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吾子よ、世界の果てを越えて翔べ。

この物語はフィクションです。【サイエンス・ファンタジー ワンシーンカットアップ大賞】こと #むつぎ大賞 の応募作品です。

吾子よ、世界の果てを越えて翔べ。


 イチカが処置を終えて早期発生室前のベンチに座ると、偏光アクリル張りの未出生児室が良く見えた。午後を廻ったリプロダクト・センターは平日にも拘わらずにぎやかだ。亜人パラヒューマンの親たちが熱心にアクリルの向こうを見つめている。今日中にあの人たちの仲間に自分たちも加わるのだと思うと、ちょっとドキドキする。

 背中にツートンカラーの翼を生やした丹頂天狗が、ゴールデンレトリバーのコーボルトをその翼で掻き抱き、そのすぐ隣では大きな耳を忙しなく動かす兎の獣人に只人タダビトが寄り添っている。哺乳類同士で珍しい。アクリル二枚挟んでイチカの真向かいでは、羊頭の角人ツノビトが錦鯉の人魚をビニルパックの簡易水槽ごと抱え上げている。人魚は褐色の肌に幾らか金細工を纏うだけで、背中や胸板のタトゥーを全く隠さない。

 そういえば、イチカも病院着は断ったのだった。布を身に着けて板目が見えなくなってしまうのは嫌だった。せっかくサロンでかんなをかけ、根を割り、夏っぽいクロップトパンツ風に整えたのだ。裾の透かし彫りを見せつけたかった。

 イチカは木霊トレントだ。大昔、獣人やハーピーたちが只人タダビトに合わせて服を着始めたころ、トレントはその身を削り、磨き、彫刻することを選んだ。人魚や河童など水辺の人びとは、トレントとは違う選択をしたらしい。よくは知らないけど。

 見晴らしのいいフロアをキョロキョロしていたおかげで、パートナーが向こう側の廊下から、ふわふわと飛んで来るのにすぐに気づけた。マナミちゃんだ。マナミはイチカに気づくと生物学的に正しいバイオロジカル・コレクトネスな、大樺斑オオカバマダラハネを焦ったように忙しく動かしてこちらにやってくる。時々、白く柔らかく豊満なマシュマロボディを支えきれずに、ガクッと高度が落ちた。

「いっちゃん、大丈夫!? もう終わっちゃった!? ごめんね売店行ってた」

「ううん。あたしだけ。ベビちゃんはまだあっち」

イチカは早期発生室の扉の上に掌を向けた。そこには『処置中』という文字看板が赤い光が灯っていた。

「よかったあ」

 マナミはハネをクシャクシャに畳んでイチカの隣に座った。太くて真っ黒な翅脈が台無しだ。マナミと知り合ってはじめて知ったことだけど、フェアリーはリラックスするとそうなるものだそうだ。初めて会った時もそうだった。

♢ ♢ ♢

 あの日。日中。地下のバーで。イチカは根を海水に浸して強かに酔っぱらっていた。夜勤明けでキめる海水ほど塩辛く心地よい物もなかった。イチカはイチイだから、マングローブほどイケルクチではない。故に少量の海水でもよく酔った。

 イチカはこのバーが好きだった。地下なので完全遮光。只人タダビトのボブカットに見立てた髪型トピアリーが光合成することもない。いつもはダイエットの為に目深にかぶっている帽子を、ここでは脱いでいた。

 終日営業のバーは繁華街のはずれにあるとはいえ、総合病院からほど近いせいで、その日、その時も客はイチカ一人ではなかった。珍しいのは知り合いが一人も居ないことだった。

 バーの奥側、カウンターの二つ離れた席にモルフォの鱗粉メイクをした妖精フェアリーがいた。ハネをくしゃくしゃにしていた。それなのに、月明かりにもよく似たバーの昼なお薄暗い間接照明の中で、その澄んだ青さが、いっそ冷酷なほど美しかった。

 フェアリーはスツールの脚を目一杯伸ばして腰掛け(そうすると踵は完全に宙に浮いてしまう)、あろうことか、大盛バターチキンクスクスカレーを食べていた。バーなのに。名物料理なのは確かだけど、フェアリーの身の丈半分もあるような大皿で供されている。

