉢巻の人は、篠原国幹(しのはらくにもと)だそうです。この方は、ウィキペディアで見ますと、元々薩摩藩士で、陸軍軍人となった方のようです。

元記事によりますと、この現場写真に写っている人としては他に、
大久保利通、東郷平八郎、乃木希典(のぎまれすけ:ウィキペディアによりますと、元長府藩士で大日本帝国陸軍の軍人であり、昭和天皇の教育係を務めたとあります。)、別府晋作、長州イボ侍と書き込まれた大室寅之祐(※元記事では「祐」ではなく「助」となっていますね。)です。

ウィキペディアで見ますと、ほとんどの方が薩摩藩士や長府藩士(※薩摩藩士の方が多い印象)で、軍人となっているようですね


https://ameblo.jp/tariribana/entry-12691360282.htmlより拝借


<↑本物の明治天皇暗殺犯の中に、
統一教会を安倍の祖父の岸信介と一緒に日本で立ち上げた 「文鮮明」の父、
文慶裕まで写っていた!?>

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https://ameblo.jp/tariribana/entry-12691360282.htmlより拝借


<↑ 明治天皇お左後ろに紋付き・袴(はかま)の和服で立っている身長180cm超えの大男が大久保利通・鹿児島市高麗町出身の秀吉朝鮮人の乞食!!

(幕末の日本男児の平均身長は160cm)>

https://ameblo.jp/tariribana/entry-12691360282.htmlより拝借


<↑ 『ヴェルニー』と言うユダヤ人が、伊藤博文や西郷隆盛たち朝鮮人に命令して、
本物の明治天皇(睦仁親王)を殺害させたのに、
わざと右端のヴェルニーをカットした写真を出してきたそうだ‼️>

https://ameblo.jp/tariribana/entry-12691360282.htmlより拝借


<「長州公開斬首刑記事」は睦仁天皇暗殺の七年前、1865年
イラストレイティド・ロンドンニュースに掲載。長州藩士と大英帝国関係者出席。
1872.11.21横須賀造船所にて、罪人、睦仁天皇。 斬首執行者、小松宮彰仁親王。

介助者、伊藤博文・西郷隆盛。刑口上者、篠原国幹。暗殺現場写真と概ね一致。>

https://ameblo.jp/tariribana/entry-12691360282.htmlより拝借


https://ameblo.jp/tariribana/entry-12691360282.htmlより拝借


<↑ 【フルベッキ群像写真】 英国系ユダヤ人のグラバーの仲間だった、
米国系ユダヤ人のフルベッキ一家と明治維新の朝鮮人テロリストたちが一緒に撮影した写真が流出して、敵同士のはずの伊藤博文・西郷隆盛・勝海舟、・岩倉具視の長男・次男たちが、
このように全員がグルで、グラバーがいた長崎に集合して、仲良く写真撮影していた!!

1868年の明治維新と言う名のテロの前年の1867年長崎グラバー邸で撮影。>
https://ameblo.jp/tariribana/entry-12691360282.htmlより拝借


https://ameblo.jp/tariribana/entry-12691360282.htmlより拝借


<「エラ」「ほお骨」の本物の西郷隆盛と、鹿児島市高麗町の大久保利通の写真
サムライでも何でもない、豊臣秀吉の朝鮮出兵で来日した白丁と呼ばれるエタ・非人が、
グラバーからカネを貰って、
下級武士(足軽)や下級公家(朝鮮人の岩倉具視・三条実美)の位を買って、
徳川幕府を倒すために京都や江戸に放火してテロをやっていた!!>
https://ameblo.jp/tariribana/entry-12691360282.htmlより拝借


エリザベス女王が保管していた本物の明治天皇の写真 | まず問うや言う民☆Mとしお捕物帖 (ameblo.jp)

<【ホンモノの明治天皇】睦仁親王>
https://ameblo.jp/mazutouyaiumin/entry-12688064585.htmlより拝借


<偽物の明治天皇>
https://ameblo.jp/mazutouyaiumin/entry-12688064585.htmlより拝借


<偽物明治天皇>
https://ameblo.jp/mazutouyaiumin/entry-12688064585.htmlより拝借


<【本物の睦仁親王を◯◯した伊藤博文】 部下の大室寅之祐を明治天皇の替え玉にし
自分が初代内閣総理大臣となった>

https://ameblo.jp/mazutouyaiumin/entry-12688064585.htmlより拝借



明治維新で皇室はすでに乗っ取られていましたが、さらにもう一度乗っ取られようとしている。あるいは、2度目、それとも3度目と言った方が正しいのだろうか? 。。乗っ取りは明治維新よりもずっと前にもありました。
               ↓ ↓ ↓
「書き換えられた歴史・藤原氏の正体  その1 」 - るいネット (rui.jp)

こちらの記事↑は、るいネットが閉鎖されたため閲覧できません。




明治天皇のすり替えについては、私は「箕作圭吾(みつくり けいご)が最も信憑性があるように思っていますが、るいネットでは孝明天皇も睦人親王も実は殺害されてはいなく、京都に移られて裏天皇(?)をしていたというようなことも書かれている記事がありました。それらの記事もご紹介したいところですが、記事は閲覧しただけですので、るいネットが閉鎖されてしまった以上、載せることもできません。

