君が為シリウスは輝く 第7話

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 1ルーメンの光源もない暗闇で深呼吸をひとつ。
 頭のなかのもやもやが、外に吐き出されてすっきりするような気がする。雑念は目の前に薄緑のホログラフィックパネルを出現させて言霊として浮かび上がる。OCEANUSというロゴをバックに数秒間の起動ログ。

 次の瞬間、だだっ広い空間に放り出される。灰色の鉄板に覆われ、天井はすぐそこ。シートごと浮かんでいるような心地だけど、あくまで映像の解像度が高いせい。オケアノスの機体表面につけられたセンサーが可視光を捉えて、コックピットの壁面に投影しているだけ。実際の光景とほとんど遜色ないけれど、しょせんは映像だ。

 と、ホログラフィックパネルの右下に小さく文字が浮かび上がる。

 シリウス ベラトリクス
 シェダル レグルス
 ナオス シャウラ
 スピカ アークトゥルス
 アンタレス ウェズン

 星の名前であると同時に、ご先祖様が、また海のうえに戻れますようにと願いを込めてつけてくれたわたしたちの名前。そのなかの、いっしょに戦う十人の名前。赤色に染まっている。
 確認を済ませ、人類の根城でオペレーションを行う大人たちに通信を入れる。

「シリウスよりアルマへ。システムの起動を確認。発進シークエンスへ移行」
〈アルマよりアステリズムαへ。発進許可〉
〈ベラトリクス、先導します〉

 ベルの声が全体通信に入る。前にいる一回り小さな機体が動きだ出して、わたしもそれを追いかける。ベルのオケアノス。赤銅色のボディが視界の下のほうで揺れる。
 シート越しに振り返ると、横に並んでいたオケアノスたちもついてきて、規則正しい列を作る。その様はさながらシャコの大移動。隊列がよく見えるのはわたしの機体がほかより一回り大きいおかげ。名実ともに指揮官は隊列のボスということだ。シャコのボスなんて言われてもしっくりこないけど。

〈アルマよりアステリズムαへ。ORDERのデータを送るから確認してくれぇ〉

 ねっとりしたオペレーションに続いて、パネルの向こうにホログラフィックの立体が現れる。半球を押し潰したような形。球面の少し内側に白いシミのようなものが揺らめいていた。ヴァスィリウスの位置を示すシミ。距離は約二十キロメートル。
 被害を最小限に食い止めながら、このシミをどうやって除去するか。
 それを考え指揮するのが、シャコのボスであるわたしの役目。

「シリウスよりアルマへ。映像データの同期を確認。シャフトに進入します」
〈アンタレスよりアルマへ。全機シャフト内に進入を確認〉
「全機停止」
〈全機停止を確認。シャフト上昇開始〉

 細かい振動が伝わってくる。このシャフトがとまれば、そこはアルマの屋上であり、海底であり、戦場だ。鼓動の速さが、緊張と集中の高まりを教えてくれる。
 一瞬、ベルとの会話がフラッシュバックした。

 ――ねぇ、シリウス。太陽ってやつ、見に行かない?
 ――わたしってさ、いつまでシリウスといっしょにいられるんだろうね。

 おかしい。前回の戦闘前にはこんなことなかったのに。この四週間、ずっとそのことを考えていたせい? ベルは落ち着いているはずなのに、たまらなく不安になる。
 指向性センサーに手伝ってもらってベルに個別通信を入れた。

「……ベル、聞こえる?」
〈どうしたの?〉

 ベルも個別で返してきた。いつもと変わらない、弾むような明るい声。

「絶対に死なせないからね」

 果たしてこれはベルを守りたいからなのか、それともわたし自身の平穏のためか。

〈――うん、頼りにしてる〉

 我ながらわかりやすい。ベルに頼られるだけで体中に気合が満ちてくる。

「シリウスよりアステリズムα全機へ。ポジションを伝えます」
〈お、どうした、シリウス。やけに気合が入ってるじゃないか〉

 長いエレベーター、作戦指示だけで間がもつはずがない。この茶々に付き合わないといけないのかと思うと毎度のように頭が痛くなる。戦闘は日常。日常だから、いくら死と隣り合わせであろうともリラックスしている。会話もするし冗談も飛ぶ。
 本当は、もう少し真面目にわたしの指示を聞いてほしいけれど。

〈レグルス、シリウスが気合い入ってるのはいつもだよ〉
〈ん、そうか? いつもはもっと悲壮感が漂っているような気もするが〉

 戦闘前のレグルスは誰より落ち着いている。
 わたしみたいな浮ついた女の子の声じゃなくて、地に足のついた女性の声。
 聞いているだけで自然と安心できる。毛布のようにあたたかい。
 レグルス。王という意味の名は、そしてαの最古参というのは伊達じゃない。