「あんな大盛あるの?」

「オーダー、いっぺんに三人前っすよ」

 若いバーテン見習いの烏天狗がフェアリーの前にトールグラスを置くや否や、彼女は白い喉元を無防備に晒してそれを飲み干した。飲みっぷりからして、ミードソーダやスプリッツァーではなく、只の炭酸水だ。一息ついたはずなのに、匙の勢いは全く衰えない。

 小さく豊満なフェアリーがクスクスの最後の一粒を舐めとる時、真珠じみた艶やかな前歯が覗いた。ぽってりした舌先も見えた。舌よりもっと紅いリップがにこやかに形を変える。何もかもトレントが持ち得ないものばかり。

♢ ♢ ♢

 それがマナミだった。イチカはマナミに話しかけ、カレーとアルカロイドと海水の話でひとしきり盛り上がった。

 仲良くなるのに時間はかからなかった、と思っていたのはトレントばかりでフェアリーからしてみれば、イチカはまだるっこしいほど奥手だったんだそうだ。

 そういえば、デートの時、モルフォや瑠璃立羽ルリタテハに見えていたのは本当に只の翅化粧で、ノーメイクのマナミのハネは、大樺斑オオカバマダラだった。初めてそれを見た時には驚いた。ちょっとだけ。

 色々あったけど、今、マナミはイチカの隣にいる。売店で買ってきた夾竹桃ジュースをストローで音もなく啜る。

「赤ちゃん、どうだった? 見せてもらえた?」

 イチカに向けられる笑顔には、何の変りもないように見えるけれど、フェアリー基準では、クスクスカレーのひるはもう随分昔のことなのだそうだ。

「んー。少しだけ。でも、マナミもあたしの実は見たでしょ」

 マナミから渡された希釈リン酸水はケミカルなネオンマゼンタ色をしている。オンコを彷彿とさせる色。イチカは小指を漬けて味わった。オイシイ。これのために指先にはニスを塗っていない。

「そうだけどさー」

 早期発生室の中では、二人の遺伝情報を受け継いだ、フェアリーでありトレントでもある赤ん坊が人工子宮移植処置を受けている。フェアリーが胎生だからだ。

♢ ♢ ♢

「何の問題もないです。トレントがお母さんになってくだされば」

 フェアリーとトレントが繁殖することについて、繁殖医はそう言い切った。

「あたしがママじゃダメなんですか」

 イチカは当然のように自分が実るものだと思ってたけれど、マナミは相当な不満を舌に乗せた。

 ひょっとしたら、医師が青大将アオダイショウのラミアなのも関係しているかもしれなかった。受粉するトレントとも、出産するフェアリーとも違う殖えかたをする。ただ、そんな理由で医者を謗るなど失礼で恥知らずにも程がある。

 イチカはマナミの手を強めに握り締めた。窘め半分、慰め半分。ラミア医師は滔々とイチカを遺伝上の母にするべき理由を述べている。

 幾らマナミが大柄で豊満であったとしても、フェアリーの常識の範疇なのだ。只人タダビトサイズに調えたイチカの半分程度の身長しかない。体が小さければその分お腹も狭い。孕むのと実るのを選択できるならば、実る方を選んだ方がリスクは少ない。母体にも、新生児にとっても。ことイチイであれば経過観察もしやすい。

 それに、フェアリーなりハーピーなり飛べる生き物はおしなべて骨が脆い。もし遺伝上の母にフェアリーを選択するのなら、その時は別の医者を紹介する、とラミア医師は言った。

 医師は、イチカとマナミのどちらが遺伝上の母になるかメリットデメリットをまとめた書類一式と時間をくれたが、イチカはマナミに彼女の命をベットしてまで孕んでほしくなかった。哺乳類の繁殖は聞くだけでも痛そうだった。イチカは挿し木で発生したのに。

 結局、医師の提案通りにイチカが母になった。イチカの雌花を元に遺伝情報を持たないブランク花粉を作成し、マナミの遺伝情報を分割し花粉に転写し培養したのち、センターで医学的に受粉した。

 暫くしてイチカの枝に赤い実が付いた。鏡では確認できないところに発生したものだから、マナミが写真を撮って見せてくれた。それが記念日になった。海水ではなく窒素水とクスクスでお祝いした。