明治天皇すり替え説について、一般庶民が、あるいは歴史家と名乗る人も、真実を知るのは不可能ではないだろうかと思います。ただ、煙のない所に火は立たないのですから、すり替えがなかったと考える方が無理ではないかと考えます。

私は今のところ、「箕作圭吾(みつくり けいご)は案外真実である可能性は大と見ています。

一方で、孝明天皇や睦人親王は、実は殺害されていないという説の可能性を完全に否定することもできません。

当事者以外は真実は知り得ない、真実を探り当てるのは困難であるというのは、この明治天皇すり替え説に限らないですね。それらはすべてイルミナティ事案だからです。


なお、私が「明治天皇すり替え説」で「箕作圭吾(みつくり けいご)は信憑性が高いかもしれないと考えている根拠となる記事をご紹介させていただきます。

しかし、その記事も、闇側にとっては大変都合が悪かったと見え、削除されてしまっていました。

もっともその記事に限らず、なぜか明治天皇すり替え説や、明治天皇や伊藤博文夫妻の墓が朝鮮式と書かれていた記事で私が引用させていただいた記事のほとんど全てといっていいほど全ての記事が、後から確認してみますと悉く削除されていました。


根拠となる記事はこちらです。注目すべき箇所を太字とさせていただきます。

明治天皇は「箕作圭吾(みつくりけいご)」という岡山県津山市の山窩(サンカ)という朝鮮部落出身! | 離婚ジャンルの女性達をサギ師から守りたいブログ! (ameblo.jp)

こちらの記事↑に
「維新の悪人たち」 クリックして読んで下さい!!
この本ではすり替わった明治天皇は「大村寅之助」となっていますが、大室はフェイクで、2020年に「箕作圭吾(みつくりけいご)」だった!という本が出版されました。
1868年の明治維新と言う名のテロは、英国のユダヤ人・グラバーが、徳川幕府を倒すために、豊人秀吉の【朝鮮出兵】で来日した伊藤博文・坂本龍馬たち朝鮮人に足軽の武士の位を買わせてやったテロ!!
伊藤博文は孝明天皇と本物の明治天皇(睦人親王)を暗殺して、箕作圭吾(みつくりけいご)という朝鮮人にすり替えた!!
◎ 箕作奎吾(みつくりけいご)(満15歳)の頭蓋骨の特徴が明治天皇(満19歳)の写真の頭蓋骨の特徴と一致。
二人は生まれ年も同じ1852年!!
箕作圭吾(みつくりけいご)は、1871年に墨田川で心臓発作で溺死
→すり替わった明治天皇は翌年の1972年に東京にて御真影の写真を撮影
!!
と書かれています。

突然の「心臓発作」や「心不全」は平成でお亡くなりになった成人男性皇族にもおありではなかったでしょうか。よく使われる手なのかもしれません。


平成で次々とお亡くなりになった成人男性皇族の死亡についても、何かが見えてきそうな気がする!

(以下、ご参考として)

桂宮宜仁親王の死亡について


ウィキペディア↑によりますと、2014年6月8日、急性心不全により66歳で崩御とありました。


〈桂宮宜仁親王 1948年〈昭和23年〉2月11日 - 2014年〈平成26年〉6月8日)〉
https://rapt-neo.com/?p=43051より拝借


<逆さになった「6」が三つ描かれているのがお分かりいただけますか。
少しこじつけのように思えるかも知れませんが、この葬送ルートこそ逆に不自然であり、
どうしてわざわざこんなルートを通らなければならなかったのかと私は理解に苦しみます。>
https://rapt-neo.com/?p=43051より拝借


寛仁親王の死亡について

ウィキペディア↑によりますと、2012年6月6日66歳で崩御とのことで、同日の宮内庁の会見で、死因は多臓器不全であると発表されたそうです。


〈寛仁親王 1946年〈昭和21年〉1月5日 - 2012年〈平成24年〉6月6日〉
https://rapt-neo.com/?p=43051より拝借


高円宮憲仁親王の死亡について

ウィキペディア↑によりますと、2002年11月21日、カナダ大使館にてスカッシュの練習をしていた最中に心室細動による心不全で倒れ、直ちに搬送されるも既に心肺停止の状態であり、蘇生措置がとられ一時は心拍が確認されるも、夜半になって容態が悪化したが、妃久子の同意を得て人工心肺装置を取り外したところ、生命反応がなく、崩御が確認されたとのことです。47歳で没され、享年48歳とのことです。


<高円宮憲仁親王 1954年〈昭和29年〉12月29日 - 2002年〈平成14年〉11月21日)> https://media.gettyimages.com/photos/le-prince-imprial-norihito-de-takamado-tokyo-le-27-novembre-1987-picture-id1160942899より拝借

成年の男性皇族が次々と亡くなっていったことについて誰も疑問に思う人はいないのでしょうか? このような状況となりますと、皇室を乗っ取りやすくなるのではないでしょうか?


