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普通って何?という話~ヤマシタトモコ『違国日記』前編

やすこさんへ

この間貸したヤマシタトモコさんの『違国日記』、気に入ってもらえて嬉しい。そして感想を二人で書いてみようと提案してくれてありがとう。
すごく好きな作品だけに、感想の文章化が難しくて躊躇していたの。今でもどういう風に書いたらいいか悩ましい。ひとまず一番好きなエピソードから、私が『違国日記』のどこに惹かれたかを考えながら書いてみます。

『違国日記』の好きなエピソードやセリフ、語り始めたら終わらないんだけど、一つ挙げるならこれ。

えみりが何で傷つくかは 
えみりが決めるんだ
あたしじゃなく

違国日記 8巻

4巻では槙生に「こんなことで傷つく方がおかしくない?」と言ってしまって「わたしが何で傷つくかはわたしが決めることだ。あなたが断ずることじゃない!」とキレられた朝だけど、自身の無意識の偏見が親友のえみりを傷つけていたことに8巻では気付く。ここのエピソードがすごく好き。

私ね、昔から「普通は〇〇だ」とか「みんな〇〇してるんだから」っていう言い方が嫌いでさ、「普通って何?」「みんなって誰?」っていちいち反駁したくなるの。ええ、わかってる。まあ面倒くさい人ですよ、私は。
でもさ、「あたしだけ、みんなとちがう」と言うえみりや、「”ふつう”がわたしにはできないので困っている」という槇生、恋愛しないことが「最近決定したー。ていうか、わかった」コトコや、他人への共感性が著しく低い弁護士の塔野など、多彩な登場人物たちを見てるとやっぱり言いたくなるんだよ。「普通って何?そんなもの本当に存在する?」

”あらゆる個人の生存権と尊厳は、つねに他者からの役割期待にまさる”とは作家の岡田育さんの言葉なんだけど、『違国日記』の登場人物は大人も子どもも、社会が望む(と思われる)”普通”の姿との齟齬に戸惑ったり苛立ったりしながら、自分が自分であるために踏ん張ってる。彼ら彼女らは、ある面で多数派ではない部分があるけれど、それって別に他者からジャッジされる必要ないことばかりなんだよね。カテゴリー分けして普通の箱と普通じゃない箱に分ける必要全くない。

この作品では色んなエピソードを幾つも幾つも重ねることで、人って「普通」や「みんな」で一括りにできるほどには同じじゃない、私たちが思う以上に、複雑で、違っていて、わかり合えないものだよ、って繰り返し言っているように私は感じる。
まったく違う人間同士であるわたしたちは、わかり合えない。けど、わかり合えないことを前提として、尊重し合うことはできると。

多分、私が一番惹かれているのはそこだと思う。もちろん他にも好きなポイントは山のようにあるけど、語りだしたら本当に終わらないので、今回はここまで(断腸の思い)。
『違国日記』、私、きっとこの先も何度も読み返すと思う。

さて、同じ作品で、同じように「よかった」という感想を持った私たち。でも、同じ「よかった」でもやすこさんの読み方は全然違うのでは?
来週のお手紙、今から楽しみです。

2024年2月2日
かおりより


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