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高校はバンド活動 大学はライブハウスでバイト My音楽ヒストリー Vol.1

こんにちは 音楽が趣味の蓬田(よもぎた)です!

プロフィール代わりに、趣味の音楽との関わりについて、10代の頃からのマイヒストリーです。

中学時代からソウル&ファンク

音楽に強く関心を持ち出したのは中学時代。当時、ラジオやテレビでは洋楽番組が割合多く放送されていて、よく聴いて(見て)いました。

FM放送の番組を録音する「エアチェック」なんていうのに夢中になっていたのもこの頃です。(懐かしい!)

聞いていたのは、ポップスのヒットチャート曲が多かったですね。

クイーン、ジョン・デンバー、オリビア・ニュートンジョンなどがヒットチャートを賑わしていました。

ビートルズも聞き出したのも、中学に入ってすぐの頃です。

私が一番熱中したのはソウル&ファンクミュージックです。

アース・ウインド・アンド・ファイヤーやスリー・ディグリーズなどがそのとき流行っていて、よく聴いていました。

歌謡曲やポップスにはない、独特のうねるようなグルーブ感がたまらなかったです。

いまはいろんな音楽を聞きますが、この頃聞いたR&B系が一番好きかもしれません。

高校生 ライブのあとは朝までどんちゃん騒ぎ?

高校に進むと、フュージョンがお気に入りの音楽ジャンルに加わりました。

外国ミュージシャンでは、クルセイダーズ、リー・リトナー、ウエザー・リポートなど、日本のミュージシャンでは、渡辺香津美、高中正義、ネイティブ・サン、カシオペアなどが絶頂期でした。

高校のときは、同級生とバンドを組んで、何度かライブをやりました。(私はキーボードを担当)

1時間半くらいのステージを2部で構成。前半はピンク・フロイドやドゥービー・ブラザーズといったロックナンバー。

後半は高中正義の曲を演奏して、アンコールはCharの「シャイン・ユー・シャイン・デー」というのがパターンでした。

チケット代は、見に来るのは高校生がほとんどですから、300円とかの安い値段だったと思います。

ミシン目を入れて切り取れるようにしたチケットを作ったのを覚えています。

友達をはじめたくさんの人が来てくれて、収支は黒字でした。

あるライブでは終盤のアンコール直前、客席にいた全然知らないおじさんが、いきなり1万円札をかざしながらステージに駆け寄り、“おひねり”としてくれたこともありました。

ライブが終わると、会場近くの喫茶店を貸切状態にして打ち上げ。

ホールのレンタル料と打ち上げ代を払ってもまだお金があまったので、食べ物や飲み物を買い込んで、バンドメンバー全員で、ライブでミキサーをやってくれた人の家になだれ込み、夜更けまで盛り上がっていたこともありました。

有名ジャズ喫茶みたいな店でバイト

大学生になると、音楽に携わるバイトに就きました。

JR中野駅の近くに住んでいましたが、近所に音楽好きの間では有名なオーブレーという店がありました。

昼は喫茶、夜はパブとして営業していて、そこで昼間の時間帯にアルバイトを始めました。

飲食店のバイト経験は初めてでしたが、別に不安はなく、開店前の準備から食料の買出し、接客、厨房とすべてを任されました。

昼の時間帯は店長は不在で、店にいるのは、私とバイトの女の子だけ(と言っても私もバイトですが)でした。

私が厨房で料理を作り、女の子がオーダーを取ったり料理を運ぶという役割分担で、実質、私が昼の時間帯を任されている形でした。

オーブレーはフュージョンが聴ける店として有名でした。当時発売されたばかりのレーザーディスクも、店内に設置されていました。

レコードはレジ横の壁一面にびっしりとあり、好きなレコードやレーザーディスクを自由に選んでかけることができるのが、何よりの楽しみでした。

大学2年のとき、高円寺に引っ越したので、バイト先も高円寺で探すことにしました。

できたらまた音楽関係で働きたかったので、フュージョンやジャズのミュージシャンがたさくん出演していたライブハウスの次朗吉(いまは「JIROKICHI」と表記していると思います)に連絡してみました。

すると、いま働いているバイトの大学生が就職活動で間もなく辞めるということで、次郎吉でバイトすることになりました。

憧れのミュージシャンと朝まで飲み歩き

次郎吉での仕事は、オーブレーと同じように開店前の準備から食料の買い出し、開店後はお客さんから飲食のオーダーをとったり飲み物を運んだりといったことです。

ライブが始まるまでは忙しいのですが、一旦始まってしまえば、基本的に何もやることはなく、ミキサー室のブースの中で、じっくりとライブを見ることができました。

ライブは連日、有名ミュージシャンが目白押しでした。

日本のジャズ・フュージョン界を代表する超一流ミュージシャン、村上秀一、本田竹広、峰厚介、古沢良治郎、松木恒秀、坂田明、岡沢章……、数え上げればきりがありません。

ブルースのライブが多かったのも次郎吉の特徴。憂歌団、ウェストロード・ブルースバンドのメンバーをはじめとした、これまた超一流ミュージシャンが演奏していました。

ジャズ、ブルース、R&B系のミュージシャンたちが、一夜限りの“次郎吉セッション”を頻繁に行うのも、次郎吉ならではでした。R&B好きのわたしにはタマりませんでした!

次郎吉はライブが終わると、午前2時ごろまでパブタイムとして営業していました。

多くのミュージシャンが演奏後も店でお酒を楽しみ、営業が終わると常連のお客さんや次郎吉スタッフといっしょにそのまま深夜の高円寺の街に繰り出す、ということが日常茶飯事でした。

何件か飲み屋をはしごし、明け方近くに散会するということも珍しくありません。私も何度も明け方まで飲みました。

高校時代、レコードやテレビでしか知らなかったあこがれのミュージシャンと、ごく自然に話している。それを改めて意識すると、とても不思議な気持ちでした。

ある晩は飲みすぎて家に帰れなくなってしまい、高円寺に住んでいたピアニストでネイティブサンの本田さんのマンションに泊めてもらったこともありました。

次郎吉で一流ミュージシャンのライブをシャワーのように浴び、あこがれのミュージシャンと親しく話すことができたことは、今でも自分の音楽の大きな糧となっています。

(続く)

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