※ここで余談ですが、66歳で死亡というのは・・・

亡くなった成年男性皇族の中には、6月6日で66歳で死亡した方もいらっしゃいました。芸能人でも66歳で謎の死亡をされた方がいたように記憶しています。某宗教の教祖の方も66歳で亡くなられましたよね。イルミナティは数字遊びの好きな連中です。何かおかしいと感じるのは私だけでしょうか?

(ご参考記事:ブログ「日本の黒い霧」より)



その他の皇族についても死亡説が浮かび上がってくるような記事がありました。

(ご参考記事:人様の記事です。)

マコさん関係(本物および演じている人も含め)の人物か?!

こちらの記事↑によりますと、発見された遺体の女性は、皇族や海外の賓客などが使う貴賓室に隣接する車寄せの屋根の上に倒れていたということです。頭部にすり傷はあるものの、目立った外傷はないともあります。目立った外傷はないとあることから、CIAの電磁波攻撃か薬を飲まされたのでしょうか? なお、おにぎりまとめさんの記事に転載されている元記事ですが、ほとんどの記事が削除されています。こうしたことからも余程都合の悪い内容だったということなのでしょう。イルミナテイがヘマをするはずはないので、彼らからすれば、この死亡事件は成功したということなのかもしれません。

唯一削除されないで残っていた記事がこちらです。↓

こちらの記事↑から引用させていただきます。

2017年9月12日 05:00 | 無料公開

 11日午前10時5分ごろ、成田市の成田空港第2旅客ターミナル64番搭乗口付近の屋根に女性が倒れていると、空港利用客から成田国際空港会社(NAA)に連絡があった。女性は現場で死亡が確認され、成田空港署が事故か自殺とみて調べている。

成田空港署によると、女性は20~40代の東洋系で、ワンピースを着て靴を履いた。頭部にすり傷はあったが、ほかに目立った外傷はなかった。3階の屋根付近では女性のものとみられる手提げバッグが見つかったという。

NAAによると、現場から約11メートル上部にあるターミナルの4階には、一般の人が立ち入ることのできる展望デッキがあり、高さ約3・7メートルの柵が設置されている。

女性が見つかった現場は一般旅客などが立ち入ることができないエリア
2階や3階の扉は施錠され外に出られる場所はないため、同署は展望デッキの柵を乗り越えて落下した可能性もあるとみて、原因を調べるとともに身元確認を急いでいる。

https://www.chibanippo.co.jp/news/national/437379

発見された女性がいわゆる本物のマコさんなのか、演じている人なのかは不明ですが、まるで事件を隠蔽するが如く、「原因を調べるとともに身元確認を急いでいる。」とされた割にはその後の報道であまり明らかにされていないようですから、そのことが全てを物語っているように思います。

画像の分析力の鋭さで定評のある、でれでれ草さんの記事を拝読いたしますと、この成田空港での女性の不審死発見の事件については、一連の流れがあるとみておられるようにお見受けいたしました。

その記事によりますと、マコさんがブータンを訪問する際に出発した折、マコさんは2人いることが確認できたらしいです。

2人いることが確認できたのは、出発時だけでなく、ブータンでのお出迎えの際もそうだったとのことだそうです。

そしてさらに驚くのは、帰国したマコさんは別人だったらしいのです。この「別人だった」というのは当初から2人いることが確認されているマコさん御2人のうち、演じている人が別人だったという意味にとれますが、どうなのでしょう。そこが私にはよくわからないところではありますが、とにかく、一般人が報道による映像で見る限りはおかしなことだらけだったようです。

おかしなことその1:
マコさんが帰国したとき、ゲートは帰国用ゲートのはずなのに、なぜか出発用の110番ゲートが写っていたらしい。また、早朝の帰国なのに、映像ではお店が開いていたそうです。

おかしなことその2:
「世界ふしぎ発見」という番組があるそうですが、マコさんのブータン訪問より数か月前、その番組がブータンで番組を作っていた、つまりブータン特集を組んでいたということでしょうか。それはつまり成田空港での女性不審死事件も、予め予定されていた(かもしれない)ことと関係がありそう?


極めつけにおかしなこと:
上記の成田空港不審死ニュースが投稿されたあと、皇室掲示板が閲覧不能になったそうです。
(※「皇室掲示板」とは宮内庁HPでのことなのでしょうか。私にはよくわかりません。)

さらに気になるのは、コメント欄にリンクが貼られていた皇室掲示板に投稿された画像が消えていたことだそうです。
(※今わかりました。どなかたのブログでの「皇室掲示板」なのでしょうね。)

極めつけのさらに上をいくおかしなこと:
この成田空港での女性不審死事件は、海外ではライトグリーンのドレスを着た女性として報道されたそうです。これが決定打ではないでしょうか。

ライトグリーンというよりは、私には明るい水色に見える御色のドレス(? スーツに見えたり、ドレスに見えたり。。)を着た二人の女性の画像も貼られていました。画像を拝借いたします。

<右の帰国した眞子様、110番ゲートは出発用のはず、 早朝の帰国なのに、お店が開いている、
など疑問が一杯>

http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=21319より拝借



<ブータン訪問したおりの「出発した眞子様」は2人おり、
空港、ブータンでのお出迎えのパターンなど2種類確認されています。>
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=21319より拝借

