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誰かに話したい人間関係の話~南綾子『死にたいって誰かに話したかった』

やすこさんへ

新年度が始まって2週間、そろそろ疲れが溜まるころかな?
今年は4月1日が月曜日だったから、のっけから結構ハードだったね。やすこさんみたいに環境が変わると尚更でしょう。

この年になるともうそうでもないけど、学生時代は4月って毎年憂鬱だったなと思い出します。新しいクラス、新しい人間関係、人見知りの私は考えただけで嫌な緊張感でどんよりしたものです。
おばさんになってよかったことは色々あるけど、いい感じに鈍感になってあまり人見知りしなくなったのは、確実にそのひとつだね。まあ学生時代と違って自分も周りも大人なので、基本、一人でも平気だし、周りの人とも仕事なりを円滑に回すための関係に終始すればよくなったのも大きいけどね。

この間読んだ、南綾子『死にたいって誰かに話したかった』は、人間関係に不器用すぎて必死にもがいている人たちばかりが出てくる話でした。

30代後半の現在まで恋人はおろか友人もできたことがなく、職場でも浮いた存在の奈月。女性との恋愛に強烈に憧れるもまったくモテず、女性観も自尊感情も拗らせている雄太。好き合って不倫していたつもりがセクハラで訴えられて医師を辞めた。華やかに生きているはずなのに満たされず、マウンティングの果てにすべてを失いかけている。みんなどうしたらいいかわからずに現実の中で溺れかけている感じ。生きづらさの見本市。

この本、好きな作家さんがお勧めしていたので手に取ったんだけど、最初の方をパラパラ読んだら、奈月も雄太も見るのが辛いくらい空回りしてて読んでていたたまれなくて、実は一度買うのを見送ったんだよね。
だってその感じ、私知ってるんだもの。

人に好かれたい、気に入られたいと思ってやったことがことごとく裏目に出ていた。友人相手にわかったようなことを言ってたら、相手は自分の言ってることの空虚さを全部お見通しだった。そのことに気付いた時の顔から火が出るような恥ずかしさ、惨めさ。残念ながらめっちゃわかるわ。アイタタタ、お腹痛くなりそう。
いたたまれない、でも気になる。で、読み始めたら一気読みでした。

奈月が発案した『生きづらさを克服しようの会』で心情を吐露し合ううちに、少しずつ自分自身と向き合っていく4人。4人とも結構自分勝手だし、だらしなかったり、狡かったり、身近にいたら好きになれなさそうな人。でもその弱さや狡さの根底にある傷を知り、不器用にもがきながら一歩を踏み出そうとしている姿を見ると、彼らの弱さも狡さも、なんか「わかるよ」って思うし、いつの間にかそんな彼らを応援したくなってしまうんだよ。

人間関係であまりにも深く傷つくと、泣きそうに痛いのに平気なふり、無かったふりをし続けてしまうことがある。たぶん多くの『生きづらさ』ってその辺に根があって、そこを乗り越えるには自分の傷の痛みを認めて受容しないと始まらない。誰かに話すって、そのための大事な一歩目なんだよな。そんなことを考えました。

イタタ…と始まるけど、読後感は清々しいよ。おすすめ。

2024年4月12日
かおりより


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