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恋ははかない、あるいは、プールの底のステーキ【読書感想文】

「ときどき、自分のことを嫌う大人って、いたよね」

そんなふうに言われたら、どきっとしながら、ほとんどの人が頷くと思う。
わたしも「うんうん」と頷いてしまう。
そして幼馴染のおばちゃんの、笑った形を作ろうとして失敗した、強張った口元を思い出す。

大人だからって、なんでも上手にできるわけじゃないんだな。
というのは、子どもの頃の大発見だった。
そして、あれこれ上手にできない大人になったいま、また発見しかかってることがある。

わたしって、これ以上は大人になることなく、このまま死ぬのかもな?ということ。

『恋ははかない、あるいは、プールの底のステーキ』には、60代の小説家である朝見と、幼少期からの友人であるアンとカズとの交流が描かれている。

三人の関係はゆるやかで、お酒を飲んでいる時の会話なんかは学生みたいにのびやかで、大人らしさを発動させたかと思ったら、みみっちいことで悩んだりもする。
つまり、自分とすごく近しい人たちのように感じる。
イメージのぼんやりとしていた「60代のひとびと」が、頭の中で輪郭を持って動き出すような、うきうきするような感触がある。

60代や70代の楽しさを書いた小説があまりないと感じていました。私の周りには、老人という定型にはまらない素敵な先輩がたくさんいるのに。

弘美さんはインタビューで、こんなふうに答えている。
自分が60代になったときに、同年代の人たちの小説を書きたいと思っていたのだと言う。

記事冒頭の「ときどき、自分のことを嫌う大人って、いたよね」というのは、朝見のセリフだ。
夜中目が覚めた時に、幼少の頃に友達のマミ(ママの意)から出されたマグロの握りがまずかった理由について考え、それはワサビが入っていたからじゃないかと思い至り、友達のマミはおれのこと嫌いだったのかな、などと言いながら酒を飲んでいるカズへの返事である。

ほとんど未確認生物だった60代のひとびとが、ぐんぐんと迫ってくる、この感じがたまらない。

わたしはいま38歳なので、同年代である40代のひとびとのイメージはとてもしやすい。(この年代の友人が一番多いと言うのもある)
50代のひとびとも、前半くらいまでならリアルに想像できるような気がする。
だけどその先は突然もやがかかるような感じがして、逆に70代のひとびとになると無料素材のような「おじいちゃん、おばあちゃん」の像を脳みそがクッキリと結んでくるような状態。

この小説を読んで、もやのかかっていた年代の素敵な先輩たちのありのままの姿を知って、「わたしというものは、この先、大きく変わることはないのかもしれない」という予感めいたものに触った気がした。

そしてそこに「そんな自分のまま死ぬんだな」というオプションまで付いてきた感じがする。

ここから飛べばすぐに死ぬ。そう思いかけて、途中でやめた。すぐに、のあたりで、冒涜的というのでもなく、発熱の直前のだるさとにぶさが混じったようなこころもちになった。もてあそぶほど死は遠くにない。すぐそこにあるというものでもないけれど。

真鶴/川上弘美

真鶴に出てきた40半ばの主人公の心情は、こんなふうに描かれていた。
いまの私のテンションも、ちょっと近いものがあると思う。
恋ステ(長いので略しました)では、死ぬことについて、こんなふうに描かれている。

目をつむると、カズが握っていた含蝉(がんせん)の、翡翠のうすみどりがまなうらに浮かび、あらあらこれって飛蚊症の一症状かしらんと思いながら、つむった昏い視界の中のうすみどりを、しばらくの間、まぶたの裏ぜんたいで感じていた。

恋ははかない、あるいは、プールの底のステーキ「栃木に飛んでいく」

カズと一緒に和食の店を訪れた朝見が、そら豆などをつまみながら燗を飲む中でお互いの魂が寄り合ったような気持ちになる、その情景がこの文章で締められる。

さりげなくて広々としていて、ほんの少しだけ、ひやっこい。

中身の何も変わらないように振る舞いながら、友人とおしゃべりを楽しんで、たまに恋をして、湿っぽいあれこれからはちょっぴり脱してカラッとし始めた、そんな全ての風景が死者の口に含ませる葬具のうすみどりにうっすらと包まれている。

自分がいつか、そんなけしきを見るところを想像しながら、ゆっくりと本を閉じる。

ちなみに、幼馴染のおばちゃんが子どものわたしに対して戸惑った顔を隠しきれなかったのは、

引越し前の荷造りでクソ忙しい時に、数年ほど疎遠になっていた幼馴染が子どもだけでとつぜん現れ、「今ウチの子おらんし、もうオモチャはダンボールに入れちゃったで?」ってやんわり断ってるのに「だいじょうぶ。妹がおじゃましたいって言ってるから家入ってもいい?」とか言ってきたからです。
そして結局家に上がられ、ダイニングに座られ、荷造りの様子を大人しく見学してきたからです。

もはや怪奇現象レベルの常識のなさ。
おばちゃん、あのときはごめんなさい。
大人対応してくれた懐の深さに感謝です。

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