こちらの画像↑で右側はゲートNO.が完全ではありませんが、出発時ですから110番ゲートのはずですね。ところが、その上の画像の右側では帰国時なのになぜか110ゲートとなっているというおかしなことが起きているわけですね。

また、このすぐ上の画像では口元がはっきりと写っていて、左側の人も右側の人も、同じような所謂「アヒル口」であるように私には見えます。でれでれ草さんの記事によりますと、本物のマコさんはアヒル口ではないそうです。となりますと、すぐ上の出発時での画像のマコさん御2人は、御2人とも本物ではなさそうというのが私の感想です。

本物のマコさんはアヒル口ではないということは、マコさんが子供のときの御写真からもわかるでしょうか。その画像も拝借いたします。

http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=21853より拝借


たしかに、「恐らくは本物(左)」の子の口元を見ますと、アヒル口とは言えなさそうですね。

※ところで海外で報道されたという「ライトグリーンのドレス」の色ってこんな色では?

でれでれ草さんの記事から画像を拝借いたします。

<ご婚約の一報の半年前に、眞子様は紀子様と共に、藤原家ゆかり深い春日大社に参拝。> http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=76603より拝借

こちらの画像↑では、紀子さんが着用されているお色味のような色がシノワズリと言われる色ではないでしょうか。


http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=21853より拝借


こちらの上下の画像で、マコさんが着用されている服は同じ服であるように思えますが、映り具合によって色味が変わって見えるだけのようにも思います。上の画像は明らかにシノワズリ、つまりライトグリーン(※私は「シノワズリ」は「ライトグリーン」と言い換え可能と理解しております。)の色に見えますが、下の画像では明るい水色であるように私には見えます。このように考えますと、ブータンへの出発時、帰国時でマコさんが着用されていた服、私には明るい水色に見える色も、海外の報道者から見れば明るいライトグリーンの色に見えた可能性もあるように思います。


http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=21853より拝借


※「シノワズリ」として列挙された色の画像も拝借いたします。

http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=21853より拝借



安倍元総理はわかりますが、何度もお亡くなりと噂の中曽根康弘の他に、上皇夫妻および令和の天皇陛下も?!!(※本当なのか?)



伊藤博文とその妻の墓、そして明治天皇以降の墓はすべて朝鮮式である

伊藤博文とその妻のお墓が朝鮮式とあります。

シャンティ日記 明治以降の天皇のお墓は朝鮮式「「上円下方墳」」 (fc2.com)

こちらの記事↑から一部を引用させていただきます。

さとう内科循環器科医院 - 宮城県大崎市 (2017年6月14日 13:11)

安倍政権になって、政府の国民いじめはひどすぎます。
共謀罪で、政府に抵抗する人間はすべてしょっぴくぞ、というように見えます。
私は日本政府の中枢に居る人間は日本の朝鮮系の人間だと気が付きました。
在日ではありません。日本は古代より朝鮮人の国です。
それが、大化の改新以降、中国文化を取り入れ、日本文化の基底となりました。
明治維新で、日本の支配層は伊藤博文ら、自らのアイデンティティを
朝鮮人と自覚するひとたちに替わったのだと言うことです。

ブログに書くのは分量が多く大変なので、天皇の墓.pdf に纏めました。http://satouclk.jp/天皇の墓.pdf

テロリスト 伊藤博文の葬式と墓は朝鮮式であった。彼のアイデンティティは”朝鮮人”
明治以降の日本は”朝鮮国”である

佐藤 荘太郎 2017.0614

(中略)
                                       
2,3年前だが、インターネットの放送番組で、
伊藤博文の葬式は朝鮮式だった」ということを聞い て、非常に関心が引かれた。図1.は、明治42年の伊藤博文の葬式の写真である。

(中略)

長州藩の人たちは、
日本にいながら、自らのルーツ、アイデンティティを”高句麗系朝鮮人”と考え ていたのだった(図3)。
現在、高句麗の流れをくむのは北朝鮮である。
好戦的言動が目立つ国であ る。
伊藤博文は、幕末の孝明天皇とその子の睦仁親王を弑殺し、
山口の田布施にいた南朝の皇統と される大室寅之祐を睦仁親王のなりすましにして、ついに明治天皇にデッチ上げた。


明治維新は伊 藤博文ら”朝鮮人”による日本での政権の奪取、クーデターである。

伊藤博文は大日本帝国憲法(明治憲法)を制定し、天皇に絶対の権威を付与し、
かつ不可侵の国 家元首とすることで、天皇デッチアゲに触れさせないようにした。

さらに、天皇というシンボルをあや つり、日本列島の人間を精神的に支配する体制を作り上げた。これは一種の宗教体制である

(腐ったイワシのアタマを崇め奉るよう仕組まれた)