〈そうなのです。シリウスが元気だなんて珍しいのですよ〉
〈……明日は雪が降る〉
「ねぇ、そこまで言われなきゃだめ?」

 可愛らしくもあけすけなウェズン。ぼそっと呟くアナ。このふたりもいつも通り。

〈何かいいことでもあったんじゃないの? ほら、お姉さんに言ってごらんなさい〉
「だから何もないって」

 スピカの口ぶりは今日も押しつけがましい。相変わらず耳聡いというか敏感というか、噂好きというか。きな臭さを感じ取られたのかもしれない。

〈てめぇら、ちっとは静かにしろよ。戦闘前だぞ〉
〈別にいいじゃなーい。人間リラックスしたほうがパフォーマンス上がるんだしー〉
〈リラックスにも限度があるだろうが。気抜いてるとやられるぞ〉

 少し口が悪くてピリピリしているアーク。彼もいつものようにスピカと口喧嘩ばっかり。喧嘩するほど仲がいいってことだろうか。

〈アルマよりアステリズムαへ。注水開始ぃ〉

 シャフトに水が流れ込んでくる。そろそろ切り替えろよ、というサイン。

〈レ、レグルスさん、やっぱり戦闘前ってこうなんですか?〉
〈おいおいまだ慣れてないんだから真面目にやれっての〉

 シェダルはまだまだぎこちない。そんな彼を気遣いつつ本人も頼りないシャウラ。

〈シェダル、お前は緊張しすぎだ。戦闘が終わったらシミュレーション千本〉
〈えええええ!〉

 レグルスはしし座の星。獅子は我が子を千尋の谷に突き落とす、というおとぎ話があるらしい。そうやって獅子は自分の子に試練を与えて鍛えるそう。まぁ、わたしは獅子がどんな生き物なのかも知らないし、もちろんシェダルはレグルスの子じゃなくてただの戦闘ツーマンセルなんだけれど。このあとシェダルはげっそりだろうな。

〈ほらほら、もっとわたしたちに任せれば大丈夫だから〉
〈で、ですが……〉
〈あれ? シリウスに不安でもあるの?〉
〈い、いやそういうわけでは……〉
〈だからそうやって新入りを脅すなって〉
〈もとはと言えば、アーくんがぴりぴりしてるのがいけないんだからね〉
〈てめぇ、人の精神集中に文句つけやがって〉
〈もう、おふたりとも! いちゃいちゃするなら個別でやってください!〉
〈バカップル〉
〈なんつった〉
〈だから真面目にやれってのぉ!〉

 ナオスを除いた八人が口々にわめく。それはいつも通りだけど、今日は注水がはじまっても静まらなかった。前回の戦闘前もなかなか静まらなかった。シェダルが加わってまだ勝手が掴めていないのか、それともアルの死をまだ引きずっているのか。
 いつも通りにならないのは、わたしだけじゃないらしい。

 脾臓あたりがひとつ抜き取られたような、奇妙なむなしさを覚えた。わたしはここにいる九人の命を背負っている。舌の根元が喉に張り付きそうになった。

 小さく咳払いをする。
 通信用のセンサーマイクは指向性だから、顔を背ければほとんど音を拾わない。
 そのおかげで、個別通信は漏れないしハウリングも起きない。

〈シリウス、大丈夫?〉
「あいかわらず、どれだけ耳がいいの」

 まぁ、身体能力お化けは例外だけど。

「今日もみんな、変だと思わない?」
〈それを言うならシリウスもだけど〉
「まったく。誰のせいだと思ってるの」
〈あはは……。早く終わらせようね〉
「笑ってごまかさないの」
〈はーい〉
〈あー、アルマよりアステリズムαへぇ。注水終了。ハッチオープン〉

 業務連絡が喧噪のなかにおずおずと入ってくる。ちょうどいいタイミングだった。

「シリウスよりアルマへ。了解」

 全体通信に自分をねじ込むと、シャフトの灯りが消えて一面真っ暗になる。
 ここは八千メートルの深海。発光生物がいない限り可視光はほぼ存在しない。

「はいはいシリウスよりアステリズムαへ。ポジションを伝えるから、OLVISを暗視に切り替えて、GRIFFONのチェックをしながら聞いて」

 海底での視覚を支えるプログラムが、可視光を捨てて別の電磁波を捉える。真っ暗闇のなかオケアノスのフォルムが赤く浮かび上がり、足元にも赤色の放射線を十二本描いた。OLVISは良好。
 続いてGRIFFONを起動させると、機体がふっと軽くなった。
 斥力のおかげで八百バールの水圧も怖くない。

「二時の方向、レグルスとシェダル。十時の方向、ウェズンとアナ。五時の方向、シャウラとナオス。七時の方向、アークとスピカ。正面十二時の方向はベルとわたし」

 頭のなかで、それぞれのツーマンセルを展開する。
 ORDERから読み取れる情報を加味し、戦闘をシミュレーションしていく。
 数は百二十、時速六十キロ、方向は十二時。

