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【日記】母、初めての救急搬送

本番の一週間前の週末。
夜ふかしをして(寝たのは朝方だった)朝寝坊をした私は母が転倒するドゴッという音で目が覚めた。

午前8時少し前。
私は5時半に設定している休日の起床アラームを無視して寝ていたらしい。
まず時間にびっくりした。
そんなに寝坊したか、と。

母には23〜0時頃に「今から飲むから絶対に朝は起きれないし薬を出しておくので飲んでね。朝御飯はセルフでパンを食べて頂戴」と言いおいていたのだ。

それにしても寝坊。
そして異常な転倒音。

階下に様子を見に行くとトイレのドアを開けたそこで倒れて動けなくなっている母がいた。

抱き起こして居間の椅子に座らせる。

鎖骨に擦り傷があるのが見えた。
私も気が動転していたのだろう
その時のやり取りはあまり覚えていない。
どうしたのかを尋ねても「変なのよぉ変なのよぉ」と繰り返すばかりで前後のことはわからない。

トイレはお小水をして拭いた紙は汚物入れの上に放置され
流していない状態でドアを開けて倒れていた。
(ドアが開いていて本当に良かった。)

テーブルを見ると、朝の薬は飲んでおらず
ということは朝食も食べていなくて
居間でぼーっとテレビを見ていたものらしい。
つけっぱなしのテレビが流れていた。

「もう8時だよ?朝御飯まだ食べてなかったの?薬も飲んでいないじゃん」

休日は6時が朝御飯の時間だ。
私が起きれなくても。

「もうそんな時間?朝なの?」

母は夜中にテレビを見ていることがある。
そのノリだったと思われる。

とりあえず薬を飲むように促すと飲むのが下手になっていた。
むせている。

ひたすら椅子に体を預けて目を閉じている。
開けられる?と聞くと開けるがまたすぐに閉じてしまう。
手足動かせる?と聞くと言われた瞬間は動かしてみせる。
目立つ麻痺はない。
だけどぐったりしていて自力では立ち上がれそうもない。
眠がっていたのも怖かった。

同じ言葉を繰り返し、
その声も独特の大声。
表情も独特なそれ。

あぁ…これは…覚えがあるぞ。

脳梗塞後、認知症の症状が出ていた晩年の父は大体こういう表情と声だった。
そっくり。
話し方が緩慢で必要以上の大声が出る。
言うならば酔っ払いがくだを巻く感じである。
呂律はかろうじて回っているし話も聞き取れるが会話となるとやや通じにくかった。

まずいな、と思って訪問診療の緊急ダイヤルに相談する。
脳の不調も疑われ、早めに検査をすべきという結論が出た。
幸いなことにお世話になっている訪問診療は脳神経外科の病院の中にその部署がある。
在宅でかかっているのは内科と整形外科なのだが訪問診療部とは別の系列病院にその科目があるという形。
脳外と連携をとってくれてドクターの指示で救急車で向かうことになった。

タクシーで来いと言われるかと思ったがドクターの指示は「救急車」だった。
脳のことは時間勝負だから、だと思う。
もしも出血や梗塞があったら時間が物を言う。

そして自宅から病院は遠いのである。
タクシーで3千円オーバーといえばわかるだろう。

その緊急ダイヤルとの電話の最中もお構いなしに大声で「大丈夫」を繰返す母。
「看護師さんとお話ししているから少し黙って?」と言っても言い続ける。
……全然大丈夫ではない😅
電話の向こうで看護師さんも「ちょっと興奮されているようですね」と異常な感じを察してくれた。

というわけで。
私も人生2回目の119通報(1回目は父の硬膜下血腫で半身が麻痺した時)。
救急車が来るまでの間に母に紙パンツを履かせる。
転倒の衝撃で一時的に失禁しやすかったり待ち時間の長さで粗相をする可能性もあるから。
保険証と資料をバッグに投げ込んで、母の外履きの靴を持つ。
もし、入院にならなければタクシーで帰宅になるので外履きが要るのだ。

「お父さんに笑われちゃう、恥ずかしい」
恥ずかしがっている場合ではない。
「月くんは大丈夫?」
熱帯魚の心配ではなく自分の心配をして?(苦笑)
ちょうど月が調子を崩していたのだ。

延々と大丈夫、恥ずかしい、などと連呼する母の相手をしている内に救急隊員が到着。

近所の方が心配して様子を見に来てくれた。
頭を打っているからちょっと診てもらうんです、とお話して私も同乗する。

隊員に尋ねられると名前と生年月日は言えた。
意識もあるけれど転倒前後の事がわからないのと救急搬送されることがあまりわかっていないようだった。
隊員が左頬が腫れているのに気づいてくれた。
ということは頬を打っているのでこれは頭も間違いなく打っているといえる。

最終的に外傷は
左頬の打撲と左鎖骨の擦過傷、右手の小指の裂傷だけだった。

骨折などしなくて本当に良かった。
骨密度は低く、本当に脆い人なので。

さて
救急車を呼んだ後は搬送先は既に決まっていたし、何しろカルテがある病院へ行くのだからその先は割とスムーズだった。

移動中に姉へLINEをした。

MRIを撮った結果、出血や梗塞など特に新たな病変がないとのことで
首を傾げながら先生が私に詳細を聞きに来た。
認知症はあるか、などと聞かれても
年相応の物忘れ程度だとしか答えようがない。
ただ、いつもと話し方は違うことは強調した。

最終的には頭を打った衝撃で一時的に混乱したのでしょう、という結論に至った。

先生と診察室で話をする頃には少し母の口調も元に戻りつつあったし、歩くこともできるようになっていた。

ちなみに目立つような脳の萎縮もないと言われてホッとする。
父はCT撮るたびに脳の萎縮を散々指摘されていた。
表層に出ている症状は当然だと言うしかない程にその証拠が写っていた。

私達はお昼頃には自宅に戻れていた。
徐々にいつもの普通の母へと戻ってきて
夜には完全にいつもと変わらない状態になった。
気が短いくらいにチャキチャキ。
耳は遠いけれど会話のスピードも元通り。
一件落着。

ただ、最近母に八つ当たりをしていた私は
非常に反省したのでした。

チャキチャキしている母も
もしも脳をやられたらあっさりこうなるんだ、と。
母と、話が通じる、思いが通う、その間に
たくさん笑って楽しく話をしなくてはな……と。

ちなみに搬送される間の私とのやりとりとか自分の発言はほぼ覚えていませんでした。
今回はオオゴトでなくて何よりでしたが
いつでもこうなる可能性があるんだ。
平和ボケをしてはならない。
甘えてはいけない……

キュッと気が引き締まりました。

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