墓の形はその人物の文化的ルーツを表す。
”伊藤博文”、”墓”をキーワードに検索したとき、2種の 画像が上がってくる(図6、図7)。
初め混乱したが、よく見ると、2つの墓は少し違う。伊藤博文の墓 と、妻梅子の墓なのである。つまり夫婦別墓なのである。
更に墓の前には鳥居が設置されている。この鳥居は、笠木(上の段の横の棒)と貫(下の段の横の 棒)とも反りがなく、貫は柱を突き抜けない。
神明鳥居(しんめいとりい)と言われるものである。(靖 国神社、伊勢神宮の鳥居も神明鳥居である)
明治天皇以降の天皇の墓(図)8,9,10)も丸いドーム状で、夫婦別墓である。墳墓の前に神明鳥 居があるのも同じである。
このような形式の墳墓は江戸時代の天皇の墓には無い。
この丸いドーム 状の墓は朝鮮式の墓である。

現在の日本の支配層と朝鮮との関係について、今上(昭仁)天皇は、2001年、自らの出自につい て、
「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに韓国とのゆ かりを感じます」
と述べている。(この発言は重要である。萩藩の伊藤博文らは高句麗系といってい るので)

(中略)

朝鮮半島に居る人たちから見れば、明治維新は、
少し離れた島国日本の中国文化の教養を持っ た人たちの支配層が、
自らのアイデンティティとルーツが朝鮮人とする人たちにとって替わられた、 ということである。日本列島の朝鮮化である。
「日本列島はわれら朝鮮人の支配する国になった 。 よくやった」とみるのが普通でないだろうか。

(中略)

さらに、朝鮮人によって日本の富が奪われることに なった。江戸城に朝鮮人天皇が住んでいることでもわかる。
日本に移住してきた朝鮮人が企業を 起こした

さらに、なぜ韓国〜北朝鮮系のパチンコ業者が野放しなのか簡単に理解されるとおもう 。「明治維新とは日本列島においての朝鮮人による支配権の獲得であった」ということを、今日でも 日本の朝鮮人支配層の共有の秘密になっていると思われる

幕末まで、日本は中国文化の国だった

(中略)

さらに困惑することは、朝鮮文化の人々は攻撃的で、戦争をしたがることである。敵対するものを排 除しようとする、殺そうとすることである。

(後略)

http://tenten888.blog.fc2.com/blog-entry-438.html


<図1.は、明治42年の伊藤博文の葬式の写真である。>
http://tenten888.blog.fc2.com/blog-entry-438.htmlより拝借


< 図3. 伊藤博文(後列中央) 朝鮮総督のとき    前列左から2人目 妻 梅子> http://tenten888.blog.fc2.com/blog-entry-438.htmlより拝借


<伊藤博文(1841~1909)の墓> 
http://tenten888.blog.fc2.com/blog-entry-438.htmlより拝借


<伊藤博文の妻 梅子の墓   伊藤博文の墓の右側、離れたところにあり >   http://tenten888.blog.fc2.com/blog-entry-438.htmlより拝借 


<昭和天皇の陵墓>
http://tenten888.blog.fc2.com/blog-entry-438.htmlより拝借


<昭和天皇の陵墓>
http://tenten888.blog.fc2.com/blog-entry-438.htmlより拝借


<明治天皇の陵墓>
http://tenten888.blog.fc2.com/blog-entry-438.htmlより拝借


<明治天皇の陵墓>
http://tenten888.blog.fc2.com/blog-entry-438.htmlより拝借


「頭山満(とうやま みつる)」でヒットした記事

ところで、るいネットで「大正天皇」について書かれた記事を見つけていましたが、まだ記事には貼っていませんでした。るいネットは6月で閉鎖ということは知っていましたが、まだ6月は終わっていないのでまだ大丈夫と思っていたので、6月某日に貼ろうとしていたら、すでにるいネットは閲覧できなくなっていました。その記事だったかと思うのですが、そこに昭和天皇や頭山満という人物についても書かれていたという記憶です。記憶としか言えないのは、その記事がすでに閲覧不可の状況だから確認ができないということです。