「特記事項はなし。真正面から迎え撃つ」
〈新人くんの肩慣らしにはぴったりね〉
「油断しないの。質問とか異常はない? ――オーケー、それじゃあ散開」

 シャコの群れはツーマンセルに分かれて、それぞれが受け持つ方向の放射線をたどる。遠ざかるにつれて赤いフォルムは黒くなっていく。フォルムが深海の黒に溶けてしまう前に間違いがないかどうかを確認する。
 オケアノスのフォルムは二種類。近距離タイプのセファイエはハサミのようなパルスブレードを装備していて細身。遠距離仕様のオルキヌスは胴体が砲身を兼ねているからがっしり。
 セファイエとオルキヌスがツーマンセルを組めているか、持ち場は間違えていないか、セファイエが先行できているか。――ポジションにも問題はなし。

 わたしはベルのセファイエを追いかけた。なのに全然追いつけない。それどころかどんどん離れる。ベルの足取りは軽くポジションに到着したのもベルが最初だった。
 些細なことだけれど、だからこそベルの操縦技術が高いことを実感できる。あの技術があれば、本当に海上までの八千メートルを無事に往復してしまいそうだった。ベルなら、わたしのことも連れて行ってくれるのかもしれない。

 なんて、考えちゃいけない。頭を振って、眼鏡を整えて、周囲に目を配る。
 ORDER。敵は十キロのラインを割る。こちらの最大射程に入るまで約七分。

「シェダル、アナ、充填の準備しておいて」
〈は、はいっ!〉〈了解……〉

 さっきまでのリラックスが嘘のように、緊張感が跳ね上がる。
 トリガーを握る指が熱い。レーザーを充填し、放つためのトリガー。

 ここからは、一瞬たりとも気が抜けない。最大射程を誇るレーザー。敵が射程の三キロに入った瞬間、最大威力のレーザーを撃ち込めるよう、充填と発射のタイミングを探り続けなければならない。充填が短すぎれば威力は出ないし、長すぎるとオーバーヒートして爆発。
 もっとも、アナとシェダルには別の緊張があるけれど。

「シェダル。会敵までまだ時間があるから落ち着いて狙って」
〈わ、わかりました!〉

 充填がうまくいってもはずれたら意味がない。それゆえのプレッシャー。そしてミスしたときのことを考えるのもわたしの役目。誰をどう動かし、どこを狙わせるか。

〈シリウス〉
「どうしたの、ベル」

 遠慮がちに個別通信が入る。
 無駄口を叩くような子ではないから、このタイミングは珍しい。

〈さっきのも、やっぱりわたしのせいだったりする?〉
「さっき?」
〈いつもより声が大きかったの〉
「あぁ――」

 否定しても、説得力はなさそうだった。

「――当たり前」
〈ごめんね〉
「謝るくらいなら聞かないでよ。今日はどう? 落ち着いてる?」

 個別通信とはいえ、なるべく穏当な言葉を選ぶ。

〈うん、大丈夫だよ、大丈夫。……いまのうちは〉
「気が変わらないといいけど」
〈あ、あはははは……。そうだね〉

 ベルの声色がよそよそしくなってきたのはともかくとして、実はベルは構ってほしいんじゃないか、とめてもらいたいんじゃないか、そんな風にも思えてきた。心の奥底に何かを隠していて言おうか言うまいか迷っているような、わたしに相談しようとしているような、そんな雰囲気。悩みを抱えた人間が持っている、ねぇ、聞いてほしいことがあるんだけど、やっぱり言えない、そんなやきもきさせる空気。

「言いたいことがあるなら言ってよ」
〈裸の付き合い?〉
「そう、裸の付き合い」
〈へへへ〉

 おどけた言いかたに安心する。
 そのせいでかえって、ベルの言葉をどれだけ本気で受け止めるべきか計りかねる。

〈背中、頼んだよ〉

 背中、という言葉には、いろんな意味が含まれ過ぎていた。

「任せて」

 うん、と言い残してベルは通信を切った。
 ふぅ、とひとつ息を吐く。

 いまは目の前の敵にすべてを注ぎ込もう。敵はかなり近いところまで迫っていた。
 レーザーの射程に入るまで、OLVISに映るまで、あと一分。

「シリウスよりアステリズムαへ。迎撃用意。シェダルとアナは充填開始」

 両手の引き金を同時に引くと、砲身が足元で低音を奏でだす。視界全体を横切るように白い波が一重だけ駆けた。充填開始に合わせて漏れたエネルギーの小波。
 機体表面を小さな泡が昇ってくる。主砲が次第に熱を持ち、温められた海水が気体に相転移している。ただせっかくの水蒸気も液体に逆戻り。分子間力から解放された水分子も深海の冷たさと水圧にはかないっこない。充填率の高まりとともに気泡が大きくなろうとも、八千メートル離れた海面まではとてもじゃないけど到達できない。

 そんな水蒸気に思わず自分を重ねてしまう。
 わたしだって海上に行きたい。太陽を見たい。

 でも、わたしを取り巻く環境はそれを許してくれない。
 目の前を大きな泡が通り過ぎて、けれど泡は砕けるように小さな粒へと分かれた。
 その向こうに、深い、深い、ほぼ黒と見分けがつかない濃緑の影がちらついた。

 ヴァスィリウス。

 充填率は九十九パーセント。
 タイミングは完璧。

「レーザー発射!」


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