 イチカは帽子を外して光合成するようになった。真っ赤なオンコにもたっぷり日光浴してもらう。マナミはほとんど毎日、ベビちゃんの写真を撮って見せてくれた。時々、赤い果肉に半ば包まれた黒い種子が蠢いているような気がした。そしてそれは、気のせいではなかった。

 定期健診の日、センターでマナミと一緒に透過画像を見たとき二人揃って息を呑んだ。種は種皮と言っていいほど薄く、中に胎児がいた。それは哺乳類らしくへその緒を伸ばし、実を栄養にしてすくすく育っていた。キマイラ繁殖とはそういうものだ。イチカも理解していたはずだ。

「順調ですね。もう少し大きくなったら種衣から外しましょう」

 ラミア医師は何でもない事のように言い、マナミもニコニコと礼を言い、その日の検診は終わった。イチカは自分の枝の中に自分ではない、遺伝情報を異にする個体がいることが怖かった。

片手に余るほどオンコが育ってきたころから、マナミは揺りかごを編みはじめた。ダイエットを止めて野放図に伸びだしたイチカの新芽を使い、自然なヘアアレンジ風に見えてかつベビちゃんが落果しないようにホールドできるシニヨンにしてくれた。

 風に飛ばされないよう、母なる枝から落ちないよう、にと自作の子守唄を歌うマナミはイチカよりよっぽど母親らしく見えた。

「きっとこの子はマナちゃんともあたしとも違う子だと思うんだけど、マナちゃんはそういうの平気?」

 マナミの歌の合間に聞いてみたことがある。

「平気も何も、普通そういうものでしょ。あたしからしたら、いっちゃんがビックリだよ」

「哺乳類ってすごいね。ウチはお母ちゃんもおばあちゃんもそっくり一緒だったから、ちょっと怖い」

「大丈夫だよ」

 マナミは揺りかごトピアリーを作るのを止めてイチカを抱きしめた。

「あたしといっちゃんの子供だもの。何の心配もないよ」

 マナミの指も手のひらもぷにぷにで温かかった。

♢ ♢ ♢

 そしてついに、頭で支えきれないくらいにベビちゃんは育った。フェアリーの胎児がこんなに育つとは思ってもみなかった。ただ、医師のくれた資料には人工子宮移植の目安がちゃんと書いてあった。順当な大きさだった。

 摘み取る日が来たのだ。それが今日だ。ほんのついさっき、オンコは摘み取られて処置室の中にいる。もう、扉の上のランプは消灯していた。二人でだらだら摂っていた飲み物も片づけて、扉が開くのを待っている。

 じっと待っていたせいで扉が開くより先に、磨り硝子越しに医師のシルエットを認めるほうが先だった。ベビちゃんはストレッチャーに乗せられたポッド型人工子宮の中で合成羊水に浸かってまどろんでいた。人工子宮も合成羊水も透過素材で構成されている。何一つ視界の妨げにはならない。男の子だった。イチカとは性別すら違ったのだ。

 早速ベビちゃんは人工子宮ごと未出生児室内の透析機に繋がれた。ここで月満ちるまで育つのだ。

「かわいいねえ」

 イチカはマナミを抱き上げて我が子を見せた。彼女はアクリル窓に額をべったりと貼り付けんばかりに近づいて窓の先を見ている。まだ名前も付けていない息子は、フェアリーの肉を纏い、頭にイチイの葉を生やしている。背中から生えた小さなハネにはまだ鱗粉もついていない。透き通った翅の中に細い羽脈が走り、拍動のたびに葉緑素と思しき体液が巡っている。その速いことといったら!

「うん。すごい。かわいいねえ」

 イチカも破顔した。純粋に嬉しかった。例え人工子宮の中とはいえ、ミユウに我が子を見せてやれたことが。トレントとフェアリーでは寿命に差が有りすぎる。マナミは息子の成長をどこまで見届けられるんだろう? そしてこの子はいつまで生きられるんだろう? 願わくば、自分より長生きしてほしい。

 未出生児室を見渡せば、角人ツノビトと人魚の子。天狗とコーボルトの子。ロップイヤーをした只人タダビトの子。トレントとフェアリーの子。性も生もここに溢れるように在る。

しかしそれでもなお、この世界はまだ、死を克服してはいなかった。

 【了】