頭山満という人物について、人様が書かれた記事をここでご紹介させていただきます。

夕遊さんという方の記事です。


日本の黒い霧さんのブログで「頭山満」でヒットした記事です。

こちら↑からピックアップさせていただきます。

頭山満さん、頭山一族もイルミナティ。

引用させていただきます。

公開日: 2023/04/22 : 最終更新日:2023/05/05

頭山満さん、頭山一族もイルミナティですね。

頭山満さんは1855年4月12日筑前国(福岡県)早良郡西新町の福岡藩士・筒井亀策の三男として生まれました。

頭山満さんは16歳の時に福岡藩の勤皇派の流れを汲む儒学者の高場乱が開いていた興志塾に入門しました。

興志塾は他の塾では断られた福岡の荒くれ者たちが集まっていました。

頭山満さんはここで玄洋社の創設メンバーの進藤喜平太さん、箱田六輔さんらと出会いました。

頭山満さんが興志塾で学んでいた頃、板垣退助さんを中心として自由民権運動が盛んになっていました。


1875年2月に板垣退助さんは大阪で愛国社を結成しました。

この結成大会に興志塾出身の武部小四郎さん、越智彦四郎さんが参加していました。

武部小四郎さんは福岡に戻り矯志社を設立しました。

頭山満さんや箱田六輔さんたち興志塾の面々は自由民権運動に賛同して、頭山満さんは矯志社の社員となり、箱田六輔さんは堅志社の社長になりました。

1876年11月に箱田六輔さんは大久保利通襲撃の容疑で逮捕されました。

頭山満さんも萩の乱に連座する形で逮捕されました。

1878年に頭山満さんは板垣退助さんの影響で向陽社(共愛会)を創設して自由民権運動に参加して国会開設運動を行いました

1881年に国会開設の詔勅が下ると、共愛会を玄洋社に改名して、国家権力の伸長、対外強硬主義、大アジア主義(大東亜共栄圏)を唱えました。

1889年10月に頭山満の玄洋社の社員の来島恒喜が大隈重信外相を襲撃しました。

来島恒喜は大隈重信外相に爆弾を投げて、大隈重信外相は右足切断の重傷を負いました。

頭山満はこの事件に黒幕として関与していたと言われています。

1892年に松方正義総理と品川弥二郎内務大臣は頭山満に選挙干渉を依頼しました。

選挙干渉を依頼された頭山満は松方正義総理に「やり出したらどこまでも一貫せねばなりませぬぞ」と詰め寄りました。

松方正義総理は「四千万(全国民)を敵にしてもやる」と言いました。

頭山満は配下の人たちを使って脅迫する、日本刀で切りつける、銃弾を浴びせるなどを行いました。

その結果、衆議院議員選挙では福岡では玄洋社が支援していた候補が9議席中の8議席を獲得しました。

松方正義総理は選挙干渉が批判されて引責辞任しました。

頭山満は中国での孫文の革命を支援しました。

孫文の革命を背後から支援していたのは英国のロスチャイルド家でした。

孫文がイギリスのロンドンで捕まったときも、ロスチャイルド側から清国に圧力をかけて解放させました。

福沢諭吉も孫文の革命を支援していました。

これらのことから頭山満や福沢諭吉など日本のイルミナティ勢力が孫文を支援していたことがわかります。

頭山満は韓国併合や大東亜戦争を推進して、陸軍、海軍、大本営を動かしていきました。

頭山満の組織した玄洋社は日本における民間の国家主義運動の草分け的存在で、後の愛国主義団体や右翼団体に道を開きました。

開戦強硬派の右翼団体「黒龍会」の顧問となり、日韓併合、大東亜戦争、太平洋戦争を強く推進していきました。

頭山満は創価学会の前身の創価教育学会の犬養毅、鳩山一郎とも懇意で、統帥権干犯問題から軍部の独裁、太平洋戦争へと至る一連の流れを支援しました。

頭山満の三男で右翼団体「天行会」会長の頭山秀三は5・15事件の実行部隊に武器を提供していました。

5・15事件、2・26事件などにより日本は軍部独裁体制となり、開戦へと舵を切っていくことになりました。


秀三は戦後に右翼団体の愛国青年有志会を設立しました。

愛国青年有志会の行動隊が右翼団体の「殉国青年隊」として独立しました。

会長は住吉会大日本興行初代の高橋輝男の舎弟の豊田一夫でした。

秀三は1952年7月にイルミナティに口封じで列車事故と見せかけられて殺されました。

秀三は南青山の青山霊園の頭山満の墓の隣に眠っています。

頭山満さんの長男の頭山立助さんは国士館の監事でした。

頭山満さんの孫の頭山秀徳さんは伊勢丹役員、森ビル相談役になりました。

頭山満さんの孫の頭山興助さんは右翼団体「呉竹会」の代表になりました。
呉竹会は安倍総理の桜を見る会を主催していました。

呉竹会の評議員には日米合同委員会の議長で統一教会系の「世界戦略総合研究所」の代表の阿部正寿さんがいました。

頭山興助さんは日本赤軍の最高幹部の重信房子さん家族の後ろ盾になっていました。

頭山興助さんと朝堂院さん、松浦大助さんが親密でした。


エイベックスの黒幕、パチンコのドンと言われる安藤英雄さんは頭山満さんの子分でした。

女優の黒木瞳さんは頭山満さんの曾孫の奥さんでした。

ユーミンの旦那の松任谷正隆さんは頭山満さんの孫の頭山尋子さんが嫁いだ松任谷健太郎さんの甥でした。

イルミナティの出口王仁三郎さんと頭山満さんと黒龍会会長の内田良平さん。

出口王仁三郎さんの子孫と安倍総理、安倍昭恵さんは親密でした

https://daiwaryu1121.com/post-72371/
https://daiwaryu1121.com/post-72371/より拝借


※ここで余談ですが、「板垣李光人(いたがき りひと)」さんという芸能人について

こちらの記事↑で「板垣退助」も出てきました。

板垣」でふと思い出したのが、若手の俳優で「板垣李光人(いたがき りひと)」さんという芸能人がいることでした。普段芸能人なんて興味がないのになぜ知っているかというと、以前宿泊した施設でニュースを見るためTVをつけましたが、その関係で、別の番組を視聴してしまうハメになり、そこでたまたまやっていたのがNHKの番組で、そこに「板垣李光人(いたがき りひと)」さんが出演されていました。

ウィキペディア↑では、「李光人」という名前の由来はドイツ語で「光」を意味するとありました。この記述を見て、何かピンとくるものがありそうな感じという印象を受けました。たしかあの組織も「光」を意味するものがあったかと。。。

