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頭の混乱をどこに置いてきたらよいのか、わからない。
今更になって不安なのだ。怖い、何かが怖いと思う。
牛乳を普段よりたくさんたくさん飲んだり、甘いものやお菓子類を結構食べているが、それでなくなる不安ならばこんなに怖がる必要もない。
頭を落ち着ける為に文章を書く。これはいつもの癖だ。誰に何を感じてもらうとか高尚な理由はなく、自分の為に書く文章。

きょうは、Twitterに書いたが、適職や性格診断をしたときに
薬を飲む前と飲んだ後で結果がものすごい変わっていることに気がついて、こわかった。
何故かスクリーンショットを撮っていたので比較していたのだが、
数か月前(薬を飲む前)は、ひたすらクリエイティブ職を推されていたし人間関係に振り回されやすいから注意とか、そういうことが書いてあったのに
今では別に何でもできるし(強いて言えば芸術系は向いてる)、人間関係は気配りができているしこれ以上気にしすぎないようにね~という程度になっていた。
人間関係全振りみたいな状態だったのが、
両面性が極端にあるような(簡単に言えば自由と束縛の同居)状態であると書かれるようになった、気がする。

以前書いた漫画(もどき)を少し思い出した。
https://note.mu/yomoi_nui/n/n5ec3b166637b
けれど、自分に変化があると外部から示されるのは、より明確に変化を示された気がして、よりこわいと感じた。

絵を描く人なので、少々破天荒で居たほうがメリットがあるんじゃないかと考えているから、たとえそれが社会的に見てよい変化であっても、まるみを増したようなこの変化には悲しく思う。
でも、今の自分は昔と比べてずっと穏やかで、わりとお気に入りだし……それはそれでいいか。ゆるやかなこの時間感覚は、私には随分あっていると感じる。

さて、上記の変化が実際に起きているとして、本当に薬の影響であれば
「元々の私」とはどちらなのだろうか。
とても長い間、ネガティブで、洪水のような不安感と一緒にいたし、感情の切り替えが異常に下手くそで混乱しいだったので、それが自分のデフォルトだと思っていた。
けれど、そういう不安感が一定値からは上がらないような……ストレスに歯止めがかかっているかのような現状が、大多数の人間が体感している現実だとしたら、私のデフォルトは今なのだろう。

でも何事にもデメリットはあるものだ。人はないものねだりだ。
いま、大きな不幸があって、そのことでたくさん悲しみたいと思うのに、それが出来ないという悲しみを負っている。
「あった事実をただひたすら受け入れる」というのはこういうことなのだろうか。
感覚としては、故意に思いだそうとしなければ5~8割は頭から消えている、消されているような……。落ち着き払っている。忘れるべきことではないのに。それが、悔しいと思う。
昔は大人たちのそういう”慣れた”ように見える感覚が、憎たらしいものに感じていたのに、自分が片足どころかほぼ両足突っ込んでるのだから負の感情が起きるのは当然でもある。

無味乾燥な人生になっていく気もする。
このまま何も動じない人間になったら、それは確かに他者にとって無害だけれど、私にとっては有害なんじゃないだろうか。
低い憂鬱感と共に、一生、暮らしていく。

それでも去年見たのと同じ柄の可愛いはえとりぐもさんが今年も見られたり、夕方の空が毎日綺麗だったり、そんな些細なことには愛おしささえ感じる。この気持ちは忘れたくない
どうか今後の自分がよりよい人間となって、できれば多少は生きる希望を見出していますように。

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