「光」だけでなく、李家の「」の字も名前に入っておられます。

視聴したその番組での板垣李光人(いたがき りひと)さんの印象は、まるで三浦春馬さんを思い起こさせるような雰囲気でした。

(※三浦春馬さんについても私はテレビを視聴していないのであまりよく知ってはいません。記事を書く上で人様の記事を拝読し、三浦春馬さんの印象を深めていったということです。)

板垣李光人(いたがき りひと)さんは用意されるべくそこに「在る」人物のように思えました。きっとこの方は今後も大事にされ重用されていくに違いないという印象を持ちました。


後藤組の後藤忠政組長のおじいさんは満州人脈。頭山満さんと親交。

引用させていただきます。

公開日: 2023/06/21 : 最終更新日:2023/06/24

後藤組の後藤忠政組長のおじいさんは満州人脈でした。

後藤組の後藤忠政組長のおじいさんの後藤幸正さんは富士川発電、見延鉄道、富士水電駿豆鉄道(伊豆箱根鉄道)を創設し社長を務めました。


富士川発電が東京電灯(東京電力)と合併すると、東京電灯(東京電力)の取締役に就任しました。


成田鉄道の取締役、東海石炭取締役、東海自動車取締役、東京電業取締役、下部温泉社長にも就任しました。


駿河銀行(スルガ銀行)の創設にも関与していました。


後藤幸正さんは古島一雄さん、犬養毅さん、梅屋庄吉さん、宮崎滔天さんらと共に孫文を援助しました。


右翼の大物の頭山満さんとも親交を結び、満州鉄道の利権に食い込みました。


浅野セメントの浅野総一郎さん、安田財閥の安田善次郎さん、東京市長の後藤新平さんらとも親しくしていました。


後藤幸正さんは後藤新平さんと手を結び、台湾でアヘンを捌いて莫大な利益を得たそうです。


後藤幸正さんは古島一雄さん、犬養毅さんと共に孫文を支援したり、頭山満さんと親交を結び、満州鉄道に関わったりしていたようにイルミナティのエージェントであったことがわかります。

https://daiwaryu1121.com/post-77822/

天皇家→創価学会・頭山満・笹川良一・児玉誉士夫・朝堂院大覚。

引用させていただきます。

公開日: 2023/04/22 : 最終更新日:2023/04/23

天皇家→創価学会・頭山満・笹川良一・児玉誉士夫・朝堂院大覚でした。

創価学会の前身の創価教育学会の前身は大日本皇道立教会でした。

大日本皇道立教会のメンバーに牧口常三郎、戸田城聖、児玉誉士夫、中華民国最高顧問の中村天風などがいました。

牧口常三郎、戸田城聖の親戚が笹川良一、有栖川宮熾仁親王、出口王仁三郎でした。

大日本皇道立教会の幹事長が頭山満でした。

幹事は梅屋庄吉、黒龍会会長の内田良平でした。

大日本皇道立教会の会長は光格天皇の孫の中山忠英でした。

中山忠英のお父さんが討幕の先駆けとなった天誅組の首謀者の中山忠伊(藤原道春)でした。

大日本皇道立教会の前身は1890年に久邇宮朝彦親王を総裁に、中山忠英を会長にして組織された皇道会でした。

教育勅語は皇道会によって作られました。

中山忠英の息子の忠徳の門下には出口王仁三郎がいました。

https://daiwaryu1121.com/post-72419/


創価学会と統一教会は天皇家に連なる宗教法人。

引用させていただきます。

公開日: 2023/05/29

創価学会と統一教会は天皇家に連なる宗教法人でした。

創価学会の前身の創価教育学会の前身は大日本皇道立教会でした。

大日本皇道立教会のメンバーに牧口常三郎、戸田城聖、児玉誉士夫、中華民国最高顧問の中村天風などがいました。

牧口常三郎、戸田城聖の親戚が笹川良一、有栖川宮熾仁親王、出口王仁三郎でした。

大日本皇道立教会の幹事長が頭山満でした。

幹事は梅屋庄吉、黒龍会会長の内田良平でした。

大日本皇道立教会の会長は光格天皇の孫の中山忠英でした。

中山忠英のお父さんが討幕の先駆けとなった天誅組の首謀者の中山忠伊(藤原道春)でした。

中山忠伊(藤原道春)は光格天皇の皇子でした。

大日本皇道立教会の前身は1890年に久邇宮朝彦親王を総裁に、中山忠英を会長にして組織された皇道会でした。

教育勅語は皇道会によって作られました。

中山忠英の息子の忠徳の門下には出口王仁三郎がいました。

創価学会と統一教会は兄弟組織でした。


統一教会の顧問の笹川良一さんの親戚が創価学会の創設者の牧口常三郎さん、2代目会長の戸田城聖さんでした。

統一教会の文鮮明さんが創設した国際勝共連合のメンバーの塚本素山さんは創価学会の顧問でした。

塚本素山さんは児玉誉士夫さんの側近でした。

池田大作さんはもともとは統一教会で、創価学会と統一教会の兼任でした。

創価学会と統一教会はほぼ同一の組織と言えますね。

https://daiwaryu1121.com/post-75652/

合人社東京永田町ビルも松浦グループビル。

引用させていただきます。

公開日: 2023/05/28 : 最終更新日:2023/06/11

合人社東京永田町ビルも松浦グループビルでした。
東京都千代田区永田町1丁目11−28
AAアドバイザーズ(元代表取締役・能勢元)
能勢元さんはリーマンブラザーズ証券の社外監査役でした。

1階パックスインターナショナル(代表取締役・小林哲雄)
2階アジア・インベスト・マネージメント(代表取締役・小林哲雄)

アジア・インベスト・マネージメントのオーナーは中江滋樹さんでした。

中江滋樹さんは豊田商事事件に関与しており、松浦グループの後藤忠政組長と親しい関係でした。

https://daiwaryu1121.com/post-73353/

1997年に小林哲雄さんがアジア・インベスト・マネージメントの代表取締役に就きました。

2階レッドオスカーキャピタル(旧所在地が東京フィナンシャル会計事務所内)
2階引揚者団体連合会(理事長・衛藤征士郎)


衛藤征士郎さんは笹川良一さん、統一教会と親しい関係でした。

衛藤征士郎さんは笹川陽平さん、統一教会と共に日韓トンネルを掘り進めています。

3階平沼赳夫事務所(旧所在地)
公益財団法人無窮会。
代表理事は頭山満さんの孫で呉竹会会長の頭山興助さん。


https://daiwaryu1121.com/post-72371/

理事は呉竹会幹事の山田脩さん。


一般社団法人農山漁村資源開発協会。
代表理事は頭山満の孫で呉竹会会長の頭山興助さん。
理事は呉竹会幹事で日華協会理事、日本クルド友好協会理事の石川多聞さん。
理事は大谷貴義さんの孫の大谷裕巳さん。
大谷貴義さんは宝石卸を本業とした宝石界の帝王。
福田赳夫総理の後ろ盾。
ジャニーズ事務所のジャニー喜多川さん、メリー喜多川さんの親戚で、帰国してから面倒を見ていました。


三笠宮家と親戚。
裏千家最高顧問、そごう最高顧問、松下電器特別客員、産経新聞社顧問、毎日新聞社筆頭社友、大阪産業大学名誉総長など。

大谷貴義さんは裏千家の一族。
裏千家の初代は千利休

大谷貴義さんは児玉誉士夫さん、町井久之さん、山口組三代目の田岡一雄さん、松下幸之助さん、三和銀行会長の渡辺忠雄さん、田中角栄さん、小佐野賢治さん、そごう会長の水島廣雄さんらと親しくしていました。

大谷貴義さんの運転手が許永中さんでした。
大谷貴義さんの後ろ盾は統一教会でした。

頭山興助さんは松浦大助さん、朝堂院さんと親しくしていました。

6階永田町リーガルアドバイザー株式会社(代表取締役・かようまりの)
6階あさなぎ司法書士事務所(代表取締役・かようまりの)
6階中山恭子事務所(旧所在地)
6階次世代の党(最高顧問・石原慎太郎、党首・平沼赳夫)
石原慎太郎さんは統一教会、オウム真理教、霊友会、維新の会と親密な関係でした。

7階ユーチューバーネクスト(代表取締役・ガーシー軍団の顧問弁護士の岡野武志弁護士)
9階東京フィナンシャル(代表取締役・能勢元)
税理士の駒沢寿は平沼赳夫議員の平沼会の登録政治資金監査人。
9階東京フィナンシャルアドバイザーズ(東京フィナンシャル会計事務所グループ)

同一住所にホワイトナイト インベストメント リミテッド

同一住所にストックオプションアドバイザリーサービス株式会社(旧商号:DTFAS株式会社)
代表取締役 かようまりのさん
設立時代表取締役 稲嶺和盛さん(exアビームコンサルティング、アヴェンテ)
稲嶺和盛さんはライブドアの後継団体のRVHの監査役でした。
RVHの資産価値査定を行っていたのが能勢元さんでした。

9階春風会(森喜朗)
9階アトム法律事務所(ガーシー軍団の顧問弁護士の岡野武志弁護士)

2023年1月27日に合人社東京永田町ビルで麹町署の機動隊員が射殺されているのが発見されました。
合人社東京永田町ビルは自民党本部ビルの隣にありました。

https://daiwaryu1121.com/post-74735/

※こちらの記事↑にストリートビューが貼られていました。


若草プロジェクトの後ろ盾は朝堂院さん、統一教会。

こちらの記事↑に「日本赤軍の重信房子さんの長女の後見人を朝堂院さんと親しい頭山満さんの孫の頭山興助さんがになっています。」とありました。


警察と反体制派組織

こちらの記事↑に
「山口組直参の国粋会も原敬内閣の内務大臣床次竹次郎が世話役となり右翼の頭山満を顧問に結成されています。戦後の治安維持を担ったのも今の山口組や住吉会などのヤクザで、それを政府も支援していました。一揆が起きたときはそれを抑えるため地元の任侠組織を使うなど。山谷闘争や西成闘争では労働者の紛争を抑える目的で暴力団側を対峙させていました。」